中間距離からの散弾が赤い装甲を叩く。しかし散弾は近距離でなければ大きな効果は発揮しない。ましてやACの厚
い装甲の前ではあまり意味が無いように思えた。しかし,実際にはその装甲は幾度となく連続的な衝撃を受け、特に脚
部は少なからず疲労を見せていた。
 赤と金に色塗られたACプロビデンスは更なる追撃を避けるためにブースターで距離を離していく。その右手にはAC
が持つ銃としては最強とされるレーザーライフル、KARASAWA−Mk2が持たされている。しかしそのレーザーライフ
ルはACが持つにはいささか重た過ぎる。そしてACが使用するにはあまりにもエネルギーを使い過ぎるのだ。しかしプ
ロビデンスはブースターによって距離を離しながら己を追撃してくるACに対し最強のレーザーライフルを連射していた。
更にその右肩にはこれもまた更に大出力のレーザーキャノン,左肩にはワンロックで四発のミサイルを発射できる特殊
型中型ミサイルランチャーが装備されており,それはエクステンションの連動ミサイルランチャーとともに大きな威力を
持っていた。そして最強のレーザーブレード、MOONLIGHT。しかし,その火力の高さに対して装甲は少し薄くなってい
る。それが唯一の弱点である。
 しかし、幾人ものレイヴンが彼に挑戦し、その弱点に突け込もうとしたが誰一人として勝利する事はできなかった。何
故なら彼は火星アリーナ史上最強と言われ,その最強の称号ナインブレイカーをこの数年誰にも譲ることは無かった
のだ。その最強のレイヴンの名をアレスと言う。破壊神の名を冠したその名に恥じることの無い鬼神の如きその強さ。
火星史上最強もまた言い過ぎでは無かった。
 ナインブレイカー
 ACの知識を持つものなら誰でも知っている伝説のレイヴン、ハスラーワンとそのAC、ナインボール。彼はAC史上最
強とされるレイヴンである。当然アリーナでの頂点を一度として譲ることは無かった。しかし,レイヴンズネスト消滅と同
時にその存在は正しく「消えて」しまった。未だに原因は不明。曰く,ミッション中のトラップに引っかかったのだと。曰く,
彼自身は病死したのだと。曰く,彼自身最初から存在していなかったのだと。
 レイヴンズネスト消滅後ミッションという仕事を失ったレイヴンはアリーナで戦う闘士のことを指すようになった。しかし
ハスラーワン,ナインボールという存在は未だにレイヴンの間では伝説である。だからこそ急に消えたその存在は未だ
恐怖の象徴でもあった。そしてアリーナチャンピオンにはナインを破る者,ナインブレイカーという称号が与えられるよう
になったのは自然な事かも知れない。
 再び中間距離から散弾が放たれた。しかし今度はアレスの反応の方が速く、外れた弾丸は火星の砂漠の砂に叩き
つけられ砂塵を巻き上げた。
 そしてここはアリーナである。アリーナとは元々その戦いを行う場所を指す言葉であったが今ではレイヴン同士がAC
での戦闘を行うこと自体を指す言葉となった。人々はこの戦いに金を賭ける。アリーナは賭博としても運営されている
のだ。今回のオッズはアレスが2.3倍。そしてその相手レイニーは281,7倍。まさに彼の相手は大穴でしかなかっ
た。
 それでもレイニーというレイヴンはACゴルーヴァを駆り、火星ナンバーアリーナに登録されてから僅か一年で二位に
まで辿り着いた新気鋭のレイヴンだ。彼のAC、ゴルーヴァはプロビデンスと同じ中量二脚タイプのACである。白と黒に
塗り分けられシックな雰囲気を放ち、脚部とコアはプロビデンスと全く同じパーツだが他は違う。プロビデンスに比べ腕
部も頭部もツーランク程装甲が厚く、さらに左腕には最強のエネルギー干渉能力を持つシールドZEA−99/MERRO
Rが装備されており、その単純な耐久力は重量級にも負けないだろう。左肩には弾倉、右肩には対ステルスレーダー。
そしてその右腕にはゴルーヴァ唯一の武装、強化型ショットガンEWG−GSHDが握られていた。
 EWG−GSHD
 強化型ショットガンと言われる単純な火器である。発射と同時に弾丸が砕け、軟質弾丸が敵の装甲を切り裂く。人が
使用するものがそのまま大型化したものと考えていい。威力は最強のレーザーライフル、KARASAWAにも負けない
ほどだが、しかしこれは散弾である。距離と共にその威力は落ちるのだ。極端に言えばブレードが届く距離でなければ
満足な威力は発揮できないのだ。さらにその装弾数は36発。ゴルーヴァは弾倉を装備しているので43発になっている
が、それでもKARASAWAは強化されたレーザー透過フィルターのおかげで約50回の発射に耐えるようになっている
ためいかにも少ない。重量がKARASAWAの半分以下なのが唯一の勝機だろうか。これだけで火星アリーナを駆け
上ったレイニーはショットガンレイニーと仇名されていた。
 プロビデンスの左肩から四基のミサイルが発射された。さらに連動ミサイルランチャーから四基のミサイルが発射さ
れる。ゴルーヴァの目の前には一瞬にしてミサイルの弾幕が張られたが追撃を止めず、エクステンションの迎撃ミサイ
ルを作動させた。交わるミサイルとミサイル。白煙と白煙。爆発と爆発。ミサイルが交差したそこは光学カメラでも先が
見えないほどの高密度の黒煙がたち込める。そこを突っ切るとそこには左腕から青白い光を伸ばし今にも切りかかろ
うとしているプロビデンスがいた。
 目隠し、わざとか。レイニーがそう悟った時にはもう遅かった。高密度のエネルギーも持つ青白い光は真一文字に払
われ、それはゴルーヴァの右二の腕を切断した。ゴトリ、と砂漠に落ち、砂塵が巻きあがる。そこにあるのは右腕だけ
ではない。ゴルーヴァ唯一の武器、ショットガンも一緒だった。
 コックピットのメインモニタにLOSEの文字が浮かび上がる。橙色の光が薄暗かったコックピットを照らすがあまり明
るいという感じはしない。
アリーナと実戦は大きく違う。それはルールがあることだ。その中でももっとも違うのはポイント制が採用されているこ
とだろう。ACのパーツそれぞれにポイントが割り振られ、攻撃を受けるとその威力に応じてポイントがマイナスされる。
それが0になった時、それがアリーナにおける敗北だ。そして今のレイニーの敗北もルールによるものである。全ての
武装を失った場合敗北。これによりゴルーヴァ唯一の武器、ショットガンを右腕と共に失ったためルールにより敗北とな
ったのだ。
 このルールにより、重装甲のACを軽火器しか持っていないACでも敗北に追いやることができるのだ。無限車両タイ
プのACが本来装甲が薄くなってしまうため装備することを控える特殊腕を装備することが多いのはこのルールのため
であり、アリーナ独特のものである。
ルール上の敗北。納得がいかないがしょうがない。アリーナはスポーツ、賭博。経営者としてはレイヴンに死なれては
困るのだ。
 目の前には赤いAC。KARASAWAをこちらに向けたまま動かない。チャンピオンとしての驕りなど一片も無い。た
だ、強い者と戦いたい。そういう意思が伝わってくる。数年もチャンピオンでいたことに飽きたのだろう。しかし彼は強す
ぎた。本気で戦える相手は一人もいなかった。



『ミサイルを目隠しにしてのブレードぉーー! ! 決まったぁーー! ゴルーヴァの右腕がゴッソリ切り落されましたー
ー!』
『えー……、ゴルーヴァの武装は全て破壊された事になるのでルール上負けという事になりますね。それともまだ武装
が……』
『対戦終了のシグナルが点滅しましたーー! 勝者はもちろん我らがナインブレイカー、アレス乗るプロビデンス! 圧
倒的な勝利を収めましたーー!』
『しかしナインブレイカーにとって久しぶりの試合でしたね。試合前にも言いましたが三ヶ月ぶりの試合でした』
『私も久しぶりの彼の戦いを実況出来て光栄ですね』
『私は解説ですがやはり光栄です。しかしチャレンジャーのレイニーも惜しかったのではないでしょうか。今回ランダムで
選ばれたステージがもし……ブー』
カチッ
ラジオが切れる音。そしてその後それを聞いていた金髪の男が小さく溜息をついた。その後カードほどのサイズのポ
ケットラジオを白衣のポケットに入れた。
「好きですねーイディノウ先生。どっちに賭けてたんですかー」
その様子を見ていた背の高い若い看護婦が聞く。
 火星アリーナは火星市民に置いて一般的な娯楽に位置している。特に現在レイヴンが集中している火星は地球に比
べてその規模が大きく、通常100人単位で行われるアリーナだが、この火星アリーナは50人単位で行われるナンバ
ーアリーナと、250人ノーランク制で行われるサブアリーナに分けられ運営されているのだ。
 火星では活発にアリーナが行われているためレイヴンに対して戦場の悪魔というよりアリーナの闘士としてのイメージ
が強い。それゆえ一般にレイヴンに対してレイヴンに嫌悪感を持つ者は少ないのだ。
「賭けてたわけじゃないよ。ちょっと興味があるだけ。それより君こそどうしたんだい?」
 今は非番だよ、とつけ加えて金髪の男は素直に質問した。
「ナターシャちゃん呼んでますよー? さっきの試合の事で」
その看護婦はからかう様に言った。
 またあの子か……とイディノウ先生と言われた男は半分困ったような、半分笑ったような顔をした。
 彼はそのナターシャという少女に長い闘病生活に暇をしないようにアリーナを進めたのだ。しかしそれに必要以上に
はまってしまった。彼がその話につきあわされるのにも時間はかからなかったのだ。
「……しょうがないな。今日は子供に出来るだけ早く帰るって言ってあるんだよ」
 そう言いながらも彼は椅子から立ちあがっていた。
「いいじゃないですかー。ちょっと話してそのまま帰ったって」
 イディノウは看護婦のその少し無責任な言葉に苦笑してその後頷いた。
「そうだな。それに今あの子に出来るのは前向きにものごとを考えることだけだ」
 その言葉の後少し彼の表情が曇ったが誰もそれに気付く事は無かった。



『お前には絶望した。もう期待はしない』
 送られたメールにはそうとだけ書かれていた。差し出し人はアレス。先程戦っていたナインブレイカーだ。薄暗い部屋
では端末の液晶画面が妙に眩しい。
「ステージの相性が悪かっただけだ」
 男はそう呟く。薄暗闇に混ざる事の無い金髪を乱暴に掻き毟り端末の電源を切った。するとそこは予想以上に暗く、
液晶画面の明るさに慣れていた目を閉じてソファーにもたれた。
 彼の名はレイニー。ナインブレイカー、アレスと戦っていたレイヴンだ。パイロットスーツを着たままアリーナで戦うレイ
ヴンが控える狭い部屋でくすぶっていた。
 彼は勝つつもりだった。しかし今回の対戦場所、ステージは砂漠であった。一応戦闘範囲は設定されているが巨大な
ACと比べてもそこは広すぎた。ショットガンを唯一の武器とするゴルーヴァには不利と言える。しかしその極端な機体
構成を選んだのは他ならぬ彼自身なのだが。
 ゴルーヴァはアリーナのルールの内、武装の破壊によって勝利する事を目的にアセンブルされている。厚い装甲とシ
ールドでポイントのマイナスを防ぎ、それなりに高い機動力で接近、そしてショットガンで敵を攻撃するのだ。
 しかしゴルーヴァの武装はショットガンのみ。先程の戦いでそうだったように武装破壊に弱い。それでもレイニーはこ
こまで勝ち上がってきた。彼にとってそれしか無いのだ。
 しばらくそのままだったレイニーは空腹感を感じアリーナの控え室を出た。
 ここはアリーナ、つまりコンコード社で運営されているガレージだ。アリーナで戦う事になるレイヴンはここでACの換装
を行うのだ。個人や企業で運営されているガレージと違い、パーツの換装と修理費、弾薬費はあちら持ちとなってい
る。もちろんミッションに行く場合はこのガレージを使用することはできない。あくまでアリーナで戦うレイヴンのためのガ
レージなのだ。
 控え室を出るとそこは直接通路になっている。右に進めばACの置いてあるガレージ、左へ進めばその他必要のある
ものがある。
 レイニーには整備士の愚痴を聞く気は無い。迷わずに左へ足を運んだ。途中このガレージの関係者らしき人物が挨
拶してきたが返事をする事は無かった。
 更に先にある売店でチーズバーガーを一つ買い駐車場に出た。外は既に暗く、二つの歪な形の『月』が太陽の光で
輝いている。火星の衛星、ダイモスとフォボスだ。

 ここは一年が687日、一日が24時間37分の太陽系第四惑星、火星である。現在では地球全体の30%が移民を開
始している。かつては増え過ぎた地球人工問題を解決するための移民計画だったのだろうが、現在では資源の確保、
汚染された地球からの逃亡がその動機だ。
 地球暦220年。地球から火星への移民が現在も進んでいる。火星への移住。それは現在になっては決してSFや夢
物語ではなくなった。火星の地球化、そして衛星軌道エレベーターの建設、そして人の移住。それらは火星テラフォーミ
ング計画と言われるものである。
 第一次テラフォーミングは地球最後の世界大戦、<大破壊>以前に行われていたらしい。正式な資料によれば地球
暦96年にそれは行われた。その第一次テラフォーミングとは完全自立環境操作マシンの生産工場を火星に設置する
事だった。人は全ての火星地球化をそれに任せ、衛星軌道エレベーターを始めとする大型施設の開発を行っていた。
 しかしそれは順調であったのにも関わらず中断されることとなる。第一次テラフォーミングが始まりちょうど10年目。
地球では大きな変化があったのだ。<大破壊>である。
 それは事実上地球における人類の文明をリセットするものであった。地上は汚染され、人は皮肉にも多すぎる人口を
解決するために建設された地下都市にその生活圏を移したのだ。その人命の殆どは失われ、生存者は大破壊以前の
10%に満たなかった。それはつまり、失われた人命と同じ分だけ知識が失われてしまったと言える。実際火星テラフォ
ーミング計画を知る者は一人として生き残る事は無かったのだ。
 月日は流れた。人は地下の生活に定着し、秩序は口実上にしか存在せず、モラルは荒廃し、人々を導いたのはそれ
らを口にもしようとしない企業だった。国も政治も存在しない。利潤を追求する彼ら企業は他の企業を敵視した。彼らは
秩序を創るものになろうとしたのだ。失われた秩序を創る者に。全てが歪みきった世界は戦闘型MTを生み、ACを生
み、レイヴンを生んだ。
 大破壊から50年後。人々はついに地下都市での大規模戦争を起こした。後に大深度戦争、もしくは30年戦争と言
われるこの戦争は大破壊と同じく起きた詳しい原因は不明である。ただ、経緯だけを言えばかつての二大企業、クロー
ム、ムラクモ、更には当時レイヴンを斡旋していたレイヴンズネストまでもがある日突然崩壊したのだ。その穴を埋めよ
うと多数の小企業がひしめき合い、争いあう。
 企業戦力、レイヴン。言わばチャンスだったのかも知れない。絶対的なものが一切無くなったいま、己がそれに成り
代わるための。だが結論から言えばやり過ぎた。
 地下連立都市にとって文字通りの生命線、エアクリーナーが拡大する戦闘の中破壊されるのには十分な期間、その
戦闘は行われたのだ。
 地下さえも人々の生存を拒んだ。残された人々は比較的被害の少ないオールド・アイザックシティにおいて<アイザッ
ク条約>を締結した。それはつまり現在の戦闘を一切放棄し、秩序の中枢再建と共に行われる地上復帰計画だった。
 地球暦186年。人類が地上から姿を消していた間にそこは意外な程回復していた。つまり地球にとって人は要らない
のである。しかし人は地上を必要としていた。ネオ・アイザックシティを中心に地上の生存圏を広げ、条約によって新た
に創られた秩序、地球政府が人々を導いていた。人は平和だった。今を思えばまどろみのような日々。しかしそれは長
くはなかった。
 当時アリーナを運営していたコンコード社がレイヴン斡旋ネットワークナーヴスコンコードを設立したのだ。本来の姿
を失い、アリーナで賭けの対称でしかなかったレイヴンが遂に檻から解き放たれたのだ。企業は再び力をつけ始め、レ
イヴンを使った戦いが頻発した。
 そして同時期、当時エムロード社に次いで二番手に甘んじていたジオ・マトリクス社が火星テラフォーミング計画を発
見したのだ。
 火星移住。それは地球政府には夢のような話だった。新たなる資源に生存圏の拡大。しかし、その計画を掴んでいる
のはあくまでジオ社。しかし地球政府もその話を無視することはできず、結局ジオ社の出す要求を二つ返事で了承し、
ジオ社は火星において事実上最大の権利を持つ企業となる。それはすなわち地球でも利益を生むことだ。エムロード
社はジオ社と地球政府に出し抜かれる形となり、火星に向かう他の中小企業と共に新たなる地平へ向かった。
 地球での勢力争いはそのまま火星へ持ち越され、むしろ激しくなっていった。コンコード社の運営するナーヴスコンコ
ードのネットワークは火星にまで到達しレイヴンまでもその戦いに参加する。地球の安定を一番の責務とする地球政府
にその争いを止める力は無く、火星における秩序は失われた。
 事態を重く見た地球政府は大きな勢力を持たない勢力争いの被害者とも言える中小企業の後押しもあり、持ちうる
限りの利権を振り絞り企業中央委員会、LCCを組織したのだ。
 一応は火星における企業の動きを監視する役割を持っているが生みの親である地球政府とは独立した存在であり、
政府でも自治体でも集合企業でもないという極めて中途半端な立場になってしまっており、その利権も地球政府との独
立したことにより殆ど失ってしまったのだ。
 確かに表立った争いは少なくなった。しかし結局その争いが目に見えるものから見えないものへと変わっただけだっ
たのだ。火星移民のLCCに対する不満は大きく、その立場が建前上のものである事は既に一般常識である。

 レイニーはその光を拒むように黒い車にキーを挿した。
 この車はワックス塗りも洗車もされていない。フロントガラスだけが不自然に綺麗なだけだ。彼はそんな事を気にする
事も無く、運転席に置いてあったコートを羽織り、ドアを閉めた。



 来てしまった。
 レイニーは車のドアを閉めながらそう思った。その目線の先には街頭に少し照らされた大きめの家だった。彼は懐か
しそうに見つめていた。
「あらぁ? ニコライさん?」
 そこに立っていた彼に中年の女性が懐かしそうに話しかけた。その女性はレイニーの目にも懐かしかったが特別どう
したという事は無かった。
「おばさん……」
 レイニーはどうとも思わなくなってしまった自分を認めないようにかつて言っていた言葉を言った。いつぶりだろうと思
い出してみるが結局思い出す事は出来なかった。
「久しぶりねえ。でもこんな夜中にどうしたの?」
「別にどうも。ただ久しぶりによってみただけです」
 この家はもう自分の家じゃない。その事ぐらい分かっているはずなのに。気付けば来てしまう。
 彼はなぜ自分がここに来たのか分からない。そして自分でも分からない事を言う気には当然なれなかった。
「そう。前見たよりもたくましく見えるわねえ」
 彼女は悪びれる様子も無く見て思った事をそのまま言った。
 その言葉にレイニーはコートの下はパイロットスーツのままである事を思い出した。体にフィットしたこのスーツがコー
トを押し上げて筋肉の様に見えるのだろうか。しかし彼女はその事を気にもしない。
「それじゃあ」
 そしてそのまま自宅への道を進んで行った。
 レイニーにとってそれはありがたかった。今の彼に彼女と会話を交わすほどの度胸は無かったのだ。少なくとも今の
彼に今の自分の見の上を話すことなど出来ない。彼女なりに気を使ってくれた気さえしてしまうほどに。
 レイニーは自宅だった家の門の前に立ち、それをそっと押した。すると意外なほど軽くそれは押したのに従って開い
た。その先にはかつて何度も出入りしたことがあるはずの見慣れたドアがあった。鍵はある。入ろうか、どうしようか。
悩んだがそれは少しの間だけだった。
 鍵を挿しこみ、回す。カチャッと乾いた音が響き、ドアを引くと当然のように開いた。
 中は暗く、電気は既に通っていないのか灯りもつかない。家を照らすのは街灯の明かりのみ。かつては明るすぎて嫌
いだったこの灯りも今ではこの家で唯一の光源というわけだ。レイニーにはそれが妙にむなしく感じられた。
「ただいま」
 誰もいるはずの無い玄関にその声だけが通った。
 変わらない。
 薄暗く、埃を被った家の中を見渡してレイニーはそう思った。ゼンマイ式の柱時計は既に動いていない。2時21分の
ところで止まっていた。レイニーは家の鍵と一緒になっているゼンマイを回した。すると時計は再び動き出した。カッ、コ
ッ、カッ、コッ、と規則正しい音を出しながら。
これは俺の仕事だったんだよな、とレイニーは笑った。
 玄関から右に入るとそこはリビングだ。家族五人でかつて会話を交わした場所。そこはカーテンのせいで一段と暗
い。それがどうにも悲しいためカーテンを開ける。すると窓の正面にある街灯が眩しい程の光を薄暗かったリビングに
射し込んだ。
 明るくなったリビングの中央にあるソファーに腰をかける。埃が舞い上がりコートに貼りつくが気にはしなかった。そし
て床を見つめていた目線を上げる。一瞬、笑う家族の姿が見えた気がした。
 レイニーは立ちあがり、コートを軽く叩くと階段を上った。そこには自室がある。いや、あったのか? ふとレイニーは
思った。
 ここはもう俺の家じゃない。じゃあこの先にあるのは俺の自室じゃないのか? だがまだそこには俺の自室だった部
屋があるはずだ。だがここは今誰の家でもない。じゃあ誰のものでもないのか? 
 レイニーの考えがまだまとまらないうちに一つのドアが目についた。彼の部屋ではない。
 手応えの無いドアノブを握りそれを押す。そしてドアを開けると腐敗臭がレイニーの鼻をついた。そこは埃を被ってし
まっているがあの時と全く変わらない少女趣味で飾られた部屋だった。この腐敗臭が全く似合わないほどに。レイニー
はその腐敗臭の原因を知っていた。火星の低温が腐敗を長引かせているのだろう。そして彼を今の彼に変えてしまっ
た出来事を思い出す。
「ごめんな。気が向いたら捨てるから」
 まるで部屋に言っているようにそう言い残しドアを閉めた。
 廊下を更に進む。この廊下に射しこむ光は僅かなものでリビングに比べるとかなり暗い。それでも元は自分の家だっ
たのだ。レイニーは勘で自分の部屋のドアノブを探し当てた。
 開けてみるとそこはさらに暗い。街灯とは反対の方向にあるため、光が射しこむ事は無いのだ。レイニーは更に手探
りで机があるだろう場所を探った。目当てのものが見つかり、スイッチを押した。すると辺りが弱い緑色の光に包まれ
た。
 電池はまだ生きてたか。
 それは目覚し時計だった。暗闇でも時刻がわかるように仕込まれている蛍光灯だ。
 レイニーは毛布さえもがそのままになっているベッドに横になる。埃が舞うが気にはしなかった。
 何も変わって無いな。俺も、ここも。
 そしてコートとパイロットスーツのまま眠りについた。



 その日、僕は大学から帰るところだった。母さんに相談したい事があったから少し早歩きだった。季節は夏だが火星
は寒い。寒冷に強い針葉樹林も僅かに緑を残しているだけだった。
 静かだった。でも今思えば静か過ぎた気がした。
「ただいま」
 僕はいつものように自分の玄関のドアを開けた。自分の家だ。遠慮はいらないはずだった。でも入った途端何かが違
う事に気付いた。なぜはわからない。これが悪い予感と言うのだろう。今ではそう思う。
「ただいま」
 リビングに入り僕はもう一度言った。そこには母がいた。泣いていた。声も出さずに泣いていた。僕が帰ってきた事に
は気付いていたようでこちらに振り向いた。
「どうしたんだ?」
 母さんの様子が普通ではないとすぐに分かった。僕は母さんの泣いているのを初めて見た。母さんは体は弱いが心
は強い。僕はそれを信じていた。
 だから母さんが泣いているのを見て僕は強いショックを受けた事を覚えている。
「なにがあったんだ?」
 待っていても返事が無いので僕は肩に手を掛けて出来るだけゆっくりと聞いた。すると少しだけ落ち着きを取り戻した
のか母さんはゆっくりと言葉を繋げた。
「父さんとお兄さんが死んだって……。事故だって……」
 そこまで言って母さんは再び泣き始めた。
 親父と兄貴は二人ともジオ・マトリクス社の工場で警備員をしていた。
 親父はいつも僕に勉強しろ勉強しろと言っていた気がする。頑固親父と言っていい人だった。でも僕にポーカーのイカ
サマと車の運転を教えてくれたのも親父だった。
兄貴は何でもできた。何をやっても兄貴には敵わなかった。でも兄貴には何度助けてもらったか分からない。でも…
…。
「死んだ?」
 僕は信じられなかった。二人とも仕事のせいで普段から忙しかったから顔を合わす機会が少なかった。だからかも知
れない。僕は不思議なほど冷静だった。そして辺りを見渡す。
「アニーは?」
 そういえば妹の姿が見えない。しかし今日の日課が午前だけだったのを思い出して口をつぐんだ。妹も家に帰ればこ
の現実に相対する事になるのだろう。でもあいつは「死ぬ」っていうのが理解出来るのだろうか。
「大学行ってられないな」
 こういう形でこの話を切り出す事になるとは思わなかった。
「俺はレイヴンになるよ。今日帰りの喫茶店でそういうの詳しい人に会ったんだ。もしかしたらレイヴンになれるかも。大
丈夫だよ。アリーナのレイヴンだから」
 僕のその言葉に母さんはすぐには答えなかった。でもしばらくすると涙を拭いて真っ直ぐ僕の目を見て言った。
「お母さん頑張るから。あなたとアナスタシアは私が守るから。だからあなたは大学で勉強しなさい。そしてちゃんとした
仕事につきなさい」
 諦めと決意、そして絶望が混ぜこぜになった母さんのその顔を、僕は今でも鮮明に思い出すことが出来る。



 レイニーは目覚し時計の電子音で目を覚ました。彼は無造作にそれを叩き、音を止めた。まだ涙で眩む目でそれを
睨む。8時ちょうど。
 そういえばレイヴンになってからは一度も使ってなかった。
 それは彼が医大に行くために十分余裕を持った時刻だった。
 全てがあの時から止まっている。
 既に眩しい程に明るくなっている部屋の中で彼は再びそう思った。目覚し時計の乗っている机には当時読んでいたア
リーナ関連雑誌が乗っている。まだ新米だった頃はよくこの机の上で作戦を練ったものだ。
 それもそのままだった。もし、この家を買おうとした者がこの様子を見たらどう思うのだろう。少なくとも居辛いに違い
無い。
 レイニーは起き上がるとコートの埃を払いながらそのポケットから携帯ナーヴを取り出した。メールが届いている。液
晶画面にそれを告げる『YOU GOT MAIL』の文字が浮かんでいた。
『昨晩の試合は残念でしたね。指示通り再戦届けは当日中に申し込んでおきましたので近日中に審査委員からの返事
があると思います。しかしその前に明後日にB−24715戦が行われます。随分と急な話で私も驚きましたが既に決定
している事なので出場しないわけにはいかないでしょう。今のあなたなら負けることは無いとは思いますが、勝つために
はいかなる手段をも惜しまないのが彼です。油断はしないで下さい。               ネル・オールター』
 B−24715。正式名称は囚人番号B−24715と言う。
 そのレイヴンネーム通り、彼は囚人である。懲役一億年の判決を受けているらしいが、一体彼が何をしたのか想像も
つかない。終身刑、もしくは死刑で済むはずだが懲役一億年。本当に何をしたのだろう。囚人でありながらなぜアリー
ナに参戦できたのかもはっきりはしておらず、謎めいているという意味ではレイヴンらしい人物だ。
 彼のACは高速移動が可能な無脚に重武装を施したアポカリプス。ポイント制や、武装破壊ではなく、敵を『戦闘不能
になった場合敗北』に陥れるためのACだ。武装もグレネードランチャーで固められ、『不幸な事故』を起こす事も少なく
ない。
 しかしグレネード弾は弾速が遅く回避することが容易であることに加え、ゴルーヴァの装甲はグレネード数発を余裕を
持って耐え切る。結局その間にレイニーはアポカリプスの武装を全て破壊し、勝利したのだ。
 負けるはずが無い。その時の戦いを思い出しながらレイニーは思う。あくまで今の彼の目標はナインブレイカー、アレ
ス。しかし、
「明後日か……」
 つまり明日だ。本当に随分と急な話だ。連日の様に試合を行うサブアリーナと違い、ナンバーアリーナは普通一週間
ほどの余裕を持って行う。それがレイニーに許された猶予は昨晩も含め、たった二日である。
 このレイヴンには本当に何かあるのではないか。今日何度目になるか分からないがもう一度そう思った。
 携帯ナーヴの電源を切り、液晶部分を畳む。そしてそれをもう一度コートにしまうと溜息を吐いた。なぜかは彼にも分
からない。だが、何か息苦しい。何かが違う。
「何考えてんだ俺は」
 いらない事を考えている自分に腹が立ったレイニーは壁を叩き、跳ねるようにしてベッドから起きた。そしてそのまま
何も考えないようにして外に向かった。
 しかし、未だ規則正しい時を刻んでいる柱時計が、一度だけ、彼の足を止めた。



