第十二話 コドクのホウコウ 俺はどこだ? 誰が俺なんだ? 今俺はどんなになってんだ? ……畜生。 どれなんだよ。 どれが本当なんだよ。 なんなんだよこれは。 ……俺はどうなっちまったんだ? 畜生。 誰が俺に何をしたんだ? 俺に何をしやがった! 雨が降っていた。しかし今は放射能を気にする必要は無い。残留し、大気中を浮遊している放射能は有人人工衛星 によって24時間監視され、常に危険を回避するために情報を地球に送信している。そのものの量が減少の傾向にあ ることもあり、危険の回避率は今のところ100%を保っている。 濡れた灰色の街並みをカラフルに彩る傘が行き交っている。赤、青、緑、黄、他にもチェックの模様にビニールのクリ アーカラーも目立つ。その中でも最も数が多く、目立たない紺色。その内の一つにその色とは全く逆の白い髪が揺らめ いていた。一見目立ちそうな本来有り得ない金色の眼も白い前髪に隠れ、それでなくとも雨の中気にする者はいない。 少年は表情の宿らない、しかしどこか憂鬱そうな顔を灰色の空に向ける。傘を避けて降りかかる雨にも彼は目を瞑る ことは無い。人工物のその両目は滅多なことでない限り守る必要は無いのだ。反面埃などの汚れに弱いのが辛いとこ ろではあるが。 彼の体中にある感覚センサーは常人の感覚神経などというものとはかけ離れた精度を持っている。降り注ぐ雨粒一 つ一つを敏感にキャッチし、知覚する。しかしそんな必要は無いので彼は意識的にその情報をカットしていた。 ビル風に吹かれ雨粒が軌道を変える。それが横から彼に降りかかり、白いシャツが水を含み始めた。しかし彼はそ れを気にすることは無い。彼は自分に与えられる感覚を選択し、必要なものだけその詳細を知覚することができる。言 わば彼自身が高性能の観測装置と言ったところだ。 彼は左手に大きなビニール袋を二つ下げていた。中身は雨に濡れてはいるがその内容はビニールの袋に閉じられ たパンや、アルミパックの飲料、紙パックに包まれた食料品などだ。濡れても困るわけではない。 一瞬雨雲が晴れ、そこから朝の太陽が覗いた。その強く、熱を帯びる光が少年の頬を撫でた。しかし雨は止む様子 を見せない。そして次の瞬間にはその光も遮られ、再び灰色の空が頭上に展開された。 彼は袋の中を探りアルミパックの飲料を取り出した。内容物は十分な栄養素が含まれた合成ゼリーだ。仕事に忙し い者が愛用しているが、おおよそその少年の外見に似合うものではない。しかし彼にはこれで十分だ。当然味覚を持ち 合わせているがそれで彼が知るのは危険か、否かだけだ。安全だと分かりきっている物に彼は味を求めない。 フタをねじり開け、そのフタを路上に放り捨てる。そして開け口に口をつけると一気に中身を吸い尽くした。その後ペシ ャリと潰れたアルミパックを放り捨てた。それにはレモン味と表記されてあったがそれを味わうようなことは無かった。 不意に彼が履いているジーンズのポケットの内部が震えた。その振るえと同時に小さな機械音が響き渡る。それは携 帯電話の起こした振動だった。マナーモードのままになっていたようだが、どちらでも構わないのだ。彼の鋭敏過ぎるセ ンサーは音であれ振動であれ逃すことは無いのだ。 『いようナイツ。いまどん辺り?』 受け取った携帯電話からは遠慮の無い若い男の声がうるさいほどに飛び出した。 「マーカーソン通り、とある。今はその通りの交差点で信号待ちだ。右に折れるとオレンジカップ通りになる」 彼は自分の身の回りから出来る限り詳しく場所を伝えた。 『マーカーソン? 何だこっから逆じゃねぇか。まあいいや。こっちの用事済んだから今から迎え行くよ。どっか近場で待 ってて』 「歩いても大して変わらん」 若い男の申し出を彼は軽く断った。二人の戻る場所と言うのはこの都市にある地下ガレージだ。前回の戦闘で疲労 の激しいAC、キャリアーリグを修理に出しているのだ。修理と言ってもACの場合は殆どが買い換え、ということになる のだが。 『そう言うなって。僕も車運転する機会なかなか無くて悲しいのよ。マジで。付き合えって事』 それでも若い男は都合ではなく趣味として付き合えと言い出した。いつものように気楽だ。この男は自分の事となると いつもの無気力から一転して行動的となるのだ。 「……だったら一人で楽しめ」 これ以上無駄な話に付き合う気は無いと少年は携帯電話を切るとポケットに無造作に突っ込んだ。 ほぼそれと同時に彼を留めていた信号機は赤から青に変わり、凍結されていた人の固まりは溶け出し再び流れ始め た。 少年はその流れに紛れて、蟻の大群の一匹のように目立つことは無い。 その中少年は蟻にしては大きすぎる黒いものが横を通り過ぎるのを確認した。そして一瞬目があう。 それは黒尽くめで長身の男だった。黒いサングラスに隠れたまるで鉄のように冷たくぎらつく黒い双眼。右頬に走る火 線のように光る傷。 傘も差さずにその長身を雨に晒していた。 その男はその歩幅のためすぐにその場から遠ざかっていった。 重苦しい灰色の雲が憂鬱な朝の空気を冷たいものにしていた。 鍵盤を叩く音が憂鬱な雨空に吸い込まれ消えていった。 朝の高級住宅地。空には本物の空があるが灰色の雲が本来の青空を覆い、更に空中で冷えた水蒸気は水滴となり 降り注いでいる。 長い雨。憂鬱な朝。それを忘れさせてくれそうな軽快な音調。ピアノが奏でるアップテンポの曲が密室ではなく、ドアが 開いているため小さく響く。 それを弾いているのは彼女だった。大きく黒光りするグランドピアノに隠れてしまいそうな小さな少女が小さな身体を いっぱいに使い離れた鍵盤を叩いている姿はどこか微笑ましい印象があった。 その様子をソファーに腰をかけて見ている青年はその曲に合わせて自分の膝を叩いた。その度に彼の中途半端に 伸びた栗色の髪が揺れる。張り付いたように似合っている笑顔でその様子を見つめていた。 更にその隣では青年と同じ様子でその曲に聞き惚れている少女が両膝の上に肘を立ててその手に細い顎を載せて いる。曲に合わせて両脚で床を叩き、リズムを刻む。その音はピアノの旋律に馴染み、消えていった。 曲は一瞬の沈黙の後階段を登るような単調で、しかし変化が感じられるものに変わった。それに合わせて少女の動 きもより忙しいものになる。 しかしそれはほんの数秒の変化で、今度は一転、ゆっくりと流れるようなものになった。 その音は次第に高くなり、遂にぽろんと終止符が打たれた。 再び沈黙。少女は椅子から立ち上がり、お辞儀をした。それは育ちの良さが分かる、それこそ舞台に立ってもおかし くは無いような見事なものだった。 「うまいうまい! まるで本物のピアニストみたい。すごいよコヨミちゃん」 青年は両手で大袈裟なほど大きな拍手をした。 「ロジャーさん大袈裟」 そう言いながらもコヨミと言われた小さな少女はまんざらでもないように鍵盤にフタをすると二人に向かって歩き出し た。 「なんて曲?」 ロジャーは本当に興味ありげな瞳をコヨミに向けた。 「TureSkyよ。知らないの?」 コヨミよりも先にジーノが手に持った楽譜を眺めながら答えた。それには音楽の心得が全く無いロジャーには理解不 可能な記号と線がごちゃ混ぜに書かれている。 「知らない」 TureSky。 大破壊で疲弊した地下世界を支えた曲だ。元々は名も無い、そう作曲者が誰かも分からないような曲であったが 人々の希望を持って名付けられた。本当の空。地下には絶対に有り得ないものだ。 著作権を持たないため幾度となく派生曲を生んだが残ったのはこの曲だけだった。あまりにもポピュラーなのだが彼 は知らないようだ。 「難しいけど指の短いコヨミでも弾ける曲だよね。あんまり音飛ばないから」 「わー、言うね。もう貴様には勉強は教えん」 コヨミは笑いながらそう語調を強めた。冗談だろうが冗談には感じられない響きだった。 「まあまあ、そうおっしゃらず。仲良くしようよ」 間を置かずにロジャーは割って入った。 「ごめんコヨミ。冗談」 それに従ってというわけではないのだろうがジーノは素直に謝罪した。謝罪と言っても文字通り友人同士で行なわれ るような簡単なものだが。 「分かってるって」 コヨミはその謝罪に応じるが呆れた様子だった。慣れているのだろう。だがロジャーにはその様子もこの二人の中の 良さを示しているように思えた。 「あらら、やっぱり雨降ってきちゃったよ」 窓から見える薄暗い朝の光景には数えられないほどの線が入っていた。雨のノイズ。この家に到着した頃には曇って はいたが降ってはいなかった。 一応ロジャーの乗る大型バイクの収納ケースには雨避け用の防雨シールドが搭載されており、雨が降ったときには 標準で装備しているシールドと付け替える事が出来るようになっている。しかし二人乗りの場合後へ乗っている人物ま では守り切れないのだ。それ以前に前方のシールドだけでは運転手も十分に雨から守ってはくれない。 「ねえ、そう言えば何で俺までコヨミちゃんち来たんだっけ?」 そう言えば自分はジーノを送ってきただけだったと今更ながら思い出した。結局一緒になってお邪魔しているというの が今の状況だ。 「そりゃ今日コヨミがピアノのコンクールがあるから、ギリギリだけどこうして励ましに来たのよ」 何を今更という冷めた目を向けながらジーノは答えた。しかしロジャーにとっては初耳だ。彼女は事前に何も言ってい ないのだから当然と言えばあまりにも当然だが。 「へえ、発表会。って今日!? 随分と急だねぇ」 「まあやること自体は何ヶ月も前に決まってたんすけどね」 何事もオーバーアクションのロジャーにコヨミは愛想の良い笑いを浮かべながら答えた。 「んじゃああれだよ。本当にピアニストになっちゃうんだ」 そしてまたも話は飛躍する。 「別にそう言うんじゃなくて昔からやってるから。こういうのも何だけど恒例って感じだねえ」 「またまた〜、謙虚だな〜」 そう言いながらロジャーは立ち上がった。一応大人の男である彼が立ち上がるとさすがに女子二人よりも背が高い。 そのうちの一人とは比べるべくも無いが。 「今日も雨だね。やんなっちゃうよ」 更にそう言いながら彼は大きなピアノの傍らに立った。何となくだが挙動不審だ。 「何してんの?」 ジーノは今度は不審な目をロジャーに向けた。 「いや、あれだよ。このピアノ随分と立派なものだな〜って思って」 そう言いながらぎこちなく笑った。いつも笑っているような顔なのでそれが何かをごまかしていると言うのはすぐに分か る。 「弾いてもいいですよ」 見かねたコヨミが見透かしたように言った。ロジャーが何をしたがっているのかはジーノにも分かっていたのだがあえ て何も言わなかった。 「いい? ホントに?」 そう聞いてロジャーは満面に晴れたような笑顔をつくった。そしてその返事を聞く前に椅子に座りカバーを上げた。そ こには白と黒の鍵盤が並んでおり、こういうものだと知ってはいたが実際に見るロジャーは感心した。 人差し指で白い鍵盤を「押した」。それに連動してハンマーが起き上がり、鋼鉄弦を撃ちつけ音を弾き出した。実のと ころ銃の機構に似ているのだがそれを気にする者はいなかった。 「わぉ」 それだけでロジャーは喜びの声を上げた。それはまるで父親におもちゃを買ってもらった子供のようだ。 「なんか音が出るよ、これ」 そして当たり前のことを心底驚いた様子で言う。 「ピアノ弾いたこと無いの?」 そのあまりにも当然なことを言っているので呆れたようなジーノが言う。ロジャーは再び人差し指で何度も鍵盤を叩い た。 「ん〜、俺、子供の頃に学校無くなっちゃったからさ。その後も色々あってそう言う機会無くって。孤児院にも無かったか な〜」 小さく笑いながらロジャーは鍵盤を叩いた。それは適当なものでとても音楽と言えるものではない。 コヨミが肘でジーノの脇を小突く。 「なに?」 「なに、じゃなくて」 怪訝そうな顔をするジーノにコヨミはどうにも納得のいかないといった表情を見せた。 「だからさ」 しかしロジャーは彼女の心配を吹き飛ばすように言うのだった。 「すっげー、嬉しい」 再び満面に笑みを浮かべる。その笑顔が本当に輝いているかのように明るい笑顔だ。 心配無かったな、というふうにコヨミは感心した。どこまでも前向きと言うのもここまでくると尊敬もできそうだ。 「この黒いのはなに?」 ロジャーは白い鍵盤の上にある黒い物体を指差しながら聞いた。彼女らからの位置ではそれを確認は出来ないが大 体の予想をつく。 「それも鍵盤だよ」 「お、ホントだ」 白い鍵盤と同じように押してみると同様にやや高い音が奏でられた。気に入ったのか今度はその黒い鍵盤のみを叩 いている。 「ジーノちゃんは?」 「なに?」 「だからさ、ピアノ。弾いたことある?」 適当に鍵盤を叩きながらロジャーは聞いた。 「あるよ。そりゃあ」 あまり話したくなさそうにジーノは答えた。ロジャーはその様子を気にする様子も無くなおも続けている。 「そっか」 それから長い間沈黙が続いた。適当なリズムだけがそこに流れ続けており、それは次第に曲と言えるものになり始め ていた。 その日、彼を眠りから現実に引き戻したのは携帯電話の奏でる電子音だった。 車内の後部座席で横になっていた彼は目を開けた。車内は暗く、窓から見える景色も地下駐車場らしい寂しいもの だ。時間帯は分からないが車の行き来は少なく、それ程日は昇っていないのだろう。 彼は体を起こし、助手席に転がっていた携帯電話を手に取ると相手を確認せずに通話ボタンを押した。 「……はい。トゥワイフです」 彼、ニコライ・ヴァン・トゥワイフはまだ覚醒し切っていない頭に鞭を打って答えた。 『あ、先生。今どこで何してるんですか』 それに答えたのは聞き覚えのある部下の声だった。彼の声以外に大きな音や声は聞こえない。病院からではないよ うだ。 「なんだ。マクウェンか? 俺は休暇をとってるんだ。どこにいたっていいだろう」 ホテルもとらずに地下駐車場で何日も過ごしているとは言わずに彼は突き放すように答えた。そのついでに車のエン ジンを入れ、ガスを確認する。排気音の後にメーターが跳ね上がり、それは給油が必要な点を既に越えていた。ここを 出たらすぐにガソリンスタンドを探す必要がありそうだ。 『なんだ、じゃないですよ。こっちの病院辞めるって本当ですか?なんかスキナー主任がそんなこと言ってましたよ?』 「……なに?」 頭に血が上ってくる。重たかったまぶたが眉に吊り上げられるように持ち上がる。 「おい、待て。俺は溜まり溜まった有給を行使しただけだ。まあ、確かに14日は長いがそれが辞めるってことには無い だろう」 『でもアイザックの病院に移るとか、移らないとか聞きましたよ。看護婦さん達の間でも噂になってます』 「……そうか。それは困ったな」 ニコライは車のエンジンを止めながらも困惑していた。看護婦の間で噂になっているのもさる事ながら、身に覚えの無 い話が進んでいることにだ。 「一応、今日中に戻るつもりなんだが」 『そうして下さいよ。俺、先生に肩入れしてるおかげで肩身狭いんですから』 「おいおい、保護者にでもなったつもりか?」 そうなのだ。彼、ニコライはどうにもいらないことを言うことが多い。それが病院内、特に隠し事が多い上司には嫌わ れることになる要因になっている。 「とにかく、俺は出来るだけすぐに戻るからそれまでにその噂をどうにか……」 その言葉が終わる前に携帯電話がもう一方からの通話要求を受信した。 「悪い。後で俺からかけ直す」 携帯電話の向こうで何かを言っているのも構わずにニコライはマクウェンからの通信を切ると、携帯電話の液晶画面 で相手を確かめた。しかしそれは知らない相手でニコライはやや躊躇った後に通話ボタンを押した。 「トゥワイフです」 『私です。デリースです。ちょっとこっちでややこしい話が進んでて、一応。色々連絡はとっておいた方が良いと思って』 それはビリーからの電話だった。