第十三話 戦って、戦って、戦って…… 見当たる生物と言えば僅かに繁茂する芝、もしくはサボテン程度で、そこにある兵器群に比べるとその存在感は皆無 だった。 「ヴィクセンか……。クロームの時に戦った事がある」 そこには5機の人型MTの姿があった。拡張性重視重量級人型MT、フレンダー。両腕のマニピュレーターは極めて 高い剛性、柔軟性を持ち、一部AC用のパーツを使用できるほどの拡張性を持つ。両肩にはもちろん、更にはエクステ ンションポイント、インサイドラッチさえ備える。装備さえ十分ならばACさえも単体で迎撃出来るというエムロード社の高 級機だ。ただ、そのAC型MTとも言える性質は生産コスト以上に維持コストが掛かり、その欠点もそのままACのものと 同じである。しかし、その性能は極めて高い。ブースターも備えているため生存能力も高いのも特徴である。 その5機のフレンダーに乗った5人のパイロットのリーダーは呟くように言った。 「盾を装備しているのは基本的な装甲が薄いからだ。盾を避けて攻撃出来れば現行MTの火力なら十分落とせるはず だ。ただし……、知っての通りACの装甲は極めて特殊なものだ。破壊は出来ても貫通は容易くない」 「つまり、やはり形勢は不利と?」 リーダーの言葉に同じフレンダーに乗ったパイロットが尋ねた。 「数は10超えてるって話だからな。ACがだぜ? 旧型かどうかなんて関係無ぇ」 リーダーの代わりに別のパイロットが笑い声混じりに答えた。しかしその言葉に不安は微塵も無く、よほど自身を信頼 しているようだった。 「でも、数で押し切れるんじゃないかしら。確かに私達は最終防衛戦だけどそれだけに戦力も相当なものよ?」 そのパイロットが応えるのとほぼ同時に5機のフレンダーの上空で戦闘機がジェット音を響かせた。途端、無線に僅 かなノイズが入る。 バレーナ製汎用戦闘機、レディバードだ。基本戦闘能力を維持しながら生産コストを抑えた戦闘機の傑作と言われて いる。火力にはミサイルを4基、そしてバルカン砲を二門備える。 その編成がまるで雨雲の如く地に黒い影を落としていた。数は6機の編成が6部隊。36機だ。防衛戦力としてはとて つもない数であると言える。 彼らはここ数日、オールド・アイザックシティを中心に破壊活動を続けているヴィクセンを迎撃するためにここ、ザクー クツ砂漠で待機していた。後方100キロ先にはエムロードの重要軍事拠点が存在する。そしてそこを通過されればエ ムロードの重要な施設の多数存在するホーイックロックにまで雪崩れ込む危険がある。そうなってしまえば大規模な迎 撃は不可能、ACに対しては事実上無力化してしまうのだ。そうならないように彼らエムロードの兵士達はその戦力を集 結しているのだ。 「逆もあるぜ。なんてったってACだからな」 「さすが元レイヴン、言う事が違うわね。そんなにACに未練が残ってるのかしら?」 「あんだと?」 「やめてくださいよ、二人とも」 そんな部下のやり取りをリーダーの彼は無視するように目を閉じた。確かに、今までの防衛戦は尽く突破されてはい るが相手側の戦力も疲弊しているのは確実だ。 5機のフレンダーの5キロ前方では戦車が並列をしている。生産に特別な技術を使用しないためその数は多い。しか し、その砲身から発射される砲弾の有効射程距離は今を持っても現行通常兵器ではトップクラスだ。侮れない戦力で はある。 「ディソーダー……」 今まで口を噤んでいたもう一人の部下が呟くように言った。 「ディソーダーは現れるんでしょうか。自分も話は聞いています。まるであのヴィクセン達を殲滅するかのような動きを見 せていると」 その言葉にフレンダーのパイロット達は沈黙する。誰一人としてその言葉の答えを持ち合わせてはいない。 「分からん」 リーダーは短くそうとだけ答えた。 「あいつらはどこから出てくるか分からねーし、普通のレーダーじゃ観測できねーしな」 別のパイロットがその言葉を受け継いだ。 「そうね。それに現れたところでこの開いた場所ではそれほどの脅威にはならないわ」 そして今まで言い争っていたパイロットも珍しく彼に同意した。 「俺も同じ意見ですね。でも、ディソーダーがこちらに向かって来るって事もあるんじゃ?」 「そん時はそん時。どうせ出てこねーよ」 『目標、確認できました』 会話に無線が割り込んできた。低い男の声。この防衛隊全員に対しての言葉である。 『敵影7。指定方向距離3000。全部隊迎撃体勢に入ってください』 その言葉と同時に上空の戦闘機がロールを開始する。 「だ、そうだ。まずは戦闘機のミサイル爆撃、その後機銃で俺達を援護してくれる。その後は戦車、リグと共に通常戦 闘、一気にカタをつける。攻撃は30秒後だ」 リーダーは手馴れた様子で短く作戦を再確認した。 「ルーク2、了解」 「ルーク3、了解」 「ルーク4、了解」 「ルーク5、了解」 フレンダーのパイロットが次々とそれに答えた。それぞれMTを戦闘モードに移行させると、ブースターにエネルギーを 供給する。 後方からは6機のコンバットリグがディーンドライブを使い加速を始めた。武装はミサイルランチャー、バルカン砲、ロ ケットランチャー。火力と機動力を重視した砂漠戦で有利な兵装であろう。 「俺達はケツか……。これ以上後ろにやりたくねーな」 今まで軽口を叩いていた彼も急に神妙な言葉を呟いた。 「そうね」 上空でレディバードが急加速を開始した。一瞬にして音速の倍にまでその速度を上げ、はるか地平線の彼方の目標 を確認、ミサイル攻撃を始めようとした時だった。目標が一瞬輝いたかと思うとそれはそのまま破壊の閃光となって 次々と戦闘機を貫いていった。 上空で次々と火球が炸裂する。黒煙を噴出し、その高熱の煙はそのまま炎となって長時間上空を炎で包んでいた。 「馬鹿な……! 管制塔! 被害は!?」 ルーク1、MT部隊リーダーの彼は初めて声を張り上げた。目の前の光景が信じられないようであった。 『……了解。先行部隊のアインシュタイン、サイクロン、ワイヤー、全滅しました。後続のブルー、スチュワート、ホット、 それぞれ損耗50%以上。レーザーによる迎撃の可能性が濃厚です。各部隊は状況を継続してください』 その言葉に焦りや驚きのようなものは感じ取れなかった。しかし、その内容は驚くには必要十分なものであった。 「カスタムメイドか。クソッ、そんな情報は無かったぞ。ルーク1。前進する」 彼は苦虫を潰したような表情を顔中に広げた。しかし、状況を継続すべくフレンダーの歩行を開始させる。それにフレ ンダー達は続く。歩行の度に砂塵が噴煙のように巻き上がる。 それに合わせるように戦車大隊もキャタピラを砂で軋ませながら前進を始めた。それぞれ150mm徹甲弾、対MT用 高速機銃で武装している。徹甲弾はACの装甲に対して相性は悪いが、単純な口径の関係上その威力は十分なもの だ。 コンバットリグもディーンドライブの遠心力移動からブースターによる急加速行動に移った。ACとは違い流線型の形 を持つそれは音速にまで加速するとミサイルランチャーを開放する。白煙を噴出すミサイルが一度上空まで飛翔すると 今度は地上の目標を確認して降下する。 それに合わせて戦車も砲身を目標に向け、それぞれ徹甲弾を3連射した。その発射で辺りは一瞬で白煙に包まれ る。 フレンダーも右肩に担いだグレネードライフルを目標に向けて発射する。それは弧を描き目標に飛翔して行った。 多重的な攻撃がヴィクセンの群れに向けられた。それは例えACと言えど無事では済まない火力であるには違いな い。そこは一瞬にして大きな爆炎で包まれ、そしてそれを覆ってしまうほどの砂塵が巻き上がった。見た目にはとても無 事であるとは思えない。 「いっよぉーし!」 ルーク4がそれを見て歓声を上げた。彼にはその全滅が確実に思えたのだろう。しかし、相手はACであった。 『直撃有り。AC一機の破壊を確認しました』 その朗報とも悲報ともとれない管制塔の言葉と共に白いACが砂塵の壁を突き破り、次々と姿を現した。一機が撃墜 されたと聞いたが、そこから現れたヴィクセン達にそれらしい損傷を確認出来ない。 「バケモンだぜ……」 「ルーク2、攻撃を続けろ」 思わず呆気にとられるルーク2をルーク1、リーダーがたしなめた。 「了解!」 再び全戦力が攻撃を開始する。しかしヴィクセンは散開したため、その火力は散漫になってしまう。 射角を広げるべく戦車は後退しながら扇状に広がっていく。そしてそのまま機銃を掃射した。1秒間に弾丸20発分の 薬莢がバラバラと吐き出される。ただし、距離があるため着弾したとしてもダメージは期待出来ない。 コンバットリグもそれぞれミサイルを撃ち尽くし、ロケットランチャーによる高速戦闘に戦法を切り換えた。さながら地 上戦闘機とでも言えるほどの機動力で接近、射撃、離脱を繰り返す。しかしその内一機が砲弾に捉まる。体勢を崩し、 音速で砂の壁に衝突、爆発した。 フレンダーは装填されていた砲弾を撃ち尽くし、右肩ラッチにグレネードライフルを移すと代わりに対AC用ハンドガン を右マニピュレーターに移す。5機のフレンダーはまるで鏡で映したかのようにその動きを同時に行なう。それがまった く同じ動作であるのは兵器であるため問題ではない。 「戦車大隊を援護する。中距離射撃戦でいくぞ。ルーク4、5は更にその援護だ」 ルーク1がブースターを出力する。背後で粉塵が舞い上がり、フレンダーが加速を始める。 「ルーク2、了解」 「ルーク3、了解」 それに応えた二人は歩行を始め、ルーク4、ルーク5はルーク1に続きブースターによる加速を始めた。 射角を確保し、戦車は再び砲撃を開始する。しかしその鉄鋼弾は空を切るばかりであった。 「援護っつってもミサイルか。つれぇな」 ルーク4はリーダーであるフレンダー機が遠ざかったのを確認して愚痴を溢した。対AC戦において、特に開いた場所 ではミサイルは効果が薄い。それは単純に対象が人型であるため、微妙な動きにミサイルが反応してしまうからだ。そ れでなくともその機動力はミサイルの回避には必要以上のものなのだ。 「愚痴らない。あくまで援護よ。倒す必要は無いの」 それをルーク5がたしなめた。ミサイルの効果が薄いと言っても基本的な装甲が薄いヴィクセンにとっては無視出来 ない火器である事もまた確かだ。盾を使い受け流しても、回避するにしてもその動きに無駄が出来る。もちろん命中す る事があれば幸運だ。そのままMTがACとの最大の違いである装甲の差が現れない中間距離での射撃戦で疲弊させ れば戦車大隊の徹甲弾がACを撃ち抜く余裕が出来る。 「元レイヴンは自分が敵を倒さないと気が済まないのね」 「うるせーよ。そう言うテメェも元々軍医じゃねーか。医者が人殺しじゃ洒落にならねーぜ」 その言葉と同時にルーク5は黙り込んだ。モニターに浮かぶロックサイト、目標はまだ有効射程内だ。 「人……なのかしら」 「あん?」 そして突然のその言葉に彼は間抜けな返事しか出来なかった。一瞬、突風が吹き、砂のカーテンが砂漠を舐めた。 もちろん、金属製の兵器である彼らにはその影響は無い。僅かに電子兵装に影響が出る程度だ。 「あのヴィクセンのパイロットよ。あれだけの数がいれば撃破して、それでも原形を留めていたものもあったはずよ? なのにパイロットの情報は何にも無い」 「そう言や……、このヴィクセンが結局どこ所属の勢力かは一言も無ぇな」 思い当たる事もあるとルーク4は頷いた。 「どこかから情報規制が掛かってる……。そういう事か?」 「クローム、ジオ。思い当たるのはこれくらいね。多分両方でしょうけど」 レオス・クラインの乱で事実上無力化しているバレーナの名はここでは出る事は無かった。 「けっ、結局企業ってのは利潤主義なのな。ウィッツフールん時も上からの情報規制でかなり被害がでかくなっちまった しな」 「愚痴らない。そろそろ援護攻撃の用意をして」 「了解」 再びルーク5にたしなめられ、ルーク4は渋々と言った様子でフレンダーの武装をロールし始めた。エクステンション の連動ミサイルランチャーを有効にし、左肩のミサイルランチャーの有効限界距離を測る。しかし、そのフレンダーは下 からの衝撃で跳ね上がった。 「なんだっ!?」 スラスターを吹かし空中で姿勢を制御しながら彼は先程まで自分のいた場所にカメラを向けた。そこには砂を持ち上 げ、姿を現す蟲のようなシルエットが確認できる。レーダーに反応は無い。 「ディソーダー! くそっ、管制!」 ルーク4が意外なほど冷静に管制塔と連絡をとっている間にルーク5はフレンダーを加速させ、左腕に設置されたシ ールドをディソーダーに向ける。サイズは人型MTとしては大型であるフレンダーの膝に届く程度。脚から脚へのサイズ は戦車程度だ。それに向かい、シールドに設置された射突ブレードを射出する。炸薬が吐き出した巨大な重金属の杭 に叩き潰され、そのディソーダーはなす術無く沈黙した。ブレードを受けた個所は醜く窪んでいる。 「ディソーダーだ! レーダーをサーモに回してこの辺り一帯を調べ上げろ!」 ディソーダーは通常の金属とは全く異なるもので出来ている。そのため通常使用される対金属電子レーダーではその 存在を察知する事が出来ないのだ。 『昼間の砂漠ではサーモサーチは使えん。……陸上振動ソナーを使う。時間が掛かるぞ』 管制オペレーターが対処を開始し始めたが、それよりも明らかな現実が目の前に展開されていた。ディソーダーがそ れこそまるで早送りで植物の発芽を見るように砂漠の砂を持ち上げて現れるのだ。 蟲型のディソーダー。俗にアーマイゼ、もしくはビーネと言われるタイプだ。数多く存在するディソーダーの中でも特に スタンダードな種類でその比較的戦闘能力は低い。しかし、まるで本当の蟲のように数で迫ってくる種類でもある。 「くそっ、アル! あなたは援護に回って! 私はこいつらを相手するから!」 ルーク5はそう叫びながらフレンダーにハンドガンを連射させた。軟質弾丸が着弾する度にディソーダーの生体装甲 が潰れ、“死んで”いく。 先行したフレンダーの3機は既にヴィクセンとの戦闘に入っていた。しかし、そこにディソーダーの群れが乱入し、AC もMTも混乱しているようだった。 「援護なんて言ってる場合じゃねーみてーだぜ。どこもかしこも似たようなもんだ」 ルーク4はその場でディソーダーを攻撃し始めた。 戦車が目の前のディソーダーに徹甲弾を連射した。その徹甲弾はディソーダーの装甲がまるで飴であるかのように容 易く貫通し、その場に平伏させる。しかし、その死骸を踏み越えるようにして現れたディソーダーが頭部の触覚と言える 部分からエネルギーパルスを照射した。戦車はリアクティブアーマーを犠牲にしながら後退し、砲弾装填の時間を稼 ぐ。しかし横から現れたディソーダーに轢かれるように体当たりを食らい、横転してしまい、事実上無力化した。更にそ こにディソーダーは容赦無く跳躍し、踏み潰した。 『全体が把握出来ない。100000以上!』 管制オペレーターが絶望的な事実を全員に伝えた。既にACを迎撃するという任務を覚えている者はいない。今考え ているのはただ一つ。 どうやって生き延びるか。 砂漠の砂がディソーダーに埋め尽くされ、確認出来なくなる頃、空も同様に黒いたくさんの影に埋め尽くされた。その ひとつひとつは戦闘機よりもやや小さく、しかし一見飛行には向きそうに無い形状をしている。だがそれは確かに音速 の約半分の速度で風を切りながら飛行している。 『飛翔ディソーダー確認!?』 それもディソーダーだった。こちらは毒々しい青紫色の生体装甲が施された飛翔型だ。武装は蟲型と同様エネルギー パルス、そして高高度からの高速度による捨て身の体当たりだ。 『全方向! 絶望的な数だ!』 瞬く間に戦闘機が全機撃墜、更にはビームの雨が降り始める。蟲型のディソーダーなど気にはしない。 空を焼き、大気を切り裂くビームの音は、まるで蒸発する人々の叫びのようだった。 ディソーダー。 秩序を打ち破る者、という意味の名前を与えられた……今のところ分類出来ない機械だ。 そうだな……。完全自律型制圧装甲兵器……、ってところか。この完全自律型って言うところが問題にされている部 分だ。 話によればこのディソーダーと人間との関係は結構長いようだ。 初めは大破壊前、火星テラフォーミングが始まって間も無く、と言ったところだそうだ。もちろん火星で目撃されてい る。 そして大破壊、大深度戦争と来て再び火星テラフォーミングが始まった。今回のテラフォーミングはジオが先導して行 なったものだが、ディソーダーの脅威に初めて晒されたってのは皮肉だな。おかげで火星の全ての利権を得るには至 らなかったわけだが、その時、ジオの出したディソーダーの粗方の見方はこんなものだったそうだ。 『所属不明の戦闘メカ。単体での戦闘能力はエムロードの量産MT、シャフターにも劣るが、我が社の自律戦闘メカ、ト ゥールロックを遥かの凌駕する。形状は蟲に近く、装甲の構成や使用金属は未知のもので、動力、アクチュエーターの 構造なども未知の技術が使用されている事は疑うべくも無い。また、最大の脅威はその数にあり、一度に10000を超 える数で出現するため単なるMT部隊での迎撃は至難である。加えて、その出現を前以て予期する事は今現在不可能 であり、対応にはレイヴンのACを使う事が最も有効であると結論づけられた。その行動原理は蟲に似ており、それぞ れは物事に反射行動を取るだけだが、その先にある目的は明らかに何かの意思が働いたものがあると考えられる。こ の生体を究明する事が火星統治においても最も重要な事柄である事に異を唱える者はいないだろう』 ナーヴを通して得た話ではまあこんなところだ。一説では火星での古代文明が作り出した防衛機構だのカルトな意見 もある。火星の衛星だったフォボスも結局人工物だったそうだしな。しかし、大破壊以前にテラフォーミングで使用され た自律メカが変異を起こして現在のディソーダーとなったという考えが一般的だ。その証拠に大破壊以前の現在では遺 跡と言われるような施設で敵を迎撃する自律メカ、クルセイダーと言われるそれに、これでもかと言うほどにその姿は 酷似している。俺はその両方を相手にした事があるが、まあ同じと言っても良さそうだ。 とは言え、ディソーダーは数種類存在し、ここで例に挙げているのはアーマイゼ、ビーネと言う種類のものだ。俗に蟲 型とも言う。他にも逆関節型、飛翔型、蟹型、人型等がある。未確認であるものも多く、進化している、という企業の考 え方も強ち嘘ではないらしい。実際、ディソーダーは人間の進出にあわせてその姿を変えたという話があるくらいだから な。そのディソーダーが最近世界のあちこちで目撃されているそうだ。 最近、メディアを占領するヴィクセンのニュース。今いる昼のレストランでそれがラジオを通して俺の耳に伝えられる。 空は例の如く不機嫌そうに暗い。雨は降っていないが俺がここに入るまでは降っていた。 やれやれ。嫌われたもんだ。 『……との事です。初めてこのヴィクセンが確認され、今現在で確認されているおおよその人的被害はアイザックシティ だけでも死者30000名、重軽傷者410000名、行方不明者880000名に上り、今後も増え続けるのは確実と見ら れています。破壊活動が終息した都市では未だに家族を探す人達で溢れ、救出、復旧作業は今でも困難を極めてい る状態です。また、これに対して政府は軍備の強化を……』 とまあこういった状況らしい。 肺に溜め込んでいたニコチンとタールの大量に含まれていた煙を吐き出すと煙草を灰皿に押し付けた。じりじりと灰 が熱を失って崩れ落ちる。 このヴィクセンに関してだが、どこの戦力か、目的は何か、全体で何機存在するのか、そういった肝心な部分は一切 不明らしい。レイヴン達の情報では“とんでもない数”って事だけがはっきりしている。一体どうしたのやら。 散り散りに集めたそれぞれの戦闘での撃墜数を合わせれば、戦闘能力を失ったヴィクセンだけで数は約150。残存 で100程度とされている。 初めこの話題が世界を駆け巡ってから約一週間。事態は一応終息に向かっている。そして、終息に向かわせている のが、ディソーダーってわけだ。 今まででも地球でディソーダーが観測された事が無いわけじゃない。だが、今回は異常だ。火星規模、つまり一度に1 0000を超える数で出現する。それも何度も、だ。それが全部ヴィクセンが出現した場所に現れる。不思議なものだ。 そして有名な話だが、この数になるとさすがのACも徹底的に不利になる。特に火星でのディソーダーを知らない地球 生まれのレイヴンは、羽を畳んで逃げるしかない。実際、俺もつい10時間ほど前に戦っていた。元々はヴィクセンの迎 撃が目的だったが、目的地にいたのは蟲、蟲、蟲。ヴィクセンはそいつらの足元で鉄板になっていた。数はヴィクセンと の戦闘で少なくなっていたんだろう、最終的にデスズブラザーがカウントした数は56。まあまあACが問題無く相手を出 来る数だ。だが、問題は二機だけいた人型だ。 そいつはプレディカドールと言われているタイプだ。鋏のような両腕から、何を出力しているのか分からないが、ブレー ドを発生させる。また、それをそのままエネルギービームとして発射することも可能だ。例の如く全身が特殊な装甲で覆 われており、機動力も高い。AC以上に人に近い形状をしているため、蹴りをしかけてくる事もある。単体での戦闘能力 はACレベル。とてもじゃないが旧型のACであるヴィクセンにとっては分が悪かったんだろう。 ジオ製のAC用パーツ以上に全身が完璧な曲面に覆われている。その機動力も相まってマシンガンやバルカン等の 小銃火器は効果が皆無に近い。