 画面の中で赤いAC、プロビデンスが火を上げた。そして黒い煙をなびかせながら倒れ込む。目の前のモニターにWI
Nの文字が浮かんだ。
「これで十五人目……。プロビデンスは七機目……」
 レイニーは剥き出しになっているコックピットフレームのような筐体の中でうんざりした様に言った。対戦相手側の筐
体では若者が騒いでいる声とコインを投入する音が聞こえる。
 これは<ARMORED・CORE NINEBREAKER Ver2.24>というアリーナを題材にしたアミューズメントマシンで
ある。操作はACの操作自体が余り難しくないため、それをさらに簡略化したものが採用されており、極めてゲーム性が
高く人気が高い。しかしその反面、ACはあらかじめ用意されているものしか使用出来ず、カスタマイズは出来ない。そ
してその用意されているACは実際にアリーナで上位にランクインしているレイヴンのものだ。
 真っ暗だった画面に再び光が戻る。それは次第に形を持ち始め、それは昨日レイニーがアレスに敗北した砂漠に似
た場所だった。
 画面にREDEY? の文字。レイニーは深呼吸する。さすがに疲れてきた。
 GO! その文字が画面に浮かんだ瞬間ACは自由を取り戻し動き始めた。しばらく前進するとロックオンされた事を
知らせるシグナルが赤く光り早速ミサイルの群れが飛んできた。全部で八基。
 またプロビデンスか、とレイニーは再びうんざりする。
 そのミサイルをエクステンションの迎撃ミサイルが出迎える。一基残らず迎撃に成功し、レイニーは煙幕の向こうにい
るはずのプロビデンスにプラズマライフルを向けた。サイトの枠が緑から赤に変わり、その中央に丸いロックオンマーク
が広がる。発射。バァンとゲーム特有の安っぽい音と共に吐き出された赤いプラズマは真っ直ぐプロビデンスに命中し
た。
 レイニーの使用しているのは『当時』アリーナ三位のACアルティメットナイトだ。このヴァージョンは比較的古いもので
レイニーのゴルーヴァは登録されていないのだ。
 それに対して敵側が使っているプロビデンスはいわゆるボスキャラである。通常は使用することは出来ないが特別な
コマンドを入力することで使用することが可能となるのだ。ボスキャラという扱いだけにその性能は高く設定されている。
 滅茶苦茶にKARASAWAを連射しているプロビデンスの右に回り込む。そのままプラズマライフルに管理火器を換
え、レイニーはコンソールを叩いた。ロックサイトをレーザーサイトに代えKARASAWAを狙い、破壊するのだ。しかし
そこにあるのはコンソールではなくただの飾りだった。それに火器だけを破壊するなどという事も出来ない。
 そういえばゲームだったな、とレイニーは苦笑しながらトリガーを引いた。それは当たり前の様に命中しプロビデンス
の動きを奪う。そしてその間に管理火器を大型ミサイルに換え一気に肉薄する。長いロックオンの後発射された。大袈
裟な大きさのミサイルが動きを止めているプロビデンスに命中した。安っぽい爆炎がプロビデンスを包む。ポイントは大
きくマイナスされ、レイニーの勝利は時間の問題だ。
 ゲームと実戦ではスピードが違う。それにデータ化された仮想現実ではあり得ない当たり前の事も現実では当然起き
る。跳弾、崩壊、高熱、整備不良、地盤沈下、気流の乱れ、衝撃波、死。それらの一切無いゲームでいくら強くなっても
レイヴンとしては強くなれない。あくまでレイヴンとACは現実に存在するのだ。
 先程まで強気に突進していたプロビデンスが急に後退し始めた。そしてうるさかった相手側の騒ぎ声も静かになって
いる。
 何回目だこれ……
 そろそろ諦めた方が良いじゃねぇ? 
 強すぎんだよこいつ
 オメーもアルティメットナイトでいけよ
 もー金無ェ……
 そんな声が聞こえてくる。レイニーは機体を砂漠の丘に半分隠れるようにしてアルティメットナイトにチェーンガンを構
えさせた。そしてトリガーを引く。ロック射程外だが弾丸は届く。適当に撃っていたら数秒ほどで画面にWINの文字が浮
かんできた。どうやら勝ったらしい。
「見事だね、ニコライ君。さすがだ」
 溜息をしているレイニーに声が掛けられた。穏やかな男の声。そしてレイニーにとって聞き慣れた声だった。
「おじさん……」
「久しぶりだな。大体一年ぶりか」
 そこに立っていたのは彼の叔父に当る男、イディノウだった。レイニーと同じ金色の髪。レイニーはしばらくの間声も
出さずにそれを眺めていたが、ふと目線を画面に移した。そこにはNEWCHALLENGERの文字。どうやらもう一度闘
いを挑むつもりだ。
「お久しぶりです」
 レイニーは手の汗をズボンで拭きながら素っ気無く答えた。
 一年。
 もうそんなに経ったのか。あの出来事。それからもう一年も経つのか。
 表情の消えたレイニーの顔を見てイディノウはそれが失言だと気付いた。しかしこちらも連絡の途絶えた一年彼を探
し続けたのだ。
「変わったな」
 しかし一年の間に彼は変わってしまっていた。
「レイヴンですからね」
 そしてその返答も素っ気無いものだった。レイヴンにとって馴れ合いは必要無い。アリーナレイヴンであっても決して
レイヴン自身の詳細は明かされないものだ。それは完全な孤独である事を意味する。そして彼はあれ以来人との関わ
りを嫌うようになっていた事もその孤独を一層完全なものにしていた。
「君に渡したいものがある。姉さん……,君のお母さんからだ」
 既に始まっている戦闘の中、レイニーのアルティメットナイトが動きを止めた。その瞬間敵のプラズマライフルが命中
した。連動して起こる反動がレイニーの握るトリガーを震えさせた。
「どういうことですか?」
 レイニーはトリガーから手を放し、筐体から体を出した。筐体の方では未だ派手な音が鳴り響いている。
「詳しくは病院で話すよ。今は持ってないし。あ、車か?」
 レイニーは首を縦に振る。そして駐車場に向かった。
「待って! 車か? っていうのは私を乗せて行ってくれって意味だ!」
 イディノウはそれに急いでついて行った。
 筐体の方で歓声が聞こえた。



「これだ」
 イディノウはそう言ってデスクの中から出した封筒をレイニーに渡した。それには「愛する我が子達へ」と書いてあっ
た。
「言い辛いんだけど、私が死んだら渡してくれって言われててね。でもあれ以来一度も顔を会わせてなかっただろ?」
 その言葉を無視してレイニーは封筒を開ける。まだ開けられていなかったらしく、糊付けされていた開け口を無理矢
理ちぎり取った。中からは二枚の便せんが出てきた。一枚は彼に、そしてもう一枚は彼の妹へ宛てたものだった。
 読んで良いのだろうか? なぜかそんな事を考えながらレイニーは彼宛ての便せんを読み始めた。
『愛するニコライへ。
もしこれがおじさんから渡されたのであればお母さんは既にこの世にはいないと思います。それにしても不思議なもの
です。今私は生きているのにあなたにとっての今、私は死んでいるのですから。
マーズシンドローム。私はそういう病気です。治療法はありません。それに私がこの病気である事が分かったとき既に
病気の症状はかなり進んでいたそうです。貧血で倒れたのが皮肉にも運が良かったのでしょう。こうしてあなた達に『死
んだ母』として話すことができるのですから。
あなたがレイヴンになった事にはもう気付いています。責任感が強いからお金を稼ぐ事で頭がいっぱいなのでしょう。
気付いていながら経済上止めることが出来ない自分が許せません。
私が死んだ後は保険金が下りるでしょうからそれでアナスタシアを慰めてあげてください。あの子は優しいから多分私
が死んだ後とても悲しむと思います。支えになれるのはニコライだけ……』
 そこまで読むとレイニーはその便せんをくしゃくしゃに丸め始めた。イディノウの制止も聞かずに彼の妹の分も丸め、
床に叩きつけ、踏み付けた。
「何のつもりなんだ!」
 イディノウのその言葉には怒りのようなものも混ざっていた。しかしレイニーはその言葉にも耳を貸そうとはしない。む
しろ怒鳴られている事にも気付いていない様子だった。
「死んでから好き勝手言うなよ……」
 張り詰めたレイニーのその言葉にイディノウはもう何も言えなくなっていた。
 更に妹の分の便せんも読まずに封筒ごと丸め、ゴミ箱に放り投げた。距離は結構あったのだがさすがと言うか真っ直
ぐとその口に吸い込まれて行った。
「或いはあんたがさっさとこいつを渡してくれればあいつは死なずにすんだかもな!」
 今まで下に向いていた目線を真っ直ぐイディノウに向け怒鳴った。今までの静かな印象からはうってかわっての大声
だった。ドアの無い部屋の出入り口から通りすがった人達が覗いていた。
 あいつ。イディノウにはそれが彼の妹だと分かった。
 確かにそうかも知れない。
 イディノウはそう思って反論も出来ない。肩を上下に動かし呼吸しているレイニーを見つめ返す事しか出来なかった。
 そんな状態が何分続いたのだろう。或いは何秒だったのだろうか。レイニーは深呼吸の後いきなり拳を振り上げた。
イディノウが思わず身構えるも間に合わない。
 乾いた音が響いた。
 その拳はコンクリートにペンキを塗った壁を叩いていた。一呼吸の後レイニーはもう一度その右手で壁を叩いた。次
に左手、そしてもう一度右手。そして何度も右手で壁を殴りつけていた。イディノウはそれを訳も分からずに眺めていた
がそれが意外にも大振りである事に気付いた。
「おい、止せ!」
 言葉よりも先に壁をかばうようにしてレイニーとの間に割り込む。そして壁に向かってた拳を自分の肩で受けとめた。
その拳は思った以上の威力を持っていたためイディノウは苦痛で顔を歪めたが構わずその腕を掴み上げた。今度こそ
は何のつもりか言及しようとレイニーの顔を睨んだがその顔は悲しみに包まれているとでも表現しようのない顔だった。
「すみません」
 レイニーは力無くその掴まれた腕を引っ込め、ごく自然に謝罪した。
 その様子にとりあえず安心したイディノウは壁をかばった肩をさすった。しかしそこは不自然に湿っている。何かと見
てみるとその白衣には赤い後がいくつもついている。それはレイニーの血だった。

「本当にさっきはすみませんでした」
 レイニーは廊下を歩きながらとなりで歩いているイディノウにもう一度謝罪した。
 なぜあんな事をしたのか自分でも分からない。壁を殴り続けた事も含めてだ。その壁を殴っていた拳は包帯で巻か
れ、黒いコートの下に隠れている。
「まあ、分からないでもないよ。あれから一年も経ったんだ。確かに今更だな」
 彼にとってレイニーの父である兄の死以外に人生の谷のようなものは無かった。医者として働く事の素晴らしさを知
り、家庭に恵まれている彼にレイニーの今までを想像する事も出来ない。
「明日の試合に影響は無いんだろうな」
 いつまでもそんな事を考えないようにイディノウは自ら話題を変えた。この話題が一番入りやすそうだったからだ。
「日時まで分かるんですか?」
 レイニーは幾分か気を良くしたのか少し明るい調子で答えた。
「ああ、一応<レイニー>のファンだからな。私だけじゃない。たった一年で今の地位にまで上り詰めた<レイニー>へ
の期待は君が思っている以上のものだぞ」
 その言葉は間違ってはいないが実際にはレイヴンよりもそのACに人気が集中するものだ。とくにアミューズメントマシ
ン<ARMORED・CORE NINEBREAKER>のようにレイヴンは無視される事も多い。アレスの様にナインブレイカ
ーといった称号でも持たない限り、特に己の詳細を隠す傾向にあるレイヴンは「いない」も同然なのだ。
 その反面ランカーACに関する賞品の売上はそのACの人気に比例して高い。その主流としてはブロマイドや、組換え
フィギアなど。どちらにしてもレイヴンは話題に上らない。
レイニーは嬉しそうに話すイディノウにその手を動かしながら答えた。
「問題は無さそうです。怪我していても一度勝った相手に負ける気はありませんけどね」
 その言葉にイディノウはますます嬉しそうに手を叩いた。
「言う言う。さすがだな、ショットガンレイニー」
 思わず彼の仇名を言ってしまうイディノウにレイニーは苦笑するしか無かった。
 二人はそのまま話しをしながら歩いていた。レイニーにとっては久しぶりの親しい人物との会話だ。普段は油断ならな
いレイヴンや、怠惰な整備士、真面目過ぎるマネージャーぐらいしか話し相手がいない。
 せめて家族がいてくれれば……。そこまで考えてレイニーは何を考えているんだ、と自嘲した。くだらない。そして自分
でそう断言した。
「過去にこだわるのはくだらない事だ」
 そして自分の中だけで決め付けるのでは自信が無いので口に出して言ってみた。意外にそれは効果があった。いま
まで心に漂っていた靄が一気に晴れたようだ。そしてふと溜息をつく。
しかしイディノウは突然のその言葉に眉をひそめた。しかし何も言う気にはなれない。イディノウにはそれが彼自身に言
っている言葉だと分かっているのだ。
 その言葉の後二人は無口のまま歩いていた。もうしばらくすればエレベーターだ。その時だった。
「あー、先生ー」
 部屋のひとつから女性の声が聞こえてきた。そして病室から看護婦が出てきた。
「あー、それとニコラスさん」
 その看護婦はトゥワイフのとなりにいるレイニーに気付き声をかけた。近くにいるとその看護婦は彼よりも幾分か背が
高く、レイニーは距離をとった。
「ニコライです」
 そして訂正をいれた。誰でも名前を間違われるというのは嫌なものだ。
 しかしそのレイニーも彼女の名前を覚えていなかった。彼女がどういう人間かは覚えているのだ。母が入院した時、
その時に確かいた。よく母と、と言うよりも病室にいる人間誰にでも話しかけていた。そう、よく覚えている。忘れること
はできそうにないキャラクターだった。名前以外は。
「どうかしたのかい、ダーマ君」
「え? 通りかかったから。ナターシャちゃんに声掛けてあげて下さいよ」
 そうか、ダーマだ。
 レイニーはやっと思い出した。胸のつかえがとれたレイニーは適当にあしらってそこを後にしようとしたが、急にコート
の袖をイディノウに掴まれた。
「私はこれから回診だ。こいつアリーナに詳しいから代わりに置いてくよ」
 そしてレイニーが何も言わないうちに笑顔のままその場を後にした。
 そこから先には地下エレベーターしか無いんじゃないか? 
 レイニーはそれすらも言えなかった。
「じゃー、ニコラさん」
「ニコライです」
 その訂正を聞いているのかいないのかダーマはレイニーのコートの袖を掴み強引に病室に引っ張った。予想以上に
強い力で引っ張られレイニーには抵抗出来なかった。そしてこの人といっしょになる人は随分と苦労するだろうと思った
が口には出さなかった。
 病室に入るとそこは狭い部屋だった。ちょうどベッドが三つ分くらいの広さだ。ドアの無い出入り口からちょうど真っ直
ぐにある窓からは反対側の病棟が見える。壁はクリーム色に塗られていてコンクリート色よりは暖かく感じられた。部屋
の中には簡素な棚の上にブラウン管式のテレビとパイプベッド。そしてその上でレイニーを睨んでいる少女が一人。
「僕に何をしろ、ですか?」
 よく分からないが自分を睨んでいる少女から目線を外しダーマに何をすれば良いのか尋ねた。アリーナに詳しいから
なんだ。正直そこが気になっている訳だが。
「この子のお話相手になってください。あたしも忙しいですから」
 全く説明になっていないような気がするがレイニーはある程度理解した。
 つまり自分は他にも回るところがあるがこの子を独りにするのは可哀想だ。だから偶然通りかかった叔父に御守を押
し付けようとしたが彼も忙しそうだったので更に偶然そこにいた彼にそれを押し付けようと言うのだろう。
 随分と気の利いた話だ、とレイニー。そして相変わらずアリーナに詳しいからどうだと言うのか分からなかった。
「つまり僕に御守をしろ、ですか」
「そーです」
 即答されてレイニーは言葉を失った。無責任極まりない。そしてその間にダーマはベッドの上の少女に手を振って病
室を出ていった。
 そこに残されたレイニーは射すような目線に気がついた。その目線の方向を向くとベッドの上でこちらを睨む少女が
一人。白い毛布と同じ様に白い肌をしており、色白ではなく病気である事は簡単に想像がついた。くせのある髪をカチ
ューシャで後ろに流している。
「自己紹介でもするか?」
 そう言って壁際に置いてあった椅子に座る。いままであのダーマが座っていたのか随分と生温い。それがコートの上
からでも分かる。
 レイニーが自分の名を言おうとしたがそれよりも先に少女が口を開いた。
「さっき聞いた。ニコラさんでしょ。知ってる」
 見た目よりもしっかりとした言葉で喋っている。そんな印象だった。おそらくは俺の半分も生きていないのだろうとレイ
ニー。慣れた様子で三度目になる言葉を言う。
「ニコライだ。あの人の言う事は信用しない方が良い」
そう言って一呼吸の後もう一度口を開いた。
「俺の名前はニコライ。君は?」
 苗字までは言わなかった。何故かはレイニーにもよく分からなかった。
「私はナターシャ」
 少女もそれに追う様に名乗った。彼女も苗字を名乗ることはなかったがレイニーも気にすることは無かった。
「じゃあ、ナターシャ。俺は帰る。それで良いな?」
 面倒くさそうにレイニーが言う。
「ニコライさんてレイヴンでしょ」
 しかしナターシャはその質問には答えずにズバリ言った。その顔はどこか自慢げだ。レイニーがレイヴンだと確信して
いるのだろう。
「……詳しいな」
 レイニーは素直に驚いた。レイヴンにはレイヴン特有の雰囲気のようなものがあると言うがそんなものこんな子供に
分かるはずが無い。
 ナターシャは不思議に思っているレイニーの足元を指差して説明し始めた。
「それパイロットスーツでしょ。コンコードで貸し出してるやつ。その裾のところに六角形がいっぱいついてるマークがあ
るの。それで分かった」
 へえ、とレイニーはコートの裾をまくって改めて見てみた。クリームに緑を足したような淡い色の生地に確かにナター
シャの言っていたようなマークがあった。正確にはこれはナーヴスコンコードのシンボルマークのようなものなのだが一
般の、それも少女にはそれは分からないのだろう。
「で、なんていうの?」
 不意に体を乗り出して聞いてきた。何がだ? といったレイニーの顔を見て付け足す。
「レイヴンネーム。それがレイヴンネームってことは無いんでしょ」
「まあな」
 そう言って好奇心旺盛そうなナターシャの顔と天井を見比べる。そしてやっと分かった。
「なるほどな。だからアリーナに詳しい方が良いのか」
「何が」
 ほうほう、と一人で納得しているレイニーに面白く無さそうに言った。レイニーは体を乗り出しているナターシャに顔を
近づけ言った。
「いわゆるマニアか」
 明らかにバカにした言い方だったのでナターシャはムキになって言い返した。
「あのねえ。私はもうここに一年も住んでんの。ろくに体も動かせないし趣味と言ったらこれぐらいだわよ。分かる?」
「ああ、悪かった。しかし一年もいるのか」
 レイニーは素直に謝った後、どうしてここにいる? という意味を含めた言葉を続けた。その時期、彼は頻繁にここに
通っていた。もしかしたら顔を会わせていたかも知れない。
「心臓が少しね。今は提供者を待ってるんだって」
 特に気にしている様子も無くナターシャが言った。
 へえ、とレイニーは曖昧な返事をする。そして、だが、とレイニーは考えた。心臓を交換する必要がある者がこうも元
気でいられるのだろうか、と。大体皮肉なことにこの星は死者が出やすい環境にある。原型を留めているかどうかはは
問題だが少なくとも死体ならそれこそ腐るほどあるはずだ。
「まあそれだけ元気なら大丈夫だろうな」
 しかしそれを追求する必要も無いのでそういうことにした。
「まだ聞いてないよ。ごまかす気だったり?」
 初めの不機嫌そうな顔をしていたのが不思議なくらいに子供っぽい笑顔で言うので、レイニーは歳相応の顔も出来る
のかと安心した。
「悪いけどレイヴンは自分の詳しい事を隠すもんだ。それはアリーナにいるレイヴンも同じ。そして俺もだ」
「じゃあアリーナにいるんだ。ニコライさんて」
 まあな、とレイニーはもう一度曖昧に返事をした。どちらのアリーナか聞かれてもどちらだろうなとまた曖昧な返事をす
るのだった。
「つまんない」
 本当に退屈そうにナターシャが言う。だがレイニーにとってどうでも良いことだった。
 あたりを見渡す。壁に取り付けられた暖房が目に入った。今年は冬が来る年ではないためそれほど寒くはないのだ
が、火星は元々冷えた星だ。夏以外には雪が降る。地球化計画のおかげで人が住めない程ではないが地球とは比べ
るべくもない。といってもいわゆる火星人であるレイニーにはどの程度違うのかは分からない。
 その暖房の上にACがあった。と言っても手に乗るほどの大きさだ。ACの組換え可能な玩具だろう。レイニーがそれ
を手にとって見るとそれは見慣れたACだった。
 丸く小さい頭部に、ジオ製の割には曲面の少ないいかつい中量コア、そして手には強化型ショットガンが握られてい
る。塗装はされていないがこれは、
「ゴルーヴァか? ……だよな」
 それは確かに彼の乗っているACだった。実物よりも手足が長くスマートだ。そんな印象だった。
「あ、やっぱり分かる?」
 レイニーがそれを差し出すとナターシャはそれを嬉しそうに受け取った。
「私レイニーのファンなんだー。私がアリーナ薦められた時ちょうどナンバーアリーナに入ってきたの。だからなんか運
命感じるんだよね。それにめちゃくちゃ強いでしょ? もうランキング二位だし。ショットガンだけで戦ってるところなんか
最高! それで武器壊すだけじゃないんだよ。たまにはちゃんと倒したりするんだから。きっとニコライさんが束になって
も敵わないよ。そうだ! ちょっと前にやったアニマド戦なんか……」
ふんふん、レイニーは適当に相槌を打ちながら聞いていた。随分と楽しそうだ。
 アニマド戦は覚えている。現在ランキング六位であるアニマドの乗っているACデスペナルティは典型的な重量二脚A
Cだ。炸裂型バズーカ砲をメインに、特殊型中型ミサイル、チェーンガン、高効率ブレードで武装している。レイニーは
その重装甲を避けて武装破壊を狙ったがアニマドの動きは重量級とは思えない鋭さでそれを避けるのだ。ゴルーヴァ
のシールドを含めた装甲も限界に近かった時に放った散弾が運良くデスペナルティの頭部に設置されている光学カメラ
の片方を破壊したのだ。これをきっかけに動きの鈍ったデスペナルティの武装を次々に破壊し辛くも勝利を収める事が
出来たのだ。
 ACの相性もあるのだろうがその上位にいる、D・セバスチャン、ライオンハート、囚人番号B−24715よりも手強く思
える。まあ、アレスは別格だが。
「……でさ。きっと紳士的な人なんだろうなあ。こう、『お嬢さん。私の屋敷の舞踏会に参加しませんか?』なんて。休日
は読書。あと詩とか書いたりしてるの」
「たいしたやつじゃないさ。アレスに負けたんだからな」
 レイニーはあくびついでに言ってやった。そろそろ戻らないと次の試合に支障が出る。いつまでも子供の妄想に付き
合ってもいられない。
「次は絶対勝つよ。ステージが悪かっただけだもの」
 ごく自然に言う。信じているのだろう。彼の勝利を。
「だと良いな」
 そう言って椅子から腰を上げた。窓から見える景色からは微かに闇が混じり初めている。
「ね! ね! ニコライさんていつごろレイヴンになったの!?」
 ナターシャは慌てたような急な質問をした。
「……大体2年くらい前かな」
 レイニーは素っ気無く答える。急に何だという顔で。
「じゃ! じゃあさ! なんでレイヴンになったの?」
 続けての質問にさすがに面倒になってきた。ただ、いざ考えてみると、分からないのだ。なぜ、今レイヴンなのか。
「昔は家族のために」
 確かそうだったはずだ。
「昔はって?」
 しかし聞かれてみても分からないのだ。それにもし分かってしまったらそれはそれで困るような、そんな気がする。た
だ、レイニーは不思議とおもってもいないことを口にしていた。
「今は多分……、他にすることが無いから」
 それは息を吐くような小さい言葉だった。しかしその言葉はナターシャを沈黙させるのには十分の内容だった。そして
レイニー自信さえも。
 しばらくの間沈黙がその病室を支配した。病室の外さえもそれに合わせた様に不自然なまでに静かだった。
 ふと、窓を火星の風が叩いた。風が強くなってきたのだろうか。レイニーは我に帰り笑った。
「くだらない」
 そう言ってレイニーは病室を出ようとした。
くだらない。
 本当にそうなのだろうか。考えてみても他に理由は見つからない。妙にしっくりくるというのが正直なところだ。ただ、レ
イニー自信はそれを認めたくはなかったのだ。
「じゃあさ……ね! ちょっと待ってよ」
「ナターシャ」
 何かを言いかけているナターシャを制してレイニーは言う。
「また来る」
 それは先程と同じ様に消えてしまうような小さい声だったがナターシャは納得したようだった。ナターシャが小さく手を
振るとレイニーはそれに小さく手を上げて答えた。



 曇りかかっている車のウィンドウの向こうで景色が流れている。それは火星にも存在する四季の内、春の景色だ。春
といっても既に地球における秋、または冬と大差無い気温であり、車の暖房機能は稼働している。あまり手入れされて
いないせいかその温風はやや焦げ臭いような匂いがする。
 目の前の信号が赤に変わる。既に街からはかなり遠ざかっているが道は十字に分かれているため、信号は働いてい
る。しかも地球とは違ってコントロールされているのではなく、時間制だ。人口自体が少ないこともあり車は時々すれ違
う程度だ。無視して通り過ぎても良いのだがレイニーは車を止めた。
気になっていたのだ。初めから。ナターシャを見たと気に何かを感じた。違和感だろうか。レイニーは自分の中で分か
りやすく例えてみた。
 物心つかない時によく聞いていた曲を大人になって聞いたような気持ち。
 なんとなくしっくりくるような気がする。そしてそれはつまりナターシャに誰かを重ね合せているのだろうと、自分でも情
けない結論に到った。
 レイニーは苦笑混じりに溜息を吐く。暖房がついているというのに息は白い。
 信号が青に変わる。レイニーは車を発進させた。ACを動かす時のGに似た感覚の後車は直進する。そういえば車の
運転とACの操作は似ているな、とレイニーは思う。
 全てを自分で動かすわけではない。自分の意思を機械に伝え、機械がそれに答える。特にACはその度合いが高
い。でなければ人に複雑な機構を持つACを動かせるわけが無いのだが。
 眠くなりそうなただ真っ直ぐの長い道。レイニーはその道を事故を起こしそうなほどに考え事をしながら運転していた。
 いくつもの顔が頭を巡っている。今までつき合ってきた女性の顔や知らない顔まで。ただどれも違う、と考える前に分
かっているのだ。それが脳の働きと言うものだ。
 ふと、妹の顔が出てきた。これも違う、と考える前に分かっていた。
 彼女は人見知りの激しい子供だった。いつも母親につきっきりで誰よりも慕っていた。ただ、母親を慕うのがやや度を
過ぎていた事をレイニーは知っている。そのせいか知人意以外とは 思うように会話することができず、目をあわせる
ことすらできなかった。
 そう考えている途中で入院した母親の顔色が異常に白くなっていたことを思い出した。ナターシャと同じ様に。
 まさか、とレイニーは思わず口に出して言ってしまった。