一応携帯電話のパスワードは教えておいたのだが、相手側のパスワードがそのそ れと違うことから、おそらく病院からの連絡のようだった。 「ああ、そちらもですか。それで、ややこしい話というのは?」 またも込み入った話かと正直彼はうんざりしていたが、聞かないわけにはいかない。 『君がヴァン・トゥワイフ君かね?』 しかし次に帰ってきたのはビリーの答えではなく、中年で低い男の彼を確認する声だった。 ニコライは顔をしかめる。男の声の向こうでビリーが何か言っている声が聞こえ、何か図られた気がしてならない。 「ヴァンはミドルネームですがね。あなたは?」 相手の出方を見るために乗り気ではない返事をする。 『カウヘレン医大のストロングという者だ。君の話は聞いているよ。そちらのスキナーとは同期でね』 「どうせろくな話じゃないでしょうけど」 自己紹介ついでに身の内話を始めたのはストロングと言うらしい。スキナーという彼の上司と同期ということは年齢は 40後半と言ったところか。医師としては地に足がつく頃だろう。 『奴はどうにも君を嫌っているようだったな。いらない事を言うだの、メスよりも女の扱いの方が手馴れているだの。誉 めていたと言えば死体をばらす……』 「で、デリース医師の言っていたややこしい話とはなんですかな? ストロングさん?」 彼以上に酷いいらない話をそうそうに切り上げさせ、ニコライは用件を催促した。こういったタイプの人間は話を無視 されることを最も嫌う。これが彼にとっての文字通り無言の皮肉だった。 『ふむ、せっかちだな君は。分かった。用件と君を選んだ理由だけを話そう』 ストロングは携帯電話の向こうで溜息を吐いていた。ニコライはそれを気にもせずに話の続きを待つ。 『君に見せたいものがあるんだ。いや、正確には診てもらいたいものがあるんだ』 「……なんです?」 今までの軽口から、今度は慎重な口調となったストロングに、ニコライはなにかと聞き返した。 『死体だよ。おそらくは強化人間と思われるね』 その言葉にニコライは虚を突かれたように沈黙してしまった。それはまさしく彼の今持っている興味の対象であったか らだ。 長い沈黙の後、しかしニコライは何も言えない。脳裏には色々な思考が渦巻いている。 『聞いているかね? そこで君の話をスキナーに聞いたんだ。見事強化人間の疑いのある身元不明の男をばらしたと ね』 「はあ、なるほど」 そこまで聞いてやっとニコライは状況を把握し、若干の余裕を感じることが出来た。スキナーの好き嫌いだけでとばさ れてはたまらない。 『こちらにはそういう者はいなくてね。だから君に白羽の矢が立ったんだ』 「それは研究という事になるんですか?」 『そうだな、こちらとしては長期、こちらで研究に加わってもらいたい。臨時扱いになるが十分な給与も約束しよう』 つまりこちらの腰を落ち着けろ、という事になるのだろう。しかし現在務めている病院を辞めるわけにもいかないの だ。 『ザムの方では、君は更に長期休暇を貰うという形になる』 するとまるでニコライが考えていたことを見透かしたかのようにストロングの言葉が続いた。 ニコライは溜息を吐く最初から話は出来上がっていたようだ。悔しいことに断る理由も無い。 「分かりました。詳しくはそちらで聞きましょう。が、その前にお尋ねしておきたい事があるのですがよろしいですか?」 『なんだね?』 彼はもう一度溜息を吐いて感覚を置き、再び口を開いた。 「後ろに控えているのはなんですかな?」 『……何を言っているのかね?』 その質問にはさすがに意図を図りかねたのかストロングは長考の後、ニコライにどういった意味かを問う。 「病院というのは一種の閉鎖空間でね、特に医大というのは何をやっているか分からない。私は医大出でしてね、正直 患者だったら出来るだけお世話になりたくはない。収入も多くはないから管理は大雑把になりがちですしね」 ニコライは相手によく分かるように、もしくは言い逃れの出来ないように説明を始めた。 「ところがそんな大学病院が死体の研究をしたいなんて言う。考えれば考えるほどおかしいですよね。ということは研究 をしたいのはあなた方じゃない。医大を隠れ蓑にして他企業の妨害を防ぎたい名のある企業だ。違いますかな?」 そこまで言い終えるとしばらく沈黙が続いた。 『……エムロードだ』 その沈黙が十数秒ほど続き、通話が途切れてしまったのではないかというところにストロングの低い声が携帯電話の 向こうで発せられていた。 「ほう、こんな所でも二大企業の名前を聞くことが出来るとは思いませんでしたね」 『拒絶するか?』 「いいえ、後はそちらで窺いますよ。それではまた、今日中にでも」 言いたい事を言って満足したニコライは通信を切り、マクウェンの携帯電話に掛け直した。呼吸音が三回繰り返され たところでそれは中断された。 『先生、なんでした?』 最初からニコライからの連絡である事が分かっていたマクウェンが開口一番に先程の電話が何だったのかを聞い た。 「ああ、ややこしい事になってる」 それにニコライは笑いながら答えた。 『はあ?』 それにマクウェンは困惑した様子だ。 ニコライはそれを気にする様子も無く、運転席に移り車のエンジンをかけた。伝わる振動が彼の背中を叩く。 「悪いがスキナーの言ってることは本当のようだ。もうしばらく肩身狭い思いしていてくれないか」 シートベルトを締めるとミラーを調節する。後には寂しい光景があるばかりだ。携帯電話の液晶画面には8:22の数 字が表示されている。車の出入りは少ないだろう。 『さっきからなに言ってるんですか。もしかして何か握らされてるとかそんなじゃないでしょうね。それもとんでもない事』 「いいや。俺の自由意志だ」 それを最後に一方的に通信を切るとそれをしまい車を発車させた。地下の駐車場は意外に暗く、彼は車のヘッドライ トを点けた。 今日も雨だ。ここのところどういうわけか湿気た天気が続いている。もうちょっと前までは晴れてたんだが、また俺は 雨に打たれていた。 傘を差したまともな人間たちが時折俺を見上げて苛立たせる。 異常なほどに薄暗い朝の街並み。地上とは思えない。地下ももう少し明るいのだが、まあこれも天然光ならではと言 ったところなのだろう。有り難くはないのだが。 やや小降りになってきた。灰色だった視界がやや鮮明になる。しかしその先にあるのは退屈極まりない風景。額を伝 った水滴が再び視界を奪う。それでも構わないくらいだ。そもそもサングラスを掛けてるしな。 俺が探しているのは早い話自分自身の記憶なんだが、こんなところに転がっているはずが無い。と言っても宛てが無 いから彷徨うしかない。我ながら情けない話だ。 時々、何故俺はレイヴンなのかと考えることがある。まあ考えるといっても結論はいつも同じだ。 俺にレイヴン以外の生き方が似合うはずが無い。 しかしその俺にもレイヴンになるきっかけはあったはずだ。無ければどんなにレイヴンが似合っていようがレイヴンに なるはずが無い。それとも似合ってるのがレイヴンになった理由か?冗談じゃない。 歩く度に革靴に染み込んだ雨露が跳ねる。まだ歩道には水溜りなど出来てはいないがそれも時間の問題と言ったと ころか。まあ、俺はいくら濡れても風邪を引くようなほど柔には出来ていないらしい。怪我はしても病気をしたことは無い からな。 まったく。因果な身体だ。 いい加減鬱陶しくなってきた。額を流れる雨水を腕で拭う。目に流れ込んでいた水流が少しだが少なくなった。 俺は足を止めた。特別な理由は無い。歩行者信号が赤に変わっただけだ。当然だが目の前ではカラフルな車の群れ が行き交っている。このまま進んでも良いんだが、さすがに車に弾かれて無事というわけにはいかないだろう。 「……だったら一人で楽しめ」 隣の暗い紺色の傘がそう言った。その後電子音。おそらく携帯電話を切ったんだろう。ガキの声だ。だが嫌に聞き覚 えのある、そう言う声だった。 信号が青に変わる。フライングで横断歩道を渡っている馬鹿もいるがそいつにはそのうち目障りにならんように交通 事故にでもあってもらおう。俺が気になってるのはガキの声のほうだ。 俺は身に覚えやら、見覚えやら、聞き覚えやらには敏感だ。なんせ自分のどこからどこまでが信用できるか分からん からな。 記憶には失われた、と忘れた、がある。俺の場合おそらくは失われた、になるんだがそれと忘れた、は分別が難し い。と言うよりはあまり違わんのだろうな。俺のいつも吸ってる煙草の名前を忘れた時は思い出すのに数時間かかっ た。結局自販機の前に立つまで思い出せなかったんだが、もしかしたらそのまま失われた、になっていたかも知れん。 そう言うわけで俺はどうにも手前の直感を信じるしかないと思っちまう。遠い昔の言葉、聞くは一時の恥、聞かぬは一 生の恥、とはかなり違うが行動しないとどうにもならん。 横断歩道を渡りながら紺色の傘を窺う。 低い。 この紺色の傘はガキが持っているらしい高さで広げられている。俺の肩辺りだ。当たれば服がものの見事に濡れる だろう。今でも十分水を吸ってはいるが。 歩幅の差で俺はすぐにやや前を進んでいたガキの傘に並んだ。歩く度に傘から雨露が飛ぶのが確認できる。 その下。 覗くとは違う。 それを見ていた先にはそいつの顔があった。 予想通りガキだった。しかしその様子はどうも普通のガキじゃない。 くすんだ白髪。元々色はあったがそれが抜けて出来た白だ。そいつが目を隠す程度に中途半端な長さにまで伸びて いる。 そいつと目があう。 人の目じゃない。金色の輝く純度100%の人工物だ。それを含めてそいつは感情の宿らない、まるで鏡を見てるんじ ゃないかと思わせる無表情だ。そう、俺のような。 こいつには見覚えがあった。どこでの見覚えなのかは見当もつかない。どのあたりに見覚えがあるのか、そいつも分 からん。 そいつも俺を見ていた。ただ目があっただけでなく。 視界が一気に黒くなる。 全身が総毛立つ。 心臓が痛い。 思考が一気に鈍る。 膝が笑いやがる。 こいつは……なんだ? ばちり。 脳味噌の中でなにかが千切れた。 恐怖。 糞が! 糞が! 何で俺がこんなガキにびびらなきゃならねぇんだ! 俺は足を速めた。理由なんか無ぇ。……いや、俺は逃げようとしてやがる。俺がか!?俺が逃げてるのか!? 俺は更に足を速めている。歩幅のこともあり辺りの連中は止まっているように俺に次々と追い抜かれる。 糞が! 糞が! 糞が! 糞が! 糞が! 糞が! 糞が! 糞が! どこに逃げるつもりだテメェは! 騒がしい喧騒。鼻を突く油と金属の臭い。今でも用意される完全戦闘用兵器、ACはここで正装に着替える。その正 装の殆どは喪服だが。 ガレージと言われるMT、AC用整備場。ここでACはその機能を書き換え、姿を一変させ、より破壊に適した形とな る。 ACは群体と言われる生物に近いとある物が言う。 群体とは、クラゲや菌糸のような、極めて小さな微小生物が寄り集まり、あたかもそれが一つの生命体であるかのよ うに生命活動を行なう超生物のことを言う。 つまりACも通常の端末では考えられないほどの数のコンピューターを全身に積み込み、その様子がまるで群体の生 物のようだというものだ。更にコアを中心に頭部、腕部、脚部、その他にも内蔵でACの動きを手助けするパーツに、生 存競争に勝ち残るための武装。それらは人間が火器を持つのとは違い、接続され、それでなくともファイバーで無線で のやり取りにより繋がっている。 これらの事から、言わば人間はACに寄生する事によってそれを動かす寄生虫であり、ACは寄生され身体を意のま まに制御される大型の生物と言えるのだと言う。 だが、そもそもACは兵器であり生物ではない。人工物は生物では有り得ないのだ。ただし、人間がそれを操り、恩恵 を受けると言う意味では寄生虫と言う表現はあながち間違ってはいない。 その寄生虫の一人である男が自らが寄生する巨大な鉄の塊を見上げていた。 前髪を赤に染め、その後には脱色した金色に近い白髪、生え際には黒い髪が新しく生え始めている。2メートルに迫 る長身で、しかしやや細身の印象を受ける。見た目には40台に差し掛かった辺りのようだが、銀縁眼鏡の奥で煌く目 つきには隙が無く、火星の戦いを知る者だということを彼のまとっている雰囲気のようなものが語っていた。 彼の目線の先、そこにはAC、ナスティがハンガーに掛けられ四基のホバー推進装置である脚を伸ばしたまま地につ け眠っていた。 重量四脚タイプのACだ。重量級の四脚部は、四脚の常としてホバー推進によって地上を移動、高い機動力を保って いる。しかし他の四脚以上にその重量をホバー推進によって支えるのは困難で、結果としてその状態を維持するのに は多量の、下手をすれば人型のMT数機を動かせてしまうほどのエネルギーを使用してしまう。 それを補うためにナスティは基本パーツ、コア、頭部、腕部が省エネタイプのものが選択され、武装は大型ハンドガ ン、両肩にヘヴィチェーンガンといった実弾火器で構成し、一撃の威力を補うために左腕には高出力ブレード、7880 が装備されている。機動力、装甲、火力は申し分無い。反面突出した面も無いのが欠点と言えば欠点だろう。 そのナスティに向かい、ロボットアームが伸びる。そのアームの先にはエクステンションパーツ、バックブースターが持 たされており、ナスティのアタッチメントポイントに取り付けられ始めた。 男はそれを確認すると目を伏せ、両手をデニムのポケットに突っ込み歩き出した。一度その脚は彼の所有するキャリ アーリグに向けられたが、ポケットの中にあるシガーボックスが空になっていたことを思い出し、その脚は煙草の自動 販売機に向かった。 チカチカと点滅し目を疲労させる蛍光灯の光。その光に様々な銘柄の煙草の見本が陰を作っている。彼が気に入る ものは無いが、まあフィルターを外して吸えば良いだろうと自販機に財布から取り出した10ドル札を飲み込ませると最 も高価なものを購入した。高価なものなら良いものだろうという簡単な考えだ。普段は高価な葉巻を愛用している彼にと っては安過ぎるが。 ことん、と軽い物が落ちる音が自動販売機の中からする。彼の好きな音だ。どんなに高価な葉巻もこの音には劣る。 この妙に胸を高鳴らせる期待感をこの音は刺激するのだ。それと同時にガチャガチャとコインが落ちる音。彼が最も嫌 いとする音だ。 「相も変わらずの煙飲みか? ジェッター」 ジェッターと言われた彼の背後で気配も無く男の低い声がした。彼にしてみれば5年ぶりになるだろうか。懐かしい声 だ。 「そっちこそ変わらねぇな。陰気で珍妙な原始人よ?」 振り向くとそこには一見して奇妙な服装の男がいた。年の頃は彼と変わらない。長い黒髪を後ろでまとめ、腰には長 いものが携えられている。 「原始人? 拙者は侍だ」 「ま〜たんな事言ってんのかよ、ツルギ。5年ぶりの挨拶にしちゃあ気がきかねぇのな」 ツルギと言われた男は、ふんと鼻を鳴らし僅かに顔を綻ばせた。険しい表情の似合うその顔には残念ながら似合わ ない表情だった。 「久しいな。ザングチ攻防以来か?」 「ああ、後はブラッドテールとムラサキがいればあの時のメンバーが全員揃う事になるな」 そして今まで不敵なものであったジェッターの笑みは偽りの無いものになる。ツルギというかつての戦友と共にいるこ とが彼を5年前に立ち戻らせているのだ。そう、少なくとも形のあるものと戦えていたあの頃に。 しかしツルギは表情を再び険しくする。そして呟くように言った。 「否。其れは生き残りし……、であろう?」 ツルギの言ったザングチ攻防とは5年前。レオス・クラインの乱における作戦の一つであった。いや、作戦などと言う 立派なものではない。あれはまさしく鉄砲弾であった。 ザングチ、正式にはザングチシティは火星エムロード支社の衛星都市の名だ。ただしシティとはあくまで隠れ蓑で、実 際には他企業を監視、牽制する軍事拠点だ。 「ああ。