最も効果があるのはショットガン、グレネードやミサイル、ロケットなどの多重的な破壊 効果を持つものだ。エネルギー兵器もディソーダーの装甲に対しては単純に効果がある。 結局グレネードとミサイルで叩きのめしたが、右腕を犠牲にする事になった。例の如く厄介な相手だったが地球で戦 ったのは初めてだ。 だが、知られていないタイプのディソーダーが未確認だが見たというレイヴンがいるようだ。ナーヴスネットワークのい たる所に存在するレイヴンが情報を交換する空間。そこで聞いた話だ。 巨大な赤いディソーダー。形状はコンバットリグを巨大にしたようなもので、表面の装甲はディソーダーのものよりも現 行の兵器に近いと言う。 企業の新たな兵器じゃないのか? そう言った意見が過半数だ。俺もそちらに挙手させてもらう。ディソーダーが生物 にかけ離れた形状をするはずが無い。 遠くで食器の割れる音がした。まったく、ちゃんとしてくれ。 俺は今まで止まっていた手にフォークを持たせるとタバスコの大量にかけられているパスタを口に運ぶ。不味くはない が美味くはない。まあ、味などどうでもいいが、水を吸い過ぎて食べていて気持ち悪い。刺激物で騙し騙し飲み下すと空 になった更にフォークを放り投げた。カラカラと金属音があたりに鳴り響く。 この辺りはまだ危険ではないと判断されているらしい。確かに地下を這い回り、上空を飛び回るディソーダーに比べ れば地上を移動するヴィクセンはその動きを予測しやすいだろう。 さすがに舌が痺れる。痺れを治めるために俺は氷水の入ったグラスに腕を伸ばした。 ……そこに俺の腕は無かった。……どこだ? まさか、テーブルの下。いや、まさかそんなところに転がってるはず が、 ガシャン ……破裂音。グラスが割れた音か。じゃあ俺の腕は……。しっかりと肩にくっついてやがる。指先にはグラスが触れ た冷たい感覚がまだ残っている。 当たったのか? 無いと思ってた腕に。俺には見えなかった……。 「お客さん」 ウェイターの気だるそうな声が向けられる。 いちいち話すのも面倒だ。オーバーのポケットからしわだらけの100ドル札を取り出すとそれをテーブルにおいて席 を立った。ここにはもう二度と来ない。いろいろな意味で、な。 自動ドアを抉じ開けるようにして店を出る。自殺するにはもってこいの憂鬱な雨雲が空を覆い尽くしている。 あれから……、こうなるようになった。どういう事か分からない。だが、記憶が混乱するようになった。それだけが今と なっては事実だ。 畜生。 不意に、雨が降り出した。それも前置き無しの本降りだ。 やれやれ、いよいよ嫌われたな。 オーバーから取り出したサングラスを掛けると、俺はそのまま宛も無しに歩き出した。 消毒液の匂いが辺りを包んでいた。彼にとってはあまり好きになれない匂いだ。少年だったころは苦ではなかった が、今では……。 『……という事が分かり、不法武装集団インディーズは今回の事件との関連を否定しているとの事です。初めてこのヴィ クセンが確認され、今現在で確認されているおおよその人的被害はアイザックシティだけでも死者30000名、重軽傷 者410000名、行方不明者880000名に上り、今後も増え続けるのは確実とみられ……』 ブラウン管の向こうで女性アナウンサーが悲報を伝える度にぎしぎしと彼の胸が痛んだ。 待合室ではそのたった一つの大して大きくもないテレビに多くの人々がかじりつくように見入っていた。それぞれ、そ の顔に浮かぶ表情は様々だが、皆一様に黙り込んでいた。 映像が女性アナウンサーから破壊された街並みに移る。画面端にはLIVEの文字が浮かんでいる。 まるでミニチュアの上にローラーを転がしたような光景だった。建物がコンクリートの破片の山に変わっており、その 上に巨大な蟲のような機械や、白い人型の機械が転がっていた。それも含めあちこちから炎と黒煙が吹き出ており、 未だに消火活動が行なわれている。 ロジャーは守ってくれるんじゃなかったの? 不意にその言葉を思い出し、彼は再び胸に痛みを感じた。 死者30000名。 そしてそれは動悸に変わり、まるで辺りにその心臓音が聞こえるようだった。 彼は何度も自分の左胸を叩き、それを抑えると受付に向かった。 「あの……」 受付のカウンターでは女性が端末のディスプレイで先程と同じ報道番組を見ていた。そのため彼に声を掛けられた事 に少し驚いたが、ディスプレイをそのままに椅子から立ち上がって応えた。 「はい、なんでしょうか」 彼は彼女に笑顔で応える。それは意味などは無いが、必要な笑顔ではあったかも知れない。 「えっと、お見舞いに来たんです。コヨミ・ヒースローさんって女の子なんですけど」 「ヒースローさん……。確か二階だったかしら……。しばらくお待ちいただけますか?」 どうやら彼女はコヨミという少女を知っているようだった。しかし彼はその事には触れずに再び笑顔を作った。 「お願いします」 それに彼女も笑顔で返すと慣れない手付きでコンソールを叩いて少女の病室番号を調べ始めた。 「静かですね」 彼はなんとなく言う。しかし彼の言うようにここは本当に静かだった。まるでこの病院全体が喪に服しているように。 その原因を考えると、彼の笑顔はふと、曇るのだった。 「暇だわ……」 必要以上に小柄な少女がギブスに包まれた両脚を釣られた状態で清潔そうな白いベッドで横になっていた。いや、横 になっているという表現が適切であるかどうか、それを語れるのは彼女以外にはいまい。 あの戦闘に巻き込まれ怪我をし、一応カウヘレンに移されたのだが、この怪我では病院で黙っているしかない。この 病室には誰もおらず、広い部屋で彼女はより一層小柄に見えた。テレビをつけてもここ最近は例のヴィクセン・ディソー ダー騒動の話題しかない。今ごろは死者の名前を読み上げているだろう。不謹慎だが、彼女にとってはそんな事はどう でもよかった。 「病院で携帯使っちゃ駄目なんて決めたのは誰だよ、まったく」 携帯電話の発する電磁波は医療機器を誤作動させる恐れがあるため、そう決められているのは普通だ。もちろん彼 女もその事は理解している。ただ、独り言を言っているだけなのだ。 ふいに、自分の両脚の向こうにある時計に目を向けた。そして溜息を吐く。 「今寝たら一日16時間睡眠になるのかね」 どうやら独り言を言う癖がついてしまった彼女はそう言って再び溜息を吐いた。 突然、ドアの無い病室の入り口をノックする音がした。入り口から見て最も奥のベッドにいる彼女は上半身を持ち上 げてそちらを向いた。 「やほ、コヨミちゃん。こんにちは」 そこには見知った男がいた。見間違えるはずの無い特徴的な栗色の髪と絶える事の無い笑顔。彼女が知る唯一の レイヴンでもあり、彼女が知る限りでは世界で最も人間らしい人間である。 「あ、ロジャーさん。ちょうど暇で死にそうだったんスよ」 コヨミと言われた少女は素直にそう言って彼を招き入れた。 「いや〜、こんなじゃなかったらもうちょっと何か出来たんですけどね」 彼女は自分の釣られている両脚を指差しながらそう言った。 ロジャーと言われた若い男は笑いながら彼女に歩み寄ると手に持っていた白い紙袋を彼女に渡した。ほのかに香ば しい香りがする。 「クッキー作ってみたの。よかったら食べて」 へえ、と感心しながらコヨミはその紙袋を覗いて見た。そこには一口サイズの丸い物体が透明の袋にいくつかに分け られていた。それぞれ色が違う。 「茶色がココアで、黄色いのがチーズ、どっちでも無いのがチョコチップ」 紙袋の中からそれぞれビニールを取り出しているコヨミにロジャーは説明した。ビニールの口はそれぞれ簡素なリボ ンで止められている。 「へぇ〜、ありがとう。病院じゃあんまりおいしいの食べれないから嬉しいです」 コヨミは本当に嬉しそうに顔を綻ばせると遠慮無くリボンを解いていた。 「食べても大丈夫かな?」 「大丈夫ですよ。別に成人病にかかったわけじゃなし」 心配するロジャーをよそに彼女は一つだけ取り出した茶色のクッキーを片手に小さく、いただきます、と言うと口に運 んだ。 程よい歯応えが心地良い。高級菓子のような上品な甘さが口一杯に広がる。単純にうまい。少なくとも入院生活で口 にした物の中では一番うまかった。 「うんうん」 コヨミはまだは破片が口の中に残っているので声には出さないがうまいと言っているようだった。親指を立て、ロジャ ーに示している。 「よかった」 彼は安心したように親指を立てて返すとベッドの横にあった丸椅子に腰をかけた。アルミ鋳造のフレームがギシギシ と軋む。 「結構元気そうで安心したよ。病院って聞いてちょっと驚いちゃった」 「まあ、両脚骨折らしいですけどね。しばらくはここで大人しくしなくちゃいけないらしくて。でも骨折直ると前よりも骨が長 くなってるって本当ですかねぇ?」 コヨミは冗談めかしたように笑いながら言う。半分は本気かも知れない。 「う〜ん、太くなるだけって聞いたけど。骨」 「やっぱり?」 「うん。それに左右で長さ変わっちゃったら大変だよ」 「まあ、そりゃそうだけど」 冗談なんだろうが、やはり残念そうにしているのでおかしい。 「ああ、そういやジーノどうしました?」 コヨミは突然、しかしさも当然のように話題を切り換えた。どうやら彼女にしてみればロジャーとジーノはセットになって いて当然のようだ。おそらくジーノは否定するのだろうから言ってはいないのだが。 「……うん。まあ、来るんじゃないかな」 それにロジャーは突然言葉を濁らせた。それで大体を察したコヨミは溜息を吐いて見せた。 「あいつ、ロジャーさんになんか言いました?」 「ううん、別にジーノちゃんがどうかしたわけじゃないよ。悪いのは俺だもん」 そう答える彼の顔は力無い笑顔だった。疲れているか、眠そうにも見える。 遠くでアナウンスが流れるが二人には関係無い内容だった。 「ロジャーさんってそういうところあるから。あの子も結構甘えてるんじゃないですか?」 「そんな事ないよ」 「そうでもないのよ。あいつあれでクールなつもりだし。それで結構人見知りするし。ロジャーさんと一緒にいるジーノって あんまり肩に力入ってないっていうか、ガキって感じじゃん?」 ジーノが人見知り? 初耳だった。彼は彼女に初めて会った時の事を思い出すがそんな様子は無かった。 「そんな事無いんじゃない? 結構しっかりしてると思うよ」 「だから、あいつはあれでクールなつもりなんですよ」 確かに、ロジャーよりもずっと付き合いの長いコヨミの言葉の方が説得力を持っていた。だから彼は反論をしようとは 思わない。 「まあ、レイヴンを嫌う気持ちは分かるけど、ロジャーさんは別だと思ってたんだけどねぇ」 そして最後に肩を竦めて見せた。呆れているのだろうか。しかしロジャーにはそれが誰に対してなのかは分からな い。 「そのロジャーさんもなんでレイヴンなんかになったんスか?」 当然の疑問だ。レイヴンどころか銃を持っている事すら似合いそうに無い容姿なのだ。ACに乗っているとは思えな い。本当にレイヴンであるかどうかも実際のところ疑わしい。 「うん……」 ロジャーはしばらく考え込んだ。いつもならば言えるはずの言葉が出ない。ACが好き、何かを守るため、その言葉 が。 「なんだかよく分からないんだ。最近。本当に」 本音だった。 「ごめんね」 そして気付けばそう言っていた。一体何に対して謝罪したのかロジャー自身にも分からない。もしかしたら自分自身が レイヴンである事自体に謝罪しているのかも知れない。 「いや、謝られても困りますよ」 本当に困ったようにコヨミはかぶりを振った。 「うん、でも、ごめん」 こんな事くらいしか俺には出来ないから。 その言葉を飲み込んで、ロジャーは再び謝る。笑顔のままで、自分の心の内を悟られないようにしながら。 窓の向こうから会った陽射しが弱くなった。そしてそれとほぼ同時にこもった雨音が聞こえて来る。雨が降ってきたの だ。 「雨」 コヨミは横になったまま窓の向こうの景色に視線を移した。意外にも本格的に降っているようで、すぐに窓ガラスが雨 で不透明なカーテンを敷かれた。 「うん、そろそろ降ると思った」 呟くようにロジャーが相打ちを打った。その目線も既に向こう側が見えなくなっている窓ガラスに移っていた。 「思ったって?」 しばらく間を置いてコヨミはロジャーに向き返って尋ねた。 「ラジオ。俺のバイク、ラジオついてるの」 「高いんじゃないの? そういうの」 「だと思うけど、買ったわけじゃないからよく分かんない」 「どうしたんですか?」 「造ってもらったの」 「造って?」 「造って」 「それって余計高いんじゃないですか?」 「うん、だと思うけど。買ったわけじゃないからよく分かんない」 よく分からないのはこちらだとコヨミは思う。しかし言ってもあまり意味が無いような気がしたのでこれ以上は何も言わ ない事にした。 「どのくらいで治るって聞いた?」 ロジャーはコヨミの脚について尋ねた。ギブスを巻かれて釣られているその両脚はあまり痛々しいという印象は無い。 「両脚完全に治るのには楽勝で3月はかかるって。針金抜くにはもっとかかるだろうって」 そこまで言うとコヨミは自嘲気味に肩を竦めて見せた。 「いやはや、よく生きてたなオレ」 そしてどういう意味を持っているのかロジャーには判断出来なかったが、そう言うのだった。しかしそういう事をさらっと 言ってしまう彼女は強いと思った。それとも強がっているのか、ジーノとは違い分かり難いのは確かかも知れない。 「そっか、じゃあ退院してもしばらくは車椅子?」 「電動がいいね」 「そうだね」 そして久し振りに笑い合いながら、コヨミは小さな手でクッキーを摘んだ。ロジャーも少し躊躇いながらも自分で作った んだしと口に運んだ。 「ちょっと柔らかいかな?」 「そんな事ないっスよ。私にはこれくらいがちょうどいい」 「ココアはインスタント使ったんだけど」 「へぇ」 ようやく話が日常のものになりかけた時、病室の入り口をノックする音が二人の会話を中断させた。 「ベン君」 ロジャーが振り向くよりも先に視線の先にいた男の名前を言った。 「フーバー?」 振り向けば確かにそこに小柄で若い整備士が立っていた。彼もロジャーを見てやや驚いているようだった。 「ロジャー……」 そして気まずそうに振り返った。コヨミとロジャーの二人には、壁が邪魔になってその先になにがあるのかは分からな い。ただ、大体の見当はつく。 「ジーノのやつ来てんの?」 コヨミは迷う事無くずばり言った。ロジャーはなにも言わずに席を立つ。彼女はその様子を不思議そうに見上げてい た。 「それじゃ、そろそろ」 「帰る?」 「うん」 「別に気、使わなくていいと思うけど」 なぜ急に戻ろうとしているのか、コヨミには簡単に理解出来た。 「そんなんじゃないよ。じゃあ、お大事にね」 しかしロジャーはそれを穏やかに否定すると出口を潜る。 「じゃあね、ジーノちゃん」 そしてそこにいた少女にそう言った。別れの挨拶。その少女は戸惑った表情を彼に向けるが、ロジャーは変わらぬ笑 顔でそれに答え、病室を後にした。 振り返らずに歩く。異常なほどの病院内は静かで、歩きながら病室を覗くが、そこは無人であったり、患者らしい人が いれば寝ているといった状況であった。 とても寂しい風景。連日病院と孤児院を往復したあの日々を思い出す。未来に不安を抱え、奇跡が起こる事を信じて 疑わなかったかつての自分。なにかが変わる事を拒絶した少年であった自分。そして変わり始めた日常を受け止める 方法が分からずにいる今の自分。 一体何が変わったと言うのだろう。 エレベーターの前にはチェーンのバリケードと故障中の文字。それを一瞥するとそのまま階段に向かう。窓が無く、照 明の暗い階段を一段一段下ると、その途中に見かけた顔を見つけた。長身で、金髪の男。 「トゥワイフさん」 ロジャーは彼の事をトゥワイフと言った。 「ん、バートか?」 彼はロジャーを見上げてそう返した。その顔は偶然ロジャーに会って驚いた表情ではなく、探していた人物をやっと見 つけたような表情であった。 「ニコライでいい。言い辛いだろ? まあ、そんな事よりも……」 ニコライはその場で足を止めた。 「話がある。時間はあるか?」 そして改まって白衣から手を取り出すと首を傾げて見せるのだった。 ヴィクセンに続きファンタズマも動いた なぜ動いた? 擬似アストが乗り込んだのだろう 擬似アストとはなんだ? 耐性を持ったレイヴンを実験的にアストとしてみた その者は? KqQF8v249Y ユニオンジャック AC ジャグ なぜこのような事態になった? 精神的な耐性が無かったと考えられる 発狂したと考えられる アストシステムとは? 接続されていない あくまで擬似アストであるからだ 実験は? 成功とは程遠い 満足な成果とは言えない 状況は? 撃破 243 残存 13 うち一機 ファンタズマ 所在は? 不明 予想システム適正は? 88.8888888888885% ほぼ機能を完全に再現出来ると思われる 秩序が乱される 所在は? 不明 秩序が乱される これより240時間の予知を提案する 2400時間のシステムスリープが必要となる 構わない 多数決とする 異存無い 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 1 0 1 予知を開始する …… 所在が判明した 撃墜をシミュレートする H−1 撃墜は不可能 レイヴン 撃墜は不可能 レイヴン部隊 撃墜は不可能 アストシステム 撃墜は可能 可能性は100%ではない だが99%を超えている アストシステムを使う アストシステムを使おう 指示する だが問題がある 問題とはなんだ? 奴が予知不可能要素であった場合どうする ハスラーワンのようにか? そうだ デュライのようにか? そうだ ツヴァイトのようにか? そうだ 予知の範囲外である以上この議論は無意味だ その通りだ 現在アストは? 10時間以内に先頭領域へ向かう これ以上の議論は不可能だ システムフリーズを開始する これより2400時間 全ての秩序管理はアストに委任する システムフリーズ終了 人類の幸運を ここにあまり人がいないのはなぜか、ニコライは缶コーヒーを丸テーブルに置きながら説明した。 「ここ最近の事は分かっているだろう? おかげで外科医のほとんどが遠征に駆り出されたんだ。残ったのは内科医と 俺みたいな嫌われ者ってわけだ。ああ、患者も少しここを抜けたな」 「そうか。どうりで前の時よりも静かなわけですね」 ロジャーはそれに頷きながら缶コーヒーを片手に長椅子に腰を下ろした。プルタブは開けずにニコライの缶コーヒー の置かれている丸テーブルにそれを置いた。 「煙草は吸うか?」 診察待合室。白い壁と床に灰色の長椅子、丸テーブルが置かれている。いつもならば診察を待つ患者でごった返し ているのだろうが、今はこの二人しかいなかった。 「結構嫌いです」 「俺もだ」 「どうかしましたか?」 「いや、意味は無い」 僅かに笑いながらニコライは缶コーヒーをすすると再び丸テーブルに置いた。辺りに缶コーヒーの甘い香りが漂う事 は無く、消毒液の匂いが変わりに空間を満たしている。 「ヒースローさんの見舞いに来たって聞いてな、探すのは簡単だったよ。いや、別にお前をつけてたわけじゃない。さっ きも言ったが話あるんだ」 しばらくの間を置いてニコライはそう切り出した。ロジャーは彼の言葉に驚いた顔をして見せたが、例の如く半分笑っ ているような顔だ。 「コヨミちゃん知ってるんですか?」 「一応患者だしな。それ以上にあの歳にしては小さすぎるだろう? それでもしかしたら栄養失調かと思って色々な」 「えっ!?」 今度こそロジャーは驚いた。しかしニコライは肩を竦めて見せる。 「まあ、あの子にはかわいそうだが遺伝的なものだろうな。どうにもならないには違いないが」 「ああ、やっぱり」 どちらの発言も彼女にとっては失礼極まりないものだろうが、ここには彼女はいないのだった。 「話を戻すぞ」 ニコライは再びコーヒーをすすると短くそう切り替えした。 「バート、お前はナノアンプルを受けた事はあるか?」 「なのあんぷる? アンプルは針のついてない注射ですよね?」 「バート……」 今時子供でも分かるぞ、とは言わずにとりあえず説明を始めた。 「つまり、お前の言う針のついていない注射に医療用のナノマシンを詰めたもの、もしくはそいつを注射する事を言う な。あ、ナノマシンは細胞並に微小な機械の事だ」 それは分かりますよ、とロジャー。そしてそれと同時に記憶を辿る。そして、自分は病院で治療を受けた記憶が殆ど 無い事を思い出すのだ。あるとすれば数ヶ月前にたった一度である。それ以外ならば何年も前に予防接種を受けた程 度だろうか。 「注射……嫌いなんですよね……」 彼は正直に答えた。それはつまり覚えが無いという意味を持つ。 「お子様だな」 「そう言うニコライさんはどうなんですか」 さすがにムッとした様子でロジャーは尋ね返した。 「自分でも打てるが」 「自分で?」 「ああ、研修でそういう事もするんだ。時々な。患者の痛みを知れって意味だろうが、まあそれはどうでも良い」 何度となく話の腰を折られそうになりながらもニコライは何度となく体勢を立て直す。 「お前は前に大怪我をしているな。その時の採血がまだ残っていてな。送ってもらったやつを改めて調べさせてもらっ た」 シャツの胸ポケットから取り出した、幾つにも折られている紙をロジャーに渡した。 「なんですか?」 受け取ったそれを広げる。何回にも折られていたらしく、広げてみればその紙は意外に大きい。しかし、彼を驚かせ たのはその内容であった。白い紙にびっしりと敷き詰められた黒インクの文字、そしてそれはロジャーには全く理解出 来ない文字の羅列であったのだ。 