 マーズシンドローム。正しくは、火星における原因不明致死病症症候群。
 これは火星に発生している病症である。ウィルスや細菌によるものではないらしく、正しく原因不明なのである。
 原因不明のこの病症は火星移民1000人に1人という極めて高い割合で発生しその殆どが死亡している。また、原
因不明であるため予防も不可能だ。
 様々な検査では病死者の血液には酸素を運ぶためのヘモグロビンが圧倒的に不足しており、これにより窒息に近い
形で死亡するとのことだ。その過程で人は赤みを失い、色白くなってしまう。またこの病症は火星で生まれた人間に関
しては未だ発症の例が無く、地球から移住した移民は環境の変化によって血液に何らかの異変をきたすのではない
か、という説が持ち上がっている。しかし原因が不明である以上それは説に過ぎない。
 ただ、この病症の詳しい検査をするために患者を地球に運んだ際、地球での生活を送るうちにみるみる体調が回復
し遂には全快したのだと言う。現在地球に運ぶこと、とりあえずこれが唯一の治療法ということになっているが宇宙間運
航機の便は今はまだ多くはなく、多くて一月に一便といったところである。更に一般人が地球に向けての運航便に乗る
ことは今の段階では無理なのだ。

 ブブー! 
 レイニーの後頭部がクラクションの音に叩きつけられた。いつの間にか車が二台も後ろについていた。信号は既に青
に変わっており、黄色に変わろうとさえしていた。急いで車を発進させる。
 なに考えてんだ俺は。
 レイニーはまたそんな事を考えていた。



 大型のキャリアーリグが走っている。一般に使われているものにしては大き過ぎる。企業用のものだ。正しくは高価過
ぎて一般の手には余るものなのだ。
 その格納庫の中で一体のACがリグの揺れに合わせて揺れている。巨大なリグに相応しくその格納庫も広い。ACで
さえ一体では広すぎると感じさせるほどだ。
 そのACは白と黒に塗り分けられ、見る人に落ちついた印象を与える。背中にハンガーを取り付けられ屈んだ状態で
戦いを待っていた。既に電源は入っているようで丸い兜のような頭部の光学カメラは淡く青い光を放っている。
 薄暗いコックピット。そこで金髪の男が腕を枕にしてコックピットシートにふんぞり返っていた。
 目的地は知らされていない。それがルールだ。アリーナが行われるステージは特別何か無い限りレイヴンに知らされ
る事無くランダムで決められる。これは場所に応じて適切なアセンブリを行うといった、ACのスタイルを頻繁に変えてし
まうのを防ぐためであり、決して公平を決するためのものではない。頻繁にACを変えられては関連商品の売上に影響
が出てしまうからだ。
 金髪の男、レイニーは今まで閉じていた瞳を開けた。涙で瞳が潤んでいるため計器の光がぼやけて見える。目を拭
き、コックピットを見渡した。
 待機モード。ほとんど真っ暗になっているディスプレイの端に小さくそう光っていた。レーダー、バランサー、他にもあら
ゆる基本機能は停止している「電源は入っているが起動はしない」状態である。この状態は本来ACが持っている、移
動が可能で機体を維持する機能が働く<通常モード>と更にFCS、コンバットバランサー、戦闘オプションが機能する
<戦闘モード>とは全く別のものでアリーナACにしか搭載されていない。勝手なことをされては困る、というコンコード
社には珍しい「企業らしさ」が垣間見られる。
 今回は随分と揺れが少ないな。水上か? 
 レイニーはそう予想する。待機モードはコックピットの姿勢制御すら満足に機能しておらず、揺れなどもダイレクトに伝
わるのだ。
 レイニーは思い出していた。リグに乗る前に届いたマネージャーからのメール。
『十分に気をつけてください』
 たったの一言である。これが何を意味するかをレイニーは二つ考えた。
 ひとつ。マネージャーとしての義理。
 ふたつ。本当に気にしなければならない何かがある場合。
 ただ、今までそういうメールが届けられたことは無いのでやはり何かがあるのではないだろうか。
 リグが大きく揺れる。そして動かなくなった。後に残るのは僅かな名残。格納庫の中のメカが揺れる音だ。ただ、完全
に遮断されているACのコックピットの中にはその音は届かない。レイニーの耳に届くのは計器の起動音だけだ。
 レイニーの目の前にある計器が橙色に光る。
『通常モードの起動を許可します。起動を開始して下さい』
 そして通信が入った。男の声だ。今まで静寂そのものだったコックピットにその声は喧騒にさえ聞こえる。
 レイニーは返事もせずにそれに従う。ディスプレイを叩き、通常モードを起動させる。
『通常モード起動。背部ハンガー着脱確認。操作可能』
 そのコンピューターボイスが終わる前にコックピットが橙色の光りで包まれ始めた。初めに手元のFCSコントロールパ
ネルが光を放ち始め、次に機体の状態を告げる計器と、何の役割を果たすのか分からないような計器。次にメインモ
ニタがACの光学カメラを通して外の様子を伝えてくる。
 ACの視点が高くなり格納庫から明かりが射してくる。どうやら野外だ。
レイニーは操縦桿を握りゴルーヴァを前進させる。歩く度に軽い振動が伝わるが気にするほどではない。少なくとも待
機モードの時よりは明らかにマシだ。
 ACの光学カメラを通して景色が見えてきた。リグから完全に降りたACの脚が水飛沫を上げた。ACの足元で水が流
れている。流れている水の上で霧が流れている。薄いが一キロ先までは視界が利かない。ACの光学カメラも光を遮ら
れては人の目と同じだ。
 アーデンリバー。火星の地表に流れる巨大な河。生命を支える水の上で兵器同士の戦いが始まる。皮肉な話しだ。
レイニーはそう思う。
『各レイヴン。戦闘の準備をして下さい』
 先程と同じ男の声で通信が入る。戦闘の準備、つまり戦闘モードの起動だ。レイニーはヘルメットをかぶり再びディス
プレイを叩く。するとヘルメットに内蔵されたイヤホンから直接合成された声が聞こえてきた。
『システム、戦闘モード起動』
 そのコンピューターボイスと同時にゴルーヴァは右手を水平に持ち上げる。メインモニタにはFCSが作動していること
を告げるロックオンマーカーサイトが広がっている。
 ナターシャはこの様子を見ているのだろうか。何気なくそんな事を考えている。
『注意事項をお知らせします。上位レイヴンである、レイニーにはハンデが課せられます。それでは戦闘を開始します』
 何? 
 レイニーは眉を寄せる。ハンデなど今までアリーナで戦ってきて初めてだった。いや、話しもあまり聞いた事が無い。
あるとしても下位のサブアリーナぐらいだろう。
 同時にマネージャーからのメールの内容に納得する。
 なるほど。そういうことか、と。
 レイニーがそう考え事している間にメインモニタにREADY? の文字が浮かぶ。ゲームと同じだ。
 GO! 
 その文字がメインモニタいっぱいに広がり消える。それと同時にレイニーはゴルーヴァを前にブーストダッシュさせる。
どのようなハンデだかは分からないが戦い方は変わらない。接近し、武装を砕く。
 ACの動きとともに足元の水の塊が弾ける。普通ならば見惚れるような光景だが戦いに向かうものにそれを楽しむ余
裕は無い。
 ゴルーヴァの対ステルスレーダーが自機に向かう点を捉えた。速度から見るとミサイルだろうか。案の定ゴルーヴァ
のエクステンションに装備されている迎撃ミサイルがそのミサイルを撃ち落した。
 アポカリプスの武装は照射型ブレードとグレネードランチャーだけの筈だが。近距離戦主体のゴルーヴァに対抗してミ
サイルランチャーに換装したのだろうか。どちらにせよレイニーは接近するしか無い。ショットガンの射程範囲まで距離
を詰めなければ。
 霧の向こうに対してFCSが反応した。ロックオンマーカーサイトの中央に丸いロックオンマークが広がる。霧を抜ける
とそこにいたのはACではなく、揚陸艇、エトランジェだ。
 平たい船体に垂直ミサイルランチャーが設置されている。水上をゆっくりと移動しゴルーヴァとの距離をとっていた。
『その揚陸艇は完全な無人艇です。手加減の必要はありません』
 不意に通信が入る。そして即座にレイニーは理解した。
 なるほど、これがハンデか、と。
 エトランジェにショットガンの銃身を向けさせトリガーを引く。散弾が飛び散り、エトランジェの装甲を抉る。そしてそれ
は燃料に引火し爆発する。
「残り35発。弾倉に7発」
 もともと弾数の少ないショットガンだ。無駄弾は許されない。レイニーは声に出して残弾の確認をした。
 再びレーダーが自機に向かう点を捉えた。どうやらエトランジェは複数いるようだ。当然といえば当然なのだが、数は
そのまま脅威に繋がる。迎撃ミサイルとて万能ではない。迎撃に失敗することもあるし当然弾切れになったら邪魔にな
るだけだ。
 レイニーは迎撃ミサイルの起動をオフにする。ゴルーヴァにはミサイルを回避する機動力があるのだ。目に見えてい
るようなミサイルにいちいち迎撃ミサイルを使うのは勿体無い。
「どこだ……」
 迫り来るミサイルを回避しながらアポカリプスを探す。レーダーだけではミサイルや、揚陸艇、ACの判別は出来ない。
確認は目視に頼るしか無いのだ。
 左右をミサイルに挟まれ、レイニーはゴルーヴァを後退させる。目の前から目標を失ったミサイル同士はまるで引き
寄せられるように激突し、爆発した。ゴルーヴァの前に爆風が広がる。次の瞬間その爆風を貫くようにミサイルが姿を
現した。
 かわせない。
 レイニーは油断を悔やみながらその回避を諦め、コアをかばうようにしてゴルーヴァに左腕を構えさせる。そしてその
左腕からは緑色の光、運動エネルギーに干渉する力場のレーザーが展開した。これを発生させているのがゴルーヴァ
のショットガンに告ぐもうひとつの要である最強のシールド、ZEA−99/MERRORだ。
 展開する力場レーザーの発生範囲は狭いがそのエネルギー干渉能力は最高である。例え至近距離からグレネード
を受けたとしてもこのシールドは爆風を含むその運動エネルギーを奪い、致命傷とすることは無い。
 そのシールドでミサイルを受けとめる。当然のように爆発するがその爆風は力場のレーザーの流れに巻き込まれる
ようにして垂直に広がった。レイニーには衝撃は感じられない。ゴルーヴァも無傷だ。ポイントのマイナスも僅か、気に
するほどではない。しかし、
「まいったな……」
 レイニーは異変に気付いた。シールドによるエネルギードレインが異常なほど激しいのだ。おそらくはこの濃い霧のせ
いか。
 シールドは運動エネルギーに干渉する。それによりダメージを軽減するのだがその度に更にACのエネルギーを必要
とするのだ。しかしこの濃い霧がまるで炎を消そうとするかのようにシールドのエネルギーを奪い、拡散させているので
ある。どうやら長時間の連続使用は無理だ。
レーダーが再び高速で迫る点を捉える。ミサイルか。ゴルーヴァの背後だ。レイニーはゴルーヴァを左に移動させなが
ら反転させる。
 しかしそれはミサイルにしては少し変に感じられた。まず、その点は赤い。ゴルーヴァと同高度に位置しているというこ
とだ。更にその弾道は直線的でこちらを誘導しているようには見えない。更にその点を中心にレーダーにノイズが入る
のだ。これは水飛沫だろうか。
「来たな」
 反転したゴルーヴァの光学カメラに映った光景がそのコックピットにあるメインモニタに映し出された。そこに映ってい
るのは眩しい光を背負った隕石のような塊だった。その塊の名をアポカリプスと言う。
 オーバードブーストによりミサイル以上の速度で接近しており、その足元は凄まじい衝撃波で水飛沫が柱の様になっ
ている。そして右手のハンドグレネードキャノンをゴルーヴァに向けていた。
 水飛沫でシールドの使用は危険だ。レイニーはその場でゴルーヴァをジャンプさせた。数瞬間後アポカリプスの放っ
たグレネードが今までゴルーヴァのいた場所に着弾した。爆炎は回避したがそれにより巻き上がった水柱に巻き込ま
れる。とてつもない量の水がゴルーヴァの装甲を水浸しにした。
 レイニーは怯む事無くショットガンで反撃する。しかし重量級とは言えフロート、それもオーバードブーストで加速してい
るためその動きは予想以上に速く、散弾は水飛沫を上げるだけだった。
 アポカリプスはそのまま空中のゴルーヴァの下を潜っていく。レーダーはその様子を捉えてはいるが先程浴びた水飛
沫のせいで余り調子は良くない。
 反転するが、アポカリプスは既にこちらを捉えているようだ。ロックオンされている事を知らせるシグナルが点滅したま
まだ。一瞬フラッシュが焚かれたかと思えば再びゴルーヴァの目の前が水飛沫で覆われた。
 再びシールドを封じられ、レイニーはゴルーヴァを後退させるしか無かった。ショットガンを撃つ機会を失うのは辛いが
焦っても返り討ちにあうのがおちだ。
 ガクン! 
 次の瞬間ゴルーヴァは大きく体勢を崩した。背後を黒煙に包まれている。エトランジェの攻撃だ。背後からの攻撃で
は迎撃ミサイルは反応しない。さら水飛沫と濃い霧のせいでレーダーが本来の性能を発揮せず、ミサイルの発見が遅
れてしまったのだ。
 体勢を崩したゴルーヴァに容赦無いグレネードの追撃が迫った。しかもそれはハンドグレネードキャノンではなく、そ
の背部に装備されている正真正銘のグレネードキャノンだった。
目の前に迫る火球にレイニーはエネルギーの大量消費を覚悟でシールドを展開させた。
爆発。それは赤い爆炎だ。しかし運動エネルギー干渉レーザー、シールドの前に発生したそれは不思議な光景を作り
出していた。
 赤い爆炎はシールドの緑色の光にそって円形に広がる。力場と爆発力の反発した力から逃れるように炎が弾けた。
そして次には赤い光りが1本の線になっておさまる。
 しかしそれでは終わらなかった。先程の爆発を中心に巨大な水柱が立ち昇ったのだ。大量の水はシールドからエネ
ルギーを奪う。レイニーは即座にシールドへのエネルギー供給を切ったが既にコンデンサ容量は最終ラインのレッドゾ
ーンにまで到っていた。コックピットには容量が少ないことを告げる警告アラームが鳴り響いている。
「先に揚陸艇を潰さないと……」
 ゴルーヴァに積まれているジェネレーターは出力を最優先している。そのためコンデンサの回復は極めて早いがこの
様子では次はオーバーロードしてしまいそうだ。レイニーは更に追撃を加えるアポカリプスから距離をとりながら揚陸艇
を探し始めた。
 アポカリプスの残存火力はハンドグレネードキャノン、左右にグレネードキャノン。もちろん左手の照射型ブレードはエ
ネルギーの許す限り使用可能だ。レイニーが破壊しなければならないポイントはこの4点。しかしグレネードキャノンは
その大きな反動に耐えられるようそれ自体が頑丈に造られている。破壊はピンポイントを狙った確実なものでなくては
ならない。
 仕組まれたようにレイニーは不利だった。初めから準備されていたのか、何かの差し金か。判断することは出来ない
がレイニーにそれをどうするということは出来なかった。
 河が爆発する。水柱が上がる。まるで死が迫っているようだ。河の水が蒸発し幾分か霧が濃くなっているようだ。対す
るACはシルエットぐらいしか確認出来ない。
 レイニーはロングレンジに固定してあるレーダーを頼りに揚陸艇を次々に破壊していった。ショットガンの弾丸は貴重
だが下手にケチっていても反撃を受けるかもしれない。先手を打って一撃で終わらせる。それが理想的だ。
 爆発の後金属の破片が沈んでいく。既に12回も繰り返されている光景だ。つまり破壊した揚陸艇はこれで12機目。
レーダーの効きは未だに悪いがそれでもかなりの数を破壊したはずだ。
 レイニーはレーダーに目を通しながらコンソールを叩いた。するとゴトリ、と左肩の弾倉が川に落ちた。バシャンと小さ
な水飛沫が上がり、弾倉の屋根部分が開く。中には鋭い形をした小さいミサイルのような物が入っている。ショットガン
の弾丸だ。
『ウェイトバランス最適化完了』
 マニピュレーターがショットガンに弾丸を込めている間にコンピューターがそれを告げた。外された弾倉の分機体は軽
量になるが、この弾倉には迎撃ミサイルの予備も入っている。しかし攻撃目標を揚陸艇にしている今、迎撃ミサイルは
不要だ。
 自機の背後にアポカリプスらしい赤い点が点滅している。近く感じられるがレーダーはロングレンジに固定しているた
めグレネード弾を避ける余裕はあるだろう。その点が急な動きで接近してきた。オーバードブーストによる急加速だ。
 案の定次の瞬間には辺りは爆炎と水飛沫に包まれた。しかしレイニーはゴルーヴァのシールドを展開させるわけにも
いかず、かと言ってこのままというわけにもいかない。
 レイニーはレーダーのレンジをオートに戻し、相対する。コアのスーパーチャージャーが蒸気を吹き上げ、まるで怒号
しているようにも見える。
 霧は薄くなってはいない。むしろ今までの戦いによってあたりの気温が上がり濃くなっている。
 ゆっくりとした動きでアポカリプスはゴルーヴァに接近する。レイニーはその行動の意味を図りかねたがこれは好機
だ。グレネードランチャーはその威力の分次弾の装填には時間がかかる。一撃をかわすか受けきればすれば一気に
至近距離での高速戦を仕掛けることができる。
 しかし次に飛び出したのはグレネード弾ではなく、そのエクステンションに装備されている迎撃用のミサイルだった。
 ゴルーヴァの迎撃ミサイルがそれを撃ち落そうと自動的に発射される。ミサイル同士が激突し爆発する。そこは高密
度の黒煙に包まれ視界が利かない。
 レイニーの脳裏にアレスとの戦いが思い出された。「誘い」だった。それを理解する。
 しかしどうする? これは好機でもあるのに。下がるわけにもいかない。
「我慢してくれよ」
 レイニーは決心した。しかしそれは大きな賭けでもあることだ。それに機体にも大きな負担を掛ける。
 ゴルーヴァに声をかけた後レイニーはコンソールを叩き、シートの横に設置されている操縦桿のような形をしたハンド
ルを倒す。するとメインモニタにシステムエラーを告げるシグナルが 点滅、そして「OK?」の文字がその下に現れた。
「OK」
 レイニーはそう答えて倒したそのハンドルを戻し、シグナルが消えないうちにコンソールを再び叩いた。
 ビー! ビー! 
耳障りなアラームがコックピットを包む。レイニーはその音に目を細めるが迷わずにゴルーヴァを黒煙に突っ込ませ
た。それもシールドを展開させたままで。
 黒煙はシールドに巻き込まれ大気に混ざるように吹き飛ぶ。ゴルーヴァはその中を突っ切りアポカリプスに向けたショ
ットガンのトリガーを引いた。
 弾丸が銃身から吐き出され砕ける。それはアポカリプスのコア部分に着弾しその装甲を抉る。吐き出された薬莢が煙
と供に水面につき、蒸気を上げた。
 大きく体勢を崩したアポカリプスにレイニーは更にゴルーヴァを接近させる。至近距離でなければ十分な威力は、グレ
ネードランチャーを破壊するには足りない。しかし更に接近しようとするゴルーヴァにアポカリプスは右手に装着されて
いるハンドグレネードランチャーのトリガーを引いた。
 高熱の弾丸が火球となり、ゴルーヴァに迫るがそれはほぼ真っ直ぐにシールドに阻まれた。吹き上がった爆炎はシー
ルドのレーザーに従うように円形に広がり消える。それと同時に水柱が上がるがシールドはその緑色の光を保ってい
た。

 リミッター解除
 これは今ではそう言われるACのシステムエラーのひとつである。
 ACのジェネレーターが本来以上のエネルギー生産能力を発揮し、ACが使用できるエネルギー量を上回るのだ。こ
れにより実質上エネルギーは使い放題となる。ゴルーヴァが水飛沫の中シールドを展開し続けることができたのだ。
 ただ、この状態になることには大きな問題が同時に発生する。
 リミッター解除状態とは簡単に言えばジェネレーターの暴走により発生するものなのだ。確かにこの状態はACの戦
闘能力を飛躍的に上昇させる。だがそれは長くは続かない。ゴルーヴァのコア、ROOKに許されるリミッター解除継続
時間は約30秒。それ以降はジェネレーターが焼き付けを起こし、その回復のために長時間オーバーロードと同じ状態
となる。
 元々これは予期せぬ事態だった。ACが現在の規格に移り始まったときこの現象が頻発したのだった。エネルギーが
底をつかなくなると言ってもその後ACの機動以外にそれが使えなくなるとなると兵器としては納得のいく戦果は期待で
きない。
 しかしこれが改善されていくうちに今度はレイヴンに未だにそのトラブルの頻発するコアを愛用しているものが多いこ
とが分かった。理由としては生き死に関わるミッションならともかく爆発力を必要とするアリーナではこの現象は有利に
働くことが多かったからだ。
 レイヴンが唯一の消費者であるAC開発に関する企業はここに目をつけた。
 つまり任意にリミッター解除現象を起動できるようにするための改良だ。これは見事に大成功を収めた。結局レイヴ
ンの88%以上がこのコアの買い替えを行ったのだ。統計では地球、火星を問わずアリーナで戦うレイヴンはほぼ全て
このコアを使用するまでになりAC戦における戦術を変えるまでになった。

 今、ゴルーヴァはその状態にある。エネルギーを持て余すようにその工学カメラは鋭く輝き、シールドレーザーは綺麗
な円形を展開していた。
 この状態はコアの調子にもよるが約30秒。レイニーはこの約30秒に勝負を決めるつもりだ。
 敵もそれを察して距離を離しながらグレネードランチャーや、時折迎撃ミサイルでの牽制を行っていた。
 炎と水の壁の間から銃身が顔を出す。
 散弾が飛び出しそれはアポカリプスの右手を破壊した。「手」はACの中でも脆い部分にあたる。レイニーはそれを逃
さなかった。即座に発射させる。
 手を破壊されアポカリプスの腕に直接設置されているハンドグレネードランチャーは支えを失いだらしなく垂れ下がっ
ている。そして次にはボン、と小さく爆発が起こりそれは完全に外れた。邪魔だと判断し自ら外したのだろう。
 水面に落ちたグレネードランチャーが水飛沫を上げる。
 しかしそれよりも早くアポカリプスは左腕を振りかぶった。そして振られた左腕に設置された照射型ブレードからブレ
ードの形を構成するはずだったレーザーがそのまま打ち出された。
 ガツン、と鉄と鉄がぶつかるような音。それはゴルーヴァの左肩にそのレーザーが命中した音だった。その後、アタッ
チメントポイントが破壊されたようで左肩のエクステンション、迎撃ミサイルが外れ水面に落ちた。
 大きな衝撃でシールドが装備されている左腕が弾かれる。攻撃に集中していたレイニーはその奇襲に対応し切れず
に、不覚にも無防備な形でアポカリプスの正面に姿を晒した。
 その隙を逃すはずが無い。持ち上がった右肩の砲身が真っ直ぐにゴルーヴァを見据える。
 舌打ちをするレイニー。ゴルーヴァの反応が遅い。外れた左エクステンションの分、ウェイトバランスを最適化するた
めにCPUがビジー状態であるためだろうか。なんにせよ移動による回避はできない。左腕も反動で元の位置に戻すに
は時間がかかりそうだ。
 ふと思いついた。左が無ければ右がある。レイニーはコンソールを叩き、右エクステンションの迎撃ミサイルの発射を
マニュアルに移行させる。そして残弾15基のミサイルを乱射させた。
ロックオンはできない。文字通りの乱射だ。それでも目標を持たないミサイルはフラフラと不規則な弾道を描き、アポカ
リプスとゴルーヴァの間に立ちはだかる。
 グレネード弾が発射される。数基のミサイルをすり抜けながらゴルーヴァに向かうが数が数だ。やはりミサイルに着弾
し爆発する。
 爆発が起こりその爆風でアポカリプスは大きく仰け反った。武装が外れたことによりウェイトバランスの崩れたのはゴ
ルーヴァだけではなかったのだ。
 その隙に未だ最適化の完了していないゴルーヴァをアポカリプスに突撃させる。
 もしかしたら左エクステンションが外れなければ思いつかなかったかもしれない。そしてそれと同時に思いつくことがあ
った。アポカリプスは左肩の武装を飛ばして右肩のグレネードランチャーを展開させたのだ。
 通常武装は腕部火器、左肩火器、右肩火器、内蔵武装の順にローテーションする。それが左肩火器を飛ばして右肩
火器を使用しようとしたからには左肩火器は……。
「残弾無しか」
 レイニーはそれを察し小さく笑う。つまり左肩のグレネードランチャーを破壊の必要が無い。
動きの鈍っているアポカリプスの左肩装甲の隙間にショットガンの銃身を差し込む。ACは関節が脆い。これは間接部
分にACに通常使われる多重多種層行型装甲を施すのが難しいからで、手が脆いのも同じ理由だ。
 重い銃声。装甲に差し込んでいたせいか少しこもった音だ。しかしその後に発せられた音はもっとはっきりした音だっ
た。言わば爆音。アポカリプスの左肩が爆発を起こした音だ。
 照射型ブレードごと左腕がアタッチメントポイントに繋がるコードを引きずりながら外れる。
 次はグレネードランチャーだ。ショットガンの銃身をその肩の接続部分に向ける。しかしそれよりも先にグレネードラン
チャーが火を吹いた。殆ど零距離と言える間合いでそのグレネード弾はゴルーヴァの右胸を捕らえた。
 大きな爆発が起こり、衝撃がゴルーヴァとアポカリプスの間に距離をつくる。
ゴルーヴァの右胸は醜く窪み黒い煙を吐き出し、そのコックピット内は自機が受けた熱量が機体の限界を超えたことを
告げるアラームが頻りに唸りを上げている。
 高熱の中レイニーの目にはメインモニタの中で大きく体勢を崩しているアポカリプスだけが見えた。
 勝つためには機体を労わってはいられない。当然自分も、だ。
 レイニーはゴルーヴァのスーパーチャージャーを展開させる。そして次の瞬間にはレイニーは強力な衝撃に体中を打
ちのめされながらもゴルーヴァをアポカリプスに体当たりさせるように突進させた。オーバードブーストで一気に距離を
詰めるのだ。
 度重なる無理にゴルーヴァは悲鳴を上げているようだった。しかしレイニーは耳を貸さない。
アポカリプスにその体がぶつかる前についにジェネレーターは悲鳴を上げることもできなくなった。ジェネレーターが焼
け付きエネルギーダウンしたのだ。
 シールドはその輝きを失い、ブースターから吐き出されていた炎はその熱を失った。しかしゴルーヴァは動きを止めな
い。余力を使いそのままアポカリプスに体をかばっていた左腕から体当たりを食らわす。
 ゴルーヴァの左肩から火花が飛び散る。しかしレイニーはその左腕を使いアポカリプスの右肩に手を掛けさせた。そ
して銃口をグレネードランチャーの接続部分に向ける。
 散弾が接続部分に命中する。金属の軋む音が左腕を通して伝わる。それでもさすがに堅固にできている。一撃では
破壊できないようだ。再び銃口を向ける。
 グレネードランチャーが火を吹く。しかしそれはあらぬ方向へ飛んでいった。
「囚人は囚人らしくするんだ」
 未だに抵抗を止めないアポカリプスにコックピットが忙しく揺れる。ショットガンの銃口が目標を行ったり来たりする。
狙いが定まらない。
 しかし苛立っているレイニーに天使の声が聞こえた。
『ウェイトバランス最適化完了』
 その天使の声と同時に銃口が定まる。その先には傷ついたグレネードランチャーの接続部分。
 トリガーを引く。
 バフォン
 薬莢が飛ぶ。グレネードランチャーが外れ、名残惜しむようにして水面に落ちていった。
武器を全て失ったアポカリプスはその場で立ち尽くしている。レイニーはその向けたショットガンの銃口を外さない。
 しばらく後メインモニタに橙色でWINの文字が浮かぶ。勝利の証だ。
 レイニーはこの文字を見るたびに安堵感とも疲労感とも言えない感情を感じる。しかしそれもどうでもいいように本来
メインモニタの向こうにある光景を想像した。