クライムドッグ、アビリー、シュバルト……他にも良いやつがいっぱいいたな……」 彼ら、特殊部隊フライトナーズはその軍事拠点を占拠することにより軍事的な優位を得るために、ムラサキと言う男 を部隊長とした彼らの部隊は攻略作戦を始めた。しかしその作戦とはただ正面から攻撃、力尽くでの占領だった。 相手は力を失った企業の変わりに地球政府が多額の報酬によって雇ったレイヴンの群れ。その数は優に30を超え ていただろう。それに対して彼らの戦力はACが10。いくらフライトナーズ隊員全員が選ばれた精鋭と言ってもその戦 力差は明らかだった。加えて彼らに与えられたACは普段使い慣れない汎用機体であり、中量二脚タイプにライフル、 小型ロケットランチャー、小型ミサイルランチャー、高効率ブレードと、決してその性能は高くなく、むしろ通常のレイヴン が乗るACと比べると大抵劣っていた。 部隊長であるムラサキは戦闘領域に向かう途中吐き捨てるように言っていた。 クラインは俺たちを殺すつもりだ。それにやつは人間じゃない。悪魔だ、と。 俄かには信じがたい話ではあったが不思議なことに否定する者もいなかったのだった。 彼らとACを乗せた大型垂直離陸機。それが戦闘領域に達した時、彼らを出迎えたのは弾丸の発射される爆発音の 繰りなすオーケストラだった。 しかし彼らのACはそれよりも先に降下を始めていた。 大型の垂直離陸機は目眩まし過ぎない。当時、サンクチュアリという大型戦略爆撃機が猛威を振っており、その戦闘 能力は野外であるという場合に限られるがACを圧倒する。そのためレイヴンは大型の航空機に対して敏感になってい たのだ。 自動操縦となっていた垂直離陸機が爆発、炎上する。炎と黒煙を吐き出しながら次第に重量につかまり降下を始め ていた。 その爆音を合図にフライトナーズはロケットランチャーでの遠距離砲撃を始めた。 ロック兵器では攻撃の準備をしていることを看破されてしまう。そのため長距離への攻撃も出来るロケットランチャー は拠点攻略のための布石には有効なのだ。 ザングチは峡谷に囲まれるように点在し、グレートブリッジと言われるその名の通り超巨大な一本の橋によってのみ 外界と直接繋がっている。これによりザングチへの侵攻はより難しくなる。更にそのグレートブリッジを移動砲台が常に 睨みつけ、戦闘機が常に臨戦体勢をとっている。 しかし今回、エムロード火星支社は事実上無力化し、代わりにLCCがザングチを管理していた。しかしそのLCCも先 日のフライトナーズの武力蜂起によって無力化、実質上現在のザングチは地球に存在する地球政府に雇われた火星 のレイヴンによって守られていた。 フライトナーズはLCCを無力化させた後、共に火星の支配をしようとレイヴンに呼びかけていた。 レイヴンの国。これがレオス・クラインの目指していたものだったのだろうか。今となってはそれに答えられる者はいな いがこの呼びかけはあまりにも愚かなものだった。 当然なのだが意外にも知られていない事実。 レイヴンはレイヴンを嫌う。 結局、レイヴンの殆どは地球の側についた。そこで彼ら側につく予定だった数を戦力にいれていたのか、フライトナー ズの戦力は貧弱だった。 部隊長であるムラサキをしんがりに、二列に隊を組みロケットランチャーでの攻撃を始める。 虚を突かれたレイヴン達は、しかしレイヴンらしい思い切りの良さですぐさま接近を仕掛けてくる。役割などは与えら れていない。ならず者を集めても秩序などは生まれないのだ。 しかしそれが逆にムラサキを混乱させた。 彼は数の不利を軽減するためにザングチシティ内での戦闘を想定していた。先程のロケット弾の連射によりこちらの 戦力を数で上回る大部隊だと過大評価し、あちらから市街戦を挑んでくれれば、というのが狙いであった。それでなくと も唯一の連絡橋であるグレートブリッジで戦闘を挑んだ場合、ACの持つ火力はそれを破壊してしまうおそれがあるた め戦闘になる可能性は低いだろう。 しかしレイヴンは我先にとグレートブリッジにひしめいた。超重量兵器であるACが集まればいくらグレートブリッジと言 えどそれなりのダメージを受けてしまうだろう。どんなに巨大でも所詮はコンクリートと強化合金の骨の集まりに過ぎな い。 強欲なレイヴンだ。おそらくAC一機ごとに特別報酬を出すとでも言われたのだろう。そうなれば奴らは守るための盾 持ちではなく、狩るための肉食獣だ。地球政府の解き放った猛獣たちは凶暴な四肢を高速でぶつけてくる。 ムラサキはこの瞬間に戦術的攻略を諦めた。奴らは全員が戦場を知っている。そしてその全てが秩序を持たず己の 利益のためのみに戦っている。狙いどころなど見出せない。彼は部下に己の判断で戦うように命令する。 いきなりの轟音。グレネードが発射され、砲弾は橋の上に火球を作り出した。吹き上がる炎が彼らの視界を塞ぐ。 奴らは橋を落とす気か? ジェッターは残弾の尽きたロケットランチャーを破棄し、ライフルで目視射撃を行ないながら吐き捨てるように言った。 彼らは橋を落とす気など毛頭無いのだろう。ただ、橋が落ちるかも知れないという事を想像出来ないだけで。 上空からミサイルが降り注ぐ。全員がデコイを射出し、ミサイルを迎撃する。しかしその隙を狙ってか前方からは弾 丸、砲弾と問わず火力が吐き出される。 数での不利を挽回するには接近しなくてはならない。しかしそれはこの左右の空間が限られている橋での戦闘では不 可能と言っていい。火力の差が圧倒的な上、技量には圧倒的と言えるほどの有利は無いのだ。 雨のような攻撃を掻い潜りながら接近を試みる。ミサイルによる牽制も相手が重装甲の無限車両ACなら頼りない。 それから先は地獄だった。アリーナで繰り広げられるようなスマートな戦いなどはそこでは有り得ない。ただひたすら に生き残るため火力が吐き出され、あらゆる手が使用される。無力化したACはそのまま極めて高い破壊力を持つ爆 弾に変わり、味方のACを盾にするなどは当然だ。ACによる体当たりで橋から突き落とすなども有効な攻撃手段では あったが多くのACは僅かながら飛翔能力を有するためそううまくはいかない。 次々とACが散ってゆく。 射撃による瞬間火力に劣るフライトナーズはレーザーブレードによる近接戦闘を仕掛け、レイヴン達は有利を維持す るために射撃による攻撃を続ける。しかしこの時に技量と経験の差が生まれる。フライトナーズは近接戦闘ともなれば その技量を遺憾無く発揮しレーザーによる強力な一撃を次々に叩きつけ、ACの重装甲を切り裂いてゆく。 次第に戦力の差が埋まってゆく、その時だった。 上空には巨大な三角形が浮かんでいた。更にその三角形は幾つも集まり、更に巨大な三角形を形成していた。 間違い無い。それは火星最強の通常兵器であるサンクチュアリが軍団を組んだ姿であった。その数は6機。あの大 きさだ。見間違えるはずは無い。 レーダーでの探知が出来ないため余程上空を飛んでいるのだろう。AC尺度でおよそ500。今現在フライトナーズに サンクチュアリを保有するほどの戦力は無いため、地球側のものであるのは明らかだ。しかしそれが増援であったかど うかは今も尚分からない。 サンクチュアリは爆撃を開始した。その大型の格納庫から次々に吐き出される爆弾が交戦中のACの群れに降り注 いだ。 着弾と共に爆弾は炸裂し、ACの重装甲をも弾き飛ばす。敵、味方の分別は無いようだ。 瞬間全てのACは戦闘を中止し逃げ惑う。既に彼らにサンクチュアリを撃墜するほどの火力は残されていなかったの だ。 降り注ぐ爆弾はまるで雨のように絶え間無くACを襲う。見境の無さにかけては地球側のレイヴン以上で、グレートブ リッジにはもう幾つもの大穴が空いている。崩壊は時間の問題だ。 ムラサキは全員に撤退の命令を出した。しかし撤退と言ってもどちらに逃げれば良いのか、爆炎の中正気を保ってい るほうが異常と言った状況だったのは明らかだ。 彼らは炎の中を逃げ惑った。そして巨鳥から下される非情の鉄槌は遂に巨大な橋を撃ち砕いた。グレートブリッジの 中央近くに取り残されたレイヴン達は次第に崩れてゆく橋に飲まれ、深い峡谷に吸い込まれていった。 あれほど大きな影を作っていたサンクチュアリは既に陽炎の向こうに消えてしまっており、残されたのは僅かに生き 延びたAC達だった。 「あれ以来俺はどうにもな……。一日の終わりが来るのが怖くなっちまった。今日は良い。だが明日は? そう考えると ……時々いても立ってもいられなくなってよ……」 ジェッターはその長身を更に大きく背伸びさせると肺から淀んだ空気を吐き出した。その顔にはその時味わった絶望 がまだ張り付いているようだ。 「……分からんでもない。……否、拙者も同様。然し我らは変われぬ。其の証拠に我らは未だ戦っておる。フライトナー ズの名の元に……な」 ツルギもその絶望を味わった一人だった。顎に僅かに生えている無精髭を手の甲で擦りながらその目線を伏せた。 コンクリートの壁に寄りかかり、その冷たさが今は心地よく感じられる。 「情けねぇ話だけどな。ムラサキのやつは……どうなんだ? ブラッドテールもよ」 それに付き合うようにジェッターも壁に寄りかかる。そしてかつての旧友の名を出した。彼らレイヴン同士という者はそ の常として連絡をとる事は滅多に無い。そもそもとる必要が無く、相手の連絡先を知らないというのが殆どだからだ。 「ムラサキ、ブラッドテールの両名は地球に於けるフライトナーズには居らぬようだ」 「……だろうな。ムラサキみたいな堅物がまだフライトナーズやってるとは思えねぇし、ブラッドテールは……元々戦争 は嫌いだったしな」 ブラッドテールという男は元々地球でのアリーナでその実力を認められたレイヴンだった。故に戦場と言うものをあま り知らず、実際火星での理不尽な戦闘を嫌っていた。 「だってのに俺らはまだフライトナーズ引きずってる。そして今フライトナーズ語ってる殆どは火星を知らねえようなのば っかだろ? 何でだろうなあ?」 ビニールに包まれている箱の中から煙草を一本取り出しながら呟くように聞いた。誰に、という言い方ではない。最初 から答えなど無いという事を知っている。そう言う言い方だ。 「何故……。それはクラインという名が未だ生きている為であろう。其の名に釣られ、ただレイヴンとして何も背負わぬ 者は其の配下に就く……。背負わぬ者……。拙者は一度、戦場にてフライトナーズに配する事を勧めた事が在る」 「ほお?」 ツルギの始めた話にジェッターは興味を持ったように相槌を打った。そのついでに煙草を口に咥え、愛用している金 色に輝くライターに火を灯そうとトリガーを押す、が火は点かない。何度試してもだ。 「だが、其の者は其の申し出を断った。……奇妙は事だが拙者は其の事に安堵を覚えた。若しかしたら拙者はフライト ナーズの完全なる入滅を望んで居るのかも知れぬ」 その言葉にジェッターは何も言う事は出来なかった。ツルギはつい笑ってしまう。 「すまぬ。何を言っているのか分からぬな」 「いや、分からねぇでもねぇぜ?」 それにつられるようにジェッターも笑いながら答えた。 「正直俺はクラインが嫌いだよ。だけど……なんか分からねぇけど……。捨てらんねぇんだよな、特殊部隊フライトナー ズってのがさ……。妙に気に入っちまったんだ」 そして自嘲するように笑う。その笑みが彼には普通の笑みよりも似合っていた。 「へっ、切れてやがる」 オイルが切れたライターを上着のうちポケットにしまい込み、加えていたタバコを勢い良く噴出した。それは1メートル ほど離れた地点でバウンドし、宛ても無く転がっていった。 「で、どうなんだ? そっちの班の方は」 ジェッターはそう言って話を切り換えた。これ以上実のならない昔話をしてもしょうがないと考えたのだろう。切り替え が早いのはレイヴンならではと言ったところか。 「元は四人であったが一人が逝った」 ツルギは感情を込めずに息を吐き出すように言った。 その一人とはユニオンジャックという男の事だ。しかし彼はユニオンジャックのオーバーキルにはウンザリしていたの だ。死んで欲しいとは思いはしなかったが、いなくなってせいぜいしたというのが正直なところだった。 「俺の方も四人いた。……ザームで一人、ザクークツで一人死んだ。殺しやがったのは例の如くサンクチュアリさ。地球 ではACより強いよ、あいつらは」 ジェッターはそう言い、錆びた笑みを浮かべる。その笑みにはどんな意味が含まれているのか、ツルギにはよく分か る。 「残りし一人は?」 「リグで待機、だな。俺が命令したわけじゃねぇが」 どうやら怠惰な人物らしい。再び彼の錆びた笑みを見れば分かる。 「お前の方は?」 「ああ、二人は……」 ツルギのその言葉は目の前を通り過ぎていった自走コンテナの走行音によってかき消された。そのコンテナは正に 目と鼻の先を通っており、下手をすればこのまま巻き込まれてしまいそうだ。しかしそれにも慣れてしまっているのだ。 この二人に限らず、この世界の人間は。 「んで?」 コンテナが通り過ぎて行ったのを確認した後ジェッターが再び聞いた。 「……一人はあの男だ」 その質問にツルギは顎で遠くを示した。ジェッターがその向こうを見れば、一見するとレイヴンには見えないどこにで もいる若者がこちらに向かって歩いてくる。 「はあ? まさかあのガキがナイツってやつか?」 「否」 落胆の笑みを浮かべるジェッターにツルギは即座に訂正を入れる。あの男は気分屋である分扱い難い。おまけに普 段は無気力なのだからどうしようも無い。 「この人っすか。今日合流するフライトナーズの人」 その男は合流すると馴れ馴れしい顔をジェッターに向けた。しかしその身長差のためジェッターはあまり気にする様 子は無い。 「最近の若えのは礼儀を知らねぇのな」 「そうだ。ジェッター。お主の数倍腕が立つ男だ」 ジェッターが独り言のように愚痴るのを無視してツルギは彼を紹介した。 「あ、僕ミニッツスターっていいます」 つられるようにミニッツスターと名乗る青年は自己紹介をした。しかし決して悪ぶれる様子は無い。 「ジェッターだ」 それに対してジェッターは一応自己紹介した。しかし一瞥する程度で握手を求めるような事はしない。 「ん〜、俺リグ戻ってて良いっすか?」 居辛いのだろうか。ミニッツスターはツルギとジェッターを見比べた後、黒いリグを指していった。 「……ああ」 ツルギが生返事をするとミニッツスターは表情を明るくして、それじゃ、と小さく呟いてその脚をリグへ向けた。 「……待て」 しかしすぐにツルギはミニッツスターを呼び止めた。それに青年はあからさまに嫌そうな顔を向けて振り返った。 「ナイツは?」 「ああ、あいつですか?こっちに来てません?」 ツルギは首を振る。 「あ〜の野郎。だから付き合えって言ったのに」 そう独り言のように誰となく呟くとミニッツスターは再びリグに向かって歩き出した。勝手な行動にツルギは眉をひそめ たが何を言っても無駄だということも残念ながら分かっていた。 しばらくの間、そこに取り残された二人は何も言わずにその背中を目で追っていた。しかしその注目の相手はすぐに 変わった。青年と入れ替わるように白髪の少年が黒いリグから降りていた。その少年に向かいミニッツスターは一言二 言言うとリグの格納庫に消えていった。 「おいおい、さっきよりも酷ぇガキが出てきたぜ? まさかあれが噂のレベル6プラスかあ?」 冗談じゃないという表情でジェッターはこちらに向かってくる少年を見ながら確認した。それに対してツルギは首を縦 に振るだけだ。ジェッターは再び顔を歪めた。 「洒落になんねぇな。あんなガキが……」 「確かに外見は童よ」 信じようとしないジェッターにツルギは言い諭すようにそう切り出した。 「が、拙者は火星にてあ奴を見た事が在る。して、外見は変わらぬ」 そのツルギの言葉にジェッターは口笛を吹いた後からかうように言った。 