「なんなんですか?」 見てもやはり分からないのでロジャーは再び尋ねた。 「……まあしょうがないな」 その紙を受け取り、眺める。確かに専門の略称や、彼自身のクセのある筆記体のせいで一般の人間には読めそうは 無い。 「遠まわしに言ってもしょうがないな。バート、お前の血液から多量のナノマシンが検出された。医療用じゃない事は分 かっている。だが、正体不明だ。型も、性質も分からない。専門家にでも聞かない事には分からないが、多分誰も知ら ない型だ」 「多量の……?」 ニコライの言葉にロジャーは自分の掌を見る。そこには変わる事の無いいつもの左手があった。バイク運転用の指 抜けの革グローブが黒い光沢を放っている。 「なんで誰も知らないやつだって?」 不安を紛らわせるためにどうでもいい疑問を投げかける。しかしニコライは調べた、と言うだけであった。 軽いショックを受けたようにロジャーは黙り込んだ。いくつにも折り重なった思考が脳髄を支配する。そして逆流する 記憶を辿るがその答になりそうなものはどこにも無い。全身に走る不安が虫唾のように汗腺から汗を噴き上がらせる。 「身に覚えが無いんだったらそれで良い」 ニコライはそんな彼を見かねたように口を開いた。どうやらこの男、思ったよりもナイーヴのようだ。 「この間の話になるんだが、お前、両親はどうした?」 話題などなんでも良かった。だが、口にしてみればこの若い男にしてみれば酷な話には違い無いだろう。それでも口 から漏れた大気の振動は人間に止められるものではない。 「えっ?」 しばらくの間を置いて今更気がついたようにロジャーは間抜けな返事をした。 「レイヴンになる事を賛成する家族なんていない。まあ、俺の知る限りではな。あ、いや」 ニコライはその言葉の途中である言葉を思い出した。ずっと前、と言ってもそれほど遠い昔ではないのだが、確かに 聞いたのだ。 「父親のAC? そう言えば。バートの父親はレイヴンだったのか?」 「あ、そう言えば言ってましたね。そうですよ」 「そうか、だからか?」 「なにがですか?」 その何気無いロジャーの答え、それにニコライは顔をしかめた。父親がレイヴンであった事はこれ以上無い切欠であ ろう。しかし、ロジャーはここでも肯定しようとしない。 「父親がレイヴンだった、それがお前がレイヴンになった切欠じゃないのか?」 その言葉から、しばらくの間を置いて、栗色の髪の男は笑うのだった。笑うと言ってもこれ以上無い無意味な笑いだ。 「コヨミちゃんにも同じような事聞かれました」 そして俯く。その視線の先には白く、そして僅かに濁った色が混ざる色がひしめいている。 「でも、最近分からないんです。なんでレイヴンになったのか」 そして、首を振る。自分自身を否定するように。 「いや、分かるんです。俺は何かを守るためにレイヴンになったんです。でも……」 そして再び自信を失ったようにうなだれる。 「ジーノちゃんの両親や兄弟を殺したのはレイヴンなんです。それにコヨミちゃんを怪我させたのもレイヴンで……、俺 の両親を殺したのもレイヴンで……」 「そういうものだ」 全てが言い終わらないうちにニコライはその言葉を遮った。ロジャーはその俯いていた顔をニコライに向け、驚いた 表情を作る。 「ACは少ない資源での破壊活動を第一に考えて設計されている。守るためには出来ていない。そしてレイヴンは企業 間抗争の触媒として存在する。守るために存在するわけじゃない」 非情な、医者である事が信じられないようなほどに非情な言葉だった。しかし、それは医者であるが故の現実を見た 言葉なのだ。 「自分というものが分からずにレイヴンとして戦っている者を一人知っている。そいつは自分の事が分からない。だから 誰よりもレイヴンに近い。そいつを見ていればレイヴンの本質と言うものは見えてくる」 地下に住んでいる以上その戦いはロジャーよりもずっと理解しているのだろう。 「でも……、そんなの嫌じゃないですか」 それに反論するのは意外なほど元気な、覇気のこもる声だった。 「どんなに奇麗事でもそっちの方が良いに決まってるじゃないですか」 もはや笑顔以外の表情など無いのではないか、そう思わせるほど満面の笑みだ。。 「答えはお前の中にあるナノマシンが知っているのかもな」 アルミの中にある黒い液体を一気に喉に流し込む。僅かに冷めたコーヒーはその苦味を増していた。 そこには一人の男しかいなかった。狭く、低く、暗い。鉄と油の匂いしかせず、音は巨大換気フィンの回転音と機械の 駆動音のみ。そして、そこに靴音が加わる。非常にゆっくりとではあるが、乱れる事の無い一定のテンポで。 トンネル、非常に弱い蛍光が道標のように続く。男はそこを進む。 男はそのトンネルを抜ける。抜けた先は真の闇。何も無い。何も聞こえない。しかし、男は手をかざす。何も無い空間 に向けて。そしてその瞬間闇は眩いほどの閃光に切り裂かれた。 光に照らされたのは真っ青な巨人達だった。皆同じ形状、同じ色をしている。型には逆さに落ちる烏が描かれ、膝を 折り、眠っている。その巨人がこの空間いっぱいに並んでいた。 そこは広く、高く、明るい。天井から降り注ぐ明りに男の長い黒髪が煌く。青い耐圧服で全身を包み、その目が覗く。 赤く、暗く、その中央で金色が輝く。 男は耐圧服越しにでも分かる筋肉質な体躯を大きく伸ばす。そして全身の機能を再確認するように両手を握り、開 き、握り、開きを繰り返す。それはあたかも生まれたての肉食獣のような傲慢で、非理性的な動きであった。 青い巨人が男を見下ろしていた。無機質で、無表情な巨人。その巨人はその保護バイザーで守られた両眼を赤く煌 かせると胸を開く。曲面を描いていた何枚もの走行板が幾何学的な動きと共に展開される。そしてそこには更なる闇が あるのだった。 雨を切り裂いて、赤い鉄塊が疾走する。既に慣れた街並みを、規制速度を超えたスピードで運転しているのはロジャ ーだった。目に冴えるようなオレンジ色のレインコートでその身を包み、黒いヘルメットを被っている。 完全に管理された車の流れを縫いながら、速度を緩めずに突き進む。そのまるで弾丸のような障害物にあたりの乗 用車は車列を乱す。 なにをしてるんだろう。 彼は自身に問う。 両脇のタンクや、後部席などの不必要な部分が取り外されているため、その外見は大きく変わっている。それだけで なく、100キロ近くも軽量になっているため、通常以上に加速する。通常ならば考え事などする暇の無い状況であるに も関わらず、彼は思いに耽っていた。 答え。 自分がレイヴンになった本当の理由。 レイヴンになろうと決意した時の気持ち。 思い出せない。 それとも単なる幼稚な憧れだったのだろうか。 分からない。 車の行き来も人通りも少ない通りに出る。リグの通れるように路面は強化合金が溶かし込まれ、幅広い。 ロジャーは躊躇わず更に加速させた。アナログ速度メーターが3桁を超えてもアクセルを緩めない。 これから、俺は戦いに向かう。約束された場所で、約束された目的のために。50000コームの報酬と、リグの無料 手配。でも……こうしている間にも誰かが死んでる。死にたくないのに死んでいく。そして誰かが涙を流す。止まらない。 止められない。俺には。誰かが泣いているのを止められない。 なんで、こんなに、弱いんだ。 「俺は!」 いつの間にか彼は叫んでいた。その叫びは彼の相棒たるバイクしか聞いていない。聞こえないのだ。 跳ねる水飛沫を受けながら彼は疾走する。 体内にあるというナノマシン。彼が言うようにそこに答えがあるのだろうか。 しかしこのナノマシンは一体なんだ? なぜそんな物が? なぜ俺に? 違う。そんな事よりも。もっと大事な事があ る。でも……。 不意に、目の前が曇った。違う、一瞬酷くなった雨によりバイザーが水浸しになったのだ。しかし、そのスピードにより 雨水は後方へ流れ、雫となり消えていった。しかし、開けた視線の先にはガードブロックに並ぶように花壇が置かれて いた。白いプラスチックに乗せられた土に、しっかりと根付いた黄色の花が目に入る。 僅かに道路に出ていた。今まで視界を奪われていたため進行方向も僅かにずれ、花壇に向かっている。このままで は……。 ロジャーは迷わずにフルブレーキをかけた。そしてそのままハンドルを反対に切る。幸い反対車線にも車の流れは皆 無であったため出来た事であったが、雨に濡れたアスファルトはそれを許さなかった。 その速度をそのままにバイクは転倒した。ロジャーは投げ出され、濡れたアスファルトに叩きつけられた。それだけで 止まらず、横転し、ガードレールに叩きつけられ、それで遂に止まった。仰向けになり、彼は天を仰いでいた。視線の先 には雨に歪んだ灰色の空。 全身に鈍い痛みが残っている。意外にも酷い痛みは無い。ヘルメットは確かに頭部を守っていた。だが、どこかに亀 裂が走っているのか雨水が滲んでいるのが感じられた。 エンジン音が聞こえる。ナインボールのエンジン音だ。それ以外には雨音、そして、自分の鼓動の音。 彼は呆けたようにそのまま動こうとはしなかった。見つめるのは雨水に埋もれた視線のみ。 考える事も面倒だった。息をする事さえも。全てがおぼろげで、無意味に思えた。何をするにも億劫で、馬鹿らしく思 えた。 腕が電子音を発する。正確には腕時計が鳴らしたものだが。もうそろそろ準備をしなければならない、その時間を設 定してある。 2時30分。 後30分でリグの迎えが来る。それまでに行かないと。でも……それがどんな意味を持つのだろう。助ける、守る。そ もそもそんな事が出来るんだろうか。 彼は全身が鉛のようになった身体を持ち上げた。気だるい。そんな彼の視線の先に黄色が、灰色の世界の中、まる で別世界のもののように飛び込んできた。 それは彼が先程轢きかけた花壇に咲く花であった。名前など分からない、黄色い花。 寒く、雨の降る今、しかししっかりとその花を広げていた。 「ははっ」 彼は笑った。 「はははっ」 今までの自分自身に対して笑っていた。 「はーあ、さて、早く行かなきゃ」 今までの自分が信じられなかった。自分自身の方がよほど馬鹿だった。 「あーあー……、後でちゃんと直してやるからな」 彼は黒いヘルメットを脱ぐと、装備無しでも250キロを超えるバイクを慣れた様子で立ち上げる。倒れていた右のウィ ンカーが破損し、ハンドルも曲がってしまっている。そしてなにより塗装も剥げ落ちて傷だらけになっていた。 「だからそう怒るなよ。お前と俺の仲だろ」 そして未だ不機嫌そうに不規則な排気音を響かせる“彼”に跨ると、何の迷いも無くアクセルを開ける。すると“彼”は 調子を戻したようにその身を加速させた。 本屋で少しばかりの雨宿りの後、再び雨降る世界に身を浸した。相変わらずのモノトーンの世界にウンザリする。 もうそういう季節なのだろう。寒い。地下にいる期間も長かったためそういう感覚には少しばかり疎くなっていたが、世 界は確かにぐるぐる回っているようだ。 雨をたっぷりと吸い込んだオーバーがどうしようもなく重い。革のコートでも新調してみようか。 そんな事を考えながら雨に乱反射された街を歩いていく。ばしゃばしゃと歩道の窪みに溜まった水溜りを弾かせなが ら、ここの大勢よりも高い視点で街を眺める。 俺は戦いはするが、戦争というものは体験した事は無い。レオス・クラインの乱は戦争と言うよりはただの討伐戦だっ た。世界で最も新しい戦争は大深度戦争か。30年戦争とも言われるこの戦争が始まったのが156年。今から67年程 前になる。 戦争というものに近い事が今世界で起こっているらしい。あちこちでな。 だがここは平和なものだ。 ネオ・アイザックシティ。 治安は良いのだろうが、フタを一つ外せばそこにあるのは硝煙と死臭だ。実際、今現在もACとディソーダーの群れに 死人の山が築かれているのだろう。 だがここは平和なものだ。 ネオ・アイザックシティ。 かつては新たな地平と言われた地上連立都市。 これが戦争ってやつか。 まあ、どうでも良い。おかげで仕事が増えるだけだからな。 問題は、俺の後頭部あたりで渦巻いてるこのざらざらした感覚だ。 遠方で工事でもしてるのか巨大なエンジンが鼓動する重い音が聞こえる。それに連動してこのざらざらした不快感が 血液ごと全身を駆け巡る。 ふざけるな。 今は過去の塊だ。だからと言ってその過去が今になって偏頭痛になるのは納得がいかない。おまけに名刺も自己紹 介も無しとくるとな。 そう考えると不快感は簡単に苛立ちに変わった。そうなれば目に見えるもの全てが変わって見える。どいつもこいつ も踏み潰してみたくなるものだ。 すれ違う傘、様様な色がある。俺が差せば黒なのだろうが、差そうとは思わない。雨の度にそんな荷物を持つ気はし ないからな。 そうは言ってもやはり雨に濡れるのは気持ちが良いもんじゃない。ショーウィンドウを抜けてアーケードに入る。 中は雨を避けた人間でごった返していた。俺にしてみればどうでも良いような物があちこちに飾り立てられている。そ してどうでも良いような人間。 やれやれ。 居心地の悪いアーケードを抜ける。そこには持っていた傘を差そうとする物が何人も見受けられる。これが正常なの だろうか。まあ、俺は自分を正常であると思った事などただの一度も無いが。 気分、ここに入る前よりも雨は弱くなったように感じられる。それでも太陽は気分でも損ねているのか水蒸気の塊にそ の身を隠していた。この雨が雪に変わるのはそう遠い話ではないだろう。 歩く。 宛てなど無い。俺の生き様そのまま、気ままに、無計画に、ただ独りで、重い身体を引きずる。いつの間にか歩道の 横は車道では無く、植林された自由空間になっている。そしてその向こう。巨大な時計塔が目についた。なんだ? 珍しく俺の好奇心が疼く。植林スペースの合間をぬって、その巨大な建築物に向かう。 形状は柱状。大理石だろうか、白い素材で出来ており、その登頂部分に円形の時計が分刻みで時を知らせている。 アナログ式ながらも、ずれてはいないようだ。全高でおよそ6Mから7Mってところか。 それを見上げながら向かうと、広場に出た。広場と言っても目的のはっきりしない、文字通りの広場。足元はアスファ ルトではなくレンガの歩道と芝生。季節でも変わる事の無い緑色だ。 待ち合わせ場所なのだろうか。しかし、雨のせいもあるのだろうが人は殆ど見られない。 そして、例の時計塔は丸い大理石の仕切りで囲われ、そこに土、植えられた低い木々。そしてその中央に時計塔が 佇んでいた。 雨に打たれ、土と接触している部分からは苔が伸びているのが遠目でも分かる。手入れの類はあまりされてはいな いようだ。 その下に白い傘があった。正確には白い傘を差している人間がいる。独りでこの時計塔を見上げているようだ。 こちらに気付いたのか、その傘がこちらを振り向いた。 「あら」 その傘は驚いていたようだ。長い金髪に青い目。あの時とは違い、桃色のロングスカートと白いストールを羽織り、あ の時とは印象が違う。だが、間違うはずは無い。 「偶然ね」 あの女だ。 何か言おうと思うが言葉らしい言葉が出て来ない。とは言えあの時のように激情に駆られるわけでもなく、思考に空洞 が出来たようだ。 そう、俺は普通に驚いているのだ。この女が言うように、単なる偶然に対して。 女は俺に微笑みかけ、ストールを羽織り直す。女の息は白かった。気付けなかったが、同様に俺の息も。 記憶の片隅、こんな事がかつてもあったのだろうか。 分からねぇ。 「なにをしてるんだ?」 まるで口が勝手に動いたようにして出た言葉は間抜けなものだった。他に聞く事など腐るほどあるだろうに。 女は意外そうな顔をする。 なるほど、確かに美人だろう。あの時のじいさんが呆けていたわけではないようだ。ニコライならば口説きにかかるの は確実だ。 だが……。 女はその視線は時計塔に移した。 「この時計はもう大昔のものよ。ネオ・アイザックの中心と言って良いわね。人は、自らの愚かさを認め、ここでアイザッ ク条約を結んだのよ」 そしてそこまでいうと女はもう一度微笑み、自分の真下を指差した。 「正確にはこの真下、かしら」 アイザック条約。 それは知っている。 大深度戦争で疲弊し切った地下世界、その中戦争を止める機会を失っていた中小企業、それら各主要組織の代表 が集まり、条約を結んだ。 その条約とはつまり、これ以上、この戦争を継続する事は無意味であり、ひいては全面的に放棄する。また、これ以 上の地下世界維持には限界があり、これを地上の復興という形で解決する必要がある。これに加え、それら公共事業 の推進には政治中枢たる政府を必要とする。 というものだ。 火星でそれなりに学生をしていたらしいニコライが言っていたのを思い出す。歴史のお勉強ってやつか。 「そのまま行けば、人は幸せだったのかしら」 こいつが言っているのは火星テラフォーミングの事か? まあ、確かに色々な意味での火種になったのは間違い無くこれだろう。こいつが企業の勢力を増大させ、逆に地球政 府は弱体化した。 進歩したのは技術だけ、人間はまだ戦争をしたがっているようだ。だが、 「知った事じゃないな」 どうなろうが構いはしない。それがレイヴンにとって最も好都合だからだ。 「質問していいかしら」 女は突然そう切り出した。 「あなたが、世界を変えるほどの力を得たとして、世界をどうしたい?」 あたりは雨音だけだった。それに加え、気に食わない女と俺の脳髄内で発せられる思考の声。 世界を変えるほどの力? 「どういう答えが欲しいんだ?」 「欲しいのは今のあなたの答え。どんな答えが返ってきても構わないわ」 思考を読ませない、海のように深い青い目。こいつがプラスだとして、やはりこれは義眼なのか? 世界を変えるほどの力。 意外にも答えはすぐに出す事が出来た。 「その時に考える。実際にそんな事はあり得ねぇからな」 そういう事だ。ガキが考えるもし動物に生まれ変わったら、やら、もし一つだけ願いが叶うなら、なんてやつだ。そして そんな事は絶対にあり得ない。そう決まっている。 女は微笑む。だが、実際に心までが微笑んでいるのか、笑う事の出来ない俺には分からない。それともそんな事は誰 にも分からないのか。 「そう、ね。そんな事は絶対にあり得ない」 でも、と女は付け加えた。 「デュライ。あり得ないから、諦める。それはとても、とても哀しい事じゃないかしら」 なにを言ってやがる。 「なに言ってやがる」 思考と同時に喉から声が出た。 「理想論よ」 女は悪びれる様子も無くそう言う。反論と言うわけでもないようだ。 「でも理想だから、憧れるの」 「好きなだけ憧れてりゃ良い。だが、夢を見た過去も無けりゃ理想とやらを考える必要も無い。少なくとも俺はな」 そしてその過去を知ってるんだろう。テメェは。 「……そう。でもそれはあなた自身の問題よ」 「どういう事だ」 「そういう事よ」 どういう事だ。 脳髄の中で繰り返す。圧倒的に無意味な言葉にしか思えないが、俺はそれを言わない。 「あんたはどうするんだ。その世界を変える力とやらで」 代わりにそれを聞く。模範解答とやらを聞いてみたいものだ。 女は唇に指を当てて考える仕草をする。見るからに考えてる、と言った仕草だ。分かりやすい。ただ、それが女が意 識しているものか、無意識なものであるかは俺の知るところではない。 「そうね。私なら捨てるでしょうね。出来るならだけど」 「なんのためにだ」 随分と消極的な答えが返る。模範解答とは程遠い。 「さあ、私もそれが知りたいわ」 自分でも分からないんだったら答えないで欲しいもんだ。それでなくともこっちは分からない事でいっぱいなんだから な。 「で、分かったらどうするんだ」 「どうもしないわよ。それ自体が目的のようなものだから」 「分かるように話してくれんか」 「あなたも同じようなものじゃない」 そうは思わんが。 あたりはより灰色が強くなった。おつむに降りかかる雨量が増えた分脳髄を支配していた余分な思考が流れ落ちる。 「なら分かりやすく言うわ」 本来の目的を思い出し、口を開く。 「俺は誰だ? デュライってのはなんなんだ?」 簡単で短い問いだ。分からないとは言わせない。 女は微笑み、こちらに向かって来る。やつが小さな歩幅で一歩、また一歩近づく度に警戒心が強まる。白い傘が揺れ る度、僅かな躊躇が生まれる。 こいつの考える事は分からない。本当の意味でだ。プラスであるかも知れないという事も含め、まるで異生物であるか のようだ。 そしてその異生物が今目の前にいる。傘に跳ねる水滴が目隠しのように女の表情を隠す。 「そうね、嬉しかったわ。名前、大事にしてくれているみたいで」 思考に再び霞みがかかるようだった。 なぜこの女の言う事はこうも俺を混乱させるんだ? 「あなたはどう思っているか分からないけど、出会いは本当に偶然なのよ。今も、その前も」 その手が俺に伸びる。女としては背が高い方だろうが、身長差のため僅かにかかとを浮かせているようだ。 そして俺は凍りついたようになにも出来なかった。 「元々大きかったけどやっぱり少し背が伸びたみたいね。サングラスなんて掛けちゃって。すっかり大人なのかしら」 冷たい手が頬に触れた。既に塞がってはいるが、表皮が薄くなるに従い神経が鋭くなっている傷口にまるで異次元の 物質のような乾いた感覚が広がる。だが、間違い無く人間のものだ。 「でも傘も差さないなんてまるで子供ね。風邪引くわよ」 視界が白く覆われた。ストールを掛けられたのか? 「あげるわ」 空を掴むようにして右手がそれを捕らえる。合成生地ではなく羊毛、毛糸の感触だ。 そしてその奪われた視界の向こう、既に遠ざかりつつある白い傘が歩いていた。非常にゆっくりで、手を伸ばせば届 いてしまいそうだった。 