 アリーナで戦うレイヴンの控え室の中で一際大きな溜息の音が残る。その溜息をついたのはレイニーだ。ソファーで
目を瞑り横になっている。
 閉じられている目の先では蛍光灯がそれでも眩しいほどに光を放っている。すでに30分近くこの状態だが、眠りにつ
くことができない。眠気はあるのだがどうにも眠れないのだ。眩しい明かりのせいだろうか。しかし消す気にもなれない。
それほど疲れていた。戦闘はもちろん、戦場との往復だけでかなりの時間をACの中で過ごす事になり、それによって
もたらされる疲労は中間管理職の比ではない。
 もしくたばる事があるんだったら移動中だけは勘弁してもらいたい。
 レイニーはよくそう思う。
 ピーッ、ピーッ、ピーッ……
 不意に控え室に備え付けられている電話端末が電子音を発した。レイニーはゆっくりと上体を起こしそれを見る。目
線の先では壁にその装飾に一部のように納まっている電話端末が緑色の光を点滅させ、その存在を誇示していた。
 控え室への連絡は基本的にそこで控えているレイヴンに対してのものである。レイニーは遠慮することなく受信機を
手にとり耳に当てた。
『すみません。レイニーさんですか?』
 回線の向こうから聞こえてくる声は若い女性のものだった。レイニーの知っている声、彼のマネージャーであるネル・
オールターからの連絡のようだ。
「ああ、ネルさんか。どうかしましたか」
 ごく自然にレイニーは言う。まだ眠気が冷め切っていないため力が抜けているのだろうか。
『とりあえずおめでとうございます。ハンデ戦なんて私もマネージャーをやっていて初めてでしたから。前もっての連絡も
口止めされていたのでできませんでしたし……。すみません』
 レイニーは溜息の後返事をする。
「ハンデ戦だと前もって分かっていたらハンデにならないでしょう。ネルさんが謝る必要はありません。それよりも僕は次
のことが気になっているんですが」
 一応彼女のフォローの後、レイニーは一番気になっていることを聞いた。
 次のこと……、アレス。
『……メールはまだ見てないんですか?』
 不思議そうな言い方で返事が返ってくる。レイニーは壁に掛かっているコートのポケットから携帯ナーヴを取り出し、
液晶画面を開いた。確かにメールは届いている。それを知らせるサインが液晶画面に浮かんでいた。
「確かに届いてました。そういえばなんで直接僕に連絡を? メールを出したんならそれでいいんじゃないんですか?」
 アレス戦に関してはメールを読むとして、レイニーはそもそも何の用件かと聞く。
『特に用件は無いんですけど、とりあえず連絡したほうが良いんじゃないかと思って』
 しばらくの沈黙の後、控えめな返事が返ってきた。レイニーはこのネル・オールターという人物 がこの業界の人間にし
てはお人好しである事を知っている。それともレイニーの口調が穏やかであるため話しやすいとでも思っているのだろ
うか。
『あ、でも』
 レイニーが黙っていると急に話が続いた。
『先ほど確認したのですが今回のハンデ戦にはやはり不正な繋がりがあったようです。まだ詳細は知らされていません
がしばらくの間挑戦権が凍結されると思います。決定ではありませんがレイニーさんにはナインブレイカー戦に専念して
頂いて結構だと思います』
 今までとはうって変わっての事務的な言葉だった。さすがにこのあたりは仕事をする人間なのだろうとレイニーは半ば
感心する。加えてその内容も彼にとっては朗報であった。
「そうですか」
 それでもレイニーはいつもの調子だった。感情の推し量れない素っ気無い返事。
「じゃあ、また何かあったら連絡をください。では」
 そう言って受信機を置いた。その代わりにすでに受信を終えている携帯ナーヴに目を移す。以外にも二件のメールが
届いていた。レイニーはそのうちネルから送られてきたであろう『ナインブレイカー戦に関する要項』を開く。やはり事務
的なタイトルだ。
『まずはおめでとうございます。今回の戦闘に関してはあまり情報を提供することができなかったことをご了承ください。
アレス戦に関してですが、挑戦が受理されました。7日後、3月25日に行われる予定です。レギュレーションに特別変
更はありません。通常通りです。今後何か変更や、特別な指示があり次第連絡します』
 タイトル通りその内容も事務的なものだ。と言っても変に親しくされてもレイニーにとっては鬱陶しいだけなのだが。
 レイニーはその文章にもう一度目を通した後、もう片方のメールを開く。何てことは無い。AC用新パーツの広告だっ
た。左腕に装備される、ブレードやシールドの出力を上げるオプションパーツらしい。
 レイニーは携帯ナーヴを掛けてあったコートのポケットに入れ、それを羽織る。その下はいつも通りのコンコード社の
レンタルパイロットスーツ。そのまま控え室を出る。
 そして右に進む。右にあるのはガレージだ。勝ったのだからいくらACをボロボロにしても文句は言われないはずだ。
それにあの戦いでゴルーヴァがどの程度ダメージを受けたのかも気になる。ポイントのマイナスが少ないと言ってもグ
レネード弾の零距離発射はデータ以上のダメージを機体に与える。元々アポカリプスはそれを見越しての機体構成だ。
 足の先が冷たくなるほど歩いたところでガレージに着く。そこは極めてのんびりとした雰囲気で、ハンガーに掛かって
いるゴルーヴァも戦闘終了時からあまり変わっていないようだった。
 そこで働いている整備士は皆、背中にナーヴスコンコードのマークをつけた灰色の作業服を着ている。
 ACも当然ゴルーヴァだけではない。他にも様様な色、形のACが並んでいる。シティや個人で運営しているガレージと
は規模がまるで違う。移動が車で行われるほどにガレージ自体の広さも桁外れだ。
 ゴルーヴァはそのガレージの正面シャッターから入りちょうど正面で屈んでいる。レイニーはそれ正面から見上げる。
ACの背よりもはるかに高い天井から注がれる光の下に大きな影を作り、ACの規模を示すようにその影は薄かった。
「酷いな」
 レイニーはゴルーヴァにできるだけ被弾はさせなかったつもりだが客観的に見るとそれはなかなか酷い有り様だっ
た。グレネード弾をまともに受けた右胸は装甲がすでに外されていたが、露出している内部機構も黒く変色している。酷
使しすぎた左腕は肩のアタッチメント部分から伸び切ったコードがだらしなく露出している。そして何より水飛沫を受け
所々ショートしたのか塗装が焦げている部分も多かった。
 それでも1週間もあれば何の問題も無いだろう。
 レイニーはゴルーヴァを見て満足した。踵を返し、ガレージを後にした。



 僕がレイヴンになってもう一年近く。最初はミッションにも何度か参加したが、今はアリーナにしか参加しなくなった。
 どうしてかと言うとあまりはっきりはしない。母にレイヴンになることの了解は貰ってなかったし、それでもレイヴンにな
った。時間があれば大学にも行くがすでに進学ができるような状態ではなかった。それでもできるだけ人らしくありたか
ったのかも知れない。
 ミッションよりは行われる時間がはっきりしていたし、ファイトマネーは勝った時にだけに限られたけど数日おいてミッ
ションを行うよりはずっと効率よく稼ぐことができる。何より整備に企業通貨を使う必要が無かった。
 多分、こんなところだと思う。
 そして今でも母にはレイヴンになったことは話していない。
 多分、レイヴンになってからはあまり顔を合わす機会が無くなったからだろうか。
 母もあれ以来働き詰めだったし、何より母にレイヴンになることを了解されていないからだと思う。
 母は火星に来てからますます体が弱くなったと生前父が言っていた。だからできるだけ自分が稼がないととも。しかし
父はもういない。止めることができる者はいなくなった。僕にもそれを止めることはできなかった。なぜかは分からない。
 しかし気丈に働き続けた母は過労でついに病院に運ばれた。そこは叔父が勤めている病院だ。叔父は僕がレイヴン
であることを知る数少ない人物だ。なぜ彼にレイヴンであることを言ったのかと言うと喋らずにはいられなかった、とい
ったところだと思う。とにかく彼は僕がレイヴンであることを知っている。そしてそれは家族には秘密にしてくれるように
頼んでいた。
 倒れた母は精密検査の結果マーズシンドロームであることが分かった。母も僕や妹には言わないで欲しいと叔父に
頼んでいたそうだけど、叔父は僕に隠さずにそのことを話した。
 顔色が悪いことは分かっていた。でも僕はどうしてだかそれを止めることができなかった。
 母は今ベッドに横になっている。ただし自宅のではなく病院の病室の。灰色の寂しい病室の窓から見えるのは雪で白
くなった寂しい風景だった。寂しさを紛らわせるためだろうか、ブラウン菅式のテレビは僕が尋ねるときには常につきっ
放しになっていた。
 その日も僕はアリーナ戦での暇を見つけ母を尋ねていた。母に言わせれば火星の冬は長く、厳しいのだという。火星
人の僕には比べようも無い。
「調子はどうだい?」
 どう見ても体調の良さそうには見えない母に僕はいつものようにそう挨拶した。
「今日は良いみたい」
 母はいつもそう返す。彼女は僕が彼女を胃潰瘍だと思っている、そう信じているらしい。叔父にそう言えと言っている
のだ。だから僕もそれに合わせている。
 母とはいつも下らない話をしている。それ以外にこれと言って用事は無い。時々妹も連れてくる。でもその日は僕一人
だった。
 僕がいつものように大学での作り話をしている時だった。母は急に苦しそうにしだした。呼吸困難とは違う。喉に小さ
な綿が入ったような、そんな苦しみ方だった。
 母は口をパクパクさせて僕に何かを言っているようだったが言葉は出てこない。
 マーズシンドローム
 治療法無し
 どうにかしなければ。
 ブザースイッチを探す。しかし見当たらない。ふとベッドの横に電話を見つけたが自分で人を呼んだほうが早いのでは
と、自分でも驚くほど冷静にそう判断した。
「待ってろ! 誰か呼んでくるから!」
 僕はそう言ってから病室を出る。後ろで母が息を吐く音が聞こえたが振り返っている余裕は無かった。運良く向かい
の病室に看護婦がいた。母の容態を話し、応援を読んでくれるように頼む。彼女は急いでそこに置いてあった電話につ
いていたボタンを押す。するとブーッ、と車のクラクションのような音が出た。どうやらそれがブザースイッチのようだっ
た。その後すぐに病室を出て近場の医者を探しに行った。
 僕にできるのはこんな事ぐらいだった。医大に行っていたからといって原因不明の難病に太刀打ちできるわけでもな
く、レイヴンだからといって根本的な治療法無しの難病とACで戦うこともできるわけがなかった。
 すぐに数人の看護婦を連れた僕の知らない医師が母のいる病室に入っていった。
母はまだ苦しそうにしている。
 その医師は大声で指示を出していた。輸血用の血液を用意しろ、強心剤、呼吸器。そんな指示の度に看護婦は病室
を慌しく出たり入ったりしていた。
 僕は邪魔にならないようにその病室を出た。そして通路の端に置いてある長椅子に腰を下ろす。
 何もできない。
 そう思うと僕の両腕は自然にACのコックピットについている操縦桿を握ろうとする。勿論空を仰ぐばかりのその手は
さらにトリガーを引こうとまでする。僕はあまりの可笑しさに笑い出しそうだった。今の現実を拒むように。
 しばらくすると叔父が走ってきた。そして僕のことは目に入らなかったようですぐに母の病室に入っていった。その時
にはもうすでに静かになっていた気がする。
 姉さん……
 病室から叔父のそんな声が聞こえた。小さな声だった。
 それは実の姉を失った人の出す声なのだろうか。小さいのに妙に響く声だった。多分他に誰も喋らなかったからだと
思う。
 遠くでアナウンスが聞こえた。それは僕には何も関係の無い内容だった。
 僕は腰を上げる。もうここにいてもしょうがない気がしたのだ。
 母は死んだ。
 僕は叫びを上げていた。ただその叫びは誰にも聞こえることは無い。僕自身歩きながらやっとそれに気がついたの
だ。
 公衆電話端末を見つけた。重々しく白い棚の上にそのネットワークの広さを自慢するように必要以上の大きさを誇っ
ている。いつもなら妹に帰ることを知らせるために使っていたものだ。しかし僕がこれから妹に伝えることは違うことだっ
た。
 押し慣れたプッシュボタンで自宅の電話パスワード入力する。携帯ナーヴとは数字の並びが少し違うが、それだけ
だ。
 受信機を耳に当てる。
 トゥルルルル……
 呼吸音。
 トゥルルルル……
 二度目の呼吸音。さすがにまだ出ない。
 トゥルルルル……
 三度目の呼吸音。僕は受信機を置いた。多分家にはいたと思う。そしてしばらく待っていれば電話にも出てくれたと思
う。でも僕には妹に何を言えばいいのか分からなかった。
 母が死んだ。そう言えばいいのだろうか。多分他には言う事は無い。
 でも僕にそれを言う勇気は無かった。
 そのまま地下駐車場に向かう。病院は静かな時があれば騒がしい時もある。今は静かな時だった。母が死んだ今に
は相応しい。
 薄暗い地下駐車場の中に車を見つけた。洗車のされていない車。一年前まで兄の乗っていた車。そして今は僕の乗
っている車だ。
 鍵を挿す。回す。車が開いた。
 そう言えば母はあの時何を言おうとしたのだろう。
 既に悲しみは無く僕はそんなことを考えていた。



 レイニーはまるで普段着のように着ていたパイロットスーツをハンガーに掛けていた。当然ACを掛けるハンガーでは
ない。衣服を掛ける正真正銘、一般的という意味ではもっともメジャーなハンガーだ。
 元々このパイロットスーツはナーヴスコンコードで貸し出しているものだ。当然レイニーのものではない。しかしその管
理はACやレイヴンのものとは比べられないほどにあまいものなのだ。それでレイニーのように借りたまま返さないとい
う事も多いのだ。
 それにこのパイロットスーツ、他のレイヴンはどう思っているのかレイニーには分からないが彼自身は結構気に入っ
ている。まず、元々生命を維持するためのものだから保温性に優れている。常に体温近くに温度を保ってくれるため寒
い火星ではとても役に立つ。それにデザインも悪くない。やや着づらい事を除けば日常的に着ていたいともレイニーは
思っていた。
 と言っても毎日着ている訳にもいかない。レイニーは普通に白いセーターとその上にベストを着る。今日は特に予定
は無いのだが自室でくすぶっているのも笑えない。
 そう言えば、とレイニーはデスクに乗っていた本を手に取った。それは図書館から借りた推理小説だ。レイニーには
読み初めで既に犯人が分かってしまった。その程度のB級作品だった。お勧めだと言うので借りたのだがこれだから公
共施設信用できない。
 返済日までまだ数日あるがレイニーはそれを返しに行くことにした。図書館は車に乗れば10分ほどで着く場所にあ
る。
 とれかかっていたビニールのカバーを掛け直す。そしてジャンパーのポケットに入れるとそれを着て、自室を後にし
た。
 レイニーの住んでいるアパートは何てことはない。一般の感覚で言えば極めて普通のアパートだ。レイニーの持って
いる黒いカードには既に一般人にとって手の届かないほどの大金と言える金額のクレジットが入っているが使い道が無
いのだ。
 食事も豪華なものを食べようとは思わないし、服装もあり合わせの物で十分だ。住居も一人で住むにはここで構わな
い。車の洗車も面倒だし、新車を買うほど性能に不満も無い。趣味と言えば読書。元々金の掛からない趣味である上
に図書館で済ますことが多い。それに無理してでも金を使おうとも思わない。
 流れる風景を眺めながら運転しているとすぐに着いた。元々そんなに距離は無い。
 ドアを開けるとすぐに火星の冷たい空気がレイニーを包んだ。レイニーはベストのチャックを首の前まで上げてそのま
ま図書館に入った。
 図書館の中は予想通りの蒸し暑さだった。暖房の効き過ぎはどの場所も同じだ。レイニーはジャンパーを脱いでベス
トの前を開けた。
 その後レイニーは真っ直ぐカウンターに向かい、手に持った本を受付の男に渡した。男は無表情でその本を受け取り
取り付けられているコードシールに機械を押し当てた。
 ピッ、と電子音の後男はカウンターに置かれているパソコンを覗いた。
「はい、結構です」
 男がそう言ったのを確認してレイニーは何も言わずに本棚に向かった。
 しばらく見回っていると新刊の棚にアリーナに関連雑誌である「アリーナで勝つ!」の新刊があった。どうせ他に何も
借りるものが無いのだからとレイニーはそれについているカードを持ってカウンターに向かう。
 するとそのカウンターには既に先客がいた。見覚えのある、背が高い女性。
「……」
 レイニーが棚に隠れようとすると、女性はそれよりも先にこちらに気付いた。カウンターの従業員の止めるのも聞か
ずに手を振ってレイニーに走りよってきた。
「あー、ニコルさん」
 いつものようにゆっくりとした口調でレイニーに話し掛けてきた女性はダーマだ。
「ニコライです」
 やはりこう向かい合ってみると彼女のほうが背が高いようだ。
 レイニーは彼女のような人間はどうも苦手だ。さすが逃げるなんて失礼なことはできないし、かと言って今度はどんな
面倒に巻き込まれるのか分かったものではない。
「あー、ニコライさんもそれ借りに来たんですか?」
 ダーマはニコライの持っているカードに書かれている文字を見つけそう言った。
「も、って?」
 レイニーはそのカードをダーマに見せながら聞いた。
「あたしもナターシャちゃんに頼まれたんです」
「?」
 まったく話が見えないためレイニーは首を傾げた。ただ、いやな予感だけはしている。
 いつまでも黙っているレイニーにダーマは不思議そうにしている。そしてしばらくして何か分かったように手を打った後
再び口を開いた。
「その本です」
 それでもまったく分けが分からないため、レイニーは重い口を開いた。
「何が僕もで、何がナターシャちゃんに頼まれたのか、そして何がこの本なのか、を説明して欲しいんですけどね」
 一言一言噛みしめるようにしてゆっくりと質問する。おかげでダーマも何か分かったようにしてゆっくりと答え始めた。
「え〜と、あたしはナターシャちゃんに頼まれてそれを借りに来たんですけどー、ニコライさんも 頼まれてたみたいだな
〜、て」
「これは僕が自分で借りようとした本ですよ」
 レイニーはあまりに勝手に話を進めているダーマに即座に訂正を入れた。
「え〜? じゃあ何でそれ借りてるんですか?」
 しばらくしてダーマは不満そうにそう言った。
「何でって、だからこれは……あ〜」
 もう何を言っても無駄、そういう感じさえした。既にレイニーにはそれを分かりやすく説明する気力もない。溜息の後レ
イニーは小さな声で言った。
「じゃあこいつは……」
 そう言って持っていたカードをダーマに渡そうとする。もうこれ以上の面倒はごめんだったのだ。しかしダーマはそれを
受け取ろうとはせず、代わりに小さく手を合わせて言った。
「はい。ニコライさんがナターシャちゃんに渡してあげて下さいねー。あたしこれから友達と約束があるんです。じゃあさ
よなら〜」
 そして手を振って正面出口に向かって行った。レイニーはその徐々に小さくなる背中を追うこともできず、声をかける
こともできなかった。開いた口が塞がらないという事を初めて体験したのだ。
 防弾ガラスの自動ドアからダーマが出て行ったのを見届けると新刊の本棚に向かった。



「珍しいな、君の方から尋ねてくるなんて」
 イディノウはこの間とはまったく雰囲気の違う服装の甥にそう言った。
 騒がしい病院の待ち合い所で偶然鉢合わせた二人は長椅子に座り向かい合っていた。
「この本をナターシャさんに届けに来たんですよ。不本意ですけどね」
 レイニーはそう言って自分の持っていたやや大きめの本をイディノウに見せた。それが自分が彼女に薦めた本だと知
ってイディノウは小さく笑った。しかしレイニーはそれを気にする様子も無く更に口を開いた。
「どうせだから聞きたいんですけど。彼女の病気のことで」
 イディノウはその言葉にすぐには答えられなかった。レイニー自身もすぐには答えを求めようとはせずにそのまま沈黙
した。
「……なぜ聞きたいと思う?」
 しばらく後イディノウは重い口を開いた。騒がしいままの待ち合い所でその声は小さく感じられる。
「聞く義務も責任も無いのは分かってます。でも気にはなります。母と同じ病気ではね」
 再び沈黙が二人を包んだ。イディノウは眉を寄せたまま立ち上がる。
「ここじゃまずい。歩きながら話そう」
 促されレイニーも本を持ち立ち上がった。
どうやらこの間母の手紙を受け取った診察室に向かっているようだ。レイニーは見たことのある順路を確認しながらそ
う思った。
「あの子には言わないでくれ。子供には辛過ぎる」
 イディノウはこれからの話をそう切り出した。話の深刻性を物語るようにその声も暗い。
 再び沈黙する二人。その沈黙を先に破ったのはレイニーだった。
「家族は?」
 真っ先に彼が思いついた質問はこれだった。何故かは彼自身には分からないが、イディノウにはそれが何となく分か
った。しかし言いづらいことなのかしばらくの沈黙の後レイニーにしか聞こえないような小さい声で言った。
「あの子がここに運び込まれて、マーズシンドロームだと分かった後しばらくして行方をくらました」
「それって……」
 まさか、とレイニーは信じられないと言う風に聞き直す。
「ああ」
 肯定か溜息か分からないような言い方でイディノウは答えた。
「火星に来てすぐだったから病気持ちの子供は邪魔だったんだろうな。死ぬと分かっていて入院費を払いたくはないと
いう考えは分からないでもないが、それじゃ殺したと同じじゃないか」
 最後の方は殆ど独り言のようにも感じられた。いつに無く強い調子で言うイディノウにレイニーは何も言えなかった。
彼自身実の姉をその病気で失っているのだから憤りの気持ちは無いはずは無い。
「今でも見つからんよ、その両親は。正直見つかって欲しいとも思わない」
 彼の感情がそのまま伝わりそうな重い言葉だ。レイニーには少し意外に感じられた。
「でもあの子はそうは思ってないんだろうな。親は親、会いたいに決まってる。だが親のほうはそれを望んじゃいない。
行方をくらました今一刻も早く死んで欲しいと思っているはずだ。寂しがっている彼女の気も知らずに」
 そこまで言って苛立ったようにして天井を見上げその視線をレイニーに向けた。
「入れ」
 イディノウはそう言って自分のデスクがある診察室に入った。ドアは無く、レイニーもそれに従って両手をジャンパーに
突っ込んだまま診察室に入った。
「私が言うのもなんだがあんな性格だから分からないかもしれないがダーマ君もそんなあの子を心から心配している。
彼女だけじゃない。他にもたくさん、もちろん私もだ」
 イディノウはデスクの椅子に腰をかけながら言う。簡素なパイプ椅子が軋む。
「様態の方はどうなんですか?」
 レイニーもそれに従い患者用の丸椅子に座る。
「良いのか悪いのか……。そもそも私は外科だし担当じゃない。それに悔しいが情報が少ないんだ。発症例は腐るほ
どあるのにちゃんとした検査結果が認められたことは数えるほどだ。多分、マーズシンドロームだと知らずに死んだ人
も少なくはないだろう」
 溜息を吐く。二人同時に。そのあたりはどこか似ていた。
「でも地球に連れて行けば直ると聞きましたが。僕の調べた限りでは今までに12人、運行中に死亡した一人を除けば
全員が回復したと」
「ああ、その話は聞いてる」
 だがその返事に対してイディノウの表情は暗いままだった。
「だが地球に行けるような患者の殆どは特別な立場の持ち主だ。いわゆるVIPだな。もともと人を整理するために火星
に送ったのにまた地球に戻ってもらうわけにも行かないだろうからな」
 イディノウはそう言いながらデスクの中からファイルを取り出し目で読み始めた。
「ここに運び込まれたのは大体10ヶ月前、今までに発作を三度起こしている。発作と言っても「比較的」軽いものだが、
いつ死に繋がるような発作が起こるか分からない。はっきり言って分けが分からんよこの病症は」
 紙をめくる音だけが残る。イディノウはそれを眺めながら親指の腹で額を拭う。
「俺が医大をやめたのはレイヴンになったからじゃないんです」
 レイニーは突然そう切り出した。イディノウはやや驚きながらも何も言わずにレイニーに顔を向けた。見てみるとレイ
ニーはどこか諦めたような表情だった。
「親父が死んで、兄貴が死んで、母が死んで、妹も死んで、でも誰も助けられなくて。なんか分けが分からなくなったんで
す。結局医者になってもこの調子なのかって思ったら……。レイヴンになってからあまり行ってなかったっていうのもあ
るにはあるんですが……」
 レイニーは自分がなぜこんなことを言っているのか分からなかった。
「今更ですけどね」
 今自分はナインブレイカーと戦おうとするレイヴンであるレイニーだ。それ以上でもそれ以下でもない。それで良いで
はないか。既にニコライ・ヴァン・トゥワイフは十年前に死に、その死骸の中から俺が生まれた。それで良いではない
か。今更そんなことを考えて何になる。
「その気持ちは分からないでもない」
 レイニーの思考をイディノウが中断させた。
「私も姉さんが死んだときにそう思った。結局私には何もできなかった。そして死んだ。そう考えるだけで今でも自分が
許せなくなる」
 力の入ったその言葉の後、ふとその顔を緩め、優しい口調で締めくくった。
「だからせめてあの子ぐらいはな……」
 助けたい。助かって欲しい
 そういうことだろう。
 お互い口には出さないが情けないことにあの年端も行かない少女に母、或いは姉の姿を重ねている。更にそのこと
はお互いに分かり切っていた。しかし互いに何も言わない。言ってもしょうがないという前に情けないということを自覚し
ているのだ。
 しばらくしてイディノウが吹き出すようにして笑った。それに従いレイニーも小さく笑う。
「それでどうなんだ、君のほうは。結構苦戦していたようだけど」
 そしていきなり話題が変わる。
「ハンデつきでしたから。まあ、問題ありません」
 しかしレイニーはそれに戸惑うことも無く平然とした態度で言い返し椅子から腰を上げた。
「これ、届けてきます」
 そしてそう言って持っていた雑誌をイディノウに見せる。イディノウは特に何も言わずに頷いた。それに従うようにレイ
ニーも何も言わずに診察室を後にした。
 ナターシャのいる病室の場所はよくは覚えていない。ただ風景は覚えているし、地下駐車場への道を行けばその途
中にあるはずだ。
 そう思いながら歩く。そしてレイニーの思った通り見覚えのある病室を見つけた。ドアの無い入り口には彼女の名前
が書かれたプレートがフレームに入っている。
「ナターシャ・レミントン……。なるほど、物騒な名前だな」
 レミントン
 レイニーの中ではそれはショットガンの名前だ。一般にはともかくレイニーの中にはそういうイメージがある。
 実際にはレミントンとは大破壊以前に存在した銃器メーカーのひとつだ。その中でもショットガンを多く製造したこのメ
ーカーは大破壊後消滅し、現在ではショットガンの名前にその意味を変え現在でも存在している。
 レイニーはプレートに書かれている名前を確認するとすぐに病室には入らずに入り口の壁をノックした。コンクリート
の硬い音が二度反響する。
「はーい」
 間を置かずにすぐに返事が返ってくる。レイニーはその返事を返す前に入り口をくぐった。
 この前と同じように少女はそこで横になっていた。レイニーの姿を確認すると状態を上げて読んでいた本に枝折を挟
み枕の横に置いた。
「こいつ、持って来たんだ」
 そう言って持っていた雑誌をナターシャの目の前に置いた。ナターシャはそれを受け取り自分が待ち望んでいたもの
だと知りうれしそうに笑顔を作った。
「ダーマさんに頼まれてな」
「そうなんだ」
 聞いているのかいないのかナターシャはその雑誌をパラパラとめくりながら生返事をした。レイニーはその様子を見
ながらこの前と同じように椅子に座る。帰る理由も無いし、他にすることも無いのでレイニーはもう一冊の借りた本を読
み始めた。さわりだけだが銀河中を舞台とするスケールの大きな作品だ。面白そうだとレイニーが興味を持ち始めたと
ころでナターシャが何かを言い始めた。
「無いー無いー」
 ナターシャはその雑誌を何度もめくり返しながら頻りにそう言っていた。初めは無視を決め込んでいたレイニーだった
がどうにも気になってしまうのも確かでどうしたのかと声をかけた。
「昨日の試合の記事が無いんだよね」
「だよねと言われてもな」
 レイニーはナターシャの読んでいた雑誌を受け取り目次に目を通したがその前のアレス戦の記事があるばかりでそ
れらしい記事は無かった。そもそもこの雑誌はしばらく前に発行されたものだから当然だ。
「無いな」
 あまり厚みの無い本なので全てに目を通すぐらいなら時間はかからない。レイニーはそう言って雑誌を返す。
「ニコライさんは昨日の試合見た? レイニーと囚人の試合!」
「ああ。まあ、見たには見たな」
 レイニーが気の乗らない返事をしているのを気にもせずにナターシャは前と同じように話し始めた。その話を聞いてい
てレイニーはよく見ているな、と素直に感心した。ところどころ実況の受け売りはあるのだろうが、それでも戦闘におけ
る要点はしっかりと押さえている。ただ揚陸艇を狙ったゴルーヴァの動きをアポカリプスの無駄弾を誘った動きだと勘違
いしているらしく、それが彼女自身の見方なのか実況の受け売りなのかは判断しかねた。
「そっちはどうなの?」
「? 俺か?」
 急に話をふられてレイニーは少なからず戸惑ったがすぐに平静を取り戻した。ナターシャが頷いたのでその戦闘の感
想について聞いているのだろうと思いそれについて返答する。
「どうだろうな。ハンデ戦だから真っ当な試合じゃあなかった。まあ、それを差し引いてでもゴルーヴァの偏ったアセンブ
リはあの場合問題だっただろうな。揚陸艇はともかく河川上での戦闘はシールドに負担が掛かり過ぎる。そもそも相手
はフロートタイプだからあの場合……」
「そうじゃなくて」
 レイニーが自分なりの戦闘分析を話しているのをナターシャがそれを中断させた。
「そうじゃなくてニコライさんはどうなのよ」
 ナターシャはそう言いながらレイニーの顔を指で差す。
「人を指差すな。失礼だろ」
 レイニーはその手を払って溜息の後しばらく思考した。なるべく嘘ではなく、それでいて当り障りの無い言葉。
「ここのところは勝ち越しだ」
 そして思いついてそう言った。ナターシャはレイニーの予想通りその当り障りの無い言葉にふうんと曖昧な感想を返し
た。別にレイニーにとって自分のレイヴンとしての立場を隠す必要は無いのだが、知られたら知られたで面倒な気がす
るのでレイニーは黙っている。
「じゃあそのうちナンバーアリーナには入れるの?」
「……さあー、どうだろうな」
 ナターシャはどうやらレイニーはサブアリーナに所属していると思っているようだ。それを知りレイニーは小さく笑いを
漏らした。どうでもいいことだがレイニーにとってはなぜか可笑しかった。
「何?」
 笑っているレイニーが珍しいのかナターシャは不信がって何事かと聞いた。
「いや、気にしなくていい。いいんだ」
 まだ込み上げる笑いを堪えながらレイニーは言う。
「そうだ。一応言っておくけどそれは新刊だからな。三日後には返すからな。それまでに読んでおいたほうが良いぞ」
 そしてそう言って再び目線を本に戻した。正直話の続きが気になっているのだ。
「どんな本それ」
 しかしレイニーが読んでいるのを妨害するように間髪をいれずにナターシャが話し掛ける。レイニーはやや鬱陶しそう
に「説明臭く」説明を始めた。
「これ……か。まあある宇宙郵便配達人が宇宙の運命を左右するような「手紙」を受け取ってな、それ以来宇宙海賊や
ら宇宙警察やらに狙われてこれからどうなるか……ってやつだな」
「SFなんだ。結構意外」
「意外か?」
 レイニーはその本の表紙を見ながらその返事に返事で返した。表紙には幾つもの光に囲まれた八本脚の主人公が
大事そうに何かを抱えている水彩風の絵が描かれている。
「だってニコライさんて本は読みそうだけどもっとこう専門的なものとか頭良さそうなものとか読んでそう」
 SFは頭が悪そうなのだろうか。SFの中には読むのにその専門的な知識が必要なものもあるのだろうが。レイニーが
疑問に思っていても彼女はそう思っているのだろうからそれについて何も言わない。
「じゃあ今度君には可愛らしい童話、もしくは楽しい楽しい車の本でも借りてこよう。俺は当然専門的で頭の良さそうな
本だ」
「やめとく」
 だが大きなお世話だと皮肉った。大人げない態度だがレイニーはそれを気にしなかった。ナターシャもその皮肉が気
に入ったようで笑っている。
 安心した。見た目には「死に掛けている」ようには見えない。少なくともかつての母ほどはまだまだ命が残っていそうに
見える。しかしレイニーこう聞いたことがあった。
 マーズシンドロームの最も恐ろしいところは自覚症状がギリギリまで表れない事
 そう、彼の母も病院にいながら「手遅れ」で死んだ。
 だがレイニーはそんな考えを心の奥に押し込んでいた。最も辛いのは彼女のはずだ。心臓の病気と聞かされていて
も命に関わることには違いない。なにより子供にとって最も信頼すべき親が行方をくらましたのだ。
 自分はまだマシだ。
 そしてどことなくそう納得させる。
「でもやっぱり意外。この間とは違う人みたい。服装とか雰囲気とか」
 だがその辛いはずの彼女は自分よりもずっと真っ直ぐに生きている。レイニーはそこのあたりにも彼女に母の面影を
見ているのかもしれない。
「服装は余計だ」
 しかし彼女は母ではない。もっと生きていいはずだ。
「出身はどこ? 地球?」
「いや」
 助けることは出来ないか。助ける方法は無いか。
「出身はザングチの方だ。レイヴンになってからはこっちに来たんだ。アリーナガレージも近いしザングチよりもずっと都
会だしな」
「へえー。火星人なんだ」
「火星人……か。まあ間違っちゃいないな。そういう君はどうなんだ」
 調べてみても、考えてみても良いかもしれない。
「地球のアヴァロン地上仮設都市ってとこ。ちょっと前に「上」の方に来たんだ。地球って少し暑いんだけどね。でもこっ
ちよりは住みやすいかなあ」
「地球か」
 そう言えば次に火星に地球からの運行船が来るのはいつだろう。
「一度は行ってみたいかもな……」
 そう言いながら、そう考えながらレイニーは病室の窓からその外の風景を眺めた。
 寂しい風景。赤と青の混ざる空。火星ならではのものだ。そしてそれも見慣れたものだった。