「へ、じゃあ俺らよりも歳食ってんのかも知れねぇな」 「かも知れぬな」 半分冗談だったのであろうその言葉をツルギは真顔でそう返した。それにジェッターは呆れたように錆びた笑いを溢 す。 「ナイツ、この者がジェッターだ」 それを気にする様子も無くツルギは既にすぐそこにいるナイツという少年にジェッターを紹介した。顔は知らないが事 前に話は伝えているためそれだけで伝わるだろう。ミニッツスターには何も言ってはいないが。 「よう、よろしくな」 ジェッターは自己紹介をして握手を求めた。しかし白髪の少年はそれを一瞥するだけだ。 「ナイツだ」 そしてそう言うだけで視線をツルギに向けた。 「ACの搭載は済んだ。調整はしなくて良いのか?」 淡々と、変わらない調子でそう告げた。その声は少年そのものだが、感情の宿らない言葉にはその事を感じさせない ものがあった。 「未だ間は在ろう。気にせずとも良い」 ナイツは、そうか、とだけ呟くように言うとそのまま通り過ぎて喧騒に消えていった。 「……強いのか?」 「奴より強い者に会った事は無い」 「そりゃあすげぇな」 それきり二人は黙り込んだ。 5年ぶりの再開。 しかし二人の間にはそれ以上話す必要がある事は無かったのだ。 今日もガレージバーメンタイドは静かなものだった。原因は単純に今の気候のせいだろう。 レイヴンも人間ならばこの暑さにはウンザリするものだ。地下に引っ込んでしまうのは烏の黒い羽のせいか。黒は熱 が篭りやすいのだ。 「♪し〜んくの〜、翼がて〜んく〜うを〜、翔ける時、空は一面、あ〜かねに染まる〜」 広い整備上の下、雨音をBGMにロジャーは子供の頃に聞いた事のある名も知らぬ歌を歌いながら、自分の愛車を 布巾で拭いていた。 仕事が無いため例の如く住込みではない他の整備士はここにはいない。 バーメンタイドに言わせれば毎年の事で、この時期は少しばかり遅い夏休みとなるのだと言う。もちろん例外となる事 もあるのだろうが、緊急となる任務でもここに残っている主であるバーメンタイドがいればそれで十分対応できるだろ う。このガレージバーメンタイドはあくまで個人の運営によるものなのだ。 そこに主であるバーメンタイドが雨を切りながら自前のミドルスクーターでシャッターを潜って登場した。エムロード製 特有のパーツを切り詰めた形状が無骨な彼には似合っていた。 「それ終わったら俺のもしてくれんか」 メタルオレンジのヘルメットを脱ぐとその下から失礼ながらヘルメットが出てきた。一瞬ロジャーは顔を背け、笑いを堪 えた。しかし肩が笑ってしまいバーメンタイドには今ロジャーが何を考えているのか手に取るように分かった。 「お前もいつかこうなるぜ」 雨露を滴らせるレインスーツを脱ぎながらバーメンタイドは言った。 「いや、それは無いと思いますよ」 「何が無いんだ?」 あ?と高圧的に近づいてくるバーメンタイドにロジャーは恐怖の笑顔を作りながら後退した。 変に反応しないほうが良かったと後悔すると同時にこの間のベンの様子を思い出す。こんなに暑く湿っぽいはずなの にロジャーは寒気を感じた。 「ふう、俺もお前くらいの時にはもうちょっとあったんだけどな」 飽きたというふうにバーメンタイドは急に自分のスクーターに向き返るとサイドミラーで自分の頭を覗いた。もうちょっ と、というのが彼にしては控えめだった。 「そうだ。前から聞きたいと思ってた事があったんだったな」 急に思いついたようにバーメンタイドは振り返るとロジャーの大型バイクを指差した。 「それはどうしたんだ?どう見たってエムロードカスタムだがエンジンの辺りはボルテクスッぽい。タンクなんか見たこと も無ぇ」 まるででたらめに繋ぎ合わせたようなバイクだとバーメンタイドは思っていた。 重量は優に350kgを超えているだろう。赤と黒に塗り分けられ、それは彼のAC、フエーリアエとは違い、落ち着いた 雰囲気を放っている。タンクはまるでコブラのように横に広がって最大容量を増加させており、ロジャーの話に寄れば サイドに取り付けられているサイドケースには常に予備の燃料とバッテリーが詰まれているらしい。それにこのサイドタ ンク自体が常識よりもふた回りは大きい代物だ。そしてそれを支えるタイヤも通常の“大型”程度ではなく言わば“超大 型”だ。そしてサイドフェイスカバーには9のエンブレム。 「あ〜、こいつですか?」 しかし所々塗装の剥げてしまっている愛車を眺めながらロジャーは呟く。その表情は昔を懐かしむようなもので今まで 彼の見たことの無い表情だった。 「こいつは俺が院にいた時に友達が造ってくれたものなんです。乗り始めは……やっぱ怖かったですね」 そして笑う。それはいつもの笑顔だ。バーメンタイドは正直安心した。 「それで〜、しばらくこいつに乗ってるうちにすっかり気に入っちゃったんですよ、ほんとに。それでその内に、こいつなら 何処までも行けるかも知れない!って……、思うようになったんです」 その時ロジャーは輝いているようだった。かつて本当に何かを信じたであろう少年の顔がそこにあった。 「んで、本当に何処までも行ってみたのか?」 バーメンタイドがつられて笑いながらそう聞いてみた。 「そうですね。全身に紫外線マントを被ってあっちこっちに行きましたよ。コルナードから一番遠い所だとアヴァロンバレ ーが一番遠かったですね」 「そりゃあ……」 本当に遠いな、とバーメンタイドは感心した。途中、砂漠はいくらでもある。本当に“何処までも”行こうとしているのだ ろう。この一番の相棒と。 「だからこいつを整備できるのは俺と俺の友達だけなんです。こいつ、タフだから滅多に医者にかかる事は無いんです けどね」 そして本当に自慢げに自分の相棒のシートを叩いた。 「そうか」 バーメンタイドはそんなロジャーが羨ましくなった。自分にはそんなに長い間信用しあった相手が人間にもいないの だ。 「まあなんでも良いけど塗装とワックスは定期的に張り直せよ。いつまでもそれじゃあそいつが可哀想じゃねぇか」 「はは、そうですね」 いつものように笑顔で素直に返事をすると彼の相棒を汚れが染み込んだ布巾をバーメンタイドに渡した。 「コヨミは今ごろはピアノ弾いてるか?」 バーメンタイドはその布巾をロジャーに投げ返すと携帯電話の液晶に映る時刻を見ながら独り言のように言った。そ こには14:23とあった。 「あれ? 親方知ってたんですか? 俺は今日知ったんですけど」 「あ〜、あいつとはジーノと同じ付き合いだからな。お前よりは親しいよ」 「へえ、そうなんだ」 投げ返された布巾をもう一度渡してロジャーは納得したように呟いた。彼も時刻を確認しようとバイクのメーターを覗 き込んだが、数字を表示する液晶画面は眠っていた。 「ま、何にしても頑張ってくれれば良いな。そのコンクールってのもアイザックを代表するもんでな、結構その業界の人 間が見に来てるって話だしな」 渡された布巾を再びロジャーに投げ返しながらバーメンタイドは言った。 「それじゃあコヨミちゃん、ほんとにピアニストになっちゃったりするかも知れませんね」 投げ返された布巾を更に再びバーメンタイドに渡して素直にそう返した。 「まあそいつは無いだろうけど」 渡された布巾を投げ返しながら、いくらなんでもそれは無い、といった顔をして言った。いくらなんでも飛躍し過ぎなの だ。 「いや、分からないですよ」 投げ返された布巾を渡しながら反論した。 「まあそりゃあそうだけどな」 渡された布巾を投げ返す。 「でしょ?」 投げ返された布巾を渡す。 「だけど冷静に考えるとやっぱり無いだろ?」 渡された布巾を投げ返す。 「ですかねえ」 投げ返された布巾を渡す。 「だろ?」 渡された布巾を投げ返す。 「……」 ふと、ロジャーは動きを止めた。 「……俺達何やってるんでしょうね?」 そう言われたバーメンタイドは考え込んだ。考え込んで、そして言った。 「……何やってんだろうな」 誰にも分からないのではないだろうか。二人は声には出さないが同じ事を考えていた。 コヨミはごくたまにしか来ない、しかし見慣れた街にいた。人の集まるバスターミナル。しかし彼女が待っているのはバ スではない。 「まだかな。お母さん」 約束の時間を10分ほど過ぎている。確かに余裕を持っての時間設定ではあるがこのままでは彼女がコンサートの時 間に遅れてしまう。 コヨミはポケットの中で確かな存在感を放っている携帯電話に手をかけた。しかしその手をすぐに引っ込め、ショルダ ーバックの中から楽譜を取り出して読み始めた。 今日は久しぶりに両親に会える。家族三人揃って食事が出来る日なのだ。 普段彼女は一人で過ごしており、たまに親が帰って来たとしてもそれは片割れに過ぎない。家族が揃うなどというの は彼女にとって月に一度あるか無いかというものなのだ。 憂鬱な雨はまだ降り続いている。ターミナルに設置されている簡易型の屋根の下、彼女はベンチに座り楽譜を読んで いる。時々目線を上げては両親の車が来ていないか期待した。しかし彼女の知る赤の眩しい両親の車はいつまで立っ ても来ないのだ。 いつもは両親がなかなか帰って来ない暮らしを何でもない風に装ってはいるがやはりまだ子供なのだ。物分りの良い 秀才のコヨミと両親の到着を待つコヨミは別人と言っても良いほどに落ち着きようが違う。見た目はそれ以上に幼いの だが。 彼女がここで待ち始めてから6週目のバスが出発した。運転手の老人は心配そうに何度か声をかけてくれたがコヨミ はありがたく気持ちだけを受け取った。 『本当にピアニストになっちゃうんだ』 楽譜を読んでいたら不意に笑顔の青年の言葉が甦った。楽譜を膝に乗せ、自分の手を目の前にかざしてみる。その 手は愛らしく、そして小さなものだった。これでは鍵盤を叩く事が出来る範囲など箍が知れている。 「なれねぇって、これじゃ」 そしてそう言って一人毒づいた。 彼女がピアノを続けているのも、このコンサートの日だけは必ず両親二人が迎えに来てくれるからなのだ。特別ピアノ 自体に思い入れがあるわけじゃない。 もうすぐ時間的にはぎりぎりの時刻となる。彼女はデジタル式の腕時計を見ながらそれを確認した。 14:29:57 後数秒でその時刻になる。そうなれば次に来るバスに乗る覚悟を決めなければならない。 14:29:58 それは彼女にとって辛い決断だ。 14:29:59 しかしもう間に合わないのは目に見えていた。時間は目に見えないものだが、時刻に関しては目に見えてしまうものな のだ。 14:30:00 諦めて彼女がベンチから腰を上げたと同時だった。雨音を切り裂く大きなサイレンの音が街中のあちこちに設置され ているスピーカーから吐き出されたのだ。 一瞬彼女は混乱しながらも只ならぬ状況であることは十分に察知できた。辺りを見渡すと彼女同様混乱し、しかし一 群となってどこかに逃げようとしているのが確認できた。 私もあれに加わらなければならない。 なるだけ冷静に、彼女は実感の無い恐怖を抑えながらその一団に加わろうとその場を動こうとした。 しかしそれよりも早く、白煙の尾を引きながら何かが音速で彼女の頭上を通り過ぎた。そしてそれはそのまま6階建て のビルの屋上に突き刺さると炸裂。彼女の頭上からは雨のようにコンクリートの破片が降り注ぎ始めた。 それは蠢いていた。 げらげらげらげらげらげらげらげら 暗闇の中で確かな自我を持ちながら、しかしそれを失い足掻いていた。 げらげらげらげらげらげらげらげら あまりにも信じられない事が現実に起き、しかしそれを否定する術を持っていなかった。 げらげらげらげらげらげらげらげら 狂気が渦巻いている。しかもその狂気は幾つにも積み重なり全てが同じものを求めていた。 げらげらげらげらげらげらげらげら 狂気の咆哮が暗黒を満たす。 げらげらげらげらげらげらげらげら しかし暗黒はあまりにも狭かった。それらの狂気によって次第に飽和状態となりつつある。 げらげらげらげらげらげらげらげら それを示すように暗黒と外界を遮断していた塊は悲鳴を上げていた。 げらげらげらげらげらげらげらげら その事を知りそれらは歓喜していた。 げらげらげらげらげらげらげらげら もう少し。もう少しで自由になれる。 げらげらげらげらげらげらげらげら そして自由になったそれらはそれぞれが何をするかを決めていた。 げらげらげらげらげらげらげらげら その意思はあまりにも多かったが、しかしどれもまったく同じだった。 げらげらげらげらげらげらげらげら それは破壊。 げらげらげらげらげらげらげらげら 自分を否定した世界を全て破壊する事。 げらげらげらげらげらげらげらげら それらはあまりにも多かった。 げらげらげらげらげらげらげらげら そしてその全てがその事に絶望し、絶望から生まれた破壊衝動を何かにぶつけるべく彷徨しているのだ。 彼は始めて会う同士三人を眺めていた。 「……ミニッツスター。また其れをACに持ち込むつもりか?」 その三人の中で最も奇妙な服装の男が、寝そべりながらコミック雑誌を読んでいる青年をたしなめるように言った。 名はツルギと言うらしく、三人のチームリーダーであるそうだ。 「スナイパーって結構暇するんすよ?これくらい無いと」 その三人の中で最も「普通」と言える青年、ミニッツスターは言い訳がましく反論する。しかしあまりムキになっている 様子は無く、怠惰そのものだ。特にスナイパーとは常に緊張感を持っていなければならない役割であり、彼の言ってい る事は明らかに間違っている。 そしてその様子をまるで関知していないように白髪の少年はただ黙々と何かを白い布で拭いていた。長椅子に腰を 掛け、その体躯は更に小さく見える。まるでレイヴンには見えないが、その落ち着き切った様子は見た目相応の年齢に も見えない。12歳前後と言った所の容姿には一変の幼さも含まれていないのだ。更に彼が拭いている物というのが、 彼の愛用している人工の眼球だと知れば男は驚きのあまり白髪混じりの黒髪は、白髪の割合が勝る事になるだろう。 「なあ、ナイツっての。AC動かしてる時どんな気分だ?」 そのナイツと言う少年に声をかけているのが彼の上司である長身の男、ジェッターだ。男にとっては見慣れた顔だ。と 言っても2メートル近い長身はこの中ではかなり目立っている。 少年はジェッターの声も無視し、両目を瞑っていた。寝ているわけではないのだろう。 そして彼らを眺めている男はジェッターの部下と言えるレイヴンだ。 「あ、テイルム。で、何言ってた?」 テイルムというその男にジェッターは今更気がついたように声を掛けた。 その男は短い黒髪に白髪が混じっている以外には変哲の無い中肉中背の若い男だ。ジェッターに急に声を掛けられ たので気の弱そうな顔をより一層困惑したものにした。白髪の事も含め、レイヴンである事が疑わしいほど神経が細そ うに見える。 「あ、はい。これに」 テイルムは控えめに脇に抱えていた携帯端末をジェッターに渡した。 「あ〜あ、前もって相手教えてくれりゃもっと気の利いたアセン出来たってのによ。何でこう回りくどいのかな」 愚痴りながら受け取った携帯端末を丸テーブルの上に置いた。そのテーブルは5人に囲まれるように設置されている ため、画面の見えないツルギはジェッター側に向かう。 彼らはこれからの任務に向けて大型のリグにACを乗せ目的地に向かっているところだ。ホバー推進音が床の下から 伝わってくる。既に自動操縦に切り替えられ、乗員の全員がリグ後部の格納庫に集まっているのだ。格納庫の中では ハンガーに掛けられているAC達がリグの動きに合わせゆっくり動いているのが見える。 「場所は〜、オールド・アイザック・W−045・元居住区。クロスタウン、か。廃棄地下都市かよ。エアクリーン生きてん のか?」 「ええっ!?」 ジェッターが何気なく戦闘区域である廃棄された地下都市の名を呟くと今まで床に寝そべっていたミニッツスターが大 声と共に飛び起きた。その表情は驚きに満ちているようだった。 