しかし、俺は何も出来なかった。 追う事も、声をかける事も。 白いストールを片手に、雨に打たれ、ただ独り、呆けたようにそこに立ち尽くしているしかなかった。 「いいのか?」 バーメンタイドが既にパイロットスーツに着替えたロジャーにそう声をかけた。 辺りは静かそのもので例の如く他の整備士は見受けられない。ACはロジャーのフエーリアエの他に青い逆関節AC が一機。その向こうには民間の作業用人型MTが3機並んでいた。全高は屈んだ中量二脚ACであるフエーリアエのお よそ半分程度だ。それぞれ黄色く塗装され、バレーナ製である事を示すナンバーが右肩に張り付けられている。 「なにがですか?」 赤と黒に塗り分けられた耐圧服に身を包んだロジャーはバーメンタイドが何を言っているのか意味を図りかねた。 「なにが、じゃなくてな」 バーメンタイドは何も無い、ボールのような自分の頭をぺしゃぺしゃと叩く。 「あれだ。ACの動作レスポンスを最小にした事だよ。画面に1を並べたのは初めてだぜ」 「ああ、そうですね」 やっと彼の言っている事に気付いたロジャーは頷く。 「すみません。親方一人に任せちゃって」 そして申し訳無さそうに微笑んで見せた。 しかし、バーメンタイドは方を竦めて見せる。 「設定変更なんてジーノ一人でも出来るよ……。ってそういう事じゃねぇよ、俺の言ってんのは……」 再びロジャーは頭にクエスチョンマークを浮かべるがバーメンタイドは構わず続けた。 「良いのか? 操縦桿動かした後余裕なんか屁ほども無ぇぞ? それにアクチュエーターも一回でガタガタになる。修理 費も少しだが繰り返せばバカにならない」 そこまで言ってロジャーは本当に理解した。 バーメンタイドの言っている動作レスポンスとは単純に、ACの反応速度の事を指す。もちろんの事だが反応速度は 速い方が良いというのは素人考えであり、実際にはある程度の余裕が設定されている。 これは機械の反応速度と人間の神経速度には明らかな差があるからであり、AC、またはMTを人の遅い反応速度に 合わせているのが現状である。もし機械の動きの方に人間を合わせるのなら、ちょっとした命令、つまり操縦桿の傾き にさえ敏感に反応する。動作のON、OFFさえも逐一の注意が必要となり、とても戦闘どころではない。 「でも、なんか遅いっていうか。そんな感じで」 だがそれもロジャーが繰り返した戦いの末出した結果でもあった。もちろん命令基準が最低レベルとなれば単純な反 射神経以上に的確な命令を下す技量も求められる。 「やってみれば慣れますよ。修理代はちょっと辛いかも、ですけどね」 しかしそう言って笑うのだ。まるでそんな事をまるで気になどしていないように。 「そんな単純なもんなら良いんだけどな」 何を言っても無駄なようだとバーメンタイド。諦め、その視線を別のものに移した。そこには見るも無残な鉄の塊が篭 城していた。 「あいつはどうする」 バーメンタイドはそのバイクを指差して尋ねた。装備を施していない点だけは不幸中の幸いと言ったところだろう。 「外装だけなら俺でも直せます。……ここの設備借りちゃいますけど。あと塗料とか」 ロジャーも酷い目に合わせてしまった自分の相棒を振り返る。 「ちゃんと頂くぜ。料金は」 それに間を置かずバーメンタイドは言う。 「コームは使えないよな? この場合」 そしてその言葉にロジャーは力無く微笑むのだった。 青い巨人が地下の暗黒空間を疾走していた。 与えられた目的を達成するために。 真の闇。 完全なる闇だ。 ACのブースターが吐き出す推進光がすでに破棄された、もしくは破壊され尽くした地下の都市を照らす。 深海のように静まり返った空間をAC特有の甲高い推進音が切り裂く。 そこが深海ならばそれは海底に積もる死骸だ。白い人型の機械と、生物的な外見を持つ多種多様な機械の山。あち こちから時折火花を散らし、純粋なる闇を汚した。 青いACはその死骸を跳び越え、また或いは蹴散らし、もしくは閃光の一瞥により蒸発させながら突き進む。 さながら死神のランプのように煌く赤い双眼が保護バイザー越しに爛々と煌く。 電磁プロテクトされ、許可されたパスワードしか受け付けないはずの都市間を遮断するゲートを次々と開放させる。 巨人を妨げるものなど何も無い。 そう、だからこそ存在しているのだ。 灰色の空からは冷えた雨が降り続けていた。 その下で赤い中量二脚ACが成す術も無く雨に打たれ、佇んでいる。時折頭部が光学カメラから緑色の尾を引きなが ら回転し、背部の対ステルスレーダーのレーダーブレードが雨というノイズを情報から取り去りながら正確な周囲の状 況をコックピットに伝達していく。 巨大な人型兵器であるACから見ても高い高層建築物が立ち並ぶ街並みを、近接戦闘強化型頭部EHD−GN−92 の光学カメラが鮮明な像でメインモニタに映し出す。 赤いAC、フエーリアエはこの街全体が見下ろせる中央電波塔の屋上でその時を待っている。 足元でヘリポートマークのついていた強化コンクリートがACの超重量に耐え切れずに時折乾いた悲鳴を上げる。恐 らく動き一つで難なく崩れてしまうだろう。しかし、この電波塔から見下ろす事の出来る光景はそんな事を感じさせない ほど悲惨なものだった。 アスファルトを埋め尽くすように、いや、実際埋め尽くしている金属の山。それはディソーダーと言われる自律装甲機 械が作り出した山だった。雨に打たれ、車に轢き潰された蛙のように無残な金属の内臓を晒している。 緑、茶、青、目にも鮮やかな金属片の中にはACの多重多種層行型装甲特有の何層にもなる装甲板がその圧倒的 な重量を持って他の金属片を押し潰している。それは白く塗装され、その塗装が剥がれた部分からは黒焦げた金属色 が覗く。それはヴィクセンと言われるACのものだった。 そして建築物はズタボロに破壊され、大穴が空き、崩れ、潰され、焼き尽くされ、原形を残しながらも鋭利な断面を持 って切り裂かれているものもある。 さながらゴーストタウン、いや、そんなものではない。 完全なる廃墟だ。 AC越しにも聞こえる静かな雨音。落雷の心配は無さそうだ。 ロジャーはカメラ越しに見えるやや緑色の強調された雨空を眺めながら思う。 さすがのACと言えど雷を受けて無事とはいかない。良くても電子機器は使いものにならなくなる事は必至だ。 レーダーに未だ反応は無い。時折雨の影響でノイズが入るが、対ステルスレーダー特有のノイズ除去能力の高さが それを一瞬のものとしている。気にするほどではない。 ロジャーは情報パネルを呼び出し、コンソールを操作すると今回の依頼文を呼び出す。ディスプレイに並ぶスペルを 把握するのも億劫で、音声を入れる。すると男の声が狭いコックピットに流れる。その声は極めて平静でいようとしなが らも何かを恐れているという感情が簡単に聞き取れるものだった。 『ジオ・ガード部隊の者だ。君達レイヴンも知っているとは思うが、ここ最近のヴィクセン騒動に我がシティも巻き込まれ た。もちろん旧型とは言え多数のACを相手にガード程度の戦力が太刀打ちできるはずは無い。レイヴンの協力を要 請するもその数は圧倒的だった。しかし、それよりも圧倒的な完全自律装甲兵器、ディソーダーの出現によって、皮肉 にもこのシティは全壊を免れた。もちろんディソーダーが我々人類を助けるような事をするはずが無い。おそらくは縄張 りを侵した外敵への排他行動であろう事は予想出来る。しかし、これが問題だ。 このシティがジオ社の管轄にある事は我々ガード部隊がジオ社に所属している事からも予想は出来るだろう。しか し、今回のヴィクセンとディソーダーとの戦闘がジオ社にとって不利益なものであったらしい。それがなぜかは我々に知 る術は無い……。問題は、このシティに存在する人命全てをジオ社直々に葬ろうとしている事だ。口封じなのか、それと もそれ以外の何かなのか……、我々に分かる事は皆無と言える。 このシティは東西南北四方、更には地下経路もジオ社管轄のものだ。偵察に出した自律航空機も対空砲火にあった 事から考えても我々に通常の方法で逃走出来そうにはないのだ。もちろんこのような非人道的な行為が許されるはず も無いが、先にも述べたようにこのシティはジオ社の管轄であり、ネットワークは遮断され、外部に今、ここで、何が起き ているか、知らせる事は出来ないのだ。しかし、我々の現状を知らせる事が出来る方法が一つだけ存在した。それが 完全な中立ネットワーク組織、ナーヴスコンコード経由のレイヴンへの依頼だ。 このような方法でしか我々の現状を外部へ知らせる事が出来ないのは非常に残念だが、ある意味ではこれはとてつ もない幸運とも言える。なぜならばACが強力な兵器である事は間違いの無い事だからだ。そこで、我々は逃走計画を 練り、君達への協力を要請する。 我々は現在既にエネルギーシールド機能の停止している地下施設に身を寄せている。民間人が殆どだがその人命 はおよそ一万。我々の力が及ばなかったばかりに助けられたのはこれだけだ。しかし今はそんな事を言っている場合 ではない。この施設も既に食料の不足や、酸素の欠乏で限界だ。しかし施設を出たところでこの状況では生きて出られ ないだろう。このままではいつ彼らがヒステリーを起こすか分からない。 このシティは現在閉鎖状態である事は簡単に 予想が出来るだろう。交通状況は破壊された建物がバリケードとなり車両による移動は極めて困難である。そこで、君 達レイヴンの乗るACが輸送されるのはAC輸送用の大型航空機であると思う。 分かってくれるだろうか。我々は軍用MT輸送用トラクターに民間人を乗せ、その輸送用の航空機によって逃走する のだ。この依頼文を君が読んでいるのならその願いはコンコード社に受け入れられている何よりの証拠だろう。もちろ ん君達の帰還する際の輸送手配は報酬分に含まれている。君達は我々が輸送航空機に向かっている間、護衛してく れ。 もちろんこれだけの人数だ。人をコンテナ詰めにしてトラクターに敷き詰めるなどと言う事は出来ない。そう言った理 由からトラクターは3両に分ける。一応全ての車両が同じ経路をとる予定だが、予期せぬ理由により分散させされてし まう可能性も考えられる。しかし、全て守ってくれ。1両でも破壊されたら報酬は無い。お願いだ。我々を守ってくれ』 ここで悲壮に満ちた願いは一旦打ち切られる。依頼を文章として読み上げていたディスプレイには依頼説明を3DCG のアニメーションで説明している。 緑色の線で表現された街並みを、緑色の線で作られた車両が3両、走り抜ける。それが終わる前に女性の声がコッ クピットに流れる。 『この依頼は複数、コンコード社に向け送られ、そして受諾されました。しかしお受けになったレイヴンはあなたひとりで す。その旨をご了承下さい。以上』 まったく感情の読み取れない、そもそもそんなものなど無いのではないかと思わせるには十分な冷たい言葉だった。 その言葉を聞くのはこれで二度目になるが、とても人間性を感じる事など出来ない。その内容もだ。 『レイヴン。聞こえるか?』 それからしばらくの間を置いて今度は無線越しにだが生の人間の声がヘルメットに伝えられた。厳しい、女性の声 だ。聞き覚えがあり、ロジャーの感が正しければテスト時にいたあの女性のものである。 「はい。オーケーです」 なるだけ明るい声で答える。そうでなくては不安に押し潰されてしまうだろう。 自分自身が。 『今、護衛対象の車両が発進したと連絡があった。この様子を見れば分かるだろうが、入り込み過ぎて発進地点と大き く距離が開いている。直進距離で言えば10kmにも満たないだろうが、そうもいかない』 広域を探索出来るレーダーがその様子を捉える。 小さな友軍信号を発する青い点がフエーリアエの後方、西を移動している。それが3つ。 「どのくらいかかりそうですか?」 その様子をヘルメットのバイザー越しに眺めながらロジャーは尋ねた。ほんの数分ならば戦闘自体も短い時間で済 む。ただ、輸送機が迎撃されてしまう可能性も否定出来ないが。 『10分程度……だな。この雨と破損したACの出すノイズのせいで自信を持っては言えない』 「10分ちょっとですか」 ロジャーはモニタの上にバックミラーのように取り付けられているディスプレイを見上げた。 14:43:11……12……13……14 無味乾燥な緑色のデジタルタイマーが現在の標準時間を告げる。 時の流れが異様に遅い。ロジャーは自分を落ち着かせるために小さく深呼吸すると、コンソールを叩き、ACの全機 能を最適化させた。その命令と同時にコックピット内が僅かに暗くなる。これはジェネレーターが一時的にその発電機 能を最小にしたためだ。機体全体の状態を現在の天候、状況、果ては自機状態自体にあわせ調節し最良にするた め、ジェネレーターは戦闘用の余分電力を意図的に縮小しているのだ。 ディスプレイに最適化を開始した事を示すグラフと数字が表示される。しかしそれを確認するのも億劫で、自分が何を しているのか、それを確信する自信が無い。 数秒も経たないうちにその作業は終了した。コックピット内は再び本来の明るさを取り戻す。 最適化により僅かにだがメインモニタによって表示される景色が鮮明になったような気がするが、あくまで気分の問題 なのかも知れない。 機能の異常はひとつも発見されなかった事が左ディスプレイに表示された。 狭い格納庫、更にその中、暗く、狭いコックピットの中、男はただ、その時を待っていた。 戦う許可が与えられる時を。 軽量コア特有の窮屈さが、僅かに男を苛立たせる。しかし、待つという事自体に苦痛は無い。なぜなら彼は待つ事に よって相手を追い込む術を知っているからだ。 その術とはあくまで自分は冷静である事。有利なのはあくまでこちら。相手は罠に掛けられている事に気付かず、攻 撃している事で有利であると錯覚する。その時、初めて相手は自分の身に起きる事を知るのだ。 しかし今回、彼は本格的な対AC戦、つまりアリーナ使用とは違う構成のACに搭乗している。本来の戦い方には向い ていない。しかしそれでも単純な戦闘能力はACとしては落ちていない。 セーゼカ 彼の最も信頼する召使いだ。 冷酷で、残酷で、その上従順ときている。それに今回は可愛いペットまで連れているのだ。この上無く頼もしい。 紫色に塗装され、無造作にアクセサリシールの貼られたヘルメットを傍らに男はシートにもたれた。 今はただ、敵レーダーレンジ外から目標が現れるのを待っている。 ミサイルや爆弾での爆撃も良いが、コストを考えてレイヴンである彼にその役割が与えられた。防衛戦力があるとして も良くてMT、ACの相手ではない。しかしジオはレイヴンを使いながらもレイヴンという存在を忘れていた。情報を閉鎖 しても、世界を覆っているナーヴスネットワークを完全に遮断する事は出来なかったらしい。 『レイヴン』 ディスプレイに赤い光が灯ると間を置いてノイズ音、その後低い男の声がコックピットに伝えられた。不愉快になってし まいそうなほど可愛げの無い声だ。 『車両が発車したのを観測した。3両。今データを送信している』 男は白い歯を剥くとヘルメットを被る。そして受信音声の出力をヘルメットに変換するとディスプレイを叩く。待機モード から通常モードに移行する。 『後は君に任せた。ただし、車両が何らかの形で予定戦闘領域を脱した場合、ミッションは失敗とする』 耳元から改めて発信される不愉快な声。 『それと今回想定していた戦力は……』 「ACがいるんだろぉ?」 男はその声よりも先に言ってのけた。彼の戦うための知能は今も発揮されている。 「俺は戦争の天才なんだよぉ」 コンソールを叩き、ハンガーに着脱要請信号を送る。いつまでもこんなところにいては彼女がかんしゃくを起こしてしま う。その前に男はするべき事をするのだ。 「コンテナもよこせ。早く」 自分は不機嫌である、その事を伝えるためにヘルメットに内蔵されたマイクを指先で叩く。おそらく向こうではくぐもっ た音が聞こえている事だろう。 その意思が伝わったのか、格納庫内の自走コンテナが動き出す。水色に塗装され、EWG−GSHDと表記されてい る。 その両方が凹凸に窪んだ口を開き、中からロボットアームが延びる。その先には銃が持たされていた。巨大だが、確 かに銃である。格納庫内の僅かな照明に黒光りする。 巨大な顎を思わせるハンガーがくわえていた金属の背から歯を放す。半人の鳥は逆に折れた膝を伸ばす。そして伸 ばした右手で銃を握るとまだ開放されていない格納庫を歩き出した。 慌てるように遅れて開放を開始する格納庫。しかし半人の鳥はそれに構わず正面の装甲を蹴りつけた。ACの超重 量に抗えずに装甲は倒れこんで外界への道を開いた。そこは降り注ぐ液体で銀色に彩られている。 『レイヴン!』 怒号がヘルメットに響く。その行為に対しては当然のように思われた。しかし男はうるさそうに顔をしかめるだけだっ た。 「俺はランカーだ。メイテンヘイデン。忘れるなぁ。俺はランカーだ」 そして甲高く笑った。全てを嘲るように傲慢な笑い声が電子変換され辺りに撒き散らされるのだった。 『レイヴン。西だ』 ロジャーが操縦桿を握ったのはその言葉と同時だった。いや、正確にはレーダーに反応があったのと同時にである。 グローブ越しに伝わる革をなめした操縦桿の感触が彼を緊張させる。 「はい、こっちでも分かりました」 答えながら左手でディスプレイを叩く簡易操作でフエーリアエを戦闘モードに移行させながら、右腕で操縦桿を傾け敵 反応に対して移動する。 『レーダー有効範囲外から車両が出てくるのを待っていたようだ。車両も我々の輸送機も対AC武装は搭載していな い。敵ACを撃破してくれ』 撃破? ロジャーの心臓が高鳴る。 それは殺すという事なのだろうか。いや、その必要は無い。戦いが出来ない状態にさえすれば良いのだ。頭部の破 壊、武装の破壊。いくらでも考えつく。しかしその方法が全て破壊である事にロジャーは気付いていない。 電波塔から降下し、スラスターを推進させ減速させ着地する。それでもACの超重量によってアスファルトは弾けるよう に砕け散った。 フエーリアエは右腕を持ち上げ、アサルトライフルの銃身をFCSに連動させる。この右腕は言わば砲身なのだ。その 方針からは降り注ぐ雨が枯れた滝のように消えていく。 ブースターが咆哮し、ACが加速する。 先程レーダーで捕らえた敵影をACであるとすると、探索範囲外から高速で戦闘領域へ侵入するためにオーバードブ ーストを使用する可能性が高い。もちろん急加速中はACのジェネレーターが大きな負担を受け、余分にエネルギーを 消費する。搭載されているジェネレーター出力にもよるが、更にそこから車両の探索となるとしばらくの間は出力不足 の状態であろう。その間に肉薄し、時間を稼ぐ。 レーダーの反応からフエーリアエが弾き出した敵ACへの距離はAC尺度でおよそ1000。比較的近いが、残骸に脚 をとられ、高層建築物に挟まれては探す事は容易ではない。それが相手にとっても同じ事であるのは幸運ではある が。 フエーリアエが建物に衝突する。コンクリートが砕け散り、ACの視界を塞ぐ。しかしACの重装甲はそんな事をまったく 意には介さない。 「なんだか……つらい」 やはりと言ったところだろうか。旋回の命令はすぐさま実行され、その度に何かしらに衝突してしまう。 単純に早過ぎるのだ。そのため予定していた移動経路を大きく外れ、もしくは転回し過ぎて衝突する。 初めは車の運転よりも簡単だと思っていたACの操縦。しかしそれもある程度の余裕があってのものだ。その余裕を 取り去ってしまえば、等身大の人型ロボットを全てひとりで操作するような操縦技術が必要となる。簡単なようで難しい。 突然、瞬間的なロックアラームの後なにかがフエーリアエの前に現れた。 鉄で作ったクラゲのような形状をしている。触手のように見えるのは長く尾を引く推進光。そしてその頭頂に毒針のよ うな砲身。 毒針が煌く。そこから発せられたのは雨という通常ならば光を屈折させてしまう障害を通り抜ける高指向性のエネル ギービームだった。進路を遮るものがあれば、触れる先から蒸発させ、一切その進路を変える事が無い。 突然の攻撃に回避が間に合わずフエーリアエは装甲を蒸発させる。 「戦闘メカ?」 見た事の無い相手に対してロジャーは疑問言葉を投げかける。その正体はオービットと言われる自律兵器だ。昆蟲 並みの知能を持つ牽引型小型砲台。そしてこれは言わば高速移動式小型砲台と言われるタイプだ。 その攻撃能力はACの装甲にもダメージを与えるほどのものだ。確かに軽傷だろうが、エネルギー兵器の性質上受け 続けていては不味い。 右マニピュレーターに接続されたライフルの銃身がそれを捉える。幾何学的な動きがACのFCSに予測され、フエー リアエがトリガーを引くのと同時に飛び出した弾丸がオービットを貫いた。推進装置を撃ち抜かれ、本体が重量に捕ま り落下する。そして落下の後行動方法を失ったオービットは機械音を発する雑音製造機となった。 フエーリアエはそれを踏み潰し、再び加速する。相対的に時速200キロを超える雨を全身に受けながらも目標をしっ かりと捉える。このまま前方。そしてその直線上には半壊の高層ビル。 ロジャーはフエーリアエの管理火器を左肩のロケットランチャーに切り替えるとビル一階部分に三発、発射させた。音 速で硬質の弾頭を持つ砲弾が着弾し炸薬によって炸裂、音を立ててビルが倒壊する。粉塵が舞い上がり、雨の中に消 えていく。 次第に小さくなる影。フエーリアエはブースターを使い跳躍し、その影を跳び越える。 『敵ACを確認した』 その途中、コンコードのオペレーターから通信が入る。ビルの倒壊のためか、雨のためか、不鮮明な音声だ。 