『最近出回っているらしいSP−BLSというオプションを取り寄せて欲しい。そして手に入り次第SP−VIECHと交換して
くれ。確実に明日のテストまでには済ませてくれよ。以上。
                              7I1U8s32YH レイニー』
 レイニーは手早く文章を作り、パスワード、そして自分のレイヴンとしての名前を記入する。更にそれをメールに載
せ、端末のケーブルに携帯ナーヴを繋ぎそれをコンコードが運営し、レイニーがゴルーヴァを預けているガレージに送
る。
『送信が完了しました』
 その文字が出るのを確認するとそのまま端末をナーヴスネットワークの情報網に飛び込ませた黒字に緑色の文字。
それが何となくナーヴスネットワークの色として定着している。どこか毒々しい色が支配する液晶画面の検索ボタンをポ
イントする。
 項目としては宇宙運行船便、220年度。この両方を入力する。ヒット項目はかなりの数らしく、データのロードに時間
がかかっている。
 レイニーはその間に疲れた体をベッドに横たえた。
 結局はあの後面会時間ギリギリまで話を続いた。特定の人間と数時間も話しつづけたのは大体二年ぶりか。少なくと
もレイニーにとっては数年分も話していたように感じた。久しぶりに酷使した顔の筋肉はどうにも鈍い痛みが治まらな
い。
 だがレイニーはそれも悪くないように感じた。
 ニコライと言われることに違和感を感じなかった自分を肯定的に考えられそうだ。
そう思っている。
 しばらく横になっているとデスクの上からファフォンと電子音が耳に入った。どうやら検索が終わったようだ。レイニー
はベッドに座ったままデスクの上に乗っている端末を自分に向けた。
 実に11238件もの項目に検索がかかっている。レイニーはそれを更に絞り込むようなことはせずに手当たり次第に
それを覗き始めた。BBS(情報交換システム)の見出しがある項目は既に除外されている。
 探し始めて三つ目の項目に最も分かりやすく説明されているサイトが紹介されていた。
 今年は60年に一回の<大接近>があるらしく運行船の便も多いらしい。大接近とは極めて簡単に表現すれば地球
と火星との距離が最も近づく宇宙自然現象だ。その距離が近づくとなれば当然その往復も多くなる。
 レイニーにもテレビや新聞で何度か聞いたことがある気がした。
 火星での一年は地球でのおよそ二年に相当する。そのため火星においては本来の一年を分割、日数を調節すること
により二年としている。これは地球と火星との間の感覚的、思想的差異を防ぐためのものだ。
 しかしそれでも多少の日時的差異は存在する。それを見極めなければ正確な日時は把握できない。例えば日が15
から20ほどになれば少しずつ差異が出てくるのだ。それもライヴ更新されているサイト上ではそれほど気にしなくても
良いのだが。
「物資の運送で二週間後、三週間後、移民船で一ヵ月後……か」
 大接近によりやはり運行船の便は多い。レイニーはそのうちの最も近い日時のものに目をつけた。移民船はレイニ
ーもACに乗った状態で見たことがあるがそれでも巨大に感じるほどに大きな規模のものだ。しかしそれ故頻繁に航行
はされていないらしい。大接近である今年でも月に一度、その程度のペースだ。
 しかしやはりそれに乗る方法は見当たらない。当然だ、レイニーはそう笑いにならない笑いを漏らす。何のための移
民なのか、それを考えれば当然のことだ。
 しばらく眺めていて目に痛みを感じたレイニーは端末のラインと電源を切った。そしてベッドに横になる。明りがついた
ままの部屋で眠りにつくのに時間は掛からなかった。



 いつものように騒がしいガレージ。ここはその中でもコンコード社によって運営されているガレージだ。シティや個人に
よって運営されているものとは比べものにならない規模を誇り、アリーナでの戦闘を控えている全てのACの管理を受
け持っている。
 そしてこのガレージではACの動作や、武装を実際に動かしてチェックする通称ACテストという、簡単に言えば動作確
認をすることができる。当然それなりの場所や目標を必要とするのだから無料というわけにはいかないが、上級のレイ
ヴンなどは新型のパーツをよくそれによって使えるか、どのような特徴、クセを持つか、それを知るのだ。
 今のレイニーがまさにそれだ。新型のオプションパーツをゴルーヴァに装備させその効果を確かめにテストに向かっ
ているのだ。
 ACが通るための広く、長い通路の先に大きな扉が存在し、その先がテスト場となる。天井に僅かに点る蛍光灯がそ
の道を示していた。
 閉じているゲートのすぐ横にある端末にゴルーヴァの左手を当てる。情報伝達ファイバーの走っている手のひらから
扉の端末に開閉パスワードが伝達される。それを受信してゲートが重い音と共に左右に開閉した。
 中はドーム上になっている。高い天井から光が降り注ぎ、巨大なMT二機の下に強大な影を作っていた。
 その影を造っているMTはシャフター。今回のテストに使用するMTだ。レイニーの指示によって両機とも右肩にミサイ
ルランチャー、左肩にレーザーキャノンが装備されている。テストということで最終的には破壊するのだから当然無人機
だ。
「始めてくれ」
 レイニーはそれを確認した後ゴルーヴァのシールドを展開させながら無線でテストを監視しているはずの人間に指示
を出した。
『了解。MT二機の戦闘プログラム、マニュアルモード起動。機銃攻撃開始』
 その返答の言葉と同時にシャフターは両手の機銃を発射させた。三連ガトリングの銃身から弾丸が吐き出され、次々
とゴルーヴァに命中する。しかしその弾丸はゴルーヴァにダメージを与えることは適わなかった。
 ゴルーヴァの左腕に装備されているシールド発生装置、そこから発生している運動エネルギー干渉レーザーフィール
ドがそれを阻んでいるのだ。シャフターの発射している弾丸はそのシールドに弾かれるように四方に飛び散るばかり
で、ゴルーヴァに命中することは無かったのだ。
「もういい。ミサイルにしてくれ」
『了解。ミサイル攻撃開始』
 レイニーがまったく効果の無い機銃による攻撃からミサイルによる攻撃を指示する。するとその指示通りシャフターが
右肩のミサイルランチャーからミサイルを発射させた。両機から二基ずつ、四基のミサイルがゴルーヴァに吸い込まれ
ていった。
 ミサイルがシールドのレーザーに触れ爆発する。シールドの吸収し切れなかった爆発の余剰エネルギーがゴルーヴァ
の装甲を叩く。しかしそのエネルギーは僅かなものでやはりゴルーヴァにダメージは無かった。
「……確かにこれは使えそうだな」
 次々にゴルーヴァのシールドにミサイルが命中する中レイニーはその効果を確信した。
 ゴルーヴァが新たに装備したオプションパーツ、SP−BLSは左腕に装備されている武装の出力を強化する効果を持
っている。
 このオプションパーツはシールド、もしくはブレードの発生させるのに必要なエネルギー量を軽減させ、その余剰エネ
ルギーを使いその出力を強化するのだ。シールドならその強度が増し、ブレードならその威力が増す。
 アリーナでのルール上その数値的効果は10%だが実際の効果はそれ以上だ。実際前回の揚陸艇エトランジェによ
るミサイル攻撃と同じ威力のはずのミサイルが今は衝撃さえもゴルーヴァに与えることは無いのだ。レイニーはそれを
自分の目で確認する。
『両機、ミサイルの残弾無し。レーザー攻撃に切り替えますか?』
 しばらくその状態を傍観していると無線でそう伝えられた。しかし一撃一撃の威力を大きく軽減していたためゴルーヴ
ァはほぼ無傷だ。
「頼む」
 レイニーはその報告を聞き、ナビゲーターの指示を促した。
『了解。レーザー攻撃開始』
 シャフターは鳥のような両足を折り曲げ姿勢を安定させながらレーザーキャノンを展開させた。エネルギーを大量消
費するため姿勢を安定させなければ発射できないのだ。
 そのレーザーキャノンは本来AC用のパーツであるZWC−LQ/2552だ。プロビデンスのKARASAWA−Mk2より
も高出力でその右肩に装備されているものと同じである。
 シャフターはそのレーザーをやや時間差を置いて発射させた。眩い光の束がゴルーヴァのシールドに命中する。レー
ザーがレーザーにより拡散され、余剰出力がゴルーヴァの装甲を焼いた。さらにレーザーの運動エネルギーがゴルー
ヴァを揺るがす。しかしレイニーはそのコックピットの中で笑っていた。
 あのKARASAWA以上のレーザーを二撃同時に受けてこの程度。ポイントによるマイナスは怖いがシールドで受け
ている以上には致命的なダメージを被ることは無いのだと知ったのだ。
『続けますか?』
 一撃ずつのレーザーの後ナビゲーターがレイニーを心配するようにその指示を仰いだ。さすがにレーザーだ。無事で
あるわけはない。
「ああ、シャフターが音を上げるまで頼む」
 しかしレイニーは余裕でそう言った。
『了解。攻撃を継続します』
 それを機会にシャフターはレーザーを連射させた。光の束が何度もゴルーヴァを貫こうと直進するがシールドの阻ま
れて致命的なダメージには至らない。それにもしシールドが無くてもゴルーヴァは元々重装甲だ。そう簡単には倒れは
しない。そう設計されているのだ。
『両機。オーバーロードを起こしました』
 シャフターが沈黙した後ナビゲーターから通信が入る。さすがにレイニーもゴルーヴァのエネルギー残量が心許なくな
ってきた時だった。
「わかった。攻撃を開始する、武装を外してくれ」
『了解、コンテナ車を向かわせます』
 レイニーに指示の後ゴルーヴァの向かい側のゲートが重々しく開き、そこから今まで待機していたのだろう二台のコン
テナ車が現れ、エネルギーの回復を待っているシャフターの横についた。そしてコンテナの中から伸びたロボットハンド
がシャフターからレーザーキャノンとミサイルランチャーを外し、自らのコンテナの中に納めた。
『MT二機。戦闘プログラム、戦闘モード起動』
 二台のコンテナ車が退避したのを確認するとそのアナウンスの後シャフターが攻撃を開始した。機銃を掃射しながら
ゴルーヴァを中心に挟み込むようにしてフォーメーションをつくっている。
 レイニーはまずゴルーヴァをジャンプさせ、第一波攻撃を回避する。そしてそのまま上空からシャフターの一機に散弾
を撃ち込んだ。距離があるため最大の攻撃力を発揮してはいないがそれでもシャフターは大きく体勢を崩す。
 レイニーはゴルーヴァの推進を切り、シャフターを押しつぶすようにして落下する。文字通りの重装甲である多重多種
層行型装甲に包まれたAC、ゴルーヴァはMTに比べ圧倒的な重量を誇っている。それがそのまま運動エネルギーに
かわりシャフターに叩きつけられた。
 シャフターは両脚からひしゃげ悲鳴のような金属の軋む音と共に崩れ落ち、そこに至近距離からの散弾を食らわす。
シャフターはその攻撃で内部機構が抉られ沈黙する。
 動きを止めたシャフターを眺めるようなこともせずにレイニーはゴルーヴァを再びジャンプさせた。次の瞬間ゴルーヴ
ァの背後から発射された弾丸が動きを止めたシャフターに着弾し兆弾する。その音がドームに響いた。
 レイニーはゴルーヴァを空中に滞空させたまま反転させ、そのままオーバードブーストを起動させる。スーパーチャー
ジャーが展開、そこに圧縮空気を作り出す音が鳴り響き、そのまま間を置かずオーバードブースターが咆哮しその音を
掻き消した。
 急加速によりレイニーの体は大きな圧力を受ける。しかしそれも慣れたものだった。メインモニタの中で次第に大きく
なるシャフターを睨みつけトリガーを引く指に力を入れる。
 その動きに反応したシャフターは機銃で反撃した。三連ガトリングが回転し機械音を上げる。吐き出される弾丸はゴ
ルーヴァを捉えようとしたがその左腕より展開したレーザーに阻まれその動きを止めるには足りなかった。
 レイニーは通り過ぎ様にトリガーを引く。それに対応しゴルーヴァがショットガンのトリガーを引き、そのショットガンの
銃身から散弾が吐き出された。それはシャフターの装甲、内部機構をえぐり破壊する。
 ゴルーヴァの背後でシャフターが崩れ落ちる。爆発はしない。
「……テストを終了する」
 小さく溜息の後レイニーは無線に向かいそう言う。オーバードブーストによる加速、過熱のせいかその額には汗がに
じんでいる。
『了解。テストを終了します。各班残骸の回収に向かってください』
 最後の言葉はレイニーに向けられたものではなかったのだろう。どちらにしてもレイニーにもうすることはない。ゴルー
ヴァを入った扉に向かわせた。しかしそれよりも先にそのゲートが重い音と共に開き始めた。その先には赤と金に、塗
り分けられた装甲が鈍い光を放っている。その右手には最強といわれるレーザーライフルKARASAWAが持たされ
仰々しいほどその存在を誇示していた。間違えようがない。そのACは最強のレイヴン、アレスが駆る最強のAC、
「プロビデンス……」
 あまりの驚きに思わずレイニーはその名を口走っていた。その姿を見るのはあの戦闘以来二度目。そして今間違い
なく目の前に存在していた。
 しばらくの間お互いに動くことは無かった。特にレイニーはプロビデンスが不用意な動きでもとれば思わずトリガーを
引いてしまいそうだった。
『警戒するな』
 そんなレイニーに無線で通信が入った。おそらくはアレスのものだろうか、その声は予想通り男の声でしかし意外にも
若い声だった。しかし声の若さなど当てにはならない。声などそれこそいくらでも加工できるし、アレスは老いを忘れた
強化人間、プラスだ。
「今度は負けない。必ず勝つ」
 そのアレスの言葉に我を取り戻したレイニーはゴルーヴァにプロビデンスのすぐ横につけさせそう言い放った。そして
開いたままのゲートにゴルーヴァをくぐらせる。
『楽しみにしている』
 閉じかけていた扉の向こうからそう最後の言葉が返ってきた。そしてすぐに扉は閉じ、重い音が起こる。
 レイニーは何も言わずに通路を真っ直ぐ、ゴルーヴァに移動させた。どこか満足そうな、嬉しそうなそんな顔で。
『テストを開始します』
 開きっぱなしになっているゴルーヴァの回線がそんな言葉を拾い上げた。



 ガレージの帰り、レイニーは時々寄るこの喫茶店、アースでコーヒーを飲んでいた。防弾ガラスのウィンドウからは火
星特有の赤と黒の混ざった夕日が見えている。その光はガラスを通り抜けカウンターの席に座っているコートを羽織っ
たレイニーの背中を照らしていた。
「なあレイヴン」
 そのカウンターで若い男がレイニーに声をかけた。彼はレイニーの名前もレイヴンネームすらも知らない。その代わり
レイニーも彼の名前を知らない。しかし特に不自由はない。ただ歳が近いからそれなりに親しいだけである。
「なんだよ」
 レイニーは面倒臭そうにそれに答えた。そしてそのついでに砂糖が多めのコーヒーをすする。
「今日はずいぶんと機嫌良さそうじゃねえの」
 男は意地悪そうに笑いながら言った。レイニーはそれを聞き顔を手で撫でながら顔がほころんでいるのかを確かめた
が自分では分かるはずが無かった。
「そうか?」
 だから結局聞いて確かめるしかなかった。
 しかし男は笑いながらそれを取り合わなかった。そしてそのまま別の客に呼ばれそこを離れた。
 一人で残される形となったレイニーはそれでも構わなかった。今はあのときのことだけを考えていたかった。
『楽しみにしている』
 あの男はそう言った。
 ナインブレイカー、アレス。最強のレイヴン。
 一度期待しないといった男が妙な心変わりだとレイニーは苦笑する。
 それにしてもプロビデンスのアセンブルは標準仕様だった。テストをするからには何か変わった武装を使うはずだが。
それともゴルーヴァと同じオプションの使用だったのだろうか。だとしたらMOONLIGHTには注意しなければならない。
「どうだ、最近調子良さそうじゃないか」
 考え事をしているレイニーは不意に声を掛けられた。レイニーはすぐにはその声の主を確かめようとはしなかった。
聞いたことのある声だが覚えてはいない、そのため思い出そうとしたが出来なかった。諦めてレイニーは振り返った。
その視線の先には老人が一人、視線を下に向けたままカウンターの椅子に腰を下ろそうとしていた。
 レイニーはその人物を知っていた。彼にとってレイヴンとなるきっかけである人物であり、その手引きをしてくれた人
物だ。名前は例の如く分からない。彼自身語ろうとはしないしレイニーも礼儀として聞こうとはしなかったからだ。
「俺の探し出した人材がナインブレイカーと戦うまでになるとは正直嬉しいもんだ」
 ただ彼がいわゆる情報屋だということは分かっていた。報酬を受け取り、情報を売る。レイヴンになろうとしている、も
しくは興味のある者をコンコード社に知らせるのも彼のような職の人間の仕事なのだろう。
「ああ、そうだな」
 レイニーはあまり気の乗らない返事をする。相手の立場を考えると余計なことは喋らないほうが良いと考えたのだ。だ
が……
「聞いて良いか?」
 この老人なら知っているかもしれない。確かに何でも答えてくれるというわけではないだろう。しかしそれでも仕事であ
る以上この老人は的外れなことは言わないはずだ。
 老人はしばらくの沈黙の後いいだろう、とだけ言う。レイニーはそれを確認した後口を開いた。
「例えば物資輸送船でも移民船でも良い、地球に戻るときそれに一般人を乗せることはできるのか?」
「身内がマーズシンドロームにでもなったか?」
 その質問に老人は間髪を入れずに図星をさした。あまりの鋭さにさすがにレイニーは動揺した。しかしすぐに冷静を
取り戻し再度聞く。
「できるのか?」
「ああ」
 老人はその鋭い目をレイニーに向ける。その目は年齢を感じさせない意思を湛えていた。
「ただし条件がある。俺も乗せろ」
 あまりにも予想外の言葉にレイニーは一瞬言葉を失った。それはつまりどういう事か、レイニーは考えるが答えはひ
とつしか思いつかなかった。
「まさかあんたも?」
 老人は答えない。だがレイニーにはその顔がやや青白く感じられた。
「レイニー、お前だからできる。ナインブレイカーと戦うお前の知名度は十分だ。名前が売れれば売れるほど良い。勿
論金はあるに越したことはない」
「何が言いたいんだ?」
 抽象的な内容の言葉にレイニーはその意味を図りかねた。しかし老人はそれに構わずに話を続ける。
「問題は次のアレス戦か。勝つことは出来なくても良いかも知れん。だがやはり名前から来る強制度に関しては強いに
越したことはない」
 老人は自分の中だけで話を進めているようだった。それだけ自分の容態が緊急を要するということなのだろうか。レ
イニーにそれを察することは出来ない。
「簡単に言う。買収しろ。お前の名前と多額の企業通貨でな」
 カランカランと遠い店の入り口から鐘の音が聞こえた。
 レイニーには何も言うことは出来ない。彼の言っていることがあまりにも簡単で大胆なことだったからだろうか。老人
は構わずに続ける。
「乗せる人数は多いに越したことはない。その分ただの慈善行為として処理されるからな。マスコミ的にも地球政府にと
ってもだ。LCCにそれを止める力も無いだろうし企業的にも止める理由はない。問題はその買収に地球政府が乗って
くれるかだ」
 老人はそこで言葉を止める。レイニーが喋り始めるのを待っているかのようだ。
「……俺はどうすればいいんだ?」
 その促し通りにレイニーがそう切り出した。確かに老人の言っていることは実現不可能といえる話ではないだろう。だ
がレイニーにはどうすればそんなことができるのかが分からないのだ。レイヴンである彼にできることは限られている。
レイニーはそれを痛いほどよく知っているのだ。
「簡単なことだ」
 だが老人はその言葉を待っていたとばかりにそう言葉を繋げる。
「ナインブレイカーに勝て。そしてそのファイトマネーを渡してくれれば後は俺に任せてくれていい。何、心配はいらない。
こう見えて顔が利く」
 その言葉を最後に老人は視線をカウンターの向こうに移し話すことをやめた。レイニーにはその態度や言動があらか
じめ考えられていたもののように感じられた。だからつい言ってしまう。
「あんた、俺を探してたんだな? このために」
 老人は答えない。耳にも入っていないと言う様子だった。レイニーはその態度に少なからず不快感を感じたが立場は
同等、どうこう言う道理は無かった。
 レイニーはぬるくなったコーヒーを一気に飲み干し席を立った。そしてそのままレジに向かう。そのレジには顔見知り
の男がまるで待ち構えていたように立っていた。笑いを堪えているようなそんな表情で。
 レイニーは財布の中からいつものように黒いカードを取り出しそれを男に示した。コーヒー一杯分の料金を現金で払う
気はないのだ。
 男はそのカードをカードリーダーに通しながら言う。
「レイニーだったんだなあんた……」
「まあ一応そういうことになってるな」
 レイニーは素っ気無く答える。何てことないといったふうに男からカードを受け取った。
「すげーんだな」
 男は素直に驚いているようだった。そしてどことなく恐縮している様子だった。笑っているような顔は生まれつきなのだ
ろうか。
「そうでもないよ。レイヴンにできることなんてたがが知れてる」
 そうとだけ言い残しレイニーはドアを引いた。カランカランとすぐ近くから鐘の音が鳴った。