「マジで!?」 「なんだよ、いきなり」 その反応にジェッターは訝しげに顔をしかめた。 「なるほど。道理で我々には前以て知らされぬ訳よ」 しかしツルギはその驚き様を理解しているようで、同様にジェッターには分からないような言葉で同意を示した。 「何なんだよ、だからよ」 一人取り残されている事に不快感を露にしたジェッターはその長身でツルギを睨みつけた。しかしツルギは慣れたよ うにその目線を涼しげな表情で受け流している。 「僅か数日前、拙者等は其の地にて死に掛けたのだ」 「ああ?」 訳が分からないと言うふうにジェッターはうめいた。 「あ〜っとですね。俺らはちょっと前そこで戦わされたんですよ。内容は何か……あれだ。ゲートの向こうに敵を通過さ せるなって感じで。んで相手はジオの大部隊。ACもいたもんでツルギさんなんかボロボロのボロ雑巾みたいになっちゃ ったんすよ」 ミニッツスターはそれを出来る限り分かりやすく説明した。しかしそれは割愛され過ぎているようにも感じられる内容で もあった。 「雑巾とは酷い言われ様でござるな。然し奴の言っている事は相違無い事だ」 ツルギが強ち間違ってはいないとジェッターに補足した。そう言わなければおそらく彼の言葉を信じないだろうからだ。 「あ、そ。そのゲートの向こうってのはなんだい」 一応納得の姿勢を見せたジェッターだが、割愛された部分を更に詳しく聞こうと聞き直した。確かに、企業が大部隊を 出すというのは滅多に無い事で、特に地下での戦闘はレイヴンに任せてしまうのが最も正しい事だ。 そもそもMT、ACは資源の乏しい世界に生まれたロボットだ。あらゆる地形を少ない燃料で移動するためには完成さ れた人型機械と言う存在が不可欠だったのである。その条件で生まれたMT、ACは見事に少ない資源による地下の 長距離移動と言う目的を果たし、特にACに関しては到底MTには支えられない大型のジェネレーター、それを支える共 有フレーム、完全戦闘用であるが故の信頼性が特に地下での存在を圧倒的なものにしている。 つまり今回の出来事に関してもわざわざジオ・マトリクス自らが大部隊を供給する必要性は無く、ただレイヴンを多数 雇えばいい。だというのに自ら出向いたという事は、その先に一切の誤魔化しを拒む、重要な何かがあるからに他なら ない。 ジェッターは割愛されてしまっている説明の中、確実にその点を見抜いていたのだ。 「……聞かされておらぬ」 ツルギは小さく首を振り、自らの無力を恥じるように俯いた。 「恐らくではあるが……その先にクラインが居るのではないか?」 「それは無い」 ツルギが呟くように言った言葉を少年の声が否定した。その声の主に全員が注目する。その目線の先には端末から 伸びたケーブルを自分の手首に差し込んでいる白髪の少年、ナイツがいた。片目を閉じているが白い前髪に隠れ、気 にはならない。 その様子を見慣れていないジェッターとテイルムは言葉を失い僅かに後ずさった。しかし反面見慣れているツルギは それがさも当然のように向き直った。 よく見てみればその手首には端子のようなものがあり、その行為は無理な事ではないように思えた。 「ナイツ、今回はどんなの?」 ミニッツスターが今回の任務の内容を教えろと催促した。 「ああ」 ケーブルを腕に繋げたままナイツは生返事をした。そしてしばらくの沈黙の後に短く答えた。 「東ゲートから出現する予定の敵戦力を迎撃するのが今回の任務だ。戦力の詳細は不明。複数機いるという事だ」 それを聞いてミニッツスターはウンザリした。またそれか、と。ツルギも同じようだったが、気になったのは別の事だっ た。 「東ゲート……?」 「おいおい。その前はそっち側守ってたんじゃねぇのか? 何でそんなとこから敵が出てくんだよ」 ジェッターも同じ事が気になっているようだ。しかしここにはその疑問に答えられる者はいない。ナイツに関しては情報 の中からそれを察知したところで聞かなければ答える事も無いだろう。 「複数機って事だからMTか? 戦車って事は無ぇよなあ?」 「MTに在らず、戦闘メカという事も有り得る」 「ACは……無いですか?」 「無いと思うよぉ?」 限られた情報だけでは予想も十分には出来ない。皆すぐにネタ切れとなり沈黙した。それにどんなに確実な情報があ っても実際に見てみない事には信用出来ないというのも事実だ。 「やっぱその辺りはナイツ頼り?」 諦めたようにミニッツスターは白髪の少年を指差して言った。彼は気にする事も無く腕からケーブルを抜き取ってい た。あまりにもシュールな光景にジェッター、テイルムは再び驚く。 「お主のブルースコープのレーダーも使えよう。怠けるな」 ツルギは二人の驚きの対象とは別のものに対して口を挟んだ。ジェッターは呆れるしか無い。この様子ではこの少年 が表皮を脱いで天日干しにしている光景まで見ているかも知れないとまで思う。 「まあ、敵は多いって事だろ?必要な程度アセンは換えといてもいいんじゃねえか? 特にツルギよお。お前どう考えて も任務向きじゃねぇぜ。あの何とかってやつは」 「天照大御神だ」 そこは格納庫であるためジェッターはその漆黒のACを指差した。その天照大御神は軽量二脚タイプに換装され、ス テルスも装備されていない。ブースターも最大出力の物にされ、単純な機動力では現在アセンブリ可能なACでも最高 速だろう。しかしこのACは当然機動力を活かしての回避以外に防衛手段は無く、装甲も紙にでも例えられそうだ。接近 戦ともなればその戦闘能力は発揮されるだろうがそれ以上の距離ではまったくの無力だ。もちろん相手が複数ともな ればその機動力による恩恵は半減する。一機を相手にしている間、その他の機体に対して無防備になる事は必至だ からだ。 「それが侍よ。お主が口を挟む事では無い」 ツルギはそうとだけ言うとそれ以上何も言わなかった。単純にジェッターの申し出を断わったという事だろう。 「このリグにはどんなもん積んでます?コンテナはあんまり見えないっすけど」 ミニッツスターは換装の意思を示した。基本的にスナイパーは複数の相手との戦闘には向いていない。もちろん味方 が複数いれば援護に回れば良いのだが、前回の戦闘ではあまりの数の多さにそれもままならなかった。更に接近戦と もなればその遠距離精密射撃用FCSはその射撃精度と引き換えに認識視野、サイトが狭いため極めて不利となる。 「あるのはインサイドと弾倉だけです。他は場所を取るから置いてきました」 それにテイルムは丁寧に答えた。それでも相手は歳が近いという事もあり今までのおどおどした様子は無い。 「おいおい。今まであんなに積んでたじゃねえかよ。何でいきなりそんだけになるんだあ?」 「しょうがないじゃないですか。ACが5機乗ってるのにコンテナ積んでる時点で奇跡なんですよ。それにこれ以上積んだ らリグ動かなくなっちゃいますよ」 「お前のグラディンゴが一番場所とってんだろうがよ」 珍しく反発したテイルムに、ジェッターは彼のACを指差して見せた。 その指の先には淡い水色の重量二脚ACが立っていた。重量二脚タイプはACとしては最もボリュームのあるタイプ で、重量では無限車両に劣るが面積で言えば体高の分それを上回る。武装も両肩にパラサイトミサイルと言われる大 型多弾頭ミサイルが搭載され、それがより一層このACを大きく見せていた。装甲も人型としては最も厚い部類に入る だろう。 「それはそうですけど」 それ以上は反論できずにテイルムは黙り込んだ。 「インサイドねえ。ノイメで良いや」 そんな二人のやり取りなど気にもせずにミニッツスターはブルースコープに何も手を加えない事に決めた。 彼の言っているノイメとはノイズメーカーというインサイドパーツの事だ。このノイズメーカーとは、設置してその周囲に ロックを撹乱する信号を発信する装置だ。この装置の近くに居れば相手側のロックを受ける事は無い。しかも信号発 信角度が調整され、こちらからはロックによる攻撃が可能なのだ。難を言えば一基当たりの重量が重く、内蔵されたバ ッテリーも弱いため持久力も無い事だろう。 「後どんくらいで着く?」 その後に特に意味は無く彼は呟いた。ジーンズから携帯電話を取り出し時間を確認するがそんな物で分かるはずも 無い。 「一時間くれぇ?」 それにジェッターが根拠も無く答えた。もちろんそれを信用する者などいない。 「……今から特に問題無く行ければ後一時間と30分程度だと思うが」 今度はナイツが答えた。それに対してツルギはそうか、と認めるような態度をとった。この少年の言う事は嫌に信用出 来るらしい。 「何で分かるんだよ」 ジェッターはそれを不思議に思った。プラスだから、という答えだけでは納得など出来ない。しかしナイツは黙り込んだ まま、何を言おうとはしない。 「おい、何か言えよ」 その態度に今までの不満が甦る。今までの自分を無視していたような態度が次第に我慢出来なくなってきたのだ。 「止めよ、ジェッター」 「お前さっきからなにすかしてんだ? カッコつけてるつもりか? あぁ?」 ツルギが止めるのも聞かずに胸倉を掴むと一気に詰め寄った。体格の違いは圧倒的でナイツは諦めているのか抵 抗もしない。その左眼は閉じられたまま表情さえも動かない。 「ジェッター!」 「その左眼はなんだよ。いつまでそうやってるつもりだ? それでかっこいいつもりだったら話にならねぇな! 目玉入っ てねぇなんて言う気か!?」 次の瞬間、目の前を何かが通った。なんだ? とジェッターが屈めていた上体を持ち上げると、彼の赤く染めた前髪 がはらはらと舞っているのが見えた。そして二人の間に割って入るように一本の金属が光沢を放っている。 「すぐに離せ。お主もこのような些細な事で激情する気は有るまい?」 そこにはツルギがいた。いつもと違うのはいつも腰に携えているだけだった刀が抜刀されているところだ。そしてその 刃はジェッターの喉笛を捉えており、ツルギの一押しで彼は絶命する事は必死だ。 「分かった分かった。初めて見たお前のそいつに免じて許してやるよ」 ジェッターは言葉通りナイツから手を話すと刀を払った。物分りが良いあたりはいかにもレイヴンらしい。もちろんツル ギがそのまま刃を振り切る事が無い事は分かり切っている。その証拠にツルギは目にも止まらない速さで鞘にツルギ をしまい込んだ。 ナイツは襟元を整えると先程まで座っていた長椅子に置かれていた白い布を手に取った。そしてその中から白い球 体を取り出すとそれを今まで閉じていた左瞼に押し付けた。 「おい……」 ごりっ、と嫌な音。そしてナイツは左眼を見開いた。そこには金色の瞳を湛える眼球が確かにジェッターを見据えてい る。 「……満足か?」 そして白髪の少年はそうとだけ言うと自分のAC、アルビノエンジェルへ向かって行った。ジェッターは絶句したまま何 も言えず、その背中を見送っていた。 ニコライは燃料が満タンになった車を地下の駐車場に預けるとエレベーターに向かった。地下駐車場と言っても地下 都市とは違い、夏らしい暑さを保っている。時折駐車しようとする車に道を譲りながら通路まで着くと、鏡張りのエレベー タードアの横にあるボタンを押して呼び出した。ここはB1。そしてこのエレベーターは現在6階。途中何回も止まらなけ ればすぐに着くだろう。そもそも特別大きな病院ではない。それに対して彼の勤めている病院は地下、オールド・ザムシ ティの医療の中心であったため、その規模は地下の“天井”に届くほどだ。比べようも無い。 エレベーターの到着するのを待って彼はクリーム色に塗られたコンクリートの壁に背もたれた。このコンクリートも異 様に生暖かい。彼は慣れるしかない、と苦笑した。同時に“慣れ無しに進歩無し”という古い言葉を思い出す。この言葉 を最初に聞いたのはいつだったか、思い出そうとするとそれよりも先に電子音がエレベーターの到着を告げた。開いた ドアからは母親と娘の親子が彼の横を通り過ぎて行った。彼もエレベーターに乗り込むと一階へ向かわせる。そう、目 指しているのはあの受け付けだ。あの時の女性、名前も聞いていない。名札を確認して置けばよかった、と軽く後悔す る。しかし時間は十分だ。食事に誘う事も出来るだろう。 軽く宇宙船が出航するのと同じGを感じるとドアが開いた。そこには父親と息子の親子が待っていた。先程の片割れ か、と思ったが確証は無い。ルールに従いニコライが先に降りると親子は地下に向かって行った。何かあったのか、意 味も無く心配になった。 それはともかく、彼は二度目になる病院内を見渡す。一度来た所ではあるがエレベーターから入るとやはり印象が違 う。前回は炎天下の駐車場に止めてしまったため、車内がサウナになってしまっていた。黒い車体は熱を必要以上に 吸収してしまう。そのため今日は地下の駐車場に止めた。やはり地下での暮らしに慣れるとどうにも気候の変化に弱く なってしまう。そしてそれ以前に火星出身の彼は地球の暑さには弱いのだ。 そう言えば地上は1年ぶりか。こんなに長く居るのは更に久し振りになるな。 再び蒸し暑い気候に身体を慣らせながら彼は受け付けに向かった。あの時の女性はいるだろうか。まさかアルバイト という事は無いだろうが、交代制であるという可能性は大いにある。だがそれは杞憂であった。 「おはようございます。それとももうこんにちはでしょうか」 ニコライは満面に笑みを浮かべながらその受付の女性に挨拶をした。軽い食事と車の給油、そして軽い街回りで時 刻は既に午後の2時となっていた。地上の人間に言わせればまず間違い無く、こんにちは、だろう。 「トゥワイフ先生。お話はお伺いしております」 彼女は行儀良くお辞儀をした。彼の言葉は無視されているようだった。 「ニコライでいいですよ。自分で言うのもなんですが言い辛くてしょうがないですからね」 そしてそう言うと再び微笑む。 彼女の胸元にはネームプレートのようなものは無く、カウンターにもそれらしい物は置かれていない。となれば直接聞 くしかないのだが、それはあまりにもあつかましいだろう。少なくとも紳士にあるまじき行為と言ったところか。 「それじゃあ、ニコライさん?」 恐る恐るといった様子で彼女が言い直した。 「はい。それで……、お話しというのはどういった事でした? 今日はその事でお伺いしたのですが」 とりあえず名前の方は諦めてニコライは仕事に話を移した。正直今はこちらの方が気になっているのだ。 「はい。剖検室でお話があるそうです。……えっと、でもデリース医師は今はどこにいるのか……」 「お分かりでない?」 「はい」 彼女は申し訳無さそうに答えた。 「それじゃあ、ストロング……なんだ? ストロングさんというのは?」 そう言えばあの男はどういった肩書きの持ち主なのだろう。よく考えてみれば聞いていなかった。そのためそういった 言い方しか出来なかった。 「ストロング……、検死医のパウワ・ストロング先生の事でしょうか」 そう言って彼女はカウンターに置かれていた端末を操作し始めた。そのタイピングは不慣れなもので、どうやら機械 が苦手なようだ。 「声しか聞いていないので何とも言えませんけど」 その様子を見ながらニコライは間を持たせるように言った。しかし彼女はそれどころではない。 「あの……、なんなら私が……」 「大丈夫です」 彼女は半ばムキになっているようだった。ニコライの言葉を聞き終えずに断った。 「ストロングはこの方だけですね」 程なくして彼女はそう告げた。という事はそのパウワ・ストロングが彼の探しているストロングと言う事になるのだろう。 「それで、彼は?」 「……アナウンスしますか?」 やはり分からないようだ。しかし約束をしたわけでもないため、アナウンスまで使うのはあつかましいというものだ。そ れにそれぞれ仕事中ならばとてつもない迷惑だろう。 「いいえ、見学がてら探してみますよ。急いでいるわけじゃありませんから」 僅かながら暑さにも慣れたためニコライは歩く事にした。