『ACセーゼカ。レイヴンはメイテンヘイデン』 聞いた事のある名前だった。 その言葉とほぼ同じタイミングで粉塵が完全に雨に流され、その向こうにショットガンの照準を合わせる半獣の鳥の シルエットが浮かぶ。その直後にロックアラームが点滅する。 「っ!」 反射的に機体を傾けさせる。しかし予想よりも大きく機体は傾き、空中でバランスを失ったと判断したフエーリアエは 脚部スラスターを推進させた。その直後、宙で弾けた散弾が次々とフエーリアエの装甲を叩く。 『ネオアイザック10位のランカー。無敗でランカーにまで登りつめたレイヴンだ……』 それは意外にもとても心苦しそうな声だった。 メイテンヘイデンは苛立っていた。 中々破壊目標が見つからない。遮蔽物越しにFCSがなにかをロックし、試しにオービットを一基射出させてみたが、 迎撃されたところを見るとそれは敵ACであったようだ。 頭部に搭載されているレーダーユニットでは動きによる分別は出来ない。遮蔽物が多過ぎ、それも低性能のレーダー では探索を不確かなものとしている。 AC特有の甲高いブースト音。それがセーゼカの発するもの以外にもうひとつ、次第に近づいて来るのが分かる。 敵ACは背部にレーダーユニットを搭載していると見て間違い無い。そうでなければこうも確実には接近は出来ないは ずだ。 ロケット系統の兵器が発射されたジェット音が雨の街に響き渡る。そして今度はそれが着弾したのだろう、爆音が響 き渡る。 メイテンヘイデンはセーゼカをその場で停止させると展開させる。するとまさに目の前、既に半壊状態のビルの低層 階部分が火を吹き、粉塵を噴出しているのだ。 「おいおい」 有効射程距離に勝るオービットキャノンから右手のショットガンに火器管理を切り替える。そしてその銃身を崩れ行く コンクリート魂の向こうに定める。 舞い上がる粉塵は降り注ぐ雨に流されていく。そしてその向こう、灰色の空に鮮やかな赤いシルエットが浮かぶ。 僅かだがFCSが反応し、対象をロックする。 メイテンヘイデンは躊躇わずにトリガーを引く。それに連動しセーゼカはマニピュレーターを運動させショットガンのトリ ガーを引く。ショットガンから弾丸が吐き出される。炸薬により吐き出された弾丸は高速で吐き出された事により自重に 耐え切れず、破裂。散弾となって赤い目標に飛び掛った。 赤い目標はその攻撃に反応し、回避行動に入るがパイロットの操縦ミスでACは強制的にバランス制御状態に入っ た。その間に散らばった散弾が確かに着弾する。 『ACを確認』 合成されたコンピューターボイスが紫色のヘルメット内に鳴り響く。 敵ACは被弾に構わず空中で体勢を立て直すと自由落下によってこちらへ接近を始める。 『ACの詳細確認。機体名フエーリアエ。アリーナ登録無し。武装予想不可能』 メイテンヘイデンは目を見開く。 「フエーリアエ……」 何度その名を思い出した事か。 「フエーリアエ」 事ある事にその名は彼の中で甦り、屈辱を思い起こさせる。 「フエーリアエ!」 彼の唯一の敗北。唯一の敗走。油断していたとは言え負けたのだ。このACもどきに。 しかしそれと同時に彼は笑い感謝する。今日で悪夢ともおさらばだ。なぜならば負けるはずが無い事を確信してい る。今度こそ油断する事は無い。完膚なきまでに破壊し、焼き、潰し、砕き、殺す。そしてそれからも勝ち続けるのだ。 「今日はついてるぜ!」 セーゼカは跳躍する。主、メイテンヘイデンの命の元に。 先に仕掛けてきたのはセーゼカだった。逆関節脚部特有の跳躍能力を発揮し即座で空中接近する。 ロジャーは驚いた。敵ACの攻撃目標は自分ではない。それにも関わらず迷う事無くセーゼカはこちらへの攻撃を始 めたのだ。 しかしこれは幸運だ。相手の気がこちらに反れればそれだけトレーラーを攻撃されずに済む。後は出来る限り時間を 稼げば良いのだ。 セーゼカはその圧倒的な跳躍能力でフエーリアエよりも高高度へ飛び上がり、ショットガンを撃ち下ろす。 それを予測していたロジャーは予想される射線からフエーリアエを退避させるが飛び散る散弾を全てかわす事は出 来ずに次々と着弾する。 ショットガンの弾丸が発射の際に砕け散弾となるのは、構成しているのは重く、柔らかいという性質を持っているから だ。もちろん砕け散った後もその性質は変わらない。だからこそその威力はACの装甲に対しても十分な威力を発揮す る。 向かい合っていては分が悪すぎる。ロジャーはライフルによる牽制を加えながらフエーリアエを降下させる。セーゼカ もそれに順じてショットガンを撃ち下ろしながらフエーリアエに対して接近しながら降下する。 『レイヴン、時間を稼げば良い。勝てると思うな』 戦闘中であるためか、ノイズ混じりの通信が入る。 そんな事は分かり切っている。武装も単位別に見れば高価なもので構成されているセーゼカは単純に機能性で勝っ ている。アリーナでの戦いならば有利だろうが、残念ながら今回はそうではない。 自重で勝るセーゼカと先に降下したフエーリアエはほぼ同時に着地する。その二機を小高い丘のようになったビルの 残骸が遮る。 ロジャーはジェネレーターの逐電を待つ。しかしそれを待たずして丘を越えてふたつ、なにかが飛来した。オービット だ。 「さっきの」 反射的にブースターを使いフエーリアエを後退させる。オービットの照射したビームは降り注ぐ雨に熱を奪われながら も高い指向性を持ってその残像を撃ち抜いた。射撃精度そのものは高くはないのだ。 回避行動をとりながらライフルで迎撃する。しかし小型且つ高速で移動するオービットはすり抜けるように弾丸を回避 すると、1基が雨に紛れてフエーリアエの後方へ回り込む。一見すれば2基の連携のように思えるがあくまで昆蟲的な、 プログラムされた本能的動きに過ぎない。しかし、それゆえにその動きは俊敏だ。 エクステンション旋回ブースターが咆哮し、フエーリアエは高速で転回する。それと同時にライフルの銃身がオービット を捉える。ロックされた事でオービットはプログラムに従い回避行動に移る。極低出力ながらも4基搭載されたブースタ ーを使い予想した射線からその身を翻す。しかし、FCSがそれを許さない。即座にその動きの規則性を割り出す。ロジ ャーはそれを確認するとトリガーを引く。連動して発射された弾丸がオービットを完全に撃ち抜き、ふたつの機械の塊と なったオービットはそのまま墜落した。 フエーリアエの光学カメラのすぐ前方をビームが通り過ぎる。オービットの攻撃はロックアラームを伴わない。射撃は 低出力のレーザーサイトを使用しているのだ。 ほぼ反射的にロジャーはフエーリアエを後退させる。しかし不用意な操作により予想よりも高速且つ急に後退し、低 い建物に脚をとられる。僅かにバランスを崩し、フエーリアエは再び強制的にバランス制御状態に移行する。スラスター が作動し、行動に枷が出来る。しかしその銃身はオービットを捉え、ロジャーの命令によって弾丸が発射される。一発 が回避され、次には撃ち落とす。空中で炸裂し、降り注ぐ雨を切り裂いた。 近距離での敵影反応が無くなった事により背部のレーダーが通常のロングレンジに移行する。 静かな雨音と大気をつんざく推進音、しかしACの姿、反応は無い。 「……あっ」 謀られたか。オービットを目眩ましにセーゼカは車両を狙う。単に気まぐれで攻撃を仕掛けてきたかと思ったのは軽 率だった。 ロジャーはオーバードブーストを開始させる。スーパーチャージャーが展開され、雨や塵に構わずに大気諸とも吸収 する。そして圧縮された大気はブースターより出力され、ACの超重量を急加速させた。 遂に見つけた。メイテンヘイデンは口の端を歪める。 セーゼカの右手に握られたショットガンに連動したFCSは遮蔽物越しに目標車両を捉えた。まだレーダー有効範囲で はないが、それは問題ではない。 管理火器を背部のオービットに切り替える。これならば遮蔽物があろうが無かろうがオービットは自ら状況を把握し目 的の破壊に尽力してくれる。なんとも頼もしい鉄砲弾だろう。 トリガーに指をかけ、優越感に浸る。 彼は今ビルの向こうにある何千もの命を握っているのだ。引けば皆殺し、止めれば誰一人として傷つきはしない。そ う、運命を文字通り握っているのは彼なのだ。とは言えこれは仕事だ。皆殺しが与えられた目的であり、使命。それ以 上にこのまま見逃すのは、 「つまんねぇよなぁ……」 舌なめずりすると一車両にオービットを一基、指し示す。背部のオービットチャンバーではその使命を待つオービット が起立している。 あの馬鹿なフエーリアエは今ごろこちらを探しているのだろう。だが、もう遅い。ちょいとこの出っ張りをプッシュするだ けで俺は勝つ。お前はその後で良い。 もはや彼を止めるものも理由も無かった。微かに力を入れるだけでトリガーは引かれ、三基のオービットは解き放た れた。 チャンバーから射出されたオービットは迷う事無く目標を攻撃するはずだった。しかしオービットはフェロモンに誘導さ れる蜂のようにその進行方向を曲げ、対象から大きく外れる航路をとった。 「あぁ?」 彼らにとって魅力的なフェロモンとはデコイの放つ誘導電磁波であった。宙に浮かぶ白く丸い物体をオービットの放つ ビームが貫く。 その瞬間に誘導電磁波から開放され我に返るオービットだが、それよりも早く3基とも横から割り込んだ弾丸に撃ち 抜かれた。 「思ったよりも早いねぇ」 メイテンヘイデンはウンザリした表情を作ると管理火器をショットガンに切り換え、エクステンションの迎撃ミサイルラン チャーを起動させる。開き立つミサイルカバーに冷たい雨が降り注いでいた。 インサイドランチからばら撒かれたデコイにオービットは運良く反応してくれた。先程とは比べものにならないほどに素 直な直進コースをとり、オービットに向かう。 ロジャーはオーバードブーストによるGを歯を食い縛り耐えながら、ライフルで3基のオービットを狙い撃つ。 デコイに気を取られ、正確にはデコイの発する誘導電磁波に回避運動を妨害され回避する事叶わずオービットは一 基残らず燃え立つ火球となり、黒煙を噴出しながら落下していった。 強い雨に打たれるフエーリアエを減速させようとロジャーは一瞬操縦桿から右手を離し、コンソールに手を伸ばした。 しかし、その視界には高速でこちらへ向かうなにかが入る。 ミサイル? しかし右手にショットガン、両肩にはオービットチャンバー、インサイドにはミサイル兵器は無い。もちろん 左手もだ。となるとエクステンションの迎撃ミサイルランチャー……、そうか。さっきのデコイに誘導されて! ロジャーは本来人が瞬きも出来ない瞬間に思考を巡らせ、ミサイルを回避するため左の操縦桿を捻った。するとフエ ーリアエは急速にその推進方向を変える。しかし、それはレスポンス高速化に伴い急なものであった。 下降しながらもフエーリアエがビルに衝突する。ACの超重量がその衝撃を最小限のものにしているが、オーバードブ ーストを遮断する操作が間に合わず、遂にオーバーロードする。ジェネレーターが逐電状態となり、ACの機能も弱体化 する。 先程まで意外なほど静かだった振動が急に激しくなる。ロジャーはまるでコックピットでシェイクされているような錯覚 を覚えた。 これはオーバーロードした事により装甲間リアクティブ機能が弱体化したためだ。それに加え、慣性緩和機能も弱体 化したためコックピットフレームにも直接衝撃が伝わる。 ロジャーは着地を待ち、ただひたすら耐える。ヘルメットで守られた後頭部が何度もシートに叩きつけられ、操縦桿を 握る両腕が引き千切られそうになりながらも耐えた。 フエーリアエが左半身をビルに減り込ませながらも着地する。頭上からは粉末化したコンクリートと共に雨が降り注 ぎ、装甲を灰色に染めていった。 着地の衝撃と共にコックピットは一応の静寂を取り戻す。しかし気付けばオーバーロードを告げるアラームがけたた ましく鳴り響き、ディスプレイにはACの左半身の装甲が半分近く削げ落ちている事が表示されている。 そしてロックアラーム。これはセーゼカからのものだろう。 頭部光学カメラがかなりのダメージを受けたのか、そのメインモニタに映し出される映像は不鮮明なものであった。ノ イズが走り、時折色彩が暗転する。しかし、右手のアサルトライフルの銃身に連動するFCSは電子音と共にその先に セーゼカが存在する事を伝えている。レーダーユニットは……、外れ落ちたようだ。 ショットガンの銃口が炎を吐き出す。その炎が生み出すのは高速の軟質散弾だ。 ロジャーはライフルを3発発射させて牽制すると、ビルの中に身を隠すようにそのまま歩行させた。コンクリートとその 内部の鉄骨が、ACの超重量の前にあえなく砕け落ちる。 宙で弾けた散弾が雨を切り裂く。更にはその向こうのビルに深く食い込み、弾けるとコンクリートの塊を内側から破壊 した。ACの使用する大型の軟質弾丸は硬度の低い対象に対してはこうも強力なのだ。しかし、破壊力に対して貫通力 は無い。 メイテンヘイデンはビルの中のフエーリアエを捉えながらも手を出せないでいる。オービットを使おうにもあれだけ破 片が降り注いでいれば接触し、破損する可能性がある。 「降参かぁ? いや」 エクステンションの迎撃ミサイルランチャーの矢先をフエーリアエの隠れるビルに向ける。 いくら衝突に耐ええる装甲があると言っても重量自体はどうしようもない。およそ6万トンのコンクリート。いくらACでも 潰れる事は必至だ。 白煙をなびかせて、ただ直進する事だけを命じられたミサイルが8基、ビルへ向かう。そしてそのまま着弾、あるいは 外壁を貫通し内部で爆発した。爆炎が広がり、続いて白煙と黒煙が溶け合ったものが噴出される。ビルは次第に崩壊 を始め、その身をコンクリートの粉末に変えながら、消えていく。 再び爆発が起こる。その広がる爆炎を突っ切って赤いACがその身を現す。爛々と輝く推進光を背後に、ロケットラン チャーの照準をセーゼカに向ける。その姿はあたかも怒り狂う猛牛のようだ。 「派手だねぇ」 ロケット弾が迫るがその狙いは甘い。その場に動かずセーゼカは迎撃ミサイルを開放、牽制し、ショットガンを発射す る。 機体の状態は悪くない。レーダーが外れ落ち、装甲が数枚剥がれ落ちたがウェイトバランスの最適化と同時にそれ 以外の機能も最適化されたようだ。ロジャーはACの高性能に心から感謝しながら接近しながらアサルトライフルで攻 撃を加える。 とにかく時間を稼げれば良い。 14:46:15……16……17…… 異様に遅く感じられる時間のロジャーはそう思う。 目的は車両を守る事だ。破壊する必要は無い。こうして中間距離で貼り付けにしていれば時間は過ぎてくれる。そし て、誰も死なずに済む。 セーゼカの搭載している武装は持久力に劣る。強化型ショットガンが36発。オービットチャンバーに搭載されている のがオービット18基。迎撃ミサイルランチャーは簡単な照準しか出来ず、レーザーサイトすら使用出来ないため脅威で はない。時間を稼ぐ事が出来ればそれだけで有利に立つ事が出来るのだ。 しかし次の瞬間にセーゼカの左腕が輝きレーザーが照射された。照射型レーザーブレードによるレーザー攻撃だ。そ れはフエーリアエの右肩に触れ、大きく跳ね飛ばす。 通常のレーザー兵器には無い強烈な衝撃でメインモニタに表示される画像が激しく上下する。しかし、それに臆する 事無く機体を立て直し、ライフルを向ける。が、その銃身の先にはセーゼカの姿は無いのだ。 レーダーが外れ落ちてしまっているため発見が遅れたが、次の機械音にその位置が直感的にだが分かった。 逆関節脚部に優れた跳躍能力を使い上空へ。そしてスーパーチャージャーを展開し降り注ぐ雨ごと大気を吸収してい る。 そうはさせない。一度オービットにロックされたら機動力の無い対象は逃れる事は出来ない。発射されればデコイで 誘導するか、破壊するしか無い。しかしオービットは瞬間的にだが高い機動力を発揮し、攻撃を回避する。容易ではな い。つまり、射出されたら終わりだ。 ロジャーもフエーリアエのスーパーチャージャーを展開させる。ノイズ混じりの機械音がコックピットフレームに響き渡 る。 14:46:35……36……37…… 時間の流れがこれ以上無く、遅く感じられた。本当に、これ以上無く。 14:46:35……36……37…… 時間の流れが早い。このままでは車両に逃げられる。 そうはいかない。これ以上退屈な戦いにカロリーを消費する気は無いのだ。 前頭葉が痺れを切らし、セーゼカに加速の命令を下す。フエーリアエは先程のレーザーとそれと共に照射されるプラ ズマジェットで動きを封じられている。それでなくともこいつの動きを読むのは、極めて容易い。 加速で平衡感覚が狂う前に残りの武装をチェックする。 ショットガンが20発。牽制に使い過ぎたか。オービットは残り12基。3両の車両破壊には3基あれば良い。十分な数 だ。迎撃ミサイルが20基。威力は無いが牽制には使える。特に馬鹿が相手なら。機体の状況もおおむね良好。 宙で悠々と街を見下し、目標の現在位置を予想する。先程ロックした場合、サイト内の目標は彼から見て右に流れて いた。ならば、その延長線上にいる可能性が高い。 スーパーチャージャーで圧縮された空気がブースターを通して出力され、ACの超重量が加速する。 コックピット内は慣性が緩和されているとは言え、それでも圧倒的な加速にGが発生する。しかしメイテンヘイデンは 慣れていた。このGに耐える事が出来なければレイヴンなどやっていられない。出来なければ止める前に、死ぬ。殺さ れるのだ。それが出来るものに。 ロックしてしまえば後はオービットの仕事だ。先程のようにデコイの邪魔さえなければ確実に目標に向かい、攻撃す る。それに自機と目標との延長線上、つまりFCSの認識範囲外ならばその影響は無いのだ。匂いも感じず、視界にも 無い蜜に蜂が誘惑される事のと同じである。 オービットチャンバーに連動するFCSが遮蔽物越しに対象を捉えた。メインモニターにはそれを示すロックサイトが表 示され、目標までの予測距離が弾き出される。その目標はみっつ。 これでひと段落だ。 メイテンヘイデンはオーバードブーストによる圧縮空気推進を切ると余剰推進力をそのままにトリガーに指をかけた。 しかし、トリガーを引いたのとほぼ同時にセーゼカはこれ以上無い強烈な衝撃を受け、空中で大きく吹き飛び、体勢 を崩す。 なんだ!? 意味も分からずにメイテンヘイデンは機体を安定させようとブースターを吹かし、セーゼカも自らの判断でスラスター を出力する。しかしそれでは足りずにさながら空中花火のように推進光を煌かせながら落下していく。チャンバーから 射出されたオービットもその勢いに抗えずアスファルトに激突し爆発した。 その途中、激しく回転するメインモニタにそれは見えた。セーゼカ共々宙で錐揉みしながら落下する赤いACの姿が。 先程の衝撃はACの超重量が高速で衝突した事によるものだったのだ。 運転手は怯えていた。褐色の肌を真っ青にして前方の車両に付き従っている。ハンドルを左右に切る度格納庫にい るおよそ3500の命の事を考え、文字通り自分の手中が命運を握っている事を恐れ、なにより遠方から聞こえる爆音 と振動が彼を怯えさせていたのだ。 「軍曹。そんなに緊張すんなよ」 助士席に乗っている顎鬚の上司が彼の肩を叩き落ち着くように声をかけた。 「しかし中尉、この車両には3334の人命とバレーナ製の電子機器、エムロード製のエンジンと名前も知らないような中 小企業が作った部品が搭載されてるんですよ!」 軍曹は錯乱状態になったかのように訳の分からない事を喚いた。しかしこの言葉は彼にしてみれば精一杯の強がり であった。 中尉もその事は十分分かったらしい。再び肩を叩いてシートに踏ん反り返った。 「今更どうこう言ってもしょうが無ぇ。俺らは運転するだけ。ACがちゃ〜んと働いてくれるかどうかで命運は決まるのよ」 車両が何か大きなものに乗り上げたが、それはまったく問題無かった。 「それにジオは車造るの苦手だしなぁ」 中尉はどうでも良い事を付け加えたのとほぼ同時だった。前方ほぼ100Mあたりの上空を巨大な影が二つ通り過ぎ たのだ。そしてそのままビルをひとつ飛び越え、その向こうの建物に激突したようだった。 「んなっ!?」 あれがACである事を反射的に悟った軍曹は車両を止めようとブレーキを踏む。 「阿呆垂れ! ここで止まってどうすんだよ! 進め! 進め! さっさとこっから抜けろ!」 しかし中尉は軍曹の足を蹴り付け、怒鳴った。 先程の様子からいくらACと言ってもすぐには動けまい。ここで止まっていても何の解決にもならないのだ。そう考えた のは他の車両の運転手も同じらしく加速を始めた。しかしこれだけ残骸が散乱した路面を走行するには時速100キロ が限界だ。それ以上速度を上げれば咄嗟に障害物を回避できない。 加速に伴い振動も酷くなる。 「安全運転だぜ。軍曹」 「法定速度はとっくに超えてますよ!」 二人は未だに訳の分からない口論を続けていた。 軽い鞭打ちになったような全身の痛みを抑え付け、ロジャーは操縦桿を握った。メインモニタには灰色の壁と降り注ぐ 雨が映り込んでいる。うまく転倒は避けられたようだ。直立状態でビルに激突した形となっている。 ロジャーはすぐさま脚部ブースターを推進させ、フエーリアエを後退させる。今レーダーの無い状態で少しでも機体を 停止させていたら攻撃され、または再び車両を攻撃されてしまう。そうはいかないのだ。 機体を安定させ、転回し周囲を見渡しながら機体の状態をチェックする。ディスプレイに大きな警告の字は無く、前面 装甲に僅かなダメージがある程度である。 「フエーリアエ。