僕は歩いている


 僕は歩いている。歩くのは好きだ。景色を見てるだけで飽きないから。
 でも時々思う。なんで僕は歩いているんだろう。でも歩いてるんだからしょうがない。誰が見たって走っているようには
見えないと思う。
 でもやっぱり時々思う。僕は何で歩いているんだろう。
 もしかして僕はただ歩いてんじゃなくてさすらっているのかも知れない。そう思ったら自分がとてもかっこよく思えてき
た。

 ここは日本という国。みんな中途半端に幸せで中途半端に不幸な国。今は不景気で少し冗談抜きで不幸かも知れな
いけど他に比べたらやっぱり幸せだと思う。
 今は冬なんだなあ。そう思う。だって実際寒いし。なにより雪が降ってる。
 でも街は暖かい。これは街が常に熱を放っているから。でもそのせいで地球は酷い目にあってる。
 ヒートアイランド現象。多分僕ぐらいの歳でこのことを知っているのは僕ぐらいだ。こう見えて博学なんだよね。
 ヒートアイランド現象っていうのは街の明かりや、クーラーの排熱とかで街の温度が上がってしかも最近流行りの保温
効果でなかなか気温が下がらなくなってしまうことなんだ。
 だから街は暖かい。はずれ道なんかはこれよりもずっと寒い。多分夏とかだとこっちのほうが住み易いんだろうけど。


 僕は歩いている。歩くのは好きだ。世界が上下に動くのが楽しいから。
 ふと思う。なんで僕は歩いているんだろう。そう思ったらもっと大変なことに気がついた。
 あれ?僕誰だっけ。
 考える。考える。ずっと考える。歩きながら深く深く考える。
 う〜ん。駄目だ。全然分からない。これは記憶喪失だ。だとしたら僕はただ歩いてるんじゃなくてやっぱりさすらってる
んだ。そう思ったらやっぱり僕はかっこいいと思った。
 でも自分の名前も分からないのは情けない。ゲームやテレビの記憶喪失は嘘だ。本当に記憶喪失だったら名前だっ
て思い出せるはずが無いんだ。その点僕は本物だ。なにも分からない。でもこのことは何の自慢にもならないんだよな
あ。
 あ、少しまいった。僕にも一般教養がある。本当に記憶喪失だったらこのことも忘れるはずなのに。もしかしたら記憶
喪失じゃないのかもしれない。でも記憶が喪失するんだからやっぱり記憶喪失だ。だとしたら人は誰でも少なからず記
憶喪失なのかも知れない。

 ここは地球という星。太陽系で唯一生命のある星。火星にも生命があるかもしれないと良く言われるけどやっぱり生
命の溢れている星と言えば地球だ。
 でも僕は知っている。地球は悲鳴を上げている。
 これはずっと前のこと。でもどのくらい前のことだったかな。いまいち記憶がはっきりしない。まあいいや。内容がはっ
きりしていればいつのことか分からなくても話すことは出来るから。

 花畑がある村があった。そこにはその前にも行ったことがあったからそれが分かっていた。僕はそこを通りかかっ
た。もちろん歩いて。
 そしたらそこには花は咲いていなかった。代わりに砂場があった。多分花が咲くはずだった畑。僕はそこにいた人達
が話しているのを聞いた。
 ここにはもう花は咲きそうに無い、と。
 僕はそれを聞いて一瞬、一瞬だけど人類を滅ぼしたくなった。
 人間がいなければ地球はうまくいく、そう言う人がいる。どうなんだろう。どんなに勉強してもそれは分からないと思う。
だからそんな事を言う資格は誰にも無いと思う。
 でも人がいないほうが良くはなるんだろう、とやっぱり少し思う。


 僕は歩いている。歩くのは好きだ。歩いているとそこの音楽が聞けるから。
 ふと思う。僕は何で歩いているんだろう。そう思ったら僕はもっと大変なことに気がついた。
 僕はどこに向かって歩いてるんだっけ。
 僕は歩いているからにはどこかに行かなくちゃいけない。だけどどこに行けば良いのか分からないんだ。そう思いな
がら僕は歩いている。
 僕の体はどこに行けば良いのか分かっているみたいだった。頭で考えても分からないけど脚は殆どオートマ。どこか
に向かってるのは分かるから。
 
 街を歩いていた。だけど都会はゴミゴミしてる。僕は分かるけどこういうのを右も左も分からないって言うんだ。
 そこで僕は一度だけ歩くのを止めた。
 男の子がいた。それこそ右も左も分からなそうな男の子だ。その男の子が泣いていた。
なんで泣いてるの?
 僕はそう聞く。
 どこに帰ればいいのか分からない。
 その子はそう言った。
 僕も同じだった。でも不思議と悲しくはない。なんでだろう。
 そういえばもっと不思議なことがあった。その子はそのあとスーッと消えてしまったのだ。広い世界だから不思議な事
もあるよなあ。そう思う。


 僕は歩いている。歩くのは好きだ。こうしているだけで生きているって感じがするから。
 ふと思う。僕は何で歩いているのだろう。そう思ったら少しだけ気になった。
 僕はいつから歩いてるんだっけ。
 記憶喪失はいつからだろう。そう思って色々な事を思い出してみた。そうすればいつごろから記憶が途切れてるか分
かるかもしれない。
 不審船が撃沈されたこと。これはつい最近のことだ。テレビのニュースで見たんだ。歩きながら。色々なことがあっ
た。
 ニューヨーク。世界貿易センタービルに飛行機が突っ込んだ。酷かった。とてもとても酷かった。あれが世界の中心だ
からあれがもし世界を破壊するスイッチだったら世界は崩壊していた。テレビのニュースでそれを見た。歩きながら。そ
れ以上前のことは分からない。大体二ヶ月前のことだ。