時間帯としては最も暑い時間帯だが、暦の上ではもうすぐ秋 となるらしい。そう聞けばなんとなくこの暑さにも耐えられるのだ。 「それじゃあ、何か困る事があったらまた寄らせて頂きます」 最後にそう言うとニコライはその場を後にしようとした。 「ニコライさん」 それを彼女が止めた。歩みを始めていた右脚を空中に置き去りにしてニコライはそれに振り返る。 「私はリーサ・スミスと言います。スミスって言われるのはあまり好きではないんでリサと呼んで下さい」 リサ、というのは当然愛称だろうが、ニコライは微笑んでそれに答えた。 「リサさん、ですね。お気遣いありがとうございます。それじゃあリサさん、早速で申し訳無いんですけど剖検室はどちら に?」 「はい。地下の2階まで下りて、ずっと奥にあります。あ、この間のエレベーターは修理中で使えませんので、階段をお 使い下さい」 彼女は右手でその階段を示しながらそう説明した。そのエレベーターは確かにバリケードで仕切られ、位置する階を 示す信号は黒く曇っている。しかし修理らしい修理は今現在は行なわれていないようだ。 「あのエレベーターはいつ頃直ると聞いていますか?」 あまり無駄に動きたくはないニコライはなんと無しに聞いてみた。出来れば早い内に直って欲しいのだ。 「修理しているのは見たこと無いですね。ほんとにいつ直るんでしょうか」 聞かなければもう少し気分的には楽だったかも知れない。ニコライは今更ながら軽く後悔した。しかしそれを表には出 さずに最後に微笑むと階段を探し白い廊下を歩き出した。 階段やエレベーター等の移動経路は施設の中央部分に集中するものだが、この病院は珍しくエレベーターが中央を 陣取り、それから離れて階段が設置されている。エスカレーターは無い。と言ってもエスカレーターはエレベーター以上 に場所をとり電力を消費するため、地上にありがちの中堅施設では設置する余裕は無いのだろう。 地下一階へ続く階段を下りる。コンクリートに塗装を施した床は僅かに粘着質を持っている。歩く度に足をとられてい るようでどうにも気になる。 1階ではガラス越しに見えていた薄暗い光景もここでは更に薄暗い光景にとって変わられる。天井に設置されている のは蛍光灯で、集光システムは使用されていないようだ。そのせいで明るいながらもここが地下であるという事を感じさ せる。蛍光灯の光は集光システムによるものとは明らかに違い、そちらに慣れていたニコライは僅かながら目を凝らす 必要があった。 更に下りて地下2階。蛍光灯の光が降り注いでいるそこは気分的にかも知れないが先程以上に暗く感じられた。 地下に下りる。彼は普段地下に住んでいるが、更にその地下に下りるという事があまり好きではない。いや、むしろ 嫌いなのだ。 そう感じるようになったのは地球に降りて本格的に医療に関わるようになってからだろう。病院の地下にはろくなもの が無いのだ。そう、言わば患者ですらなくなった死人が寝ている階である。墓場だ。死人に対して敬意を表するという意 識は彼には無く、死人は死人、そう割り切っている。あくまで彼が医者になったのは人を治すためであって、検死など正 直なところ関わりたくはないのだ。しかし一度好奇心に負けてしまったが最後、たった一度強化人間を解剖したばかり に今に至る。 嘲笑すると溜息を吐いて僅かにコンクリートの臭いが含まれている空気を肺一杯に満たした。地下らしい空気だ。どう いう分けか彼は落ち着いた。 ずっと奥と言われていた剖検室を探し通路を歩く。患者の事を考える必要が無いここは殺風景などという生易しいも のではなく、子供、それでなくとも“そちらの事”に弱い人間ならば泣き出してしまいそうなほど無味乾燥なものだった。 天井の蛍光灯に照明を依存しているため所々闇が巣くっている。人の行き来は殆ど無い。 こんな場所に慣れてしまったのはいつ頃だったか。 換気ファンの回る音を聞きながらそんな事を考えていた。 歩き続け、確かに最も置くに剖検室はあった。灰色の壁に苔が張り付いたように僅かに緑が入ったドアの向こうに死 体が横になっているのだろうか。使用中のランプは点灯していない。 入って良いものかとニコライは辺りを見渡す。しかし人の気配は無く、ドアはどうやら電子ロックされているようで入れ そうに無い。 振り返る。すぐに目に入るのは死体安置所だ。更にその隣に霊安室。死体安置所には身元の分からない浮浪者や、 身元判定に時間の掛かりそうな滅茶苦茶な死体が多くの場合冷凍状態で保存されている。もちろん長時間冷凍してい ても細胞は死ぬので、一ヶ月ほどで引き取り手が無ければ処分される。その処分というのは多くは焼却や土葬といった ものだが、一部の臓器は移植や、実験に使われるとの事だ。ニコライは死体の検死をする事はあるにはあるが、死体 の“その後”の扱いに関しては関与していない。関与したくないというのが本音ではあるが。 彼は霊安室のドアを一瞥すると死体安置所の前に立った。使用中を示すランプなどは当然無く、電子ロックの類も見 られない。ドアの上では監視カメラが首を振って不審人物を探している。そしてそのカメラはニコライを見つけ、睨みつ ける。不審人物と判断されたらしい。ピントを合わせる機械音が換気音だけのそこに鳴り響く。 今時ドアノブ式だ。自動ドアではない。 ドアノブを回してドアを開ける。大体予想はついていたがそこは受付だった。死体を謁見する者はこの受付で身分照 明を受けなければならない。これに関してはやはりデジタルよりもアナログが勝るらしく、彼の勤めるオールド・ザム地 下複合中央病院でも似たような方式がとられている。 防弾プラスチックの向こうにはラジオから延びたヘッドフォンを片耳に当て、雑誌にペンを走らせている。不健康そう な小太りの男だ。しかし見た目歳は若く見える。25前後と言ったところだろうか。ビリーとそう変わらない。もしかしたら ただのアルバイトかも知れない。 「ちょっといいか?」 蛍光灯に照らされ、僅かに反射するプラスチックの向こうの男に話し掛けた。男は不機嫌そうに目だけでニコライを確 認する。 「なにか?」 雑誌を横に置いて椅子から立ち上がると面倒臭そうに男が言った。ヘッドフォンはそのままラジオから受信した音を 垂れ流している。雑誌にはクロスワードクイズが幾つも並べられていた。専門の雑誌なのだろうか。見た目よりも知的 な趣味を持っているものだ。 「この奥に死体以外に誰かいるか?」 ニコライはちょっとしたジョークを交えてそう尋ねた。しかし男にはその半分も伝わってないようで、視線をニコライと雑 誌の間をフラフラさせながら答えた。 「ああ、おっさんが入ってったよ。もう一時間くらいになるかな」 「入って構わないか?」 それが誰であるかを確認せずに受付の向こう側を指した。その向こうは茶色のレンガのような材質で壁を覆い、おそ らく地下一階まで届いているであろう程に天井が高い。死体の細胞壊死を極力防ぐためだろうか、有害光をカットした 加工光が降り注ぎ、そこはやや青白く、薄暗い。 「ああ、どうぞどうぞ」 男は身元の確認もせずに手で進めた。その片手にはペンが握られ、目線は雑誌に向けられている。既にニコライの 事など気にも留めていないようだ。 ニコライはその様子に呆れながらもありがたく奥に進んだ。 壁には幾つもの取っ手があった。この取っ手を引くと、この世からさようならをした永遠の旅行者に会える。その旅行 者の中に例の強化人間が含まれているのだろうか。旅行名簿かなにかあればいいのだが、ここにある者の多くは身元 不明。不法旅行者というわけだ。 取っ手を引こうとするがロックが掛かっており動かない。鍵穴が確認できる事から電子ロックではなく、錠によって開 閉するようだ。その形状は千差万別とは言えず、ある程度互換性があるのだろう。受付同様管理は大雑把なようだ。 「トゥワイフ先生」 その様子を眺めていたニコライの背後から男の声が掛けられた。聞き覚えがある。振り返れば、そこにいたのはや はりビリー・デリースだった。 「あれ? どうして僕がここにいるって分かったんですか?」 彼はデスクに置かれた端末に手を添えてなにか作業をしていた。端末の横に設置されたプリンターからは印刷された 紙が重なっている。おっさん、と言われる歳ではないのだろうが、むさ苦しい無精髭はそう思わせるには十分かも知れ ない。 「宛があって探してたわけじゃない」 ニコライはそうとだけいうと彼のもとへ歩んだ。 「君の方こそどうしたんだ? 調べものか?」 「まあ、そうですね。見てみます?」 その質問にビリーはプリンターから既に印刷されている書類を渡して答えた。 「僕は外科であんまり詳しくないですし、この研究には手、出せないんですけど。まあ、特別意味は無いんです」 「この研究?」 まさかこの書類、と言っても数枚だがこれらはすべて例の強化人間に関するものなのか? とりあえず捲るだけで全 体に目を通す。 その内容というのは身長、体重や今分かっている事をまとめたような簡単なもので、特別注目すべきことではないだ ろう。いつか分かる事だ。しかしこの書類、同じ内容のものが混ざっている。一度、印刷部数の設定ミスかと思ったが、 微妙に違う。登録番号が見事に一つずつずれているのだ。 「……ひとりじゃないのか?」 まさかと思いながらもニコライは確認した。しかし何度も書類を眺めているうちにそれは確実なものとなっていく。 「3人ですよ。もちろん一度にじゃなくて、最初に運ばれたのが二年位前だそうです。僕が医者になるより前ですね」 「3人……。プラスはそんなにいるのか?」 話によれば強化手術を受けた1%にも満たない数しか生き残る事が出来なかったそうだ。しかし今ここにいるのは3 人。多過ぎる。確かに大深度戦争以前、レイヴンはあまりにも多かったそうだ。オールド・アイザックシティにあっては1 000人に一人はレイヴンであったという。 「ぷらす?」 ニコライの言葉にビリーは不思議そうに尋ねた。 「スラング、と言うか通称だな。レイヴンや企業は強化人間をこう読んでいるんだそうだ。俺も呼びやすいから時々こう 言う。ただ、これは正式な呼称ではないんだ。正式な場では通用しないからあまり多用はしない事だ。それで、その3人 は?」 ニコライの知識に半ば感心しながらビリーは続けた。 「転がってたそうですよ。ホームレスみたいに。持て余してたんで、ずっと置いといたそうです」 「なぜ強化人間と?」 「詳しく聞いたわけじゃないけど、簡単な検査でここ」 そう言いながらビリーは自分の後頭部を軽くこずいた。 「ちょっとした異物の反応があったそうです。それに基準体重に比べると何割か重いとか」 それを聞きながらニコライは頷いた。 なるほど、こちらと同じか、と。 「見れるか?」 「そうですね。鍵、借りてきますよ」 この病院には死体に対して敬意を表するという習慣は無いのか? ニコライは受付に向かうビリーの背中を眺めながらそう思うのだった。 重い音と共に地下都市間を遮断していたゲートが開く。その様子は“モーゼノジュッカイ”を思わせる。しかし、その先 にあるのは希望溢れる新転地などではなく、まったく逆。希望の断たれた廃棄都市。その様子をリグの照射するライト に照らされる。照明は光を湛えておらず、そこは真の闇だった。 「……ずいぶん派手にやったねぇ」 ジェッターが照らされた空間を見ながら呆れとも、感心ともとれるような言い方をした。 その言葉通りそこは戦場の跡、と言う表現しか出来ない有り様だった。あちこちに機械が散乱しており、倒れた建物 が横倒しとなり下半分が粉末のようにコンクリートが砕けていた。壁からは露出した機械が未だ火花を散らしている。 「灯り、つけられるか?」 青いパイロットスーツを着たジェッターはリグを運転していたテイルムに言った。 「出来ない事は無いかと思います。でもちょっと時間掛かるかも」 リグのマニピュレーターの形状はACのものと比べても人型とはかけ離れている。作業用ロボットワームの方に近いだ ろう。それは3本指で、人差し指に符合するものの先端から延びたケーブルがゲートの端末に接続されている。テイル ムはそこから地下都市にまで接続し、照明のパワーを入れた。 重い機械音があたりに鳴り響いた。そしてゆっくりと天井の集光システムがその機能を再開した。最初は僅かだった ものが遂には昼頃の明るさが再現された。都市全体がはっきりとその様子を明らかにする。しかし所々ファイバーが断 絶しているのか光度が不十分であった。 「あんま思い出したくねぇー」 その光景にシートに座っているテイルムの後ろでミニッツスターがうめくように言った。しかしその言葉とは裏腹にその 表情に恐怖と言えるものは含まれていない。単に冗談めかしているだけのようだ。 「はいはい、潜入潜入」 ジェッターのその言葉よりも先にリグはその体を持ち上げてホバー移動を開始した。機械の破片を無視して直進し、 迎撃すべき敵戦力の出現する東ゲートが一望できる交差点にリグを固定させた。エレベーターが降下するのと近い感 覚を全員が感じる。 「それで、ACで待機、か?」 ジェッターがツルギにそう尋ねた。しかしそう言いながらもその脚は格納庫を向かっている。 「行くぞ」 ツルギがミニッツスターに声を掛けた。彼は何も言わずにそれに従う。テイルムはこのままリグで待機だ。正確にはA Cではなくリグでの援護である。リグは前面装甲にACと同じ多重多種層行型装甲を使用しており、単純な厚さからくる 耐久力はACを上回る。武装もMTに比べれば十分だ。相手がMT程度ならば戦力としては十分だろう。と言っても瞬間 機動力は戦車にも劣り、回避能力は無いにも等しいが。 テイルムが格納庫に開くように命令を下した。それに伴い意外なほど静かに格納庫が開き、AC達を外気に晒した。 『3番AC用ハンガーが起動許可を求めています。承認しますか?』 リグに内蔵されたコンピューターが女性の声でテイルムにACが発進しようとしている事を伝えた。手前のディスプレイ にはその言葉と同じ内容の文字が表示されている。 おそらく今までずっと格納庫で待機していたナイツのAC、アルビノエンジェルが発進しようとしているのだろう。もちろ んそのまま待機させている理由は無いため、コンソールを操作してハンガーを外そうとした。 『3番ハンガーに強制起動命令が下されました。全システムを最優先して3番ハンガーを起動させます』 しかしそれよりも先に聞き覚えの無いシステム音がテイルムに伝えられた。 「え? なに?」 リグ全体が揺れる。格納庫の中をACが歩いたようだ。そしてしばらくしてコックピットのモニターに純白のACが映し出 された。背部には二対の巨大な電極を背負い、優美な曲面装甲は兵器らしくない優美さを感じさせる。 まさかあのナイツがリグのシステムに潜り込んだのだろうか。 突飛な発想かも知れないが他に何も考えつかない。しばらく考えてみたが、それも面倒な気がしたので、コンピュータ ーの指示に従いながら次々にハンガーを外していった。 4機のACがリグの前に並ぶ。先頭に立つのは前方火力に勝るジェッターのナスティだ。四脚のホバーは起動してお らず、あのうるさい排気音は無い。 「あのゲートだよな……。つーかやべぇな?」 ジェッターが笑い半分に言った。しかしその言葉はここにいる全員が言おうとしていたが言わなかった言葉でもある。 彼らの見ているゲート。それは赤熱していた。触れれば人ならば瞬く間にミディアムとなり、近づく事自体困難であろ う。その熱のせいであろうか、明らかに変形していた。 「赤熱部分は600度にまでなってます。この奥はもうかなり溶けちゃっているかも知れません」 その言葉にテイルムが応えた。 「さすがにゲートは厚くて向こう側は見えませんね。相手側の戦力は不明です」 「まあ、そりゃそうだろうね」 ゲートはそう言った視覚的な防御も兼ねている。