まだ、大丈夫だよな? よしっ」 レーダーが使用出来ないとは言え、視界センサー、ライフルに連動するFCSで目標の動向を探る事は出来る。ロジャ ーは頭部を回転させ周囲を窺いフエーリアエを加速させる。そして大きな交差点の中心で停止させ、再び頭部を回転さ せた。 北の交差点から3両の車両が向かっているのが分かる。 『レイヴン。敵ACは?』 無線が安定したのを見計らってコンコードの女性オペレーターから通信が入る。レーダーでこちらが停止している事 が分かっているために確認をしようというのだろう。カメラの映像を連動させているわけではないので詳しくは分からな いのだ。 「え〜っと、動きが無くて」 ロジャーがそれに答えるのとほぼ同時だった。FCSが遮蔽物越えになにかを捉える。サイト内を高速で移動し、数値 で表される距離は次第に小さくなっている。 フエーリアエのブースターが咆哮し、自らその距離を縮める。 セーゼカがこちらよりも車両に近づいてはいけないのだ。もしそうなってしまえばサイトを撹乱させる事が出来なくなる し、壁になる事も出来なくなる。 それは駄目だ。 ロックサイトで捉えられた、おそらくセーゼカであると思われる目標がビルの間を抜けて姿を現す。しかし、それは、 「違う!」 オービットであった。宙で目標をその矢先に捉え、高速で移動する。 ロジャーはすぐさまフエーリアエにアサルトライフルを連射させる。くすぶる薬莢が降り注ぐ水滴を蒸発させ、燃え立つ 弾丸が空間を貫く。しかしその射線上に存在していたオービットは高速でその進行方向を変えると弾丸を回避し、その ままフエーリアエの横を通り過ぎようとする。 そうはさせない。 ロジャーはフエーリアエのライフルを持った右腕を振り下ろさせるとその機械を打ち据えた。空中とは言え圧倒的重 量に殴打され、そのまま墜落すると推進器から炎を吹き上げ沈黙した。しかし、それで安心する事は出来ない。 彼は旋回ブースターを咆哮させる。 オービットを囮に本体は奇襲を仕掛けてくる。ロジャーはそう読んだのだ。しかし、メイテンヘイデンはそれ以上に賢 く、狡猾だった。 先程オービットが飛び出した建物の影からその跳躍能力を活かして上空にその姿を現したのだ。その腕に握られた ショットガンの銃身は真っ直ぐに車両を見据えていた。 旋回ブースターはテンションリロードが間に合わない。見事にはめられたのだ。 ロジャーは転回を待たずにブースターと脚部のスラスターを使い後退させる。 幸いなのはセーゼカの射撃武器がショットガンのみだという事だ。中間距離からの散弾は裏を返せば小さな対象を確 実に撃ち抜く事が出来ない。とは言え軟質弾丸は装甲の施されていない対象を確実に破壊する。運だけに頼る事は出 来ない。 発射された弾丸が宙で弾ける。それをフエーリアエの肩が受け止め、旋回ブーストと共に狙いを定める右腕がライフ ル銃をセーゼカに向け、放つ。しかしセーゼカはその弾丸をかわそうともせずにその銃身を逃走する車両に向けたま ま次弾の装填を待っている。 ライフルでは駄目だ。脅威が無さ過ぎる。 ロジャーは管理火器をロケットランチャーに切り替えると車両の壁となりながらその照準をセーゼカに向ける。殆ど動 きの無い相手にその攻撃は命中するかと思われた。しかし、ロケットの発射と共にその動きは豹変し、ロケット弾を回 避そのままフエーリアエに突進を仕掛けた。 「っぐう」 ロケットによる攻撃に構え過ぎていたロジャーはその突進をかわせず衝撃にうめきを洩らした。重量に勝るセーゼカ はそのままブースターによる推進と共にフエーリアエをビルに押し付ける。ロジャーもブースターを出力させ対抗するが 敵わず、コンクリートが拉げ、粉々になりながら雨と共に地に降り注いでいく。 ロジャーはコンソールを叩きコアの迎撃機銃を自動発射させた。しかしセーゼカはフエーリアエを押さえつけたまま動 かず、軽弾丸を受けながらチャンバーを開放させる。そしてチャンバーの中から飛び出した2基のオービットは宙に浮 遊しその狙いをフエーリアエに定める。 旋回ブースターが咆哮する。それによって遂にフエーリアエはセーゼカを振り払い、ビルからその身を乗り出す。しか しフエーリアエを出迎えたのはオービットの放つエネルギービームであった。高指向性のビームが雨を蒸発させながら 装甲に到達し熱を与える。液化した金属が蒸気を放ちながら弾けた。無視出来る威力ではない。 ライフルで迎撃する。しかしロックされた事と弾丸の接近を察知したオービットは素早くその身を翻す。その間にセー ゼカは車両へ向かい加速を始めた。 「このっ……」 オービットの破壊を諦めビームをその身に受けながらフエーリアエはその後を追う。オービットは初めにACから装填 された電力が切れれば無力化する。その標的が自分であるのならば構わない。しかし、車両は狙われてはならない。 一撃でもビームの洗礼を受ければ、車両はともかく内部はそうはいかないのだ。 ロケット弾を背後に撃ち込みながら機動力に勝るフエーリアエはセーゼカを追い抜き、先回ブーストを使った振り向き 様のブレードを見舞う。しかしセーゼカはそれよりも早く、高く跳躍する。そして次弾の装填がまだであるオービットから ショットガンにその管理火器を換えると車両の列に向けて発射した。しかし、一瞬早くその射線にフエーリアエが割り込 む。装甲に弾丸が食い込み、しかしそれを避けた散弾が車両の頭上で炸裂した。 砕けたコンクリートが車両に降り注ぐ。一片が1キロほどの重量だが30Mほどの高さから落下すればその破壊力は 強力なものだ。車両の運転手は加速してそれを逃れるが、路上の残骸に脚をとられる。 フエーリアエはライフルで再び牽制する。しかしそこへ先程のオービットが飛来しビームでフエーリアエを攻撃する。ど こまでもしつこいのが自律兵器の強みだ。だが、次の瞬間には電力切れを起こし、雨と共に地に落ちて行った。 「ウゼぇなぁ! 本当にぃ」 メイテンヘイデンは苛立ち、あの時の事を思い出す。 油断だった。相手の技量を見誤り、無駄弾を使い過ぎた。更には完全に敗走させられ、無力化させられた。 今回はそうはいかない。油断などしない。 そう、彼は本気のはずだった。 だが、あの時と同じなのだ。 ロジャー・バートは次第に勘が良くなる。狙いが甘いとは言え弾丸の雨をかわしきるなど素人に出来る筈が無いの だ。 そして今回もACを手足のように使い車両を守っている。まるで後頭部にも目がついているようにだ。空間認識能力が 違うのか。それともこれが資質と言うものなのか。 だが、今は自分が上だ。どんなにこれから強くなろうが今は自分が上なのだ。 散弾を発射する。今度の目標はフエーリアエだ。装甲にも疲れが見え始める頃だ。この雨で装甲間リアクティブ機能 が弱体化しているためでもあるだろう。特に散弾はその機能を弱体化させるのに優れている。残り18発。中量級の装 甲なら十分撃ち砕ける。 散弾がフエーリアエに着弾し乱跳弾する。軟質弾丸が弾け装甲を切り裂く。 それに対してロジャーは接近戦を挑む。ショットガンの破壊力が発揮されるのは至近距離だが、フエーリアエの攻撃 能力が最大に発揮されるのも至近距離だ。それに車両を狙われないためにもそちらのほうが都合が良い。的になるの は自分だけでいい。 二機のブースターが咆哮する。落下方向を捻じ曲げられた雨が推進光と共に吹き乱れる。超重量のACが足元のあ らゆる残骸を踏み潰し、吹き飛ばしながら交錯する。 セーゼカが左腕から光を照射する。貫通能力だけではなく強力な運動エネルギーを持ち合わせるレーザーとプラズマ ジェットだ。それがフエーリアエの右肩に命中し、装甲を何枚も弾き飛ばす。更に強力な衝撃によってフエーリアエはス ラスターを噴出しバランス制御状態となる。その間にメイテンヘイデンは跳躍し地面を滑りながらフエーリアエの側面に 回り込む。そして至近距離からショットガンの一撃を加えようとしたその時だった。 フエーリアエの両肩から閃光が迸る。その閃光が与えた推進力がフエーリアエを急速旋回させ、それと同時に左腕か ら延びる3条の赤い閃光が振り払われた。降り頻る雨を吹き飛ばし、蒸発させる熱線がセーゼカの左腕を舐め、装甲 を吹き飛ばし内部機構の全てを蒸発させた。 「うおっ!?」 一瞬の出来事にメイテンヘイデンは何が起こったのかすぐには理解出来なかった。しかしディスプレイに左腕を失っ た事が表示され、皮一枚、いや装甲一枚で繋がっている事が分かった。 「チックショオ!」 メイテンヘイデンはセーゼカを後方へ大きく跳躍させ、その間に左腕からのエネルギーの流出を止めさせる。甲殻類 の殻のようになった左腕から引き出すどす黒い潤滑油と眩い火花が止まり、彼はひとまず安心する。しかし、地獄から の雄叫びのような機械音がその安心を吹き飛ばした。 メインモニタに映る赤い影。それは瞬く間に大きくなり、フエーリアエのシルエットを完全なものとする。背部からは圧 縮空気に吹き飛ばされ、推進光に照らされる雨水が雪のように揺れていた。 メイテンヘイデンは反射的にトリガーを引く。連動して発射された弾丸が弾けるまでほんの数瞬間だ。しかし、フエーリ アエはその瞬間を駆けた。右旋回ブースターが咆哮し、超出力ブーストによる進行が無理矢理捻じ曲げられアスファル トへ激突せんとする。しかし時間差を置いて始動した左旋回ブースターが更にそれを補整し、再びセーゼカに向かう。 その間に弾けた弾丸が街の中に吸い込まれていった。 目を疑うしか無かった。弾丸とACの速度を合わせ相対的に音速の約3倍の弾丸をかわすようなものだ。レーザーを かわすのと違い時間的な余裕も無い中、人間に、それも機械を操作してそんな事が出来るはずが無い。 しかしフエーリアエはそんな甘えた考えを許さなかった。3条の赤いレーザーが発生し、セーゼカの左腕を完全に切り 裂いた。宙を鉄塊が舞う。 ブレードの使用による制動によりフエーリアエは強制的にオーバードブーストが停止し、余剰出力でセーゼカの横を 通り過ぎた。 糞が! 損傷は左腕だけだ。背後からならショットガンでジェネレーターを撃ち抜ける。 メイテンヘイデンは逆関節特有の旋回能力を駆使してフエーリアエよりも先に転回しようとする。今ならば旋回ブース ターもテンションリロード状態で使用出来ない。ブーストジャンプによって撹乱しようが、その時は車両をぶち抜く。 計算し尽くしたはずだった。それが彼の知るACの全てだったからだ。しかし、次の瞬間に再び赤い影が駆ける。 セーゼカが振り向いたのとほぼ同時にその横をフエーリアエは通り過ぎた。そしてその今日即行動を可能とするのは オーバードブースターだ。通常よりも眩しい推進光が尾を引く。 逆に背後に回られ、ショットガンの銃身は虚空を睨む。 メイテンヘイデンが背中に冷たいものを感じ、セーゼカに跳躍を命令した時には超高温、超強力のレーザーとプラズ マジェットがACの多重多種層行型装甲を飴のように切り裂き、右肩から腕を切断した。切断面が火花を散らし、宙を 舞う。血のようなどす黒い潤滑油があたりを黒く染め上げる。 やられる! ウェイトバランスが崩れ、右アタッチメントポイントから血を垂れ流すセーゼカは空中でバランスを失いかけていた。左 腕が無くなっていたのである意味では均等が取れたがACに搭載されているコンピューターはそれを理解してくれるほ ど融通が利かない。この状態で攻撃を受ければそのまま墜落、それでなくとも装甲間リアクティブ機能が弱体化し、大 きなダメージは免れない。 フエーリアエは先程の動きで酷使したジェネレーターを休ませているのか宙へ逃げるセーゼカを追おうとはせずにア サルトライフルによる追撃を加える。 マシンガンやショットガンは装甲間リアクティブ機能の裏をかいた連続衝撃によって多重多種層行型装甲に対抗す る。それに対してライフル弾丸は炸薬強化による弾速、弾丸口径の大型化による単純な威力強化によって対抗する。 だが、装甲間リアクティブ機能の弱体化した今、ライフル弾丸の威力は最大限に発揮される。 弾丸が着弾する度高硬度装甲が拉げる。ウェイトバランスが崩れた事による最適化がそれにより阻害され、このまま では最適化を待たずして破壊されてしまう。 『止めろ! 俺の負けだ!』 セーゼカから外部音声が発せられた。炸裂音と金属音、そして雨の音。それらを切り裂き街に大音量で低い男の声 が響き渡る。それに合わせ、フエーリアエも接近しながらも攻撃を止めた。 セーゼカがスラスターで衝撃を和らげながら着地する。しかし足元に散らばっていた装甲とアスファルトが吹き跳ぶ。 『もう武器は無い。俺の負けだぁ』 ロジャーはフエーリアエの攻撃態勢を解かせない。エクステンションの迎撃ミサイルも、コアに設置されている迎撃機 銃も輸送車両程度を破壊するには十分な威力をはらんでいるのだ。 『銃を下ろしてくれよぉ』 スピーカのすぐ近くではその大気の振動に雨がその軌道を変える。 『背中に銃向けられたままじゃ逃げるにも逃げられねぇ』 『エクステンションとか、コアの迎撃が残ってる。ビットも』 ロジャーは始めてメイテンヘイデンに応える。出来るだけ完結に。 冷静であろうと努力しているのだが、原因の分からない痛みが全身を駆け巡っていた。それが時折彼の思考を奪い、 身体が操られる。まるで深海に落ち、海流に巻き込まれるように。宇宙に漂い、しかし重力に捕まるように。 視界に閃光が走る。しかしそれは錯覚だ。自分にそう言い聞かせ、トリガーにかけた指を放さない。 『オービットは残っちゃいねぇよぉ』 メイテンヘイデンも応える。それには行動も含まれていた。 セーゼカの突き出た胸から更に突き出た機銃が空を仰ぐ。そして虚空に向かい弾丸を連射した。バラバラと薬莢が 撒き散らされ、金属音を響かせる。更に残された左エクステンションポイントから迎撃ミサイルランチャーが外れ落ち、 重力に従いアスファルトに吸い込まれていった。そしてその間に迎撃機銃の弾丸も底を着き、ガトリングが空回りしてい た。余程のトリックが無い限り弾丸が尽きたと考えていいだろう。 『さあ、こいつでいいだろぉ? 銃を下ろせよぉ』 14:45:23……24……25…… 異様なまでに遅く感じられていた時間。異常なまでに引き伸ばされた感覚。しかしそれが正常になり始めるのをロジャ ーはデジタル表示される標準時刻を眺めながら確認する。 26……27……28…… 落ち着けと自分に言い聞かせる。深呼吸を繰り返し、焼けるような熱さに似た痛みが神経を痛めつけている事を忘れ る。そして自ら時間をカウントし、感覚を調整する。 『……分かった』 相手が戦いを望まないのなら銃を突きつけたくない。無力化しているのなら尚更。そう思い、ロジャーはフエーリアエ にライフルを下ろさせた。 無線を通してオペレーターと車両の搭乗者のやり取りが聞こえる。ACの聴覚を介して静かな雨音が聞こえる。そして 重い足音。 セーゼカがゆっくりと後退していた。フエーリアエの様子を窺いながら次第にその距離を離す。 『さて、じゃあなぁ』 ブースターが咆哮する。そしてそれと同時に、 『そうそう、気に入るかぁ? プレゼントだぁ』 チャンバーからオービットが次々と射出された。6条の閃光の尾を引く牽引型小型砲台がフエーリアエの通り過ぎ、推 進する。 『あ』 ロジャーの間の抜けた声がヘルメットを越えて外部音声となり街に響き渡る。そして我に返るとそのライフルを持ち上 げるが、 『良いのかぁ!? それでぇ!?』 その声に気付く。今狙わなければならないのはこの卑劣なる半人の鳥ではない。今撃たなくてはならないのは倒すた めでも時間を稼ぐためでもない。 旋回ブースターが咆哮する。しかしそれでは真後ろまで振り向く事は敵わずロジャーはフエーリアエをビルに激突させ ながら機体を振り向かせた。そしてスーパーチャージャーが展開され大気を吸収し、圧縮空気がブースターに送られ る。 『ははっ! 頑張れ! 頑張れフエーリアエ! ははっ!』 メイテンヘイデンは笑う。強い者が弱い者をなじる時の笑い声が拡張され、増幅され辺りに振動を与えた。 それを甲高いブースト音が引き裂く。通常よりも眩い推進光が雨の中で乱反射し、辺りにグラデーションを彩られる。 そして、大気を切り裂き超重量が加速を開始した。その足元でアスファルトが砕け飛ぶ。 FCS有効射程外からライフルを乱射する。オービットはロックに対して反応し回避行動をとるため、実質的に飛来物 を関知し回避するわけではない。 弾丸がオービット一基の推進機を掠め、その衝撃でそのオービットは高速でビルに激突、大破する。それにより撒き 散らされた金属とコンクリートの破片に後続のオービット1基が巻き込まれ、墜落した。 オービットは推進する。ただ命令を与えられ、目標を察知し、攻撃する。それだけだ。生命が子孫を増やそうとするよ りは確実で明確な使命を絶えられた機械はその目標が何であるのかなど気にも止めない。 それを追うACは乗り手の意思を自らの意思とする。破壊も守るも殺すも生かすもACはそれを選ばない。レイヴンが それを選ぶ。 ロジャーが選択したのは守る事だ。今まで自分の知る事も無く殺されていった人々の数に比べれば塵に過ぎないよう なものでも、せめて目の届く人々を守る。レイヴンならばより多くの人々の危機を知る事が出来、ACに乗ればより遠く の人々を見る事が出来る。例えそれが全くの幻想に過ぎないとしても、例えそれが完全な奇麗事だとしても、例えそれ が有り得ない事だとしても、ACに乗り人々の命を守る。 今なら言い切れる。 ただそのためだけにレイヴンになった。 有効射程内に入った事によりFCSが反応し、連動して自動照準されるライフルの銃身から弾丸が吐き出される。 ロックに反応しオービットは高速で回避行動に移るが、後方からの攻撃に対応し切れずに撃ち抜かれる。しかし残り 3基がFCSの有効範囲外から逃れるため一時上空へその進路を変える。そして目標との間に遮蔽物が無くなった事を 確認すると更に加速を始めた。 フエーリアエがエネルギーの残量が少ない事を告げる警告アラームを鳴り響かせる。幾度にもわたるオーバードブー スト、その圧縮空気出力がジェネレーターに負担をかけているため、通常よりも逐電出来る量が減っているのだ。 ロジャーは迷わず右手の指全部を使いコンソールを思い切り叩き、シートの脇にあるハンドルを倒す。ディスプレイに 表示されるデジタルフォントなど気にも留めずにハンドルを戻す。 コックピット内が耳障りなアラームで満たされる。それはジェネレーターが通常では有り得ない危険な状態になった事 を知らせるものだった。 それはリミッター解除と言われるジェネレーターのエネルギー生産過多状態に移行したものだ。ジェネレーターの生産 能力を無視し、コアが限界までその生産を要求する。およそ30秒の間だがジェネレーターの生産するエネルギー量は ACでも使い切れるものではなくなるのだ。ただし、その後はジェネレーターは焼き付けを起こしACは動く事も侭なくな る。 だがロジャーは迷わない。軽量且つ高出力のオービットの直進機動力はACの通常推進による機動力を超える。オー バードブーストによる加速中でなければ追撃など出来ないのだ。 遮蔽物越えにFCSがオービットを捉える。ビルのカーテンが遮るものをライフルの吐き出す硬質弾丸が貫く。しかし貫 通すると言っても直進するわけではない。幾度も発射し、遂に反応が消える。 交差点がACに広い視界を与える。フエーリアエは旋回ブースターにより即座に方向転換し、その直線上の車両の列 を確認する。そしてそれに飛来する二つの影。 フエーリアエの光学カメラが目標を捉え爛々と輝く。その光は降り注ぐ雨を照らし、その影を作り出す。 ライフルによる攻撃を尽く回避されながらもほぼ至近距離にまで接近し遂にもう1基を撃ち砕く。炎を噴出す鉄塊と化 したオービットはそのままどこかへと迷走して消えていく。 残り1基。先程のオービットと並列するように推進していたそれを追い抜き、オーバードブーストを停止させると旋回ブ ーストにより即座に展開、最後のオービットの前に立ちはだかる。 目の前の遮蔽物に対しオービットは即座に空中でブレーキをかけた。推進器が前方へ出力され、減速する。 フエーリアエのライフルの銃身がそれを出迎えた。これならば回避は出来まい。 ロジャーは迷わずにトリガーを引いた。ACがそれに連動し右マニピュレーターの人差し指を屈伸させ、トリガーを引 く。FCSは目標までの距離、更には動きから予測した未来位置を弾き出す。 しかしそれだけだった。 本来発射されるはずの弾丸が発射される事は無く、オービットはフエーリアエの悠々と、しかし高速で通り過ぎ、車両 へエネルギービームを次々と照射する。 フエーリアエが転回するも、間に合わない。 熱を奪われながらも直進し、ビームが車両に着弾する。黒かった車両は一瞬にして赤熱し、熱と光を発散させながら 次の瞬間には爆発した。四散し、跡形も無く。 ディスプレイに踊る数字。それは、0/230。残弾無し。 目標を失ったオービットは二車両を見下ろしながらしばらくその場に滞空し、バッテリーが切れたのか今までの俊敏な 動きが嘘のように重力に捕まり、雨と共に自由落下した。 『レイヴン。車両3が大破した』 女の声。 『テメェレイヴン! 何してやがる!』 男の怒号。 フエーリアエはただ見下ろしていた。雨に打たれ、機体のあちこちから蒸気を噴き出している。 『作戦は一応失敗だ。だが奴を撃退出来ただけでも幸運だな』 声。 『トンマが! お前みたいな死肉喰いに任せようと思ったのが間違いだった!』 怒号。 その中で男が目を見開いていた。全てが虚ろで嘘のように見えるのだ。 『そのまま残りの二両を護衛したまま戻ってくれ。