 母さんが死んで以来妹は部屋に閉じこもりっきりになった。元々行動的なほうではなかったけどここまでではなかっ
た。声を掛けても返事もしない、いくら呼びかけても僕に姿を見せるも無かった。もしやと思ったが毎日置いておく僕の
作った食事は無くなっているのでとりあえず生きているのだろう。それだけはとりあえず安心していた。
 僕は今サブアリーナで戦っている。下っ端らしく戦いは連日と言っていいほどだ。当然妹に構っている余裕は無く、フ
ァイトマネーの少なさから来る経済的な問題も勝ち続けることでしか解消できなかった。
 そしてここのところ負ける気がしなくなってきた。実際ここ二月ほどは勝率九割を超えているだろう。マネージャーから
もナンバーアリーナへの参戦権が得られるかも知れないと言われた。そうすればいわゆるプロ扱いだ。戦闘も連日とい
うわけでは無いだろうし、ファイトマネーも増えるはずだ。
 とりあえずはそれを目標に戦っている。そうなれば少しはましになるはずだ。
 母が死んでもう二週間ほどになる。妹は未だに出て来ようとはしない。
 その日も僕は例の如くアリーナでの戦闘の帰りだった。しっかりと勝利してポイントを稼いでいる。
 いつものように夜、電灯に照らされた自宅は人が住んでいる様子は無かった。実際には妹がいるというのに。
 鍵を開けて入ると柱時計が規則正しい音を刻んでいた。ただ、地球より一日が37分長い火星においてこのアナログ
時計は役にはたたない。完全なアンティークだ。うっとうしくない程度のこの音が僕は好きだ。
 とりあえず家中の明りをつけて二階にある妹の部屋に向かう。いつものようにまったく人の気配がしないのが気にな
る。それでも僕の用意していた料理は毎日なくなっていたので安心はしていた。
 しかしその日は違った。最近はそんなことが多い。不吉の予兆。そればかりだ。
 いつもは空になっているはずの皿が今日は朝のままだった。今日はどうしたのかと僕は妹の部屋のドアを叩いた。出
てくるように毎日こうしているのだがせめて今はちゃんと食事をとっていて欲しかった。
「アニー。おい、どうしたんだ。今日は食べてないじゃないか」
  返事は無い。それもいつもことだった。ただ、僕の中での嫌な予感はどうしようもないほどに膨れ上がっていた。心臓
の高鳴りが収まらないのだ。
「おい」
 もう一度ドアを叩いて返事を求める。悲しいことだが予想通り返事は無かった。
 ドアノブを握り締め回そうとするが当然のように鍵が掛かっており拒絶の手応えが返ってくる。ただ今回はそれで終わ
らせるつもりは無かった。
鍵を壊す。今思えばもっと早くしておけばと後悔する。
 まず力一杯にドアノブを回す。しかしやはり無駄だ。こんなことで壊れてしまったら鍵の役割を果たすには足りない。
 そこで一度自室に入り輪ゴムを探した。摩擦を増やしドアノブに掛けることのできる力を増やすのだ。さらに大型のス
パナを一階から持ってくる。この二つでどうにかする。
 まずドアノブのとって部分に輪ゴムを何重にも巻きつけ、スパナでそこを挟み込み固定させる。後は力の限りそれを
押すだけだ。
 ACの操縦で腕は疲労し切っていたがそれでも全体重をかけてそれを押し続けた。疲労で体中に筋肉が痙攣しかけ
てきた時遂に金属が悲鳴を上げるような不快な音と共に鍵が壊れた。勢いあまってドアノブに頭を打ち付けたが気に
せずに開いたドアを開けて妹の部屋に入った。
 しかしその部屋で僕を初めに出迎えたのは違和感だった。鼻のあたりを生暖かい感覚が支配した。違う、異臭だ。
 妹を探した。
 違うはずだった。こんなところにいるはずが無い。
 それを確かめるために探した。
 まずはベッドを見た。しかし人がいるような盛り上がりは無く、すぐに違うと分かった。それを確認すると体をACにそう
命令するように旋回させた。360度の視界から来る情報を脳の中で処理して理解させる。
 レイヴンという職業柄かもしれない。僕はいやに冷静だった。母が死んだ時もそうだった。自分でも信じられないという
表現が合致する。しかしそんな状態でも妹を見つけるのには時間が掛かった。
 僕は思いたって明りをつけた。オレンジの照明がいままで街頭の光のみを反射していその部屋を照らし再びあたりを
見渡す。
 もしかして妹は最初からここにいなかったのではないだろうか、僕の中でそんな考えが過ぎり始めたときだった。
 今まで椅子に掛かっていたコートのように感じていた「コレ」は妹か? 
 白い羽フードのように感じていた「コレ」は妹の白髪か? 
 例の如くいやに冷静に僕はその椅子をこちらに回転させた。
 そして見た。土色の、つまり生乾きのミイラのようになった妹を。
 医者の卵であった僕にはそれがすぐに死体だとわかった。既に死後硬直が済んでいる。
 足腰から力が抜け、バランスを失い後ろに倒れる。妹のベッドに体を預ける形となり力が入らない体は僕の命令を拒
否していた。ただ、辛うじて動く首を持ち上げその部屋を見渡した。そして異臭を放っている原因を見つけた。
 ドラム缶のような形をしたアルミのゴミ箱。そこに飲食店の裏においてある生ゴミのように積み重なった……もう僕の
作った原形を保っていない生ゴミがそこにあった。火星の気候のせいか、腐敗はまだ始まっていないようだ。

 ……そこから先はあまり覚えていない。今考えればその直前まで例の如く冷静だったと思う。
 妹の死についていろいろと僕に疑いが掛かったが隣人に事情を知るものも多くおかげで僕は無罪放免となったらし
い。
 それからすぐに家を売り払い、町を出た。
 そして僕は戦い続けた。全てが過去のことになるまで。

 それから数週間後。俺はランカーレイヴンとなった。



「本を受け取りにきた」
 再びナターシャの病室を尋ねたレイニーは入るなりそう切り出した。時間帯としてはまだ朝と言ったところの病室は白
い光で包まれ、少しだけ開いた窓からは暖かい風が白いカーテンを揺らしていた。
「おはよう」
「おはようございます」
 ナターシャは病室に入ってきたレイニーにごく自然に朝の挨拶をし、今まで彼女と話をしていたのだろうダーマがいつ
ものようにゆっくりと挨拶した。
「おはようございます」
 そのダーマの姿を確認してレイニーはやや警戒した様子でその挨拶を挨拶で返した。レイニーの彼女に対する苦手
意識はどうにも拭いきることが出来ないのだ。そしてナターシャが彼女と仲良くしているらしいことを不思議に思ってい
た。
「ねえダーマ。あっちに置いてあるからとって」
 そう言ってナターシャはテレビを乗せている棚を指差した。その先には図書シールの貼ってある雑誌が立てかけられ
ており、それはレイニーが借りてきたアリーナの雑誌だった。ダーマはハイハイと生返事をするとそれを手にとりレイニ
ーに渡した。
「どうも」
 それを見ていたナターシャが何も言わないのはそうするのが正解と言うことだろうか。意外なことに意思の疎通が出
来ていることにレイニーは驚いた。しかしそのことあまりにも失礼なことであることを知っているレイニーはそれを顔には
出さないで黙っている。
「どうしたんですか今日は」
 雑誌をレイニーに渡したダーマはいきなりそう質問をした。その表情はいつものように能天気そうで冗談を言っている
ようには見えない。
今さっき話したと思うのだがとレイニーは絶句した。開いた口が塞がらないのだ。
「ダーマ、さっき本を取りに来たってニコライ言ってたじゃん」
 その間にナターシャがダーマに笑いながら説明をした。
「え〜、そうだった?」
「そうですよ」
 事実上ナターシャに助けられたレイニーはもう忘れたのかとその疑問を肯定した。
 彼女のようにはっきりと間違いを訂正しないとやっていられないのだろうか。どちらにしてもナターシャとダーマは実際
仲が良いようだ。
「で、ニコライはあの本読み終わったの?」
 唐突にナターシャが聞いた。
「あの本?」
 そしてレイニーが答える前にダーマがそれは何かと聞く。レイニーはまずそちらの質問から答えることにした。
「僕がこの雑誌といっしょに借りた本ですよ。これ」
 そう言ってジャンパーの中からその文庫サイズの本を取り出しダーマに示した。そうするとダーマは納得したようで手
と手を合わせた。レイニーは自分の言っていることが通じたことに安心する。
「ああ、昨日は暇だったから一気に読んだよ。あまり難しい本じゃないから機会があったら君も読んでみたらどうだい」
 そしてその後話をナターシャに対してのものに戻した。ダーマがいることを意識してその口調もいつものものより穏や
かになっていることにレイニーは気付いていない。
「どんな話!?」
 最初から興味を持っていたのだろう、待っていたかのようにどんな内容か聞いてきた。
「あたしも聞きたいです」
 更にはダーマもその話に食いつき、レイニーは話すしかないと諦めた。
話すと決めたので内容を思い出して頭の中で形にする。意外と細部まで覚えているものだと感心する。
「最後まで言っていいか?」
「いいからいいから」
「……じゃあ、まあ分かりやすくまとめてな」
 レイニーは頭の中で内容を整理し、それを話し始めた。

 時代は今よりもずっと未来。主人公マーズマンはいわゆるタコ型宇宙人の宇宙郵便配達員だ。毎日宇宙中を超光速
宇宙船で飛び回りながら郵便を配達してすごす、真面目なやつだ。
 ところがその真面目なマーズマンにある一通の手紙が渡されたんだ。まあマーズマン自身はそんなものがどうでも良
いからいつものように配達に出かけたわけなんだ。
「ねえ、それって電子メールとかそういうやつの方が早いんじゃない?」
 ああ、それはこいつの乗ってる宇宙船は光よりも早く飛べるからかえってこっちの方が早いんだ。それでその宇宙船
に乗ってるマーズマンはその手紙を受け取った日を機会に宇宙海賊に狙われるようになった。でもその手紙が原因だ
と知らないマーズマンは困惑しながら逃げ回ってなかなか郵便がはかどらない。
 だから宇宙警察の基地がある地球に寄ったんだけど……なんだったかな。そうそう、その宇宙警察のバーキンってや
つがその手紙を奪ってマーズマンを地球から追い払おうとした。でもマーズマンは宇宙郵便配達員のプライドをかけて
八本脚を駆使してその手紙を奪い返して地球から脱出したんだ。
 その時に聞いたんだけどなんでもその手紙は外宇宙からのもので、マーズマン達が住んでいる宇宙とコミュニケーシ
ョンをとろうとして出したものなんだそうだ。しかしそれが知れたら宇宙中がパニックになると考えた宇宙警察はそれを
消してしまおうと考えたわけだ。
「それだったら結局手紙じゃないほうが良いよね」
 いいだろ。あまり考えすぎると物語っていうのは楽しめないものなんだよ。
 それでマーズマンは早くこの手紙を渡そうと宇宙の中心にあって、宇宙で一番文明の進んだジーニアン星に届けよう
とするんだけどやっぱり宇宙海賊がそれの邪魔をするんだ。実は宇宙海賊は宇宙警察に雇われてたんだ。
 それでマーズマンは宇宙海賊に捕まってしまった。しかしその海賊のボスがマーズマンと同じ八本脚なのとマーズマン
の根性に見上げて協力することにしたんだ。
「都合良いね」
 そういうもんなんだよ。
 しかしそれが宇宙警察に知られてしまった。実は宇宙海賊の中にスパイがいてマーズマンを捕まえたり殺したりした
場合秘密を守るために海賊船を爆破するつもりだったんだ。
 それで海賊船は爆破されて助かったマーズマンと一部の海賊は一緒にジーニアン星に向かった。でも宇宙警察は追
撃の手を緩めなかった。更に次々と攻撃を繰り出して海賊たちはマーズマンを守ろうとして次々に沈んでいった。
 何とか攻撃を交わしながら遂にその距離は20万光年。超光速宇宙船なら30分の距離だ。ところが宇宙警察は最終
手段に出た。それは負子照射ビュービームというもので陽電子を超光速ビームに乗せて照射する凶悪なものだ。
「陽電子って?」
 ……たしか普通の原子とか分子とかとは性質が正反対で普通の原子とぶつかるとすごい熱反応が起こるとかそうい
うやつだったか? まあすごい威力の攻撃だな。
「あ〜、ごまかしてる」
 いいから聞け。
そのビームはマーズマンとジーニアン星とを直線的に発射されたんだ。だからマーズマンがそれを避けてもジーニア
ン星が滅んでしまう。遂に諦めた海賊たちが離脱していく中マーズマンは違った。宇宙服を着て外に飛び出したんだ。
 実はそのビームはなんにでも当たればその場で大爆発を起こすんだ。マーズマンはそれを知っていたから自分が盾
になって宇宙船はそのままジーニアン星に向けた。そして海賊たちが止めるのも聞かずにそのまま盾になった。
 それからすぐにその手紙はジーニアン星に届けられ、事実を知ったジーニアン人は宇宙警察を解散させて新しく宇宙
保安対を設立させた。その中にはあの海賊たちも混ざってた。マーズマンは宇宙の英雄としてジーニアン星で称えられ
た。
「はあ〜」
 なんだよ。
「なんかそういうのって嫌い。犠牲になって英雄なんて後味悪いよ」
 そう言うな。ちゃんと続きがある。
 それから数ヵ月後。ジーニアン星での郵便物を受け取った宇宙配達員が宇宙に再び飛び立った。彼は八本脚のタコ
型宇宙人。つまりマーズマンだった。

「へえ、生きてたんだ」
 なおも機嫌が悪そうにしているナターシャが別の意味で呆れているふうにそう言った。ありがち、そういう意味だろう
か。
「この辺りは詳しく書かれてないけどなんでも外宇宙人が助けてくれたそうだよ」
 レイニーはそれをなだめるように付け加えた。そして話し疲れたのか小さく溜息の後壁にもたれかかっていた体を椅
子に座らせた。結構長い間立っていたのか座って初めて足の痛みに気付いた。
「あたしそういうの大好きです」
 ダーマはナターシャはとはまったく反対の反応を示しそう言って拍手をした。彼女にとってはどんな話も好きに入るの
ではないかとレイニーは疑問に思った。
「だと思った」
 ナターシャもそれに笑いながら相打ちを打った。ダーマもそれにつられて笑う。元々笑っているような顔だがそれがよ
り一層楽しげに見えた。
「でもニコライよく覚えてたね、そんな長い話。よっぽど暇なの?」
 笑いながらナターシャは言う。冗談のつもりだろうがレイニーは笑えない。
「ああ、暇だ」
 しばらく間をおいてレイニーは皮肉を込めてそう言う。ただそれはナターシャにはわからなかったようで子供のように
笑っている。
「え〜、でもニコライさんて大学行ってらしたんじゃないんですかー?」
 また余計なことをとレイニーは溜息をつく。そしてそういえばそんなことを言ったかも知れないと後悔した。
 あの時、レイニーは医大を辞めるつもりは無かった。確かに当時はサブアリーナに所属していたこともあり連日のよう
には行くことは出来なかったが、それでも彼はレイヴンで「あり続ける」ことだけは考えていなかったのだ。
 なぜ彼がレイヴンに惹かれたかと言えば当事、例のアミューズメントマシンの影響に他ならない。若かったということ
だろうか。更には父親と兄が事故死したことによる経済的影響も拍車をかけ、彼をレイヴンとしてしまった。
 そして医大に関しては休学という形で自分の中でモラトリアムを設定し、もしサブアリーナを攻略しランカーになること
が出来たならそのままレイヴンとして再び医大に戻り、もし日の目を見ないようなら止めてしまえばいい。そう考えてい
た。しかし実際にはレイヴンを止めるのにも一定の条件が存在し、レイヴンとして得た企業通貨の半分を支払うことが
出来なければそれは適わない。それでもすぐに止めてしまう場合その支払わなければならない額も少ないであろうから
それは問題ではなかった。
 そこに母親の死、妹の自殺という出来事が起きた。
 あらゆる自分の行動理由を見失った彼はただ戦うことしか出来なくなった。ランカーとなっても医大に戻ることも出来
ずにそのまま逃げるようにして現在に至っている。その後、彼の存在がその医大でどう処理されているかは彼に知るす
べは無かった。
「ねえ、ニコライ……」
「しっ」
 何かを聞こうとするナターシャにレイニーはそう制した。子供にも分かるように口の前に人差し指を示す。すると何か
を子供ながら感じ取ったように彼女は何も言わずに首を縦に振った。
「今はもう仕事を見つけましたから」
 そのナターシャの好意を無駄にすることなくダーマにそう説明した。
「へえぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜……」
 長い納得の声と共にダーマは判別しにくいが納得したような顔をつくる。特に何を言おうとしている様子ではなかった
のでレイニーは少なからず安心した。もし彼女からの理解の難しい言葉で反応が返ってきたのなら彼にそれの対応を
する自信は無かった。
「さて」
 その掛け声とともにレイニーはいつのまにか話し込んでしまったと笑いの表情を見せながら席を立つ。
「帰るの?」
 その様子からナターシャはレイニーが帰るのだと知り声を掛けた。
「ああ」
 これからとりあえず図書館に行き、本を返すのだがそれでも暇であることには違い無い。これからどうしようかと思っ
ていると背中に大きな声を掛けられた。
「ニコライ! 本! 本!」
 ナターシャのその大声にレイニーは手に何も持っていない事に始めて気が付いた。さらにその後ろでナターシャをな
だめるダーマの声が聞こえる。
 レイニーは照れたような慣れない笑顔を浮かべながら再び病室の入り口をくぐった。



 図書館を出ると日はすでに空の頂点にまで昇り輝いていた。白い雲がコンクリートに灰色と黒のコントラストを作って
いた。
 火星はすでに春、といっても地球に比べれば時折雪が吹雪くあてにならない程度の春だがそれでも火星生まれのレ
イニーにとっては暖かいと感じさせるのには十分だった。
 それも地球とは違う感覚なのだろう。レイニーは思う。
 一日が僅かに長い火星。一年が本来の約半分に分割された火星。
 地球で生まれ育ったナターシャにとってはどうだかは分からないが彼にとってはそれが当たり前の環境だ。だからこ
そ彼女は地球に戻るべきだ。
 そして母も時々洩らしているのを聞いたことがある。
 地球に帰りたいと。
 マーズシンドロームの原因はその辺りにあるのではないかとレイニーは時々思うことがある。精神的な面も含めて火
星の環境に適応し切れていないということだろうか。ただ、そのことがあの症状にどのように繋がるのかはレイニーの
知識ではどうにも考えることは出来ない。
 ラッシュの後だからだろうか。交通状態はスムーズだった。地球では交通状態が完全にコントロール化されているた
め渋滞などは一切無いらしい。余程快適なのだろうか。最近ではアイザック以外の都市でも地上への復帰が始まって
いるらしいのだから環境の問題もクリアされてきたのだろう。
 信号が青に変わる。途中それを無視して反対車線から車が飛び出してきたがレイニーはそれをかわし、再び車を発
車させた。
 火星は一見平和だ。企業、LCC、レイヴン。微妙なパワーバランスがその小さな惑星を囲みその中央に存在する一
般火星民はその実態を知ることは少ない。
 しかしそれはまったく問題ではなかった。巨大なゆりかごさえあれば人は安心していられる。宇宙ステーションとは比
べものにならない安心感が人を救ってくれるだろう。人の命は星の中で飽和され淘汰される。その事実は隠された。
死、そのものは情報の洪水に流される。
 しかし確かに存在する。
 そこに彼は気付くことになった。家族の死から己をレイニーという殻で包み、第三者となることに終始していた彼は再
び死に触れることとなったのだ。
 戦うことで救えるのなら、いくらでも戦えるだろう。自分のためだけに戦うのはもう疲れた。
 だから彼はもうしばらくレイニーである必要があった。
 戦いに勝利し救うことができるまで。



 天井の照明が彼を上から照らしていた。
 レイヴン控え室。狭いようで広い部屋だ。しかし彼はこの場所に慣れていた。どことなく落ち着かない閉鎖空間にはデ
スクや椅子、テレビや端末、ベッドなども一応備え付けられている。つまり早い話レイニーの借りているアパートよりも上
等の部屋だ。
「なあ、母さん。俺、母さんたちは守れなかったけど……」
 レイニーはデスクの上で電気スタンドに照らされたしわくちゃの便せんを広げながら口を開いた。
「火星中の人を救えるかもしれない」
 便せんに書かれている文章は既に過去のものだ。
「その時は誉めてくれるかい。自慢の息子だって」
 しかし彼にとってそんなことはどうでも良かった。
 母に向けていたものと同じ微笑を浮かべながらその便せんを畳み、封筒に収める。

「そうか。だが信用できる話なのかそれは」
「信用は出来ませんよ。そういう立場の人間ですから」
「でも信じるしかない……か」
「僕は彼のおかげで確かにレイヴンになれましたし。彼自身命が掛かっているんだったら逃げるわけにもいかないでし
ょう」
「はは。それはそうだ」
「……」
「……」
「そうだ。君が尋ねて来てくれて良かった」
「なんですか?」
「これを、君にな。ゴミ箱に入れておくには勿体無さ過ぎる。やはり君が持っているべきだ」
「……すみません」
「……明後日だったか」
「はい」
「がんばってくれ」
「はい」

 封筒をハンガーに掛けてあるコートのポケットに入れていると控え室に取り付けられている電話端末が電子音を発し
た。レイニーはゆっくりとした足取りで歩みより受話器を手に取った。
『レイヴン、レイニーですか?』
 受話器の向こうから若い男の声が聞こえた。声からして随分と急いでいるように感じられる。
「どうした?」
 レイニーは何があったのかを聞いて男の言葉を促した。
『緊急の事態です。会場内、またはそこに繋がる通路に所属不明のMTが篭城を決め込んでいます』
 男の声は未だに何か急いでいるようだったがレイニーは半信半疑といった様子でそれを聞いていた。
 警備の万全な、それもレイヴンとACの溜まり場であるアリーナ会場にMT? 
『そこであなたにはそのMT部隊を殲滅して欲しいのです。勿論報酬は別に払わせていただきます』
 レイニーに断る理由は無かった。MTならばたいした戦力ではないだろうしここでMTを叩かなければ今日の試合が流
れてしまうかもしれない。確かに他のレイヴンに任せてもいいのだからその可能性は低いだろうが無いとは言い切れな
かった。
「分かった。引き受けよう。敵戦力は?」
 そこでレイニーは引き受けることにした。とは言えゴルーヴァはアリーナ専用のアセンブルが施されているACだ。MT
とは言え数で来られてはショットガンだけでは対応し切れない。
『サーベラスWが複数機、レイヴマスカー級が一機。サーベラスに関しては全体の数は把握し切れていませんがそれな
りの数は予想されます』
 サーベラスは完全な防衛用の量産型MTだ。カニのような機体全体を曲面装甲で覆い、AC用の兵器に対してもそれ
なりの間耐えることができる。さらに量産性も高く、数が揃えば殲滅は困難だ。反面武装はパルスレーザーのみと貧弱
だが防衛には十分の火力だ。
 それに対しレイヴマスカーは一機での高い戦闘能力を考え設計された人型凡庸MTだ。ACほどとはいかないが強固
なフレームを持ち、MTにとってポピュラーな複合チタン合金製の装甲が幾重にも重なったMT型多重多種層行型装甲
とでも言えるもので全身を包んでいる。
 右手にはパルスレーザーガン、左腕にはACの物と同出力のレーザーブレードを装備している。左肩には旧型のAC
用レーダーユニットまでを搭載しており、リーダー機としての機能を十分に備えている。量産は利かないがACに比べれ
ばはるかに効率の良い戦力と言える。
「分かった。右肩をパルスキャノンに換装してくれ。俺もすぐに向かう」
 そう言ってレイニーは受話器を置いた。そしてすぐにヘルメットを手に取り控え室を後にする。
 パルスキャノンは既に右肩に装備されている弾倉に比べると重量があるため装備した場合基準違反となる。その結
果脚部のフレームが劣化してしまうが数が多ければショットガンだけでは対抗し切れない。仕方の無い選択だ。
 レイニーが走ってガレージへ駆けつけた時には既にゴルーヴァの右肩からは弾倉が外されパルスキャノンの取り付
け作業が始まっていた。その作業がまだ行われている中レイニーはそのコックピットへ向かうリフトに乗りコンソールを
操作した。すると当然のようにリフトは動き始めゴルーヴァのコアから露出しているコックピットの前で止まった。停止の
振動の後レイニーはコックピットに半ば飛び込むようにして搭乗した。
 レイニーが操作するとコックピットがフレームに収められた。その後それを追うようにしてゴルーヴァの胸部装甲が元
の形に戻ろうと幾重にも重なり始めた。それが済んだのを確認した後レイニーはゴルーヴァのパワーを入れた。
 コックピット内が次第にオレンジ色に染まってゆく。計器が反応を示し始め、メインモニタには数字やメモリが踊り始め
た。
『……るか。応答しろ。聞こえてるかレイヴン』
 パワーが入りしばらくして回線がゴルーヴァに向けられている言葉を拾った。メカニックの男からのようだ。
「ああ、聞こえてる」
 レイニーはゴルーヴァに次々に伝えられる今の状況を手前のディスプレイで確認しながらその言葉に応えた。
『まだ、キャノンはついていない。ACは動かさないでくれよ』
「分かった。それと頼むがパルスキャノンも外せるようにしてくれ。多分邪魔になる」
 応えついでにレイニーは頼もうと思っていたことを伝えた。
『了解。ハーフロックにする。解除コードは使用データと一緒にダウンロードしてくれ。……おっと作業完了。ハンガーを
外すぜ。グットラック』
 その陽気な言葉と同時にゴルーヴァは新たな動きを見せた。コックピットに新たな計器が光り始め、声を発し始めた。
『システム、通常モード起動。背部ハンガー着脱確認。操作可能』
 そのコンピューターボイスの中、ゴルーヴァの目線は一気に高くなった。膝をついていたゴルーヴァが直立したのだ。
目線の先でその様子を眺めて大口を開けている整備士を確認できる。
『EWG−GSHD確認。システムデータインストール開始。ZEA−99/MERROR確認。システムデータインストール開
始。BRLT−B10000確認。システムデータインストール開始。EWC−XP0808確認。システムデータインストール開
始。送付データダウンロード開始。ZEX−RS/HOUND確認。システムデータインストール開始』
 手前のディスプレイにその状況を伝える映像が映る。立体コンピューターグラフィックで組み上げられたゴルーヴァと
装備されている武装のデータ立ち上げ状況が数字で表されていた。十数桁もの数字が次第に0に近づく中レイニーは
ゴルーヴァを歩かせた。
 右ディスプレイに目的地への道筋や、目的地の立体映像が映された。レイニーはそれに従いゴルーヴァを向かわせ
る。
 ガレージの中は歩き出したゴルーヴァを避けようと必死になっている整備士でひしめいている。中には逃げ遅れ口を
上げながらゴルーヴァの足の下を潜っている者もいた。もちろんレイニーは彼らを踏まないようにメインモニタを睨みな
がら足元を微調整している。
『EWG−GSHDセットアップ完了。ZEA−99/MERRORセットアップ完了。BRLT−B10000セットアップ完了。E
WC−XP0808セットアップ完了。ZEX−RS/HOUNDセットアップ完了。最適化開始。最適化完了』
 いくつものゲートを通り抜けながら目的の通路の前に到着した。すでにその機能を発揮しているレーダーがその先に
存在する大型の反応を捉えている。
 レイニーはヘルメットをかぶり、バイザーを下げる。そしてコンソールを叩きディスプレイに浮かんでいる文字を叩い
た。
『システム、戦闘モード起動』
 そのコンピューターボイスと同時にゴルーヴァは右腕を持ち上げ、コックピットのメインモニタにはロックオンマーカー
が浮かぶ。
 レイニーはパルスキャノンの発射体勢をゴルーヴァに取らせる。ゴルーヴァの目線はそれに合わせて低くなりその先
に新たなロックオンマーカーが現れる。そしてそのままの状態でゲートを開かせた。
 左右に開くゲート、その中央に通路をうろうろとしているサーベラスがこちらに気付いたのかパルスレーザーの砲身を
ゴルーヴァに向けた。
 しかしゴルーヴァのパルスキャノンはそれよりも先に光を放った。
 赤く光を残すパルスレーザーはサーベラスの装甲を焼きつくした。複合チタン合金の装甲を貫いても止まることの無
いエネルギーは更にその内部機構を溶解させ爆発を起こした。
 サーベラスの曲面装甲は物理的な実弾兵器に対して高い防御能力を持つが、熱エネルギーによる攻撃に対しては
通常の装甲と変わらない。
 レイニーはその一機の破壊を確認した後ロックオンマーカーに従い更にその奥に存在するサーベラスに照準をあわ
せ、再びトリガーを引いた。照射されたレーザーの一部は爆発したサーベラスから昇る黒煙にその熱を奪われたが残
りはそのまま遠方のサーベラスに命中、再び爆発を起こした。その調子で直線上に存在するサーベラスを次々と破壊
する。時折サーベラスからパルスレーザーが照射されたが強化されたシールドに守られたゴルーヴァにダメージを与え
るには足りなかった。
 FCSが反応を示さなくなり、ショートレンジに固定してあるレーダーにもMTによるものと思われる反応が無くなったの
を確認し、レイニーはゴルーヴァを直立させた。そしてレーダーの有効範囲をオートに戻しブースターを使い通路を疾走
させる。ロングレンジとなったレーダーには赤い点が線を作っていた。レイニーはゴルーヴァにその方向へ向かわせ
た。
 通路を移動していると所々に設置されたカメラがその動きを追った。レイニーもレーダーの感度が高くなっていたこと
もありそのことに気付いた。
「そういう事か」
 レイニーはそれだけで納得した。先程から感づいていなかったわけではないがこれで確信に変わったのだ。
『余興だな』
 不意に回線からそう、ノイズ混じりの声が流れてきた。その声には聞き覚えがある。ナインブレイカー、アレス。彼の
声だった。
「あんたの方もか?」
 その声に対しレイニーはそのままの周波数でゴルーヴァの操縦を続けながら応えた。再びゴルーヴァにキャノンを構
えさせ、ゲートに命令を下した。情報を受信したゲートが重々しく開き始める。
『今ごろ無垢な観衆は我らのこの様子を見て口々に好きなことを言い、己の知りうる限りの言葉で表現するのだろう。
笑えん。くだらんことだ』
 そのアレスはレイニーの質問には答えず、代わりに自らの思っていることを正直に言っているようだった。その言葉
の内容とは裏腹にその声は平静そのものだ。
『しかし私にとって重要なのはそんなくだらないことではない。ただ、お前と戦うために私はそこへ向かっている。待って
いろ、そして待っている。もはや老い死ぬことの無い私に恐怖を感じさせてみろ』
 その言葉を最後の通信は一方的に切れた。場所も周波数も分からない相手に通信を入れるというのはやはりプラス
ならではといったところなのだろうか。レイニーにそれをうかがい知ることは出来ない。
 しかしロックオンマーカーに従いトリガーを引きながらレイニーは笑みを見せていた。最初にアレスの声を聞いたあの
時と同じ笑みだ。次々に爆発してゆくサーベラスなどは既に思考の外に存在していた。
 強い者と戦えることによる喜び。
 己という有限をもうひとつの有限との対峙により、より大きくすることのできる喜び。
 それはレイニーの憧れたアリーナという場所であった。そして今レイニーは初めてそれを確かに感じていた。そして感
謝する。アレスという間違いなく最強である存在に。
 青白い閃光がゴルーヴァのシールドに弾かれた。それは今までの赤いパルスレーザーとは違う、より高出力のパル
スレーザーであることを表していた。おそらくはレイヴマスカーによる攻撃だ。距離があり、サーベラスの吐き出す黒煙
によりその姿を確認することは出来ないがレイニーはそれでもFCSの指示に従いトリガーを引き続けた。シールドと併
用していることもありコンデンサ容量も次第に心許せなくなってきた。
 黒煙の壁を貫き装甲のところどころが赤く溶解したレイヴマスカーがよろよろと姿をあらわした。パルスレーザーガン
を待っていたはずの右腕は肘部分から無くなっており仕方なく白兵戦を挑んできたのだろう。その単純な状況判断能力
は遠隔操作によるものに違いない。微妙な距離感がつかめないため現実感を待たずに操縦することになり、それが判
断を鈍らせるのだ。
 レイヴマスカーが左腕を振り上げる。その左腕に設置されたレーザー発生装置から赤い光がブレードを形成し強力な
熱量を持ってゴルーヴァを焼き切らんとする。
 しかしそれよりもレイニーの判断とゴルーヴァの動きは早かった。一気に曲げられていた膝を伸ばし距離を稼ぎ、右
手に持ったショットガンの銃身をレイヴマスカーの溶解し脆くなった脇腹に押し付けたのだ。
 レイニーは何の躊躇も無くトリガーを引く。吐き出された散弾はすでに強度を失っていたに等しい装甲を貫き、内部機
構を滅茶苦茶に破壊した。動くことも不可能となったレイヴマスカーはその左腕を振り上げた状態のまま沈黙し、ゆっく
りと倒れた。
 それを確認した後レイニーはレーダーに目を通す、既に近くには戦えそうなものは無い。ただ、遠くに大型の反応が
あった。同高度に存在するそれはまったく動こうとしない。まるでゴルーヴァを待っているようだった。そして実際ゴルー
ヴァを待っているのだろう。
 レイニーはゴルーヴァを歩かせる。それと同時に機体の状態をチェックする。既に右肩のパルスキャノンの予想使用
限界回数は10回を切っている。レイニーはコンソールを操作し、ロードされていた解除コードを入力する。するとゴルー
ヴァの右肩からパルスキャノンが外れ、通路に散らばっているチタン装甲の上に落ちた。金属音が通路に響く。
『EWC−XP0808破棄確認。必要OS削除開始。削除終了。最適化開始。最適化完了』
 無機質なコンピューターボイスも既に耳には入っていない。次第に高まる高揚感を抑えながら最後のゲートへとひた
すらゴルーヴァを向かわせる。いつもよりもそのゲートは大きく感じられた。
『ウェイトバランス最適化完了』
 ゲートのすぐ横にある端末にゴルーヴァの手を当てる。元々ロックなどされていないためそのゲートはすぐに開いた。
その先には広く、それと同時に狭くも感じられる閉鎖空間が存在した。
透明の外壁で覆われたドームで、外壁からは地上の町並みが見える。この外壁は透明だがシールドを張られており、
レーザーも通すことは無い。単純に物理的な衝撃にもかなりの抵抗力を見せ、緊急時には避難区域にも指定されてい
るほどだ。シールドを張られているのだがまったくそのレーザーが確認できないのはそのエネルギーが殆ど無駄になっ
ていない証拠である。
そのドームの天井からは大型の照明がひとつだけ、内部を照らしていた。その明りはドームにとっては太陽のようなも
のだ。
 そしてその太陽に照らされている赤いACプロビデンスは直立し微動だにしない。大きな影を作りながらゴルーヴァを
待っていたのだ。
  肩装甲部分はレーザーによって所々黒く変色しているが致命的なダメージというわけではない。実際脚部は無傷だ
った。基準違反機体であるプロビデンスは脚部へのダメージこそ致命傷に繋がる。アレスは当然だがそれを理解し、そ
れを防いでいたのだろう。
 レイニーはゴルーヴァをドームの中へと歩ませる。急ぐことはない。
『もう分かっているとは思いますが説明は必要でしょうか』
 不意にその通信が入る。レイニーは水を差されたような不快感を感じ回線を閉じた。そして再び目線を目の前のプロ
ビデンスに向ける。
 圧倒的な存在感。圧倒的な威圧感。ただの無機質の塊に過ぎないはずの赤いACからそれが伝わってくる。そしてレ
イニーも心を更地のようにしてそれを受け流していた。
 待ち遠しかった。前の戦闘の時とは違う、新たな心境でレイニーはこの瞬間を迎えていた。
 READY? 
 その文字が画面に浮かぶ。
 レイニーはその顔から笑みを消し、今この瞬間に集中する。