もちろんその耐久性も兵器などと比べるべくも無い。 「ナイツ。なんか分からない?」 ミニッツスターがブルースコープのレーダーを遠近ローテーションさせながらナイツの能力に頼った。しかしナイツは頭 を振る。 「最低でも相手側のアクセスが無ければどうにもならん」 いきなりの爆音がゲートの向こうから鳴り響いた。熱で液化したゲートがマグマのように飛び散るのがリグからも確認 できる。そしてその爆音は連続したもので、相手が複数である事を暗に示していた。 「あんまり、余裕は無ぇみてぇな?」 ジェッターは錆びた笑みを浮かべる。しかし臆する様子は無い。慣れているのだ。どんな状況でも冷静であれ。それ が戦場で生き残るために、まずレイヴンに求められるものなのだ。 「どうする? 出て来たらすぐに攻撃するか? 相手を確認してからにするか?」 「ゲートキーパーとかだったらこの距離じゃ撃ち抜けないっすよ。チラッとでも見てみません?」 ジェッターの問いにミニッツスターが意外なほど冷静に答えた。 ゲートキーパーとはMTでありながら前方に多重多種層行型装甲のシールドを施したMTだ。更に電磁コートされ、エ ネルギー兵器にも極めて高い抵抗を示す。更にその武装もグレネードランチャーが一門、近接戦闘用連装バルカンが 二門、ACに対して十分効果のある火力だ。後方からの攻撃には非常に脆いが、閉鎖空間ではACにも匹敵する戦闘 能力を発揮する。もちろんこの距離からでは貫通力を失い、爆発力だけになった砲弾では破壊は出来まい。プラズマ キャノンでも距離が開いてしまえばその熱を大気に奪われてしまう。その場合やはりゲートキーパーが相手ならばその 威力は半減するだろう。 「まずは見極めよう。こちらはAC、遅れはとらぬ筈」 「なら良いがな」 今までの爆音とは比較にならない轟音が地下都市内に鳴り響いた。びりびりと振動が伝わり、建物のガラスが共振す る。ゲートに穴が空き、そこから爆炎と黒煙が轟々と噴出し、巨大な破片が宙を舞う。そして噴出した黒煙を纏いながら なにかが飛び出した。それはそのままAC達に向かってくる。 「速ぇ!?」 ミニッツスターは思わずブルースコープにライフルの発射態勢を取らせるとトリガーを引いていた。エムロード製スナイ パーライフルの強化型の弾丸は音速を超える速度で動く黒煙に向かってゆく。しかしそれは高速で横に動きを変える と、弾丸を回避。姿を現した。 それは全身が白く、所々にライトパープルのアクセントが入っている。人型だ。左腕には盾が持たされ、右手には黒い ライフル、頭部には角のようなレーダー、胸部はするどく突き出ている。全身は細身で手足が全体に比べると長い。 「AC! ありゃあスパイトフルか!?」 ジェッターが四脚のホバー推進を起動させながらスパイトフルと言ったそのACに向かってヘヴィチェーンガンを掃射し た。 『ぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ』 それは外部音声で狂気を垂れ流していた。意味不明の叫び、それとも笑い声だろうか。それが地下都市全体に響き 渡る。 チェーンガンの吐き出す火線を左腕の盾で受け止めながらそれはナスティに接近する。そして黒いライフルを向ける とトリガーを引いた。銃口から光が迸り、それがナスティの胸部装甲を蒸発させる。 その間にブルースコープがそれに接近しながらライフルを発射した。弾丸が頭部に着弾し、装甲に阻まれながらもバ ランスを崩した。 そこに黒い機体が高速で横を通り過ぎた。そして次の瞬間には旋回ブースターが火を吹き、背後をとったかたちとな る。そしてその両腕から紫色の光が伸び、一撃が左腕を切り落とした。 『つぅるぅぎぃぃいい!』 それは咆えた。聞き覚えのある声で、そしてもう二度と聞けないはずの声。 ツルギは反射的に、操縦桿を振り切った。それに連動して右腕から延びた閃光が白い装甲に突き立てられた。それ は一瞬にしてジェネレーターとコックピットを貫通し、コアは蛙の腹のように膨張、爆発した。ACのジェネレーターに内包 されたエネルギーは膨大なもので、その爆風を逃れるため天照大御神は高速で後退していた。 「次は?」 ジェッターは先程のダメージの度合いをディスプレイで確認しながら、爆発したゲートに向かってカメラをズームさせ る。相手の数は多いはずなのに追撃が無いからだ。 「崩れてますね。でも温度が急上昇中ってとこです。すぐに次ぎが来ますよ」 リグの高い情報解析能力を利用してそれに答えた。しかしそれは言うまでも無くACに乗っている4人には分かってい る。 「スパイトフルじゃねぇな。色が違う。量産使用のヴィクセンか?」 スパイトフル、ヴィクセンとは大深度戦争以前に存在した二台企業の一つ、クローム社が自軍部隊向けに設計した特 殊使用のACだ。通常のACの規格とは極めて異なり、他社製のAC用パーツとは互換性が無い。しかしその特殊性は 性能を追求した結果でもあり、通常のACに比べ大きく勝っている。 当時、企業や一般の戦力もACを使用していた。もちろんその維持コストは通常の兵器とは比べ物にならないため、 運用できる勢力は限られていた。もちろん企業ともなれば多くのACを維持するためのコストは極めて多大なものとな り、その結果ACの使用はレイヴンに任せ、企業側はもっぱらMTや、戦闘メカを使用していた。 しかしその結果レイヴンに対して対抗できる機会は限られてしまい、企業もACを戦力として保有する必要が出てきた のだ。 その結果がクローム社ならばヴィクセンタイプ、二大企業の一つであるムラクモ・ミレニアム社ならば有明(アリアケ)タ イプという特殊使用のACを製造するに至ったのだ。この特殊使用のACは互換性を犠牲にする事によって維持コスト の低下、同時に性能の強化を図る事に成功したのだ。 その中でもヴィクセンタイプは高級使用であったスパイトフルを除けば、レイヴンも使用するほどの高い性能を誇っ た。互換性が低いといっても、それは他社製品のみで、アセンブルが限定されるという点では戦力が低下する事になる がそれはさしたる問題ではなかった。製造元のクローム社が崩壊した後の大深度戦争でも多くのレイヴンが使用した 事からもその人気は伺える。 しかし所詮は旧型のACであり、性能は現行型のACとは比べるべくも無い。現在の戦力と比べればレイヴマスカーの 装甲を強化した程度に過ぎない。問題はそんなものがなぜ、今ここにあるかという事だ。 「まさか他もこんなやつだってのか?」 ジェッターが半分冗談のつもりで言った。しかし何の根拠も無いためそれは冗談であるという保証も無い。 「さっきの声って?」 それよりも気になっている事があるのだ。ツルギ、ミニッツスター、ナイツの3人には。 「ユニオンジャック……」 呟きのようだったミニッツスターの言葉に、ナイツがまた呟くように応えた。彼の異様に信用出来る声にミニッツスター は大声を張り上げた。 「ええっ!? でも死んだって言ってたじゃん! ねえ、ツルギさん!」 すぐにはそれに答える事は出来ないようだった。しばらく5人の間に沈黙が流れる。その間にも崩れているゲートは見 る見る変形していく。爆音が止まらない。 「なんだよ。ユニオンジャックって」 その沈黙に耐えかねたようにジェッターが尋ねた。しかしその質問の半分は爆音にかき消された。ゲートは今度こそ 粉砕され、その半分は蒸発さえしているようだ。そこからはレーザー、爆炎、黒煙、あらゆるものが噴出す。そしてそこ からは黒煙を纏い多数、なにかが向かってくる。 「来るぞ。迎え撃て」 それには答えずにツルギは短くそうとだけ言った。 もちろん後続の相手がヴィクセンであるという確信があるわけではない。しかし旧型とは言え、ACの攻撃性能は並大 抵ではない。出来うる限り遠距離で損害を与えるのが最も安全で効果的な攻撃方法と言えるだろう。 その言葉の意味を理解したのか、もしくは反射的なものなのか、ナイツとミニッツスターはそれぞれキャノン砲での砲 撃を加えた。それにリグから発射される二機の多弾頭ミサイルが加わる。 この多弾頭ミサイルは発射後、あらかじめ指定された距離を運行した後破裂、そこから768発の子弾を撒き散らす 殲滅兵器だ。通常は広域の戦車や、機動性の低いMTを消耗させるための火器だが、狭い範囲でもその役割は変わ らない。ただ、子弾のような小型火器はACの多重多種層行型装甲に対しては最も効果の薄い兵器ではある。 黒煙の中から敵が姿を現す。それは全て白いAC。ヴィクセンだ。 『ぎゃーはっはっはっはっはっはっはははっはー!』 『げらげらげらげらげらげらげらげら』 『げげげげげげげげげげげげげげげえぇ』 そのヴィクセンは口々に笑っていた。狂気を感じさせるには十分の尋常ではない笑い声だ。そしてそれは、皆同じ声 なのだ。 砲弾はいとも簡単に回避される。しかしそれが噴出した爆炎が後続のヴィクセンの装甲を焼いた。プラズマ火球は盾 に阻まれるも、一撃で左腕ごと吹き飛ばした。更に天井近くでミサイルが炸裂し、音速にまで加速された子弾が撒き散 らされた。 子弾とは単純に小型の爆弾の事だ。ただしその性質は手榴弾に近く、爆発と同時に爆弾を包んでいた破片を撒き散 らすものだ。 閉所であるため逃げ場など無い。建物を粉砕しながら降り注いだそれは次々にヴィクセンを捉え、爆発する。それは 決定的な破壊力を発揮しないがACがバランスを崩すには十分な威力だ。 その間にリグのミサイルランチャーが鎌首をもたげる。このミサイルランチャーが搭載しているのはACの尺度で言え ば中型程度の威力だ。その破壊力はACに対しても十分発揮される。旧型ならばそれは致命傷にもなりかねないもの だろう。 白煙をたなびかせ、ミサイルが次々と飛び出し、黒煙の中に飛び込んで行く。それにグレネード弾、チェーンガンから 吐き出される弾丸の雨が続く。爆炎に熱を奪われるエネルギー兵器しか持たないアルビノエンジェル、ブレードしか持 たない天照大御神はそれを傍観していた。 黒煙の中が時折煌く。それは爆発によるものなのだろうが、どれが何の爆発かの判断は難しい。しかしその中には 確実にヴィクセンが起こしているものが含まれているだろう。 『ぐぎぇぐがぎゃげぇ』 『はははははははははははははあっはははははは』 『うひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃっひゃ』 しかしその不快極まりない笑い声は止まない。爆音を押しのけてそれはむしろ増えているようにさえ感じさせる。迎え 撃つ側としてはこれはとてつもない脅威であり恐怖だ。 「テイルム! 相手の数は分かるか!」 叫びながらジェッターが状況を尋ねた。彼は冷静である事を自分自身に強いている。実際には叫びながら逃げ出した い気持ちで一杯だ。しかしそれは戦場ではよくある事であり、自覚する事は出来ない。そして何より火星での出来事が 今の彼を戦いに集中させているのだ。 「電波がよく通りませんよ! このリグだけでも5機は落としてるはずなんですけどね!」 それに応えるテイルムもまた叫んでいた。こちらも恐怖で引きつった顔をモニターに張りつけ、攻撃用の操縦桿を振り 回している。ミサイルは残弾が尽きかけており、そうなってしまえば武装は連装バルカン砲だけだ。ACに対しては無力 に近い。 ナスティのコックピット内にアラームが鳴り響き、ロックされた事が伝えられる。 ヴィクセンタイプのACは主に近接戦闘を得意とし、それにあわせFCSも近接用となっている。射撃兵器の有効ロック 距離は比較的短い。しかしそれはやつらがそれほど近くにまで接近している事を示しているに他ならない。 「グレネードが来るぞ!」 ジェッターが叫ぶとほぼ同時に黒煙の中から熱砲弾が吐き出された。ナスティとブルースコープが後退し、入れ替わ るように天照大御神とアルビノエンジェルが前進する。 「ユニオンジャックに相違無いのか?」 熱砲弾はそれを皮切りに次々と発射される。天照大御神はそれを一発一発確実に回避する。アルビノエンジェルもシ ールドでそれを受け止めようとはせずにきれいにかわし切る。しかし砲弾が吐き出す爆炎はその装甲を容赦無く焼い た。 「死んだと聞いたが」 黒煙の中から白いACが姿を現した。その数は多い。左右を建物に挟まれ、氾濫寸前の河の水流のようにひしめい ていた。肩と肩をぶつけ合い、時には払い除けながら、盾を構え、ブースターから閃光を吐き出し、大気を切り裂き、震 わせながら、迫る。 『会いたかったぜ、ツルギぃ!』 その内の一体が意味の含まれた言葉を吐き出した。確かにその声はユニオンジャックのもののように聞こえる。その 間にもレーザー、弾丸、砲弾によるやり取りは続いていた。 「貴様等は何者だ」 その言葉にツルギは外部音声で返した。 ヴィクセンの盾に設置された二条の青白い光が発せられる。高出力レーザーブレードだ。装甲の薄い天照大御神に とっては決定的な威力を持っている。しかしツルギはそのブレードが振り払われる前に高速で接近すると、その突き出 たコアを十字斬りにした。コックピットを失ったからだろうか、胸部から炎を噴出しながらバランスを失いよろめく。 『テメェはずっと前ッからウザかったぁ!』 その言葉と共に別のヴィクセンがグレネーダーから砲弾を発射する。それは天照大御神ではなく先程のヴィクセンに 着弾し、爆炎に包み込んだ。 『今もウゼぇ!』 別のヴィクセンも言葉を吐き出しながらグレネーダーをコッキング、砲弾を装填するとそれを発射させた。その時には 既に天照大御神は回避行動に移っており、再び崩壊寸前のヴィクセンに着弾する。 『だから消えろぉ!』 『邪魔だ!』 『死刑だぁ!』 『殺す!』 『殺す!』 『殺す!』 『殺す!』 『殺す!』 ヴィクセンが大合唱を始めた。それと同時に無数の砲弾が発射され、あたりが爆炎そのものに置き換えられたようだ った。ACが爆炎にもまれ、その中にはヴィクセンも混ざっていた。 その中でも最も軽量である天照大御神はその爆風に抗えずに、宙を舞っていた。しかし旋回ブースターによる作為的 な運動操作で、何とか建物に叩きつけられるのを防いでいる。そこへ三条のレーザーが照射された。一撃が頭部を掠 め、光学カメラの一部を麻痺させる。 目の前では爆風に乗って空中戦を仕掛けているヴィクセンがライフルを向けていた。ヴィクセンタイプのACが持つラ イフルは、銃身にグレネーダーを標準装備する。更には通常射撃に使用するレーザーは、3点バーストを可能としてい る。これにはレーザー透過フィルターよりもむしろ銃身に負担を掛けるため、連続使用は出来ない。だが、3点バースト とはつまり一時的にしか相手を捉えられない状況でその性能を発揮し、近接戦闘でのその脅威はブレードに匹敵す る。 射撃戦闘から近接戦闘に移り変わったのか、あたりの爆炎は収まりつつある。脚部スラスターで体制を立て直し、ヴ ィクセンのレーザーの照射をかわす。その向こうで建物が蒸気を吹き上げるのが確認出来る。 近距離。ブレードの有効範囲ではない。あたりはまだ爆炎による高熱で満たされているためスーパーチャージャーの 展開は自殺行為だ。ブースターによる通常推進で接近する。しかし現在天照大御神が装備しているブースターは最も 高出力のものだ。軽量である事も相成り、その機動性は空中でも十分発揮される。 コッキングされたグレネーダーから熱砲弾が飛び出す。ツルギは天照大御神を上昇させ回避させると、一気に接近し 左腕から延びたレーザーブレードを振り下ろした。しかしそれは走行型装甲の盾に阻まれ、逆にライフルを押し当てら れる。しかし即座にそれを右腕で払い除けるとそのままレーザーブレードを照射し、真一文字に薙いだ。それは右肩を 深く抉り、更に盾を押し退ける。すかさず左腕のレーザーブレードが唸った。突き出たコアにブレードが突き刺さり、膨 張させる。