第2派が来ないとも言い切れない』 声。 『くたばっちまえ!』 怒号。 途端にフエーリアエが逃げるように疾走する。その背部からは眩い推進光が伸び、超重量を後押ししていた。 『レイヴン、なにをしてる。戻るんだ』 その声に応えるのはACの吐き出す甲高い排気音、そして切り裂かれる大気の叫びであった。 セーゼカはジェネレーター出力が限界にまで弱体化していた。ブースターを使用する度にコンデンサは底を着き、着 地の度によろめく。おそらく装甲間リアクティブ機能などは作動してはいないだろう。バランサーもガタガタだ。 これは両腕が切り落とされた事で回収されるはずだったエネルギーが流出したためだ。潤滑油の流出も出力弱体化 に拍車をかけている。 「おい。迎えに来てくれよぉ」 メイテンヘイデンは悪路を歩いているための振動により音を上げる。いくらACとは言え歩行では街ひとつを越えるの には時間がかかるのだ。 『お前が無理をしたせいでそんな事は出来ない』 それに対してコンコードのオペレーターは冷たく突き放した。その言葉には明らかな嫌悪の念が込められている。仕 事と割り切っていても多くの場合レイヴンとはどうしようもないならず者なのだ。相手にするのにはそれなりの対応の仕 方というのがある。 「冷てェなぁ」 『それに』 レイヴンの言葉を無視してオペレーターは続ける。 『ランカーのメイテンヘイデンがこんなふうになるとは思いもしなかったんでな』 その言葉の向こう、無線にはそのオペレーター以外の笑い声が含まれていた。これ見よがしに遠慮の無い笑い声 だ。顔が見えないだけに不快極まりない。 メイテンヘイデンは無線を自ら封鎖する。 とんだ恥さらしだ。大見得切った後だけに苛立って仕方が無い。 だが、それとは関係無くもう奴とは戦いたくない。むしろ前回での戦いでは初期機体に近い構成だった事がとてつもな い幸運だったようにさえ思えるほど、奴は強い。いや、正確には強くなる。 侮ってなどいない。全力で戦ったつもりだった。 それを……。 セーゼカのレーダーが後方に何かを捉える。赤い点が点滅し、僅かにコックピット内を赤く染める。 メイテンヘイデンは寒気を感じた。背中を蛆が這いまわるような嫌悪感と不安。そしてその蛆が鋭く毒を持つ牙を持っ ているという恐怖。全身が縛り上げられるようだ。 彼はセーゼカに旋回させる。レーダーに映ったものが何なのか。思い過ごしならおそらく今まで味わった事が無いよう な安心感が彼を包み込んでくれるだろう。だが、そうはならなかった。セーゼカの光学カメラが捉え、メインモニタに映し 出された赤い影は、見間違うはずも無い。 フエーリアエ。 光学カメラから迸る眩いばかりの緑色の光はリミッター解除によるエネルギー生産過多状態になっている事を知らせ る。そして背部から光臨の如く推進光が煌き赤い影を黒く縁取る。 アスファルトを引き剥がしながらフエーリアエがセーゼカに迫る。ジャンプの命令を下すも間に合わず、今となっては 重量で劣ってしまっているセーゼカが大きく跳ね飛ばされ、そのままアスファルトを抉りながら転倒する。 慣性緩和機能の弱体化のためメイテンヘイデンは気が遠退くほどの衝撃を体中に受ける事になった。引き千切れん ばかりにシートベルトは彼を押さえつけ、コックピット中の計器が振動の度に不快な音を立てる。 泥の中に消えかけた意識をメイテンヘイデンの意思が引き戻す。しかし、メインモニタに映し出される不鮮明且つノイ ズだらけの映像に彼の思考力は奪われた。 そこには左腕を振りかざす赤い巨人がいた。そしてその左腕から延びるのは3条の赤い閃光。降り頻る雨が蒸気を 吹き上げ、それが後方に流れている事がその腕が振り下ろされている事を示していた。 「やっ、止めろ」 メイテンヘイデンは呟く。しかしフエーリアエは無慈悲に腕を叩き下ろした。 とてつもない衝撃を伴う金属音があたりに響き渡る。 レーザーの眩い光も熱もそこには無かった。ただ、金属が拉げ、砕け、飛び散る様だけであった。 フエーリアエの眩いほどであった光学カメラの光が弱々しい。そして左腕はセーゼカの突き出たコアを叩きつけてい る。 ジェネレーターが焼付けを起こした。そして動作以外にエネルギーを使用出来ない状態になっているのだ。 「は……、ははは……」 助かったとメイテンヘイデンは乾いた笑いを洩らす。だが、途端にノイズが入るのだ。初めヘルメットに内蔵されたス ピーカーがガリガリとノイズを発し、次には唸り声が聞こえる。 「ああああぁぁぁぁあぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁっぁあっぁぁぁぁっぁぁぁっぁあぁあぁぁ」 恨みや、怒りや、そう言った負の感情を一手に背負うような人間的で、しかし肉食獣にも似たような唸り声がノイズ混 じりに耳をつんざく。 それは砕けたマニピュレーター内に走っていた光ファイバーを通して通信されている声だった。つまり、フエーリアエに 乗るレイヴンの声。 『あぁぁぁぁっぁあああぁぁぁっぁぁぁぁっぁああぁぁぁっぁぁぁぁああぁっぁあああぁぁあ』 その唸りに呼応するように外部から遮断されているはずのコックピットフレームに金属の軋む音が伝わってくる。それ はつまりこのコックピットフレームが押し潰されている事を示していた。その光を失った腕で。 コックピット内がそれによる状態異常を告げるアラームと文字で満たされる。 メインモニタには猛り狂う赤いACの姿が見えた。その左腕がそのコアに突き立てられている様子もまざまざと光学カ メラは伝える。 「止めろ! 止めろって!」 メイテンヘイデンは性懲りも無く命乞いをする。しかし外部音声が潰れたらしくその声は空しくコックピット内に反響す るだけであった。光ファイバーを通して伝える事も出来ない。 『あぁあぁぁぁあっぁっぁぁあぁっぁっぁっぁぁっぁっぁぁっぁあぁああぁっぁぁぁぁ』 その唸り声にさえ潰されてしまいそうだった。 軋む音に何かが折れるような破壊音が加わる。もはや余裕など無いように思える、個人にしてみれば世界の終末が 訪れるような音だった。 『ああぁぁぁぁぁっぁあぁっぁぁぁっぁぁぁぁぁっぁああぁあ……』 突然ノイズと共にその唸り声が書き消えるとフエーリアエの左腕が肘から折れた。内骨格フレームに押し上げられた 装甲、アクチュエーターが飛び散る。どす黒い潤滑油が噴き出し辺りを黒く染め上げ、そしてエネルギーの流出が火花 という形であらわれ、辺りを明るく照らす。 そしてフエーリアエは沈黙する。光学カメラからは命の灯火を思わせる光が消え、その機動が完全に停止する。 辺りには雨音だけが残った。巨人と半人の鳥は成す術も無く雨に打たれたままそのまま動く事無く風景に溶け込んで いく。 そして、まるで何事も無かったかのように、半壊の街は沈黙を取り戻すのだった。 それはうるさい機械音を発しながら己の望むままに動いていた。甲殻類のようなシルエットは赤く彩られ、這うように 暗闇の地下都市を移動している。 その形状を見ればある程度の知識がある者ならばそれがリグの一種であると判断出来るだろう。しかしそれはリグに してはあまりにも巨大だった。 それはまるで全てが己の元にあるかのように傲慢なそれはビルなど意に介さずそのままコンクリートを粉砕しながら 突き進むのだ。 それは巨大だった。無敵だった。 しかしそれ故に他の「白い者」とは違い簡単に場所と場所を通り抜ける事は出来ず、後に残っていたのは残骸、残 骸、残骸である。 うんざりだ。あまりにもつまらない。 それはその巨体を持て余してはいたが悔やんではいなかった。 他とは違うその姿にそれは、自分は特別だという優越感に浸り、また抜きん出た性能に満足しそれを熟知していた。 俺は俺だけだ。 俺以外は俺じゃない。 俺が俺だ。 俺は俺以外では有り得ない。 それはその思いを赤い装甲に内包し、突き進む。 地球という世界から見れば実に細かな粒でしかないそれは、しかし確かに自分がその中心に立っているという事実を 知っていた。これは間違い無く今までに無い力であると。 都市と都市を遮断ゲートがそれの前に立ちはだかる。しかしそれは迷う事無くゲートの横で鈍く銀色に金属光沢を残 す端末に左マニピュレーターの先から延びるコードを接続する。 システムに干渉し、強制的にゲートを開けさせる。 自分そのものであるこれには出来るとそれは確信している。今までこの方法で開かなかったゲートは無かった。だ が、その時は違った。 システムに干渉しようにも、既になにかの命令を受けて完全なまでにそれを拒否している。 そしてそれはレーダーという感覚で後方にある何かの存在を知った。まるで幾つもの目があるような奇妙な感覚を既 に慣れたものとしたそれは転回する。機械音が沈黙を切り裂き、静寂を覆い尽くす。 『KqQF8v249Y。ユニオンジャック』 それは電波を受信する事の出来る耳でその声を聞いた。聞いた事のある男の声。 そして、向き返った時にそれはいた。 不吉なほど真っ青に塗装された中量二脚ACがそこにいた。頭部からは光学カメラから零れる赤い光が青い装甲を 紫色に染め返す。 見た事のある、そしてフライトナーズにとっては知っていて当然のACである。 『クラぁイン!』 それは叫ぶ。 レオス・クラインが搭乗するAC、セントラルドグマ。 『そうか! テメェかあ! 俺を! こんなふうに! しやがったのは! クライン!』 まるで直感、根拠など無いが、それはそう確信した。 『ファンタズマ』 それに対してクラインは応える事無く、それをファンタズマとだけ言った。 ファンタズマと言われたそれの発する機械音以外に辺りに機械を発するものは無く、静寂がふたつの巨体を包み込 んだ。 『こぁたぁえぇろぉ!』 ファンタズマは時間をかけてそう唸る。 『時折、お前のような存在が現れる』 クラインは応える。しかしその内容は分けの分からないものであった。少なくとも、ファンタズマにとっては。 『分けの分からねぇ事言ってんじゃねぇ!』 ファンタズマは叫び、頭首のキャノン砲から幾条もの閃光を発する。連なり、一条のレーザーのように煌くそのプラズ マビームがセントラルドグマに向けられたが、それを回避され、セントラルドグマは建物にその身を隠す。 『お前の行動を観測し、その結果予知不可能要素と確認した。お前のような存在、それは許されないものだ。不遇、不 運に同情する事は無いが、その姿である事に対しては絶望があるだろう。ならば私がその絶望を取り除く』 再び声。例の如く一切意味の理解出来ない言葉だ。 『消えろ。イレギュラー』 そしてその言葉が合図であったかのように異変が訪れた。 天井部分から次々と砲台が顔を現し、その砲身をしっかりとファンタズマに定める。そしてそれだけに留まらずあちこ ちに放置してあった自動車のエンジンがかかり排気音が辺りに響き渡る。電力の供給されていないはずの信号機が 青、黄、赤と点滅を始め、建物内の蛍光灯が光を発し始めた。 『なんだぁ?』 ファンタズマはその奇妙な現象に声を上げる。人間の身体があれば首を傾げていただろう。 天井砲台が一斉にレーザーを照射する。その光はそのまま赤い装甲へ到達、するかに思われた。しかし、次の瞬間 にはその光は奇妙にその進行方向を捻じ曲げ、辺りのアスファルトを蒸発させた。そして赤い装甲のまわりには虹色 のプリズムオーロラのようにファンタズマを包み込んでいた。 それは今では運動エネルギー干渉フィールドと言われるものである。それもとてつもなく高出力の。 それに介さず無人のはずの自動車が次々とファンタズマに突進を仕掛ける。もちろん運動エネルギーという意味での 破壊力は他のAC用武装に比べて皆無にも近いため運動エネルギー干渉フィールド、即ちシールドに次々と本来有り 得ない運動エネルギーを与えられ吹き飛んで行く。 しかしそれはファンタズマにとってさえもあまりにも突拍子も無い出来事に思えたに違いない。なぜならば無人であ る。放置されているのならガスはともかくバッテリーは切れているだろう。それが難なく動いているのである。 考える事など許さないように半身をビルに隠しながらセントラルシグマは左肩のプラズマキャノンを構える。重なり合っ ていた電極が二つに分かれ、熱がプラズマに変わる。そしてプラズマ加速装置が音を立てて起動し、プラズマ火球が照 射された。指向性の与えられた火球は大気を燃焼させながらファンタズマに命中する。しかしファンタズマに展開されて いるシールドはプラズマイオンを熱ごと発散させる。装甲に一切のダメージは無い。 見ればシールドのせいでファンタズマは可視光線さえも捻じ曲げその姿は蜃気楼のようにおぼろげとなっている。そ れほど強力なシールドが展開されているのだ。 ファンタズマの後部ラッチから小型機械が10基、射出される。オービットだ。 それはクラインに対する攻撃を命令され、推進光をたなびかせ10条の閃光はセントラルドグマに向かう、はずだっ た。 途端、10基のオービットはあろう事かファンタズマにその攻撃目標を変え、一瞬にしてその巨大な機体を取り囲むと エネルギービームを照射する。しかしそのエネルギービームもシールドの干渉を受け辺りを蒸発させるだけであった。 とは言えファンタズマは苛立つ。 何が起きてんだ。いや、こいつはなにをしやがったんだ。 答えは無い。全く。 『ウゼェぞ! クソッタレクライン!』 ファンタズマを取り囲んでいたシールドの光が消え、しかし次の瞬間に極小規模だが都市中が美しいオーロラで満た された。七色のプリズムが闇を喰らい尽くす。そしてファンタズマは再び光に包まれ、その光が世界を塗り替えるよう に、全方位に向かうレーザーとなって何も構わず薙ぎ倒した。 全てが蒸発してゆく。光を遮るアスファルトも、裏切ったオービットも、砲台も、あらゆるものが白く消えていく。 そしてその光が消えた時、辺りは静寂に包まれていた。そしてその静寂の留まるそこはまるで核兵器を使用された焼 き野原だった。全てが大雑把で、全てが不確かな形状、そして全てが燃えカスのようだ。 『ぎゃっぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ!』 ファンタズマはその様子に満足そうに笑う。そしてその圧倒的力に抗える者など無いと再び確信する。あのレオス・ク ラインでさえ今の自分の前にはトーストに過ぎない。 だが真っ白の世界から緑色の光が現れ、その奥にいる青い巨人を照らす。 その光も運動エネルギー干渉フィールドを展開するレーザーであった。その光に守られた青いセントラルドグマは装 甲表面が醜くただれながらもしっかりその姿を留め、存在していた。 レーザーライフルから高出力のレーザーが照射される。 水ではない蒸気が渦巻く空間を貫きレーザーが赤い装甲に向かう。しかしそれさえも触れようとする瞬間進行を捻じ 曲げられ、熱を与える事も無く虚空に消えていく。 ファンタズマはセントラルドグマが無事であった事に驚きながらも負ける事は無いと確信していた。 相手がACならば次々と装甲を弾き飛ばすほどの高出力レーザーがこのシールドの前にはまったくの無力だ。プラズ マ兵器さえ。 プラズマビームが次々と照射される。焼き尽くし、溶かし尽くし、蒸発させ尽くしながらプラズマイオンと熱がセントラル ドグマの残像を捉える。セントラルドグマはそれを回避しながらも装甲表面に熱を加えられ僅かに赤熱する。 その間にもレーザーによる反撃がなされるが全くの無力だ。 ファンタズマの背部ラッチが展開し、巨大な2基のミサイルが射出される。そのミサイルはしばらく推進すると分裂し、 内部からそれぞれ4基のミサイルになり、更にそれぞれが4基に分裂し、更に4基に分裂する。 一瞬にして総数128基となったミサイルが地下都市を覆い尽くし、たった一つの目標、セントラルドグマへとその鎌首 を向ける。 だが、それも先程のオービットのようにその目標を変え、それぞれ衝突しながらファンタズマへと向かう。 白い噴煙が黒く影を落とし、炸裂した爆炎がその全てを吹き飛ばす。幾重にも連なった爆発が赤い巨体を覆い尽く し、地下空間を赤く照らした。 単なる爆炎と言えどその運動エネルギーと熱エネルギーが瞬時に発散するエネルギー量は単純にレーザーのそれを 圧倒する。例えその目標が高硬度金属の塊であったとしても砕け散るには十分な威力であった。 だが、それは全くの無傷のまま爆炎の中から姿を現した。表面で滞留する運動エネルギー干渉フィールドが全てを払 い除けているのだ。 『なぁにしてんのか知らねぇけど、テメェは俺を殺せねぇぇ』 ファンタズマは無力であるクラインを嘲る。そして爆炎に紛れ接近を試みるセントラルドグマを見つけ、姑息だと笑うの だ。 プラズマビームが掃射される。セントラルドグマは掠めただけで生物ならば蒸発してしまう高温に装甲を焼きながら接 近を続ける。 しかし反撃のレーザーも、プラズマも、小型ミサイルの連射も全く通用しない。ただひたすらその高出力シールドは攻 撃を拒み、しかし都合良くファンタズマの攻撃だけは透過する。ACなど比べものにならないほど高性能の兵器だ。 遂にプラズマビームがセントラルドグマの右肩を捉える。超高熱にさらされ右肩装甲が一瞬で弾き飛び、そのまま右 肩のミサイルランチャーを焼き尽くした。爆発が起こり、セントラルドグマが吹き跳ぶ。ビルに叩きつけられ、高熱を宿し た右肩が破損、脱落する。 『ぎゃーぎゃっぎゃっぎゃっぎゃ!』 不快な笑い声が都市の満たす。 そして今度都市を満たすのは美しいオーロラであった。ファンタズマを包んでいたシールドが消え、別の白い光が包 む。先程の全方位レーザーだ。 セントラルドグマはそれを待っていたかのように素早く動き始めた。左マニピュレーターでKARASAWAを掴み上げる とオーバードブーストを開始する。 KARASAWAのレーザーが照射され、それが光に包まれているファンタズマの装甲に到達し蒸発させる。シールドが 消えているためだ。 しかしファンタズマはそんな事は意にも介さずに全方位レーザーをあたりに照射した。都市中が再び高熱にさらされ、 辺りは次々と影を失う。 その中青い巨人は光の中に高速で突き進んで行った。KARASAWAを放り捨て、左腕で輝く緑色の光を文字通り盾 にするも運動エネルギー干渉フィールドが屈折させたレーザーさえもセントラルドグマを襲い、頭部が破裂する。 しかしその投身自殺にも近い行為の果て、遂にセントラルドグマの左マニピュレーターがファンタズマに触れ、そして、 !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! そこからなにか、言わば電子的触手とでも表現出来得るものがファンタズマの内部に侵入した。それは瞬時にしてシ ステムに介入し、その先に存在する人間というシステムにまでその触手を伸ばす。 『や、止めろ!』 ファンタズマは内部崩壊の危機を感じた。 『無駄だ』 その思考に触手を介しクラインの思考が応える。 システムが急速に書き換えられ、傍受され、破壊される。そのシステムにはユニオンジャックという名のものも含まれ ていた。 『死ぃ、死ぃ! ぎゃっ、げぎゃあ!? だ、オメェ!』 『静かにしろ』 少しずつファンタズマが死んでいく。あれほど眩かった光も今では闇に埋もれ、微動だにしない。 クラインもそれを感じたようだ。ゆっくりとセントラルドグマを後退させ、左腕をかざす。 そしてその左腕から光が炸裂した。 周囲に発散する運動エネルギー干渉フィールドがファンタズマの巨体を吹き飛ばす。アスファルトが飛び散り、大気が 震撼する。 死んだようにうずくまるファンタズマ。セントラルドグマは左肩のキャノンを持ち上げ、無慈悲に照射する。プラズマイオ ンが装甲を焼き尽くし、吹き飛ばす。閃光が、炎が、高温が、赤いそれを更に赤く、巨大なそれを徐々に小さく分解す る。 しかしプラズマキャノンが反応を示さなくなってもそれは原形を留めていた。装甲そのものに関して言えばACのそれ に劣る。しかし単純に厚いのだ。 セントラルドグマはゆっくりと近づき完膚なきまでに破壊するために左腕をかざす。設置されたシールド発生装置から は陽炎と共に淡い光が揺らめいている。 突然、うずくまっていたファンタズマはその巨体を重々しく、しかし肉食獣のように隆起させ、その巨大な手でセントラ ルドグマを捉えた。そして通常のマニピュレーターでは有り得ない圧倒的な握力でACを握り潰さんとする。 『ぎゃ! ぎゃぎゃっぎゃぎゃぎゃ! ぐぎゃあいん!』 もはや言葉の体を成していない、咆哮をファンタズマが上げる。機械ではなく、生物であるかのように。 再びファンタズマを光が包む。オーロラが発生し、大気が帯電する。 セントラルドグマを捉えていたマニピュレーターが内部からの衝撃によって弾け跳ぶ。だが、それによって開放された セントラルドグマの姿は醜く歪んでいた。 遂にファンタズマから世界の最後を告げる閃光が放った。それによってファンタズマ自身さえ崩壊を始め、死に行く獣 の如き血が、肉が、咆哮が、光の中に消えていく。 至近距離での超高温反応のため動く事の出来ない青い巨人も次第にその光に飲まれ、蒸発してゆく。層行型装甲が 一枚ずつその姿を現し、溶解し、蒸発しながら内部をさらす。そしてその装甲が完全に失われた瞬間に、ジェネレータ ーが爆発した。 まるで太陽が現れたかのような超高温。地下空間は遂に臨界を迎え、強化コンクリートの空が崩壊を始めた。崩れ 落ちた途端に蒸発し、しかしそれを追うように瓦礫が落下を始めるのだ。 地下に出現した太陽がもたらしたのは生ではない。死ですら、創造でも破壊でもない。