 何で人は人を憎むんだろう。他の動物もそうなのかな。
 この前猫と猫が本気で殺し合っているのを見た。子猫がじゃれてるようなやつなんて比べ物にならない。だって二匹
が動く度に血が飛ぶんだから。二匹は本気で憎み合ってるんだ。だから本気で殺しあうんだと思う。
 憎しみあうのはむしろ自然なことかも知れない。じゃないと自分が自分だと確信出来ないから? みんな一緒なんて
地獄みたいなことにならない様に?
 でも他に方法あるんじゃない?考えれば思いつくと思うけど。どうなんだろう。


 僕は歩いている。歩くのは好きだ。だって今歩いているから。
 ふと思う。僕は何で歩いているのだろう。そう思ったら心配になった。
 僕はどこから来てどこに行くんだろう。
 歩いて。寝て。起きて。歩いて。寝て。起きて。歩いて。寝て。起きて。歩いて……。
 そんな僕のさすらい紀行ももうそろそろ終わりそうだ。なぜかは分からないけどそんな気がする。だって今日はなぜか
早歩きだから。でもどんなに急いでいても走ろうとは思わない。疲れるし。
 そんな風に歩いていたら古新聞を集めている小学生たちがいた。あちこちの家の前に置いてあるビニールでまとめら
れた古新聞を軽トラックに載せていく。アリみたいだ。
 風が吹いて新聞紙が飛んできた。僕はそれを思わず受けとめる。黄色くなった結構古めの新聞だ。それにしてもまと
まってるはずの新聞紙がどうして飛んできたんだろう。それを読んでみた。
 8月30日。青森に一人で旅行に行った中学生が爆発事故にあい重傷。
 写真も一緒だった。それは見たことのある顔だった。なんだろう。なんか見ちゃいけないものを見ちゃったような気が
するぞ。
 僕の持っている新聞紙を子供が不思議そうに見ている。そしてその子供は僕からそれを取り上げた。
 待ってよ。まだよく見てないんだから。
 僕は子供の肩に手を伸ばした。でも掴めなかった。すり抜けたから。スカッと。
 ああ、あれは僕なんだ。死んだんだな僕。
 なんとなく納得。うんうん、なるほどなるほど。

 でも僕は歩いている。死んでも歩けるんだなあと感心。生きてる人達にそれを教えようとしても難しいだろうけど。でも
ほら。足あるよ。
 どこに向かって歩いてるんだろう。誰も教えてくれない。でも少しだけ見覚えがあるような場所なんだよなあ。
 僕は歩いている。どこかに向かって。
 こみあげてくる気持ち。湧き出てくるみたいだ。これが喜怒哀楽のどれに入るんだかわからない。でもきっと悪くない
気持ちだ。
 気がつくと白い部屋だった。ずっと白い。開いた窓から風が入って白いカーテンがヒラヒラしてる。爽やかだけど寒い
んじゃない?
 白いベッドがある。そしてその上に白い毛布がある。そしてその白い毛布の中で人が眠ってる。寒くないの?
 その人は見たことのある人だった。誰だったかな。死んでからはどうももの覚えが悪いから思い出せない。
 誰だろうと、その人の顔を眺めながら考えていると体中が急に寒くなった。なんだなんだと慌てているうちに体が言う
事を聞かなくなる。そしたら急に視点が移動した。
 僕は白い天井を見てる。


 あくび。体を伸ばす。そして僕はベッドから体を起こして開いている窓を閉めた。
 カラカラパタン。
 やっぱり寒いじゃん。でもうれしかった。
 僕は戻れたんだ。
 僕は壁に掛けてあった緑色のスリッパを履いてその部屋を出た。
 誰かいませんか〜。意識不明だった中学生が意識を取り戻したんですけど〜。
 久しぶりに口を使って声を出す。頬のあたりが少し疲れる感じ。でも感覚が戻ってる。
 部屋を出てすぐに看護婦さんに会った。僕が戻ったんですけど、って言ったら大声出してそこに尻餅をついた。
 おかしくて僕は笑った。看護婦さんも笑った。
 でも笑っているうちに少し気になることを思い出した。

 ええっと。僕は誰だっけ。


 僕は歩いている。歩くのは好きだ。好きなものは好きだから説明するのはめんどくさい。
 ふと思う。間に合うだろうか、学校に。
 遅れるよ。
 走ってきた女の子が僕に言う。誰だろう。同じクラスなのは分かる。だけど名前は忘れた。
 走るのは疲れるから。
 僕が言うと女の子はそれに返事もしないで走っていった。せっかちな子なんだろう。
 別に急がなくても良いじゃん。いいや。急ぐのは別にどうでも良いんだけどね。

 僕は歩くのが好きだ。

 あれから7ヶ月。
 僕はまだ記憶喪失のさすらい人だ。僕はこんな自分をかっこいいと思う。
 でもそろそろ走った方が良いのかも知れない。だってこのままじゃ学校に間に合わないし。
 そんな事を考えていると遠くからあのキーンコーンカーンコーン。
 安心した。もう急ぐ必要がない。何の心配事もせずに歩ける。

 友達は言った。
 記憶喪失って言っても何も変わらないじゃん。
 きっとその通りなんだ。

 僕は歩くのが好きだ。今も昔も。

 ……あれ?もしかして思い出した?
 ……まあいいや。今日も学校は遅刻だし。そう言えば先生も勘弁してくれるかな。


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