そしてツルギが天照大御神を後退させるとほぼ同時に爆発、四散した。 「ユニオンジャック! 姿を示せ! これが貴様のやり方か!」 ツルギは叫んだ。 上空から戦況を臨む。そこは白で埋め尽くされているようだった。あまりにも数が多い。レーダーは赤い点で埋め尽く され、路上に沿って太く赤い線を作っている。その数は……把握出来ない。100は優に超えているようにすら感じる。 これだけの数を一度に遠隔操作できるとは俄かには信じがたい。しかしそうとしか思えないのだ。 『俺だぁ!』 ヴィクセンの一機が叫ぶ。 『俺だぁ!』 『俺だぁ!』 その続くように二機が同時に咆えた。 『違う!』 もう一機が隣にいたヴィクセンを盾で殴りつけながら叫ぶ。 『俺がユニオンジャックだ!』 その一撃で頭部を陥没させたヴィクセンが叫んだ。そしてバランスを立て直しながらグレネーダーをコッキングさせる と砲弾を発射する。それは先程のヴィクセンの頭部を吹き飛ばし、爆炎を巻き上げた。 『俺じゃねぇのか!?』 『俺は俺じゃねぇのか!?』 『俺だ!?』 『誰が!?』 『俺なんだ!?』 それは口々に叫んでいた。全てが同じものに操作されているとは思えない。それ以前になぜ同じ声がこれほど多く同 時に発せられるのだろうか。ここにその答えを出せる者はいない。 流れ弾が次々と回避能力に乏しいリグに着弾する。装甲は既に限界に近く、ミサイルが底を着いた。バルカン砲で弾 丸を撒き散らすが、その効果はまったく感じられない。 「駄目だ。ACに移ります」 テイルムは限界を感じ、リグを自動操縦、自衛重視モードに切り替えると格納庫に向かった。足元が激しく揺れてい る。起動停止は時間の問題だった。 ミニッツスターは残弾の尽きたグレネードランチャーを破棄し、スナイパーライフルで応戦していた。しかしその威力は 旧型とは言えACを破壊するには十分ではなく、ブレードはあるがやはり接近戦でヴィクセンに対応出来る威力は無 い。 「なんだよ! なんだこれ!」 ブルースコープは高性能レーダーから受け取り、頭部のEHD−GARDが弾き出した敵影数をディスプレイで見るとそ うとしか言えなかった。 それは150のあたりを前後している。150。MTであろうが、なんであろうがこの数は脅威そのものだ。それもこれは 旧型とは言えACの数なのである。冗談ならば悪い冗談だが、ACには冗談を言うほどのユーモアは無い。つまりこの数 値は出来ればACの勘違いであって欲しい数値なのだ。 盾を突き出しながらヴィクセンが突進する。ブルースコープのコックピットは大きく揺れ、そのままビルに押し付けられ ようとしていた。 「っざけんな!」 ブルースコープの推進力を最大にしてそれに抗う。自重が増大し、それに応じて推進力が強化された現行型のACな らばそれを押し返すことも容易なはずだ。しかしそれを見計らったかのようにヴィクセンはその盾を払う。それによって ブルースコープは前方に大きくバランスを崩した。ACが今までの行動を“物を押している”と判断していたため、通常の 推進移動とは違いスラスターが働いていなかったのだ。 『馬鹿は相変わらずかぁ!? ぎゃっぎゃぎゃぎゃぎゃ!』 そのヴィクセンはそう笑った。ただ、通常、人はこんな笑い方はしない。 払った盾から二条のレーザーブレードが形成される。そしてそれはバランスを崩しているブルースコープに容赦無く振 り払われた。 現行ACの装甲は巨大化に伴い強化されている。単純に厚くなっているのだ。しかしレーザーブレードによって加熱さ れた箇所が連装されたもう一方のレーザーブレードによって再び過熱され、溶解、切り裂かれた。それによってブルー スコープは右腕とレーダーユニットを失う。ウェイトバランスが崩れ、バランス再調整のためにその能力は著しく低下す る。 「テメェ!」 時間を稼ぐためにインサイドラッチを開放し、ノイズメーカーを射出する。だが砲弾が吹き出す爆風がそれを吹き飛ば し、ブルースコープも転倒する。一瞬にして無防備となってしまった。更に切断された腕部から流出した出力がジェネレ ーターを疲弊させ、オーバーロードする。回避の手段は、無い。 容赦無く熱砲弾がブルースコープに向かう。とてつもない数だ。 着弾、爆発し、宙を舞う。それで止む事無く更に砲弾は降り注がれる。そしてもう再び地面に着地する事も無く、四散 した。 「ブルースコープが死んだ!」 ジェッターが叫ぶ。メインウェポンである両肩のヘヴィチェーンガンは既に残弾が無く、破棄されている。残る武装は 大型ハンドガン、ブレードだけだ。4基あったホバー推進装置は一基が破壊され、通常移動が不安定になっている。ブ ースターを使ってしか緊急加速は出来ないのだ。 3連レーザーがナスティのすぐ横を通り過ぎる。しかしそれが3連レーザーであるという事は意識できないほどに敵が 多い。もちろんそれがもたらす弾幕は回避が困難なほどあたりを埋め尽くしていた。回避というよりはただ逃げるしかな い。 ハンドガンを連射する。それは盾に着弾するが、炸裂した軟質弾丸がその動きを奪う。その間にヴィクセン達からの 攻撃を、ヴィクセン自体を盾にして回避しながら接近、高出力ブレードを出力する。 「こいつで14……!」 拳で殴りつけるようにして有効出力距離の短い高出力レーザーのブレードで突き刺す。それはボディブローのように ヴィクセンの横腹を貫き、内部機構を蒸発させた。しかし……、 「浅ぇか!?」 ブレード自体の出力距離の短さのためそれは致命傷には至らなかった。ヴィクセンが持つ盾の下でその突き出たコ アのあちこちが赤く煌いた。 ……ルビー!? ルビーはレーザーの透過に使われるフィルター素材だ。もちろん人工的に練成されたものだが、それゆえにその性 質は安定したもので、兵器の部品としては有名だ。そしてそれはその部分からレーザーが照射されるという事を物語っ ている。 「カスタムメイドかよ!」 大深度戦争時、AC用パーツの多くの製造元であるクローム社、ムラクモ・ミレニアム社が崩壊した事によってACはカ スタマイズの制約を受けなくなった。それにはもちろん特殊使用のACであるヴィクセンも含まれる。その中でも、コアに 多数設置されたミサイル迎撃レーザーをそのまま攻撃用にカスタマイズされたモデルは有名だ。 コアから幾条もの閃光が迸った。その攻撃を予測できなかったジェッターは回避が間に合わず、光の渦に右半身を 飲まれた。装甲、ジョイント、内部機構、構わずにレーザーは圧倒的な熱量を持って蒸発させた。その過程でエクステン ションのバックブースターが爆発し、ナスティは加速するとその場を離脱した。 「……ツルギ! 逃げるぜ! 勝ち目無ぇ!」 叫びながらディスプレイで状況を確認する。右腕は綺麗に消し飛んでいる。コアも右半分の殆どが無くなった。流出す る余剰出力を遮断し、機体を後退させるも、砲弾が辺り構わず炸裂し生きた心地がしない。そして目の前で先程のヴィ クセンがコアから爆発している様子はただの戦いには無い恐怖を彼に味わせていた。 「後退も侭ならん!」 ツルギはそれに答えながらもヴィクセンの群れに飛び込んでいく。接近した方が射線が狭まり、攻撃される危険が減 る。同士撃ちも狙いやすい。その分発射された攻撃を交わせる可能性は減るため、危険な賭けに変わりは無い。それ でも天照大御神の機動力を活かし、なんとか生き長らえている。しかしジェッター同様、勝ち目などは微塵も感じてはい ない。 目の前のヴィクセンの頭部を一突きして破壊する。機動潤滑油が噴出し、辺りに飛び散った。ツルギはその無力化し たヴィクセンを盾にするために右腕で支えようとした。しかし次の瞬間にはそのヴィクセンのコアが赤く煌いた。 「っ!」 反射的にその右腕を振り切る。重量の劣る旧型ACのヴィクセンはその動きに抗えず、突き飛ばされる。そして次の 瞬間に炸裂した幾条ものレーザーがその直線上にいたヴィクセンを撃ち抜いた。 ロックアラームは止まない。気を抜く事は許されず、まともに呼吸も出来ない。疲労で体温が上昇しているのかヘルメ ットの保護バイザーが呼吸の度に白く曇る。それは視界を遮るがバイザーを上げている余裕は無い。 頭部を失ったというのにエネルギー兵器。とても通常では考えられない行動だ。ただし、この状況で通常は一切通用 しない事は既に分かり切っていた。 先程の動きで大勢のヴィクセンとの間に距離が生まれた。ブレードを使用すれば通常よりも強化されたブースターが 敵陣への肉薄を補助するが、この距離は死の距離だ。とても近寄れない。しかし後退しても射撃兵器を持たない天照 大御神に何が出来ると言うのだろう。その答えは“無力”である。 目の前に並ぶヴィクセンのコアが次々に赤く煌く。前後、左右、上下。脳を駆け巡るパルス信号が幾つもの考えを巡 らせ、一つの答えを出す。 ツルギは両腕のレーザーブレードを出力するとそれをコアの前でクロスさせる。レーザーとレーザーの衝突する十字 点が紫色から青白いものに変わっている。 スーパーチャージャーを展開。高熱の大気を圧縮し、ブースターに転送する。そして赤い閃光の迸りよりも先に大容 量の圧縮空気と共にオーバードブーストが起動した。ACとしては形状の関係限界である亜音速にまで加速し、前方の ヴィクセンに突進する。全身からバリバリと塗装が削げ落ちているのが分かる。 ツルギは先程のヴィクセンの同士撃ちをもう一度再現するつもりだ。おそらく拡散レーザーの発射には間に合わな い。しかしクロスしたレーザーがシールドのように同じ性質を持つ、より高出力のレーザーに進行方向を捻じ曲げられ、 コアにまでは到達しないはずだ。そのまま肉薄し、旋回ブースターを伴いACの全力でヴィクセンの胴体を払い、同士撃 ちを誘発させる。その結果、おそらく天照大御神はその戦闘能力を失ってしまうだろうが、その間に逃亡の切欠を作る 事が出来れば十分だ。彼はこの瞬間の間にそれに賭ける決意を固めた。 しかし目の前のヴィクセンは盾を構えてその身を隠した。 『げげっ』 そのヴィクセンは笑っていた。相対的に音速の2倍の速度でそれが伝わってくる。 ツルギの両腕は既に予定されていた行動に移っていた。上昇して回避しなければ。頭では理解出来ているが、身体 はそれに間に合わない。咄嗟に操縦桿強く握り締めた。 「(武士道とは)」 ヴィクセンのレーザーが照射されるのも構わずに更に天照大御神を加速させる。そして白い盾に向かいクロスさせた ブレードを前方に向けた。 「(死ぬ事と見つけたり)」 そしてそのまま衝突した。レーザーによって切り裂かれた盾に音速で超重量の物体が激突したのだ。こんな物を相手 に盾はその役割は果たせない。減り込むようにヴィクセンを吹き飛ばし、その直線上の白い群れの上をバラバラになり ながら轢いていった。そして天照大御神は原形を留める事も無く別々に爆発して消えた。 「ツルギ! 死んだか!?」 ジェッターにもその様子が確認出来た。しかしそれはまるで一瞬の出来事であった。何が起こったか自体を詳細に知 る事は出来ない。 「そうか! 死んじまったか! オメェもよぉ!」 叫ぶしかなかった。全身に怒りが湧き上がるも、レイヴンである彼は我を忘れる事が出来なかった。激情に突き動か され、特攻して死ぬのも悪くないだろう。しかし彼の心のどこかには常に冷たい冷めた部分がある。戦場で戦うものに 必要な冷静な心だ。それが己の無力さを自覚させ、後退させる。これ以上の屈辱は無かった。 「援護します」 そこへ遅れてテイルムの乗るAC、グラディンゴがナスティを庇うようにして立ちはだかった。背後のナスティを覆い隠 す淡い水色の巨体。その重装甲に次々とレーザーの矢が突き刺さる。左腕からは赤い運動エネルギー干渉レーザー が展開され、その矢を受け流していた。 「リグはもう駄目です。ゲートから直接逃げてください。パスワードは端末に記憶させてますからACでも大丈夫です」 テイルムは両肩のコンテナから大型多弾頭ミサイルを射出させながらジェッターに説明した。固形燃料の燃焼で直進 する多弾頭ミサイルから次々とミサイルが飛び出す。しかしヴィクセンのコアに設置された攻撃用にカスタマイズされて いるレーザーが次々と撃ち落していた。 「俺に構うんじゃねぇ! 死ぬぞ!」 その目標を失ったレーザーが二機のACを焦がす。しかしジェッターのナスティは距離をとってグラディンゴと並列し た。 「なにやってんですか!?」 その意味の分からない行動にテイルムも叫ぶしか無かった。 ミサイルの弾幕をすり抜けたヴィクセンがグレネード弾を発射し、それをシールドで受け止める。円形に広がる爆炎は 辺りを紅く照らした。 「逃げんのはもう飽きたよ。俺もここで死ぬわ」 そういうが早く、右肩のスーパーチャージャーが無くなっているため通常推進でナスティを前進させながら左肩のスー パーチャージャーで2基分の空気を圧縮する。当然それには時間がかかるが、パラサイトミサイルが撒き散らすミサイ ルが時間を稼ぐ。 「ちょっと、待って下さいよ!」 テイルムの言葉にも耳を貸さず、オーバードブースターが咆哮した。それは最前線で戦っていたアルビノエンジェルを 通り過ぎ、ヴィクセンから伸びる火線に吸い込まれていった。 「産まれてこなけりゃ良かったよ、まったく」 最後に彼が洩らした言葉は己の不運に対する絶望だった。砲弾を本能的に避け、レーザーの熱を飲み込み、しかし 加速は止められずそれはヴィクセンの群れに激突した。先程の天照大御神と同じように。 天照大御神に比べ運動エネルギーに劣るが質量に勝るナスティの破片は次々とヴィクセンを打ち倒した。しかしそれ はただ文字通り倒す程度で破壊には至らない。 「班長……」 テイルムは目の前の光景が信じられないように呟いた。 彼はコンテナの内部は底を着き、ロングレンジライフルで応戦している。しかし盾を持つヴィクセンの前にそれはあま りにも非力だった。接近を止められない。 ヴィクセンの放った砲弾がグラディンゴの左肩アタッチメントポイントから左腕を千切り飛ばした。その瞬間シールドへ 流れていたエネルギーの流れがアタッチメントポイントから流出し始めた。 「しゃ、遮断……!」 彼は焦ってコンソールを操作する。しかし、間に合わずコックピットが警告アラームで満たされた。ローバーロードして しまったのだ。機動性は著しく低下し、ウェイトバランスが狂ったためその反応も悪い。そして、なにも出来ない。 一度に大勢のヴィクセンがグラディンゴに跳びかかった。とてもライフル銃で対応出来るものではなかった。 レーザーブレードが振り下ろされた。一撃で兜のような頭部を縦に切り裂いた。別のヴィクセンもレーザーブレードを 振り下ろす。重装甲で守られたコアに大きな赤い線を作る。更に別のヴィクセンもブレードを振り下ろす。ライフル銃を 持った右腕を肘から切り落とした。また更に別のヴィクセンもブレードを振り下ろした。そしてそれが続く。 生ゴミか死骸に群がった烏のようだったヴィクセンがそれから離れ、別の目標へ向かってそこを離れた。後に残され たのは紅く赤熱する鉄の塊だった。 134回目の射撃。遂にパルスレーザーは反応を示さなくなった。120回の射撃が通常の予想射撃限界回数とされて いるが、このパルスレーザーライフルはそれ以上の射撃に耐えてくれた。しかし、もう用済みだ。ナイツはアルビノエン ジェルにライフルを破棄させる。 『ナぁイツ。お前はズルイよなぁ』 目の前でヴィクセンがライフル銃を向ける。そのライフル銃から迸るレーザーを掠らせる事も無く、アルビノエンジェル は両肩の電極を持ち上げる。このプラズマキャノンも既に予想射撃限界回数の20回の使用を超えており、もしこれで 使用する事が出来たならば22回目となる。しかし、電極間には何の反応も見られず、遂に正真正銘の限界に達した。 ナイツは迷う事無くそれを破棄させる。 『オメェもこの感覚が分かんだろぉ!?