 いつの間にかそこには小さな人盛りができていた。数人ほどの人間が大きいとは言えないブラウン管テレビにその視
線をくぎ付けにされていたのだ。
『遂にこの時がきましたね〜。アクシデントがあったようですがそれをものともせずに両雄ここに揃い踏みました』
 その実況に首を頷かせる少女の姿が合った。人盛りができていることなど気にしてはいない。彼女こそ目の前のテレ
ビの中で繰り広げられようとしていることに最も集中し期待している人物なのだ。
「レイニーは勝てるかなあ」
 その少女は独り言のようにそう呟いた。心配そうな表情を白い顔に浮かべている。
「勝つさ」
 その隣にいた白衣を着た男がその言葉を肯定した。心配そうな少女とは対照的にその顔には自信が見える。
「君だって信じてるんだろ? 勝つよ、絶対にね」



 GO! 
 その文字と同時に両機はブースターを使いお互いに距離を詰め始めた。その機動力はほぼ同等。パルスキャノンを
外した分ゴルーヴァの方がやや機敏といったところだ。
 火器の射程距離が長いプロビデンスが先にミサイルによる先制攻撃を放った。連動ミサイルもそれに同調し横並び
に8基ものミサイルが群れを成してゴルーヴァに立ちはだかる。
 ゴルーヴァの迎撃ミサイルランチャーはそれに反応し迎撃用のミサイルを発射させた。ミサイルの爆発が空間に形の
無い壁を作る。
 視界の効かない状態になったがレイニーは冷静にレーダーに目を通した。見ればゆっくりとこちらの出方を観察して
いるように見える。ゴルーヴァはショットガンの銃身を黒煙の壁に向けてその先に存在するはずのプロビデンスに発射
する。飛び散る散弾が黒煙を撒き散らし穴を開けた。しかしその穴の先にはプロビデンスの姿は見られない。
 再びレーダーに目を通す。上ー! 
 ゴルーヴァの視線を上に向けるとそこには黒煙を突っ切り右肩のレーザーキャノンをゴルーヴァに向けている赤いA
C、プロビデンスの姿が見えた。
 レイニーはゴルーヴァをブーストダッシュさせ、プロビデンスの下をくぐらせた。その数瞬間後ゴルーヴァのいた場所
は光の渦に巻き込まれていた。
 そのままゴルーヴァを反転させ、ロックを待たずして振り向き様の攻撃を加える。しかしそれはすでにオーバードブー
ストによる急加速を開始していたアレスに命中することは無かった。
 レイニーもそれを追うためにゴルーヴァのオーバードブースターを咆哮させる。スーパーチャージャーから吐き出され
た圧縮空気による急加速がゴルーヴァを一気にプロビデンスに接近させる。しかしそれを察したアレスはプロビデンス
を脚部のブースターにより強制的に減速させ、コア背部のブースターを使い空中で機体を反転させるとKARASAWA
の銃身をゴルーヴァに向けるとそのまま連射した。
 その動きに虚を突かれた形となったレイニーは初弾のレーザーを左脚に食らい、体勢を崩す。しかしその後続くレー
ザーは慣性を働かせたまま左右に回避し、反撃のショットガンを発射する。
 それをアレスはプロビデンスに空中でブーストジャンプさせることで回避し、そのまま接近しようとするゴルーヴァに対
してMOONLIGHTの閃光を浴びせかけようと左手を大きく振りかぶる。
 しかしゴルーヴァはそれよりも早く左腕を持ち上げ、プロビデンスの左腕を押さえつけた。重金属と重金属が勢い良く
ぶつかる音が衝撃波のように辺りに響く。
 MOONLIGHTは他のレーザー兵器と比べても圧倒的な威力を持っている。ゴルーヴァの装甲とシールドを持ってし
ても防ぎきれるか保証は出来ない。そのためレイニーはゴルーヴァにその左腕そのものの動きを止めさせることによっ
てそれを回避したのだ。そしてそのままショットガンの銃身をプロビデンスのフレーム劣化している左脚に向け、トリガー
を引く。
 しかしプロビデンスはそれよりも先に勢い良く左脚を持ち上げた。その左脚の膝アーマーが銃身を蹴り上げる形とな
りその銃身から吐き出された散弾はプロビデンスの左肩アーマーに命中した。軽量腕に属するその腕部もアーマー部
分は強固に出来ているため大きなダメージではないだろう。そのままブースターの出力も全開にして左腕を振り抜く。押
し切られた形になったゴルーヴァは空中で大きく体勢を崩し、地上に向かい断続的にブースターを吹かしながら体勢を
立て直す。MOONLIGHTの閃光がその上を薙いだ。
 追撃を加えるようにいまだ体勢的有利を保っているアレスは空中から下降しているゴルーヴァにKARASAWAを連
射させる。
 コンデンサ容量の残り少なくなっているゴルーヴァはそれをブースターを使った大きな動きで回避することはできな
い。申し訳程度に機体を左右に振ることぐらいしか出来ず、レーザーを連続で肩部や頭部で受けてしまった。しかし重
装甲がそのダメージを軽減している。
 衝撃を殺しながらゴルーヴァは着地する。そして次第に回復する容量を確認しながらレイニーは対空のショットガンを
発射させる。この体勢からなら必然的にその弾丸はプロビデンスの脚部を捉えることとなり、大きなダメージを与えるこ
とができるはずだ。
 しかし再びオーバードブーストにより距離を離され、命中はしない。更にプロビデンスはその慣性を利用し移動しなが
らミサイルを連射した。近づくことさえままならないレイニーは回避に専念する。
 ミサイルの雨を迎撃ミサイルが出迎えるが全てを迎撃することはまれだ。迎撃し損ねたミサイルをレイニーはゴルー
ヴァに回避させる。しかし迎撃ミサイルの残弾が底を着き、抜け出したミサイルが横並びにゴルーヴァに向かう。それを
横に高速移動させることでかわそうとするが横並びのミサイル全てを回避するには遅く、回避不可能と判断したミサイ
ルはシールドで防御する。ダメージは小さいがポイントは確かにマイナスされた。目標に命中することの無かったミサイ
ルは再びゴルーヴァへ向かおうとその周りを回り続けるが推進力を失い自爆する。
 レイニーはとりあえず攻撃が止んだところで残弾の無くなったエクステンションの迎撃ミサイルランチャーを破棄する。
『ZEX−RS/HOUND破棄確認。必要OS削除開始。削除完了。最適化開始。最適化完了。ウェイトバランス最適化
完了』
 コンピュータボイスが今の破棄に関する状況を冷静に告げる。左右同時に同重量のものが無くなったからだろうか、
ウェイトバランスの回復も早かった。
 プロビデンスは残弾の無くなったミサイルランチャーとエクステンションの連動ミサイルランチャーを破棄しながらゴル
ーヴァに接近してくる。中間距離に入ってもKARASAWAを発射しようとしないのはやはり無駄弾を嫌ってだろうか。油
断も隙も見当たらない。しかしゴルーヴァの得意とする距離で無い以上動きを見せなければならないのはレイニーだ。
ブースターで左右に緩急をつけながら接近する。
 先制攻撃はやはりプロビデンスのレーザーキャノンによる高威力射撃だ。KARASAWAよりも消費するエネルギー
は大きいがより威力が高く、射程が長い。なによりレーザーそのものの出力が高く、レーザーの密度が高いためその
破壊規模が大きいのだ。
 複合合金の地面に着弾するたびに熱を上げて爆発を起こす。ゴルーヴァの装甲にその破片が叩きつけられるがダメ
ージは無い。
 ある程度距離が詰まり、レイニーはゴルーヴァをジャンプさせる。上空からの散弾は目標に対し四方を遮られる事が
無いのである程度距離が開いても安定した命中率と威力が得られるのだ。
 アレスもそのことを熟知していた。ゴルーヴァに対して対空のKARASAWAを見舞う。ある程度の反撃を予想してい
たレイニーはそれを機体を左に傾けることにより回避する。しかしそれさえもアレスの思惑通りの動きであった。ゴルー
ヴァに真上を取られてしまう前にプロビデンスを小さく上昇させ、その状態のままMOONLIGHTで切りつけるべくブース
ターを吹かす。
 ブレードとブースターは共に動力源がジェネレーターであり、それを通して直結していると言える関係にある。手や、肩
に装備するエネルギー兵器はそれ自体がACからのエネルギーを受けることによりレーザーや、プラズマを形成するの
に対し、レーザーブレード発生装置はジェネレーターからのエネルギーを直接出力に変えブレードを形成する。使用回
数に基本的に限界が無いのもこのためである。そしてブースターも出力を直接推進力に変えるものだ。
 そしてACはブレードを振る時、FCSの働きによりある程度敵機を追尾するのだ。この時ブースターも自動的に作動
するのだがブレードの余剰出力がこの時ブースターにも流れるのである。ブースターの出力は強化され通常の二倍近
い推進力を発揮し、高速で敵を追尾するのだ。
 また逆にブースター使用時にブレードを発生させる場合にも同じ現象が発生する。ブースターの余剰出力がブレード
の出力を強化する。これにより空中からの斬撃は一撃必殺の威力を持つことになるのだ。無論それは対空に関しても
同様である。
 それがゴルーヴァに対して狙い澄ました一撃となって振るわれた。しかしレイニーとて何も考えずにその誘いに乗った
わけではない。
 通常ACはブレードを振った後ほんの数瞬間だが正常な機動が不可能となる。それはブレードの出力が通常の兵器
に比べ圧倒的に高くそれを抑えるための言わば姿勢制御の状態となるのだ。更にブレードはジェネレーターと直結して
いるためエネルギーを一度に大量放出するとその分AC自体の反応速度が遅くなる。レイニーはその瞬間を狙いわざ
とアレスがMOONLIGHTを振る状況を作り出したのだ。
 プロビデンスがMOONLIGHTを振るう。
 ゴルーヴァはそれを回避しようとブースターの出力を全開にして後退する。更に回避しきれない場合に備えシールドを
構えた。
 圧倒的な熱を持つ閃光が真一文字にゴルーヴァを舐めた。シールド越しでも圧倒的な熱エネルギーが装甲を焼き、
ゴルーヴァは空中で大きく後退する。しかしシールドのおかげでそれも動きに影響のあるほどでは無い。
 レイニーはゴルーヴァに目の前で動きを姿勢制御のためのブーストを行っているプロビデンスにショットガンを向けさ
せ、連射させた。
 発射された散弾がプロビデンスの頭部を捉えた。そして大きく体勢を崩すプロビデンスに再び散弾が捉える。しかし攻
撃に集中していたレイニーはゴルーヴァが光に包まれるまでプロビデンスの様子に気付かなかった。
 被弾の衝撃により大きく仰け反り、ほぼ仰向け状態となっているプロビデンスはレーザーキャノンの砲身をゴルーヴァ
の頭部に向けて発射、更にその反動を利用し回転、そのまま足から着地する。
 それに対しゴルーヴァは頭部にレーザーの直撃を受け、バランスを崩した。しかしゴルーヴァの頭部、EHD−DOME
はエネルギー兵器に対する防御能力が飛びぬけて高く、装甲が何枚か溶解したがそれでもまだ攻撃を耐えることが出
来そうだ。
 それでもアレスの狙いが違うところにあった事を知るのに時間は掛からなかった。
 光学カメラが焼け付き、白一色のまま変化を見せようとしない。レイニーは焦りながらもレーダーでプロビデンスの動
きを確認しながら距離を離す。そしてカメラをコアに内蔵されたものに切り替えようとした時再びゴルーヴァを衝撃が襲
った。それと同時にレーダーにノイズが走り画面と共に消滅する。
 そして切り替えられたカメラが捉えたのは宙を舞う、レーダーブレードだった。
 的確な射撃。まさしくそれそのものだった。ゴルーヴァの目が潰されていた事もあるのだろうが、ブースト移動をしてい
るACのそれも殆どをシールドで守られているゴルーヴァのレーダーを、それを避けて撃ち抜いたのだ。
『BRLT−B10000破損』
 そのコンピューターボイスよりも先にレイニーはゴルーヴァにレーダー破棄の命令を下していた。既に破損しているレ
ーダーユニットがアタッチメント部分から外れ落ちる。
 コアに搭載されているカメラは頭部のものより圧倒的に画質は落ちるがそれでも使えないよりはマシだ。そして画質
の悪い分をディスプレイのマップ画面を表示させることにより補う。
 武装が次々に破棄される度に当然ゴルーヴァは身軽になっていった。その機動力を活かしレーザーキャノンによる牽
制をいなしながらプロビデンスに接近を試みる。
 近距離までの接近に成功しシールドを展開しながらショットガンでの牽制を行う。正面からの射撃がかわされる事は
承知している。しかし散弾は円形に広がるためそれを回避しようとする動きはある程度予想できる。ブーストによる左
右、後方への移動、ジャンプによる上へ移動。どちらへ転んでも対応できるようにスーパーチャージャーを開かせた状
態にしており、シールドも展開中だ。
 しかしプロビデンスの動きはそれを上回った。既に耐久限界に達したレーザーキャノンを破棄し、身軽になった状態
からMOONLIGHTをゴルーヴァに向けて振るったのだ。既に放たれていた散弾はアレスの装甲を叩いたがそれでも
その動きは止まらない。閃光はシールド越しにゴルーヴァの装甲を焼きつくした。更にはそのシールド発生装置さえ出
力許容の限界を超えオーバーフローを起こし火花を吐き出しながら沈黙した。
 しかしそれでもシールドの影響でその威力は軽減されゴルーヴァはプロビデンスよりも先に動きだした。すでにマニピ
ュレーター部分が原型を留めていない左腕をアレスの右腕に絡みつかせ、ショットガンの銃身をプロビデンスに向け、
発射させた。
 散弾が至近距離でプロビデンスのコアを捉えた。それに伴い基準違反機体であるプロビデンスは両脚から火花を散
らした。それでも止めずにショットガンを連射させる。
 両脚が限界に近づきつつあるプロビデンスは左手を振り上げショットガンを叩き上げた。散弾が空を撃ち抜く。更にそ
のまま振り下ろされたそれは閃光を伴いゴルーヴァの左腕を肘から切り落とす。
 しかしレイニーはそれにより開いた間隔にゴルーヴァのショットガンの銃身を割り込ませ、それをプロビデンスの右肩
アタッチメントに向け、発射。爆発の後右腕がKARASAWAとともに地に落ちる。更に大きくバランスを失ったプロビデ
ンスの頭部を狙い、発射。一発、二発。遂に装甲を貫いた弾丸がその頭部の内部機構を破壊、吹き飛ばした。
 これによりレイニーは勝利を確信した。機体のバランス、システムを司る頭部が無くてはACとて無力だ。もちろんAC
の中枢たるコアにもその機能は存在するが頭部の補助が無くては無いも同然だ。しかしそれは通常仕方の無い油断
だった。しかし甘いという表現も当てはまる。
 プロビデンスに乗るナインブレイカー、アレスはプラス、それも非常に稀なレベル5プラスなのだ。
 アレスは己のプラスとしての能力を最大に発揮しACのシステム、バランス全てをコントロール、倒れかけていたプロビ
デンスをブースターを使い立て直し、MOONLIGHTを振るわせた。両脚の関節からは火花が花火のように絶え間無く
噴き出し、フレームが変形していることを示している。
 油断し、反応の遅れたレイニーはそれでもゴルーヴァのブースターを全開で吹かし後退させる。しかしそれさえも甘か
った。
 アレスはプラスとして最大にして究極の力を発動させる。プロビデンスのコンピューターシステムを己の思考で目まぐ
るしく操作し、遂にはブレードを形成するはずだったレーザーの性質をも変形させ、熱と衝撃波を伴う光の波、光波とし
て撃ち出したのだ。
 その光波はゴルーヴァの左胸を捉え、圧倒的な熱エネルギー、運動エネルギーが装甲を蒸発させ、吹き飛ばす。幾
重にも重なった装甲板が次々に吹き飛び、赤い鉄屑に変わったそれは辺りに飛び散った。更にはアタッチメントポイン
トが爆発を起こし、既に命令を受け付けない左腕の接続部分が吐き出されるようにして吹き飛んだ。それだけでは止む
ことはなくあまりにも強い熱を受けたためコア背部に取り付けられているブースターが炎を噴き出したのを最後に沈
黙、開いた状態になっていたスーパーチャージャーからは火が噴き出した。コックピット内の計器が衝撃で変形し割れ
た透明のプラスチック片がパイロットスーツに守られたレイニーに突き刺さる。
 この一撃がアリーナとしてどのように処理されるかは分からない。ゴルーヴァもコンピューターボイスを使いレイニーに
己の存在が限界であることを知らせ、アラームを鳴らし彼自身の生存さえも危険であることを告げていた。
 しかしレイニーは耳を貸さない。ただ両手、両脚を使いゴルーヴァに命ずる。
 戦え。
 ゴルーヴァの両脚のブースターが咆哮し、コア背部のブースターが使えないため前のめりになりながらもプロビデンス
に突進する。ショットガンの銃身をプロビデンスに向けるも既にFCSもまともな作業を行うことは出来なくなっていた。し
かしレイニーはそれに構うことなくトリガーを引く。
 吐き出され、飛び散った散弾がアレスの腹部から両脚にかけて命中した。それにより遂に限界に達した両脚のフレー
ムが粉砕し、内部機構を傷つけた。両脚がノズルからの異常とも言える出力を支えきれずにブースターごと爆発を起こ
した。プロビデンスの両脚はそれと共に膝部分から千切れ、しかしコア背部のブースター、オーバードブースターさえも
全開にしてバランスを立て直し、余量出力すべてをMOONLIGHTにまわし決着をつけるべく再び振りかぶる。
 レイニーもそれを回避するためにゴルーヴァを上昇させる。ショットガンの次弾装填には間に合わないと判断し、先程
の光波からその攻撃は直線的なものだと仮定した上での行動だ。これさえ回避すれば次の攻撃にはかなりの時間を
要するはず、そこにショットガンを撃ち込めば勝てる。
 光波が放たれた。残光を残しながらゴルーヴァに向かう。
 レイニーは機体を持ち上げようと必死だがコア背部のブースターが破損し出力が足りない。機体を十分に持ち上げる
ことが出来なかったのだ。
 光がゴルーヴァの脚を捉えた。圧倒的エネルギーで原子が一瞬にしてプラズマ化、爆発を起こし、上半身だけとなっ
たゴルーヴァはただの鉄屑のように宙を舞った。
 これで終わりか……。
 レイニーは上下左右に変化する重力の中諦めの笑みを浮かべた。一瞬の出来事のはずなのだが今のレイニーにと
っては永遠とも思える時間だった。
 今のゴルーヴァに推進力は無く、姿勢を制御するパワーも無い。もう勝機は……。
 しかし次の瞬間ゴルーヴァの目が捉え、メインモニタに映し出され、レイニーが見た光景は次の瞬間反射的に彼に操
縦桿を握らせ、トリガーを引かせた。
 偶然にも空中を舞っていたゴルーヴァの上半身はプロビデンスの真上に位置しており、偶然にもその視線はプロビデ
ンスに向けられていたのだ。
 真上から発射された散弾はプロビデンスのスーパーチャージャーを捉え、それによって起きた爆発がプロビデンスを
地面へ叩き落した。
 全出力を先程の光波に使用していたプロビデンスは……。
 残された両腿を使い、這うようにして動き出した。更にその左腕のMOONLIGHTからは僅かながら光を発している。
それはプロビデンスの発する光ではない。アレスの発する光だ。既に限界を超えているプロビデンスをプラスの力で強
制的に動かしている。そう解釈するしか無い。
 宙を仰いでいたゴルーヴァも遂に地面に墜落し、強烈な衝撃がレイニーの全身を叩く。しかしまだ戦いが終わってい
ないことが彼に安堵の呼吸をさせない。
 逆さに墜落したのかそこから見える光景は上下が逆になっていた。レイニーは方向感覚を失いかけていたが重力に
よりそれを自覚する。目の前の這いながら近づいてくる存在を睨みつけた。
 そしてショットガンを向ける。ゴルーヴァは意外なほどスムーズにその腕をレイニーの命令通りに動かし、そしてしっか
りとショットガンの狙いを定めたのだ。後は待つのみだ。有効射程距離にプロビデンスが入るのを。
 しかしレイニーは目を疑った。
 そのプロビデンスの左腕から発せられた光が次第に強くなる。青白い閃光が次第に陽炎のようにその周りで集合し
始め、それは明らかにブレードを形成しようとする動きではなかった。
 信じられない光景だがそれは現実だ。再び「アレ」が来る前にレイニーはゴルーヴァにショットガンを発射させる。しか
しプロビデンスの体高が低くなっており、距離がある程度開いていたため散らばった散弾は無情にもその上を通り過ぎ
ていった。
 その光はますます強くなる。そしてそれはドーム全体を照らすほどにまでなり、遂に放たれた。
 幻想的な美しさを持つ光の波がドーム天井に向かってゆく。そしてそれはゴルーヴァのものを圧倒的に上回る運動エ
ネルギー干渉フィールドが張られているはずの外壁を破壊し、その破片がドーム内へ降り注いだ。
 もはやプロビデンスが彼の力に耐えられなかったのだろう。その出力に耐え切れずプロビデンスは地面を転がってい
た。左腕は赤く光を放ち、溶岩のように液化した鉄が辺りに飛び散る。そして仰向けになって今度こそ沈黙した。
 勝ったのかどうかの判断をしかねたレイニーはとりあえずこの状態を何とかしようとゴルーヴァの右腕をばたつかせ
るがまったく動こうとする様子は無い。ただアラームがうるさく鳴り響き、動かそうとするたびに金属が軋む音が鳴り響く
のだ。戦闘中は気にならなかったのだが今落ち着いてみれば目覚し時計のアラームと同様に気になる電子音だ。レイ
ニーはコンソールを操作しそのアラームを止める。
 それと同時に画面にWINの文字が浮かんだ。上下が逆になった光景に浮かぶその文字はどうにも不自然に感じら
れた。しかしこれで終わったのだと自分を納得させた。
 AC同士の戦闘らしくなかったかもしれない。勝利したという気がしない。どちらかと言えばミッションの終了を迎えたと
きに似ている。しかしそれもどうでも良い。
 レイニーはシートベルトを外し身体の上下を元に戻すと回収班が来るまでゆっくり休むことにした。ヘルメットを脱ぎ、
目を瞑る。するとすぐに彼は穏やかな寝息を吐き始めた。