それは誰にも知られる事が無 い、真っ白の空間であった。 薄暗くなった街を黒いセダン車が走る。ほぼ小雨になった天候に、ワイパーが申し訳程度に左右運動を繰り返す。 「面会時間までずっといるなんて、友達思いだね」 その車を運転しているニコライが後部座席に座るジーノにそう声をかけた。 彼女を病院にまで送ったベンはバーメンタイドから借りた車ごと先に帰ったため一応顔見知りである彼が送っている のだ。交通状態にもよるが車なら30分ほどの距離だ。人の脚なら優にその10倍近くはかかる。 「だが、帰りの足を用意していないのはどうかと思うよ。この天気だしね」 一応列車移動という手段はあるがあらゆる交通機関は彼女の家であるガレージとは遠くに位置している。駅からは結 局時間がかかってしまうのだ。 ジーノは彼の言葉に応えず、後部座席に不機嫌そうに頓挫していた。 ニコライはその様子に溜息を吐き、ギアを軽くする。 ラジオをつけようとは思わない。今最もホットな話題と言えばあの“ヴィクセンVSディソーダー”であろう。今では下火 のアリーナよりずっと話題を呼ぶカードだ。ただし、その弊害はどうしようもないくらいに大きなものなのだ。そう、少なく とも死者30000名の弊害だ。 「勉強はしっかりと続けているかい? 僕には分からないが、長期休暇ももう終わりだろう?」 話題を身近なものに変え再び声をかけてみる。彼にしてみればどうでも良い事だがジーノにしてみればそうではない だろう。 「あんまり……」 乗り気ではない風に応える。ただ、光に色づき始めた街をガラス越しに眺めているだけであった。 「イルイラさんは勉強はお嫌いかな?」 「結構」 ニコライはその応えに穏やかに笑った。あまりにも率直な応えであったからだ。 「ああ、気を悪くしないで欲しい。別に君の事を笑ったわけじゃあないんだ」 そう、ただ彼女のよく知るレイヴンに似ていただけだ。だがそれが妙におかしく彼は意味も無く笑ってしまったのだ。 前方の信号が黄色である事を確認しニコライはアクセルから足を離す。車はゆっくりと減速を始め、そして余裕を持っ て停車した。 ぎぎぃ、とギアを戻す音が静かな車内に残る。 「バートとはどのくらいの付き合いなんだい?」 ニコライはそう聞きながらバックミラーを調整する。その鏡に不機嫌そうな少女の顔が映った。 その不機嫌そうな少女は答えない。どうでも良いといった様子だ。 「随分親しそうに見えたからね。親戚かい?」 「違います」 今度はより一層不機嫌そうに応えた。あの男と一緒にされる事には随分と抵抗があるようだ。 「レイヴンは嫌いかい?」 信号が青く変わり、ニコライは発車する。それにあわせて再び光が流れ始めた。 率直過ぎる質問にジーノは言いよどんだ。だが、考えてみる。 両親と弟を殺したのはレイヴン、親友の両脚を折ったのはレイヴンだ。そして今あちこちで人を殺し回っているのもレ イヴンだ。 「嫌いです」 本当ならばすごくや、かなり等の形容詞をみっつはつけたいところだがジーノはそうとだけ答える。それだけで十分だ からだ。 その答えは予想出来ていた。この少女の生い立ちはロジャーから聞かされていたからだ。そういった事を触れ回す事 には関心はしないが。 「だろうね。僕も好きだとは言わない。だが、僕が言うのはおかしいかも知れないがバートだけは特別扱いしてやってく れないかな」 え、とジーノはその言葉に思わず声を上げてしまった。バックミラーに反射するニコライの顔はいたって真面目で、冗 談を言っているようには見えない。 「何で……」 そして聞かずにはいられなかった。何故、医者で、ロジャーとの関係も希薄なこの男がそんな事を言うのか。 「君がどう思うか分からないが、今の世界はレイヴンがいるからこそ平和でもあるんだよ」 しかしその答えは直接関係無いもので、しかし突拍子も無いものであった。 「レイヴンは企業が足りない兵力を補充するために多くの場合使われる。他にも都市ガードや地球政府も困った事が あればレイヴンの出番だ。ACに乗るレイヴンの戦場での強さは誰もが認めるところだからね。しかしここに通常の兵 力を投入するとなると大変な事になる。なんせ人手が足りないからね。もしこの兵力を賄おうとすれば一般人は社員と してではなく軍人として入社する事になる。ともすればそれはもう企業じゃない。軍隊だ。そして国家の枷を持たない軍 隊が幾つもあればその結末は、陽の目を見るよりも明らかさ」 ニコライはなるだけ分かりやすく説明するが、ジーノはあまり理解出来ていない。それに構わず続ける。 「遠い昔の弾道ミサイルと思えば良い。手の届かないところに手が届く。あまりに便利、だがそれゆえに抑止力となって 大っぴらな戦争は起きない。良い例が火星クーデター。レイヴンの武力蜂起もレイヴンによって鎮圧させられた。これ が本質、というわけさ」 「……そんな事言ったって」 そう言われても感情的になれば否定したくなる。例え戦争が起きなくとも彼女にとっては世界と同義である家族がレイ ヴンに殺されたのだ。納得出来るわけが無い。 「そう、それでもレイヴンは嫌われ者だ。だが、バートはそのレイヴンになる事を選んだ。あいつなりの奇麗事を実現す るために」 その奇麗事と言うのはジーノは何度も聞いた。 レイヴンとしてACに乗りヒーローのように誰かを守る。 失笑ものだ。 「それはレイヴンとしてはなによりも厳しい事だ。何も気にせずに壊し、殺し、そういう簡単なものじゃあない」 ニコライは続ける。 「そもそもやつはなにを守るか、守れば良いのか、守りたいのか、それがはっきりしていない。だからいつまでも、自分 を犠牲にしてでも守りたいと思ったものは全て守ろうとする。だが、守り切れるはずが無い。そしてあいつはいつか絶望 する」 けたたましいクラクションが通り過ぎて行った。ドップラー現象で音が波打ち、雨の街に儚く消えていく。 「何で……」 そんな事が言えるのか。そう言おうとしたがジーノには出来なかった。聞いてしまえば、その言葉を信じてしまいそう で、真実になってしまいそうで不安だったからだ。 「そうだ、イルイラさん、見てみるかい?」 ニコライは口調を穏やかなものに直すと車の速度を緩めながらダッシュボードを開けた。合成樹脂で加工されたプラ スチックが軽い音を立てる。 「君なら何なのか分かるだろう?」 彼は前を向いたまま、その中から取り出した物をジーノに見せた。一見無線機の類に見える、黒い長方立方体。だ が、彼の言う通りジーノにはそれが何なのか分かった。そしてそれを受け取りおそらく同年代の学生なら自分くらいにし か分からないだろうと理解する。 「携帯ナーヴ?」 それはレイヴンにしか与えられない多目的携帯端末であった。相当型遅れしているがそれほど違いは無く、キーが今 のものよりやや少ないといったところであった。 「今ではナーヴにも繋がらない、ただの目覚し時計だけどね。記念品のようなものさ。ああ、これは一応秘密だ。医者と してやっていけなくなる」 鏡の向こうでニコライは微笑んでいた。 「どうして……」 ジーノは戸惑いながら尋ねた。その答えは聞くまでもないが、聞かずにはいられない。 「もう、何年前になるのかな。昔は自分が何をしているのか分からなかったよ。ただ、戦う毎日だ。そんな僕にも転機は 訪れてね、今では医者だ」 ニコライは直接的な事は言わず、さらりと、それこそ恒例の挨拶でもあるかのように言うのだ。 「君はどう思うか知らないが、男にとっては多くの場合レイヴンは憧れでね。ACは単純にかっこいい思うだろうし、レイ ヴンとして戦うのも楽しいと思うだろう。なるのも意外なほど簡単だ。僕もその類だったよ。だが実際は違う」 再び赤信号を確認するとゆっくりと減速させ、赤いブレーキの前に停車する。元々レイヴンだった、そう思うとその運 転もうまいように思えた。 「率直に言えばバートはレイヴンを止めた方が良いんだが、そうしようとはしないんだろうな……」 そこまで言いニコライは黙り込む。ジーノも自分から何かを言おうとは思わず、車内は沈黙する。 ジーノにはエンジン音がいやうるさく感じられた。 キンキンと脳髄が音を発しているような耳鳴りがする。他の音は反響し、まるで水中で聞いているようだ。 どうしようもない不快感が何度も俺の食道を襲う。その度に吐き出す吐瀉物は血の臭いがした。実際には血など混ざ っていない、胃液と未消化物に過ぎないが、今自分の感覚を信じようとは思わない。 今目に見えているものも、実際にあるかどうかも分からない。 今感じている事も、なにかの錯覚かも知れない。 今ある両腕も本当は頭の昔に無くなったものかも知れない。 今自分だと信じているこれもなにかの幻想かも知れない。 だとしたら俺は何を信じれば良い? 俺は誰だ? デュライだと? とんだ茶番だ。 雨が見える。銀色の反射光を闇の中で照らし、そのものには色が無いにも関わらず虹色にその色を変えている。 俺もこれと同じようなもんか? 何かの残像で、俺自体は何でもないのか? 下らない思考が脳髄を駆け巡っているのが形を持ったイメージで脳に浮かぶ。手榴弾のような歪な形状だ。まるで俺 の精神そのもの。 雨曝しにされるのもいい加減慣れた。 雲の向こうから僅かに太陽光が覗く。時刻はおおよそ6時頃だろう。だが、暗い。 俺の影はどこにも見当たらない。暗いからか、それともそもそも俺がこの世にいないからか。見当もつかない。 歩く度に靴の中から不快な音がする。 俺は何がしたい? 俺が求めてるのはなんなんだ? 「受け取ってくれるかい?」 ガレージ・バーメンタイドのすぐ横に停車し、ニコライは後部座席のジーノに名刺を差し出した。彼女はしょうがなく、と 言うよりついそれを受け取ってしまった。 それは紙ではなく柔軟な合成プラスチック製らしく、冷たい手触りと共に車外からの光を反射している。 「医者が必要になった時、点数が足りなくなった時、困った時、それと」 かこん、と音がしたかと思うとジーノのすぐ横のドアロックが外れ、ロックキーが上がった。 「バートの体調に変化があったらかけて使ってもらって構わない」 えっ、とジーノ。最後に言った言葉だけが頭に張り付いて離れない。 他の用件に比べてあまりにも個人的で、いや、初めからそのつもりなのかも知れない。 「今はあまりはっきりした事は言えない。だから気にしないで、心に留めて置いてくれれば良いよ」 ニコライはジーノが何も聞かないうちにそう穏やかに続けた。 「ほら、早く降りなさい」 促されるままにジーノはドアを開け車から降りた。まだ雨は降っているが気にするほどではなかった。 ドアを閉めると黒い車はゆっくりと発車し、そして霧霞む街へ消えていった。 どういう分けかそれを見送っていたジーノはふと我に返るとガレージのシャッターを潜る。その時初めて今まで雨が降 っていた事を思い出し、重さに耐えられなくなった前髪が視界を塞いでいた。その前髪を掻き分け、そのガレージを改 めて見渡してみる。 フエーリアエの煌びやかな姿は無く、ハンガーには無脚、無限車両のACがかけられている。ただしこの2種の場合か けると言うよりは置いている、と言う表現の方が正しいのだが。 天井の照明は作業が行われている場合とは違い薄暗く、必要最小限のものであった。時間帯の割には殆ど無い日 射のためそこはあたかも夜の体を成している。 しばらく進むといつもの場所に大きなバイクが停車していた。見慣れた赤と黒のカラーリングだが、今はその塗装が 所々引きずったように剥がれ、金属色が露出していた。破損も著しい。 一体何があったのだろう、その持ち主の事が気になり、思わず駆け寄る。 見てみれば、よく自分が座っているバックユニットは外されており、全体としてスマートな、しかし一見クジラのようなず んぐりとした形状だ。 その脇で壁に立てかけるようにバックユニットがバラバラにされて置かれており、一見すると元々ひとつのものであっ た事など想像も出来ない。元がどうなっていたのかを知る彼女には脱皮した脱殻のようにも見える。 いつもならば灯りが漏れている厨房が闇に埋もれ、人の気配を辺りに感じない。周囲にも誰一人見当たらず、気がつ けばACに話しかけられそうに錯覚してしまう。光の灯らぬ光学カメラが保護バイザー越しに彼女を見つめているのだ。 ジーノは急にそれを恐ろしく感じ、半ば走るようにして自室へ向かい、踊り階段を登る。足場が暗く、時折階段を踏み 外しそうになりながらも金属音を背に受けながら吹き抜け通路に足をつく。天井照明に近いせいか幾分か明るい。 誰もいないのだろうか。整備機械の待機機械音と自分の発する足音以外に何も聞こえない。シャッターは上がったま まになっていたが、こんな所に忍び込むような物好きはそうはいないだろうし、そう言った心配はあまりしなくともいいだ ろう。なにより、ここにある貴重品の多くは人が持てる大きさではないのだ。 誰もいないのかと思えばドアの前にかかるプレートが目に入った。もしいないのならば“ロジャーは外出中です”になっ ているはずが“ロジャーはここにいます”となっていた。 意外なほど几帳面なロジャーがこれをかけ間違えたり忘れた事は一度も無く、ともすればいるのだろうか。 プレートに隠れるドアは沈黙を守り、人の気配は感じられない。 ジーノはそのドアをノックする。もしいたら、などという考えは無く、むしろいないだろうと思っていた。むしろいない事を 期待している。 金属とプラスチックなどの合成素材の中間的な質感を持つ音が二度、沈黙を打ち破る。そして再び沈黙。返事は無 い。 当り前だろうとジーノは俯き、そして踵を返す。 「はーい」 だが、無いと思った返事はしばらくの間を置いて返ってきたのだった。いつもの、間延びした声。 いるのならなぜすぐに返事をしてくれなかった。 返事をしないのならなぜ最後までいない振りをしてくれなかった。 ジーノはそう、不本意ながら思う。そして自分でも驚くほど彼に対して臆病になっている事に気付く。彼女にしてみれば それこそ分からない事であった。 「はーい」 もう一度声。そしてドアが開き、そこから彼が顔を出した。 その顔は一度向こうを向き、そして今度は彼女の方を向き、ジーノを見ると嬉しそうに顔を綻ばせた。まるで子供のよ うに。 「あ、ジーノちゃん。どうしたの?」 ドアをゆっくりと閉めながら彼は言う。パイロットスーツを着たまま。 ジーノもガレージで働く整備士として今日彼がレイヴンとして任務に赴いたのは知っている。だが、もう数時間も前に 終わっているはずで、少なくとも着替える時間は十分にあるはずなのだ。 「別に……」 俯きながらジーノはそう答える。本当にこれと言って用事など無いのだ。だが、それに反して聞きたい事は山ほどあっ た。今までの疑問、ニコライに聞いた疑問、そして今の疑問。だが、ジーノにはその前にしなければならない事があるの だ。 「ねえ、ロジャー」 呟くような声でジーノは口を開いた。 「ん?」 ロジャーは屈み、ジーノに目線を合わせる。子供のような表情の中には自分よりも年下の友達に対する気遣いが見 て取れた。 「ごめん、色々」 ロジャーにとっては意外な言葉だった。ジーノに謝られる理由は無いのだ。少なくとも彼の知る限りでは。 「コヨミに怒られた。ロジャーに迷惑かけちゃ駄目だって」 彼女の言葉にロジャーは頭を振って見せた。そして穏やかに微笑みかけて見せる。 「ジーノちゃんは、俺に、迷惑なんて、かけて、ないよ」 次はジーノが頭を振る。 「ロジャー、聞いていい?」 「何を?」 ロジャーは軽く首を傾げながら聞き返した。 「色んな事」 彼女がそう言うとロジャーはしばらくの間を置いて、首を縦に振った。 「あ、ちょっと待って」 その後思いついたように自室に戻る。そしてがたがたという騒がしい音と共に現れた。傍らにはふたつの丸椅子を抱 えて。 「はい、座ろ」 ひとつをジーノの前に置くと残りを自分の後に回し、そこに腰を下ろした。 これで長話にも十分対応出来るというわけだ。 「ACは?」 ジーノはその椅子に腰をかけながらそれから始めた。これと言った意味は無い。 「フエーリアエ? 向こうで動かなくなっちゃったから」 それに答える彼の顔を申し訳無いように見えた。とは言えそこまで破損すれば殆どが交換で済み、その分儲けが出 るためある意味では感謝するところだ。 「うん」 ロジャーがそう締めくくると、ジーノは再び黙り込む。聞きたい事がいくらあっても、聞けるかどうかとは別の問題なの だろうか。 「ん〜、ジーノちゃん、俺も聞いていい?」 ジーノは俯いていた顔を上げる。そこには能天気なほどの笑顔で人差し指を立てているロジャーがいた。 「ジーノちゃんは本当は俺に何を聞きたいの? 絶対に答えるからさ、言ってよ」 その提案にジーノはすぐには答えず、上目遣いでロジャーを覗き込むようにしている。 「友達でしょ?」 ね、とロジャー。 「うん」 躊躇いながらもジーノは口を開く。 「ねえ、さっきまで泣いてたの?」 彷徨い、彷徨い、いつの間にかここにいた。 そして気付けばあの時計塔の前に腰をかけ、呆けたように黒い世界を見上げている。降り注ぐ雨がむしろ心地良か った。 もう、どのくらいこうしているのだろう。それとも俺の思うほど長い時間じゃないのだろうか。 しかし不鮮明な記憶を辿ればもう少し明るかった時のこの場所を知っている。いや、それはあの女と話をしていた時 のものか、それとももっと昔のものか。もう、記憶など信用する気にはなれない。 俺は何をしてるんだ? 俺がふたりいれば答えてくれるんだろうか。いや、かつてはふたり以上いたんだ。独りで十分だろう。 辺りは異様に明るい。 この公園を取り囲む照明が雨を照らし、空間が明るく感じられるんだろう。それに、この時計塔を照らす照明がまるで 俺を照らしているようだ。実際はそうじゃないが。 頭の中で蠢いていた蟲の動きが規則正しいものとなり、大人しくなる。しかしその結果この蟲は巨大な一匹の成虫と なるのではないか、我ながらガキじみた妄想にウンザリする。だが、この成虫が一体頭の中で何をするのか、見当もつ かない。 周りに何があるか分かる。見ずとも分かる。 異様なまでに拡張された感覚が周囲を認識させ、雨の一滴一滴が見えているんじゃないだろうかなどと思わせるほど に全てが遅い。植林された木々の向こうに見える名も知らん人間も、上空で風に流れる黒い雲も、照明の光線を受け 質量を感じる形を作る降雨も、全てが。 そしてそれと同時に周囲の時間が急速に流れているようだった。先程まで遅いと感じていたものは、しかし次の瞬間 には全く別のものになっている。そして先程まで動いていたものは何なのか既に忘れているのだ。 記憶と記憶の接続が狂ってやがる。俺が遂さっきだと思っていた事が、今よりも先の事かも知れん。あるいはその逆 もある。 まるで……そう、夢の中のようだ。 全てが曖昧で、しかしつじつまがあう。しかしそれはあくまで客観的に見た場合に過ぎず、ひとりの人間の目で星の全 てを見る事が出来ないように、それに気付く人間はそうはいない。 俺もそうだ。 スローで録画した映像を早送りで見ているようなこれ以上無い不可思議な映像の中で、次第に世界が明るくなるのを 感じる。 表面だけが凍りついた思考がそれがどういう意味を持つか告げる。 朝だ。 雨は上がり、霧が世界を白くする。照明が無くなり返って暗くなった気もするが、青い霞みかかる空は直視するにはや はり眩しい。上空を何度も何かが通過して行くが、それが何なのか、いまいち分からない。 思い出そうとすると次第に世界が赤く変わっていく。抗う事無くそれを眺め、黒い雲と白い影を作る月が動いているの が分かる。 もう、夕方になったようだ。 懐かしい。 そう思う。 何が懐かしいのか、それは分からん。 だが、懐かしいと思う。 夕方がじゃない。こうしている事が。 再び世界は黒く沈黙する。 夜の砂漠でMTの群れが弾丸を吐き出しているような空が目の前にあるように錯覚してしまう。さながらメインモニタ のサングラスは僅かな光を乱反射させ現実をおぼろげにする。 そう、前にもあった。 こんな事が。 いつだったかこんな風にしていた。 どこかで。 ここじゃない。 どこかで。 どこだったか。 忘れた。 だが、知ってる。 そう、知ってる。 言い切れる。 自信は無いが。 言い切れる。 前にもこうしていた事があった。 そう、ずっと、ずっと前に……。 AC フエーリアエ RAVEN ロジャー・バート
遂にフエーリアエがACとして完成を見た機体。近接戦闘を重視しており、天照大御神戦の教訓か、対ステルスレーダ ーを装備している。 中量二脚としては耐久性が高く、彼の無理な動きに対応してくれる自由度を持つ。更に旋回ブースター、特殊兵装デ コイなどロジャーの成長を示す武装も数多く搭載されている。それに対して武装は軽量なものが搭載されており、瞬間 火力に劣る。 しかし腕部の専用大型エネルギーサプライザーの効果によってブレードの出力が強化され、これがフエーリアエにと っての必殺の武器となっている。 ちなみにこのアセンブルはレーダーもそうだが天照大御神との戦いの影響が色濃く出ている。 AC セーゼカ RAVEN メイテンヘイデン
対多数の戦闘に対応出来るミッション仕様。特殊腕から通常腕に変更された事により高い耐久性を手に入れた。 武装が全て変更された事により今までのような相手を追い込むような戦い方は出来なくなったがオービットを使用した フェイクや、遠距離からの牽制が出来る。更に近接戦闘での火力不足を補うためのショットガン、相手の動きを奪う照 射型ブレードと十分な戦力を有する。 前回での惜敗を覆すべく全力で戦うも、フエーリアエには敵わなかった。 AC セントラルドグマ RAVEN レオス・クライン
詳細不明。 |