 溶解し開かなくなっていたコックピットフレームからレイニーが救出されたのはその戦いが終わって30分後のことだっ
た。もともと強固でなくてはならないコックピットフレームがそう簡単に破られてはならないのだが、今この状況ではそれ
は大きな障害でしかなかった。
 作業員の助けを借り、レイニーが外に出たとき彼を出迎えたのは大きすぎるほどの歓声だった。すっかり眠気も覚
め、しかし彼は何も言えずにそこに立ちすくむ。歓声は止まない。
 レイニーはその中を抜けて控え室に戻ろうとするが握手やサインを求められ、アレスのファンであるらしい人物が彼を
罵倒した。
 ここにいる全員が整備士やメカニックなのだろうか。日頃に比べ数倍もの人間がここへひしめいている。広いガレー
ジにいる人間をここへ集めればこれほどの密度になるのだろうか。
 レイニーはその中をなんとか抜け出し控え室へ続いている通路にまで辿り着いた。振り向けば再び追われそうな気が
したので小走りでそのまま控え室へ入り込んだ。
 そこだけはいつもと同じ様子で安心した。静かで要らないものが無い。デスクにヘルメットを置き、そしていつものよう
にソファーに横になる。背中が変形しそうなほどに硬くなっていたがソファーのやわらかさがそれを受けとめた。天井の
明かりもいつものように眩しい。
 この場所は眠気を誘うが変に眠ることは出来ない。それはレイニーがレイヴンとしてアリーナで戦い始めずっと続いて
いたことだった。しかしそれでも彼は戦いの後はしばらくこうしていた。理由などは無い。習慣だと言えばその程度のも
のだ。
 不意に頭の中で老人の存在とその言葉が映像と音となって再生された。
 ソファーから起き上がりハンガーに掛かっているコートの中から携帯ナーヴを取り出し今回のファイトマネーが振り込
まれているかどうかを調べた。パスワードを入力しナーヴスネットワークに接続する。
 メールが届いている。おそらくはマネージャーからのものだ。レイニーはそれを無視しクレジット項目の部分にカーソ
ルを合わせて親指でボタンを押した。するとポーンと心地よい電子音がなり、液晶画面に表示された数字の列の上に
報酬が振り込まれたことを示すメッセージが浮かび上がった。さすがはコンコード。手はずが早い。
 コートの中から財布を取り出し、財布の中に入っている黒いカードを取り出しそれがあることを確認する。そしてそれ
は確かにあった。
 その後メールにざっと目を通した後コートに手を伸ばす。が、それを止めロッカーの中の普段着に手を掛けた。



 あの戦いから一晩、日付が変わりレイニーは新たな朝を迎えていた。
 前日の戦いの情報を新聞やテレビなどで得ることには、どうやら最終的にアレスの武装がすべて使用不可能になっ
たことによって勝敗が決したらしい。ポイント的には両AC共に3000ポイント以上も残しており、あまりにも的確な破壊
攻撃によってそれを感じさせないほどの被害が両ACに出たのだそうだ。
 更にその戦闘使用時間は僅か2分弱程度だったという。レイニーにとっては何時間にも感じられたのだが、感覚と事
実には大きな開きがあった。
 配当は374.1倍。大穴の勝利により多くの人が大損し、また極僅かの人間が大金を手にした。何人の人間がホー
ムレスになり、何人の人間が小金持ちとなるのかは彼の想像外だった。
 しかし時間と共に勝利の実感が湧いてきたのは事実だった。あの時はあまりにも酷い状況で自分の生死も疑ってい
たが、実際に新聞やニュースで自分の勝利が告げられているのを確認するたびに彼はくすぐったさを感じるのだ。
 彼にそれを伝える人物はいない。しかし十分だった。自分が勝ったことによって人の命が救えるのだから。過去を振
り返る必要も無くなる。
 過去にさえ勝った。彼は心の中でそう叫び、一人笑った。
 車に備え付けられたラジオから流れる、静かなオペラを聞きながら彼は病院に向かっていた。静かなエンジン音が特
徴のこの黒い車の助士席にはカゴに入った果物が乗せられている。それはレイニーにとって初めてナターシャに渡そう
と購入したお見舞いの品だった。
 雲が風に流され太陽を隠し、それでも太陽は再び顔を出す。車に乗って移動していてもそれははっきりと分かった。
地球と何も変わらない気がするのは彼が地球の何も知らないからだろう。
 地下駐車場に車を向かわせ、トンネルをくぐった。オレンジの照明がそこにはよく似合っている。そして地下駐車場に
車を止め、そこに設置されている機械から整理券を受け取った。そのままエレベーターに乗りナターシャいるの病室の
ある6階に向かった。
 エレベーターが停止し降りるとそこは慌しかった。病院なら別に不自然な光景ではない。しかしレイニーはこのフロア
に誰がいるのかを思い出しまさかと思いながらも駆け出していた。人が多く走りにくかったがそれでも出来る限り急ぐ。
 もう嫌だ。
 レイニーは叫んでいた。身を引き裂かんほどの痛みを心の中で押し隠しそこへ辿り着いた。遠くから見てもすぐに分
かった。
 そこは人盛りができており看護婦や白い服を着た人物が慌しく出入りしていた。そこへ歩みより念のため壁に掛かっ
ていたプレートに書かれている名前を確認した。しかしそれは確かに彼女の名前で何度確かめてもそれは変わらなか
った。
 レイニーが病室へ入ろうとするとそれを中年の看護婦が止めた。そして動揺したレイニーの様子を見て問い掛ける。
「身内の方ですか?」
 その声はなるべく心配を掛けないようにと穏やかなものだったがそれはナターシャの容態が芳しくない事を表している
ように思えた
「そうです! どうしたんですか?」
 それに対しレイニーは自分でも驚くほどの大声で応えた。遠くで一般の患者がそれを聞いて怪訝そうに振り返る。
 彼の様子に看護婦はそれを抑えようと必死だったがやはり若い男の力には適わず押し切られた。しかしレイニーの
肩を男のがっしりとした手が掴み、それを止めた。振り向くとそこにはイディノウが険しい顔をして彼をしっかりと見据え
ている。
「来なさい」
 それは静かな声だったが強制的な威圧感も含んでいた。レイニーは気負いされそれに従い長椅子に座った。その前
を看護士が二人通り過ぎていった。
「なんのつもりだ」
 イディノウはその隣に座りそう言う。幾分か冷静さを取り戻していたレイニーはそれに応えることは出来なかった。
「レイヴンとしてはどうだか知らないが君は医者じゃあない。邪魔だ。でしゃばるな」
 しかし更にイディノウは語調を強め、レイニーはますます何も言えなくなった。相変わらずその病室は騒がしく人が出
入りしていた。二人はそれから何も言わずにそこに座っていた。
 レイニーは思い出していた。マーズマンは助かっていないことを。あれは彼の作り話だった。助かったマーズマンは希
望を求めていた彼そのものだったのだろうか。その答えを出せるのは彼自身であり他には無かった。

 それから数日後。新たなナインブレイカーはアリーナから姿を消した。アレスとの再戦が期待されていた最中であった
ためその後しばらく民衆のアリーナ離れが起きたと言う。
 その後再びナインブレイカーとなったアレスは3年後に起きることになる火星クーデター「レオス・クラインの乱」によっ
て火星アリーナ自体が無くなるまで無敗を誇り、その座を譲ることは無かった。そして火星アリーナが無くなった時、彼
もまたその姿を消したと言う。その後彼がアリーナという舞台に姿を表す事は無く、それに類似する真実も確認されるこ
とはなかった。



 ヴィルフール空港は火星では最も大きな規模を持つ空港だ。一度に複数の飛行船の離着陸を可能とするリフトが10
0メートル以上もの高さを誇る管制タワーを中心に設置され、空港全体に大型のレクテナ装置が立ち並んでいる。それ
らはみな夕日に照らされ橙色を強調され、セピア調に溶け込んでいた。
 その空港から二隻の飛行船が飛び立った。リフトによって得られた高度を更に推進力によって上乗せし、そのまま音
速以上の速度で目的地へ向かって行った。
 その目的地は火星軌道エレベーター、ラプチャーだ。
 火星衛星軌道まで伸びる超大型のエレベーターでこれを使い衛星軌道上まで宇宙船を運ぶことによって大幅に必要
燃料を節約でき、またその逆に着陸のリスクを軽減し同様にその必要燃料を節約できる。
 また、火星社会の象徴ともされており、火星市民にとっては地球との繋がりを感じさせるものだ。
 その様子を遠くから見守る男がいた。飛行船の空を切り裂く音が騒がしい。空港から距離をおいて張り巡らされた金
網越しに風景に溶け込んだ空港を見回し、その金網に指を絡めた。地球なら、有刺鉄線であったり電流が流れていた
りするがここは火星だ。民衆単位での犯罪は少ないためこのような場所でのセキュリティは薄い。
 男の金髪が夕日で赤くなっていた。足元で生えている雑草も同様に赤い。全てが赤かった。それはここが火星だから
だ。特別な光景ではない。しかしあの飛行船に乗る人々にとってそれは最後に見る火星の光景になるのだろう。
 あの飛行船にはマーズシンドロームと言う原因不明の死に至る病症を抱えた人々が乗っている。この病症は地球に
移すことにより回復するという調査結果が出ており、それを実践するために地球へ向かう途中なのだ。
 これを指揮しているのは地球政府、火星においてそれを実行しているのはこれを機に人々の注目を集めたいLCC、
実際に力を持ち同様に人々の支持を得たいジオ・マトリクス社。
 地球、火星を問わず人々はこの完全な慈善活動を不信がっていた。地球政府も表向きは地球、火星のための政治
活動をしているということになっているが、実際には力不足から思ったような行動は出来ず、力をつけた企業の抑制す
らままなっていない。そのため人々のためといった行動などは出来なかった。結局その存在を維持するだけでも精一
杯だといっていいだろう。
 その地球政府が先頭をとってこういった行動に出るのだから不信がって当然といったところだ。ただ、もちろん悪い話
ではないため多くの人々はその好意に従った。
「あれに乗りたかったかい?」
 男は飛び立ち、すでにシルエットだけになってしまっている飛行船を細めた目で追いながらそう言った。その言葉を聞
いている人物は彼以外には無く、草々がそれに応えるように風に揺れるだけだった。
 地球政府の指示に従った人々に紛れて病症を持たない一般の者も乗り込んだケースもあると言う。しかしこの病症
は発生が確認しにくい。偽りの申告もそれを偽りだと判断することは難しかったためその多くは地球へ向かった。その
中には病症を持った者の家族も含まれているのだろう。しかし地球政府にそれを止める権利も無く、経済的な面も指摘
されそれに関しては黙認された。
「俺はこっちでする事を見つけたよ。しばらく暇する事は無いかな」
 男は再び口を開いた。やはりそれを聞いているものはいない。男が見ていた飛行船は既に夕日に紛れ見えなくなって
いた。それに気付いていなかった男は小さく笑い、俯く。その視線の先では赤く照らされた草々が彼の靴に踏まれてい
た。
 一時期火星の人口は一割ほどが失われたが同時期に火星への移住が活発になりそれは問題とされなくなった。そ
れには火星と地球との距離が大接近により極めて短くなったことによる移住ラッシュが始まったからだ。火星の社会成
立には人々が不可欠であり、それは地球政府もよく分かっていたのだろう。
「さて、もう行くかな。今度はちゃんと墓で話をしようか」
 その言葉を最後に男は喋ることをやめた。丘になっている草の斜面を登り、車の止めてある道路まで辿り着いた。道
路と言ってもコンクリートで整地されているわけではなく、地面を平らに固めているだけの、それこそ何年も人が通らな
ければ雑草に覆われてしまうようなものだ。その上交通量は少なく、今現在も彼が長時間車を止めていてもそれを知る
者はいない。
 ワックスで磨かれた黒い車に夕日が反射した。黒くとも夕日の前では全てが赤く見えてしまう。彼の視線の先には山、
雲、平原、木々、二つの歪な形をした月。全てが赤かった。
 地球に比べれば無いにも等しい火星の人口密度。そして今ここでは彼以外に人はいないようだった。都市から出れ
ば人気が無くなってしまう。企業にとっては行動しやすい条件だが、彼にとってはそんなことはどうでも良かった。
 男は車に乗り込み、エンジンをかけた。背中を叩く重低音が心地良い。そして再び車の窓から見える光景を眺めた。
 しばらく後満足したのか男は何も言わずに発車させた。静かな排気音がそこには相応しかった。



 地球暦224年。
 火星クーデター、レオス・クラインの乱がもたらした衝撃は想像以上のものだった。地球政府直属の特殊部隊フライト
ナーズがそのクーデターを起こした組織であり、隊長レオス・クラインがその首謀者であると言うことだ。
 レオス・クラインは元々地球アリーナにおいてナインブレイカーの称号もってトップに君臨していたレイヴンだ。レイヴ
ン引退後は地球政府が治安維持部隊を結成、その隊長として抜擢され、その後特殊部隊フライトナーズの指揮をとる
に至る。
 そのレオス・クラインが起こしたクーデターも、ある一人のレイヴンにより鎮圧させられることになる。そのレイヴンが
何者であったかは今となってはレオス・クラインのクーデターの目的同様不明であり、公式な発表は未だ明らかにされ
ていない。
 そしてその後の地球と火星は混乱を極めた。
 まず、火星においてはクーデターによりLCC、ジオ・マトリクス火星支社が崩壊。事実上のリーダーを失い、殆ど力を
失ったに等しいエムロード社、バレーナ社、更には地球政府とが連携にして火星の情勢を保っている。おそらくは彼ら
自身火星の残されてはたまらなかったのだろう。
 火星は悪い意味での落ち着きを見せ、市民は地球政府の働きもあり次々と地球へ向かい、レイヴンさえもその地を
後にした。クーデターの後の火星は戦乱すらも残らなかったのだ。その後の火星は回復を待たなければならない。しか
し未だ資源に関しては注目株であり、十数年もすれば再び人が群がるだろう。そこに戦乱が生まれるかは人の進歩が
どこまで行くかが鍵となるのだが。
 地球においても不安な要素は幾つもあった。地球政府の弱体化、企業の台頭、テロリズムの活性化、火星思想の反
発、そして何よりレイヴンの再来。
 火星における対立関係は激化した形で持ち越され、地球政府の弱体化とともにそれは歯止めの効かないものとなっ
た。激化の一途をたどる企業対立はレイヴン、テロリストも加え地球は再び争いの星となった。
 しかし一方で軍事産業の活発化は経済を潤させた。更には人口の急激な増加によって地上都市の建設も活発にな
り、それに伴い技術も発達した。戦乱が技術を発達させるとは古来より言われているがこれはあまりにも皮肉な結果と
言える。
 地上都市はネオ・アイザックシティを中心に広がり、元から地上都市が存在したコルナードベイシティを除いては今で
もその地上都市の建設が急がれている。特にザム、アヴァロン等は未だ仮設都市の域を出ないものだが最もその建
設が進んでおり、僅かながら人も住み始めていた。
 しかし建設というものには事故や怪我はつきものだ。病気をするものもいるだろうから大きい小さいは関係無くどこに
でも病院はある。
 ザムシティ地上仮設都市。当然ここにも病院は存在する。規模としては中堅程度の大きなものではない。しかしそれ
に対して人々はその都市、唯一の病院に対してひしめくのだ。
 その病院の中で土木作業員らしい男が白い長椅子に座っていた。褐色の肌に白いペンキで染まった作業着を着てい
る。その横には白衣を着た金髪の男がその褐色の男の右腕にある切り傷を繊維糸で縫っていた。
「おいおい。大丈夫なのかよ、先生」
 しかし褐色の男はどう見ても診察室ですらない部屋で治療されているため気が気では無い。見る限りでは待合室と言
ったところだ。
「小さい病院だからな。病室が空いてないんだよ。まあ、麻酔もしてるし、止血もした。腐っても病院だからばい菌だって
心無い」
 先生と言われた金髪の男はそれに分かりやすく順々に答えた。しかし褐色の男は自由の利く左腕をひらひらさせそ
れを否定した。
「俺の言ってんのはそういうことじゃねえよ。先生随分と眠そうじゃねえか」
 そう。彼が一番気にしていたのはこの医者らしい男のことだったのだ。
 どうにもやつれた、もしくは疲れた、早い話し眠そうなこの男は明らかに若く見えたのだ。彼は職業柄何回も医者のお
世話になっているがこの医者は彼がかかった中では一番若い。
「やっぱり分かるか? こっちに来てからどうにも眠れなくてな。言ってみれば起きながら寝てるといったところかな。お
っと、しくじった」
「なっ!? おい、チキショオ!」
 その言葉に褐色の男は怒鳴りながら自分のその医療失敗が行われた右手を見ようとした。しかし金髪の医者はそれ
を見た目よりも力強い腕で押さえつけ笑った。
「なに、冗談だ。地球ではこういうジョークのほうが受けが良いって聞いたからな。まあ、あんたの反応を見たらそれが
どうだか判断しかねるね」
そう言いながら再び傷口を縫い始めた。薄い抗菌手袋をはめた手は確かにしっかりと働いているように見える。それ
を確認し安心した褐色の男は溜息を吐く。しかし安心してくると次第に医者が言ったことが気になり始めた。
「先生火星人かい?」
 褐色の男は何気ないふうにそう言った。しかし実は地球に生まれ地球で育ち地下にすら行った事が無い彼は火星出
身の人間に会ったことは無く、彼に興味を示し始めた。
「火星人ね。そう言われるのは4年ぶりだな」
 金髪の医者はそう言われたことに小さく笑いを洩らし、その手を止めた。縫い終わったようだ。
「はい、いいですよ。痛み止め出しておきますから受け取ってください」
 そしてガーゼに染み込ませた消毒液を塗りながらそう言った。すでにカルテらしいものに何かを記入している。褐色の
男はその様子を見ながら慌てて言った。
「おい! 包帯してくれよ包帯!」
 自分のそのまだ縫い目も鮮明な右腕を指差しながら怒鳴っている褐色の男に対し金髪の医者は立ち上がりながらそ
の端に置かれてある引出しから包帯とテープを取り出しながら言った。
「冗談だ。短気はあんたの仕事には辛いんじゃないか?」
 褐色の男はぐうの音も出ない。彼の冗談に呆れたように溜息を吐いた。そして素直に包帯に巻かれていると正真正
銘の診察室から医師らしい女性が出てきた。見れば男性のように髪が短い。
「ニコライ君。君に連絡があったわよ。お客様だって」
 名はニコライと言うらしい金髪の医者は包帯を巻いていた腕を止め、立ち上がった。
「どこです?」
 さも当然のようにそのニコライは聞くが女性医師はそれに答えずに腕を組み諭すように言った。
「野戦病院さながらのこの病院であなたは自分の都合で抜けるつもりかしら。困るわね。特に新人の君にはいろいろと
がんばってもらいたいんだけど」
 しかしニコライはその言葉をまったく気にしていないようだった。大きく伸びをしたの後彼女に対して微笑んだ。
「奢らせて下さい」
 そしてただそうとだけ言った。すると女性医師は満足したようにそれに微笑み返す。褐色の男はその様子を呆れたよ
うな様子で見比べていた。
「待ち合い出口で待ってるらしいわよ。ほら、貸して」
 ニコライの手から包帯を受け取り場所を告げた。ニコライは小さく手を上げて感謝を表した。
「じゃあ、よろしくお願いします」
 そしてそう言い残し彼はそこを後にした。そこに残された褐色の男は包帯を巻いている彼女に釈然としないように言っ
た。
「病院の人間ってのはこういうもんなのかぁ?」
 それに対して女性医師はやや気分を害した様子で言い返した。
「そんなことはどうでもいいの。それよりもあんた、いい加減病院に来ないように集中力をつけなさい、集中力を。次は
死ぬわよきっと」
 そして包帯を巻き終わった右腕を平手で強めに叩いた。男は絶叫を上げ、その声は病院中に響き渡った。
「……まったく騒がしい人達だな」
 それはニコライにも聞こえていた。何があったのかを想像しながら笑いをこぼしていた。
 言われた場所に向かいながら彼は白衣を脱ぎ始めた。その下からは薄い青色の半袖Tシャツが現れた。
 地球は夏。それは火星出身の彼にとっては火力が最大になったグリルが並んだキッチンにいるも同然だった。体質
のせいか汗もあまり出ないため余計に暑い。左腕で脱いだ白衣を持ち、右手で自分の顔に風を送った。しかし効果は
無く、体感気温は上がる一方だ。
 防弾ガラスの張られた自動ドアの向こうからコンクリートの色で占められている駐車場が見える。車が交通を仕切っ
ているガードマンに従いのろのろと走っていた。
 とりあえず言われた場所に来たはずだが、と辺りを見渡した。小さな病院での診察を待っている人々が数列に並んだ
長椅子で座っており、その誰も彼の存在を注目してはいない。
 今日は人に会う日だった。しかし病院に来るとは思わなかった。普通に考えればその人が自分を訪ねてきたのだろ
う。
 しかしその姿は見当たらない。不信がられそうにきょろきょろとしていると背中を強く押された。ニコライはバランスを
失いかけたがそれを耐えた。振り返るとそこには誰もいない。だが視線を少し下に向けると、いた。
「いつからそこにいたんだよ」
 ニコライはそこにいた少女に声を掛けた。もしかしてずっと自分の後ろについていたのではないかと不信がった。
「ん〜? ニコライがここに来た辺りから?」
 しかしその少女は何気ないふうにとぼけた。悪気のあるようには見えないが見た目で人は判断できないことをニコラ
イはよく知っている。それでも疑う必要は無かった。彼にとって古い知人であることには変わり無い。
「久しぶりだな」
 ニコライが彼女に対しては4年ぶりの挨拶をした。すると少女も嬉しそうに微笑む。
「うん。お久しぶり」
 前もって写真を受け取っていたので分かったが4年前とはやはり見た目に大きく変わっていた。成長期なのか地球の
重力のせいかは彼には判断しかねるが、彼が疑問に思っていたのは別のことだった。
「しかしなんでわざわざ尋ねて来たんだい。先生の家で待っていればいいだろうに」
 ニコライは地球に来てまだ3日しか経っていない。したがってまだ住む家が決まっていないため彼よりも先に地球に戻
っていた叔父の家にお世話になっているのだ。そして彼女はアヴァロンからこちらに来てそこに泊めてもらうことになっ
ている。
「時間ある? 行きながら話そ」
「まあ、あるな。でも行くってどこにだ?」
 先に歩き出していた少女の後を追ってニコライも歩き出した。どうやら出口に向かっているらしく、そこから射す光にニ
コライは目を細めた。そして外に出るとそこは地獄だった。空から降り注ぐ日光、コンクリートからの照り返しがますます
暑さを感じさせる。光の照射が少ない病院内はまだマシだった。
「どう? 地球」
 少女は笑いながら聞いた。明らかに悪意のこもった質問だ。
「死の星だな」
 ニコライは即答する。彼は半分本気でそう言った。そして彼は質問を返した。
「それより、本当にどこに行く気だ? 車で行けるところか?」
「歩いていけるよ。駅にダーマを迎えに行くだけだから」
 その質問に対する答えは彼に頭を抱えさせるに十分な内容だった。なぜそこでその名前が出てくるのか理解に苦し
む。正直ニコライは未だに彼女に対して苦手意識を持っているのだ。
「実はニコライが来る前に色々と決めてたんだよね〜。都合つかなくて今日になっちゃったけど」
 呆れているような顔をしたニコライに少女はなおも言う。その度に元々気だるくなっている彼の気分を重くした。
 駅に近づくにつれて賑やかになってくる。店が建ち並びすれ違う人々も多くなり、ガードレールで仕切られたその向こ
うの道路を走る車の数は多くなり、列を作って停車していたりした。駅近くは既に都市としての機能を持ち始めている。
問題は人工的な問題でこの仮設都市は増えつつある人口を支える住居が足りないということだろうか。
 ここは一年が365日、一日が24時間、太陽系第三惑星、地球。宇宙において水と生命を湛える非常に稀な星だ。大
破壊と言う過去から火星進出と言う今までの歴史が存在する。
「なあ、ナターシャ」
 そこには人が住んでいる。彼ら自身の手で一度はそこを死の星に変えてしまったが彼らは再びそこに生命を取り戻
そうと必死になっている。
「んー?」
 更に火星と言う星を地球化させ、移住さえも始めた。生存権を広げることにより人は更に生きようとしている。きっとそ
の後も人はもっと生きようとするのだろう。
「ありがとう。色々と」
 その結果人がどうなるのかは人自身答えを出すことは出来ないだろう。しかし人の未来は一人一人に存在する。生き
ているということの意味もその一人一人に存在する。だから急ぐこともその場で足踏みすることも間違いではない。彼
はそう考えるようになった。だから彼は感謝することにした。そう考えるきっかけを作った人物に。
「何が?」
 しかし少女は何も分からないというふうにただ首を傾げるだけだった。



あなざ〜れいヴんすり〜ずのあとがき〜

楽しんでいただけました? 皆さん。
まあTRSの「彼」が主人公なこの作品。もともとTRSの一話として考えていた作品なんですけど何をどう考えてもストー
リーに影響してこないのでアナザーストーリー入りです。完全な主人公扱いに今ごろ「彼」は驚いていることでしょう。俺
も驚いてます。
で、何でこれだけあとがきがあるかと言いますと、そんだけ苦労したからだと思ってください。

これを書くに当たって火星をいろいろ調べたんですけど、いや地球と全然違うこと違うこと。ぜってえ俺だったら火星に
行きません。だって調べれば調べるほど地球化したって寒いって素人目に分かるんですよ!? おまけに時間の感覚
も地球と違うし……あとがきと関係ねえな

で、戦場はアリーナなんですけど、意外に書くの初めてですね。実は遅れたのはこれのせいでもあるんです。ルールと
か試合が始まるまでの過程とか全部考えないといけないんですもん。ミッションみたくリグで運んでさあ出撃って訳には
いかないんですよね。
そして戦闘もAC対ACを完全に煮詰めたものですが、これも意外に初めてなんですよ。デスズブラザーVSアルビノエン
ジェルは一番これに近いですけど(九話まで執筆完了時)、これも結局決着はついてないんです。だからどうしても決着
をつけるにはルールの上でも敵を倒さなくちゃならない。最後の戦闘なんてACがボロボロになってますよ。でもこれが
本当のAC戦闘なんだろうな、と思って執筆。戦闘シーンだけ抜き出せばゴルーヴァVSプロビデンスは最高ですね。ア
レスはデュライより強いってイメージで書いてたのでプロビデンスがそれに耐えられなかったという感じで終わらせてま
すけど。

マーズシンドロームは身内、っていうか添削を頼んでいる人たちの間ではいろいろ言われました。でも火星ならではで
本当にあったら怖いなって感じでイメージしました。最後の地点でも治療法は見つかってないはずですからね。

さてさて、最後までこんな長ったらしい文の上にあとがきまで読んで頂いてありがとうございます! 俺は皆様の感想を
礎にこれからも頑張って行く所存でございます! これからも応援お願いしマース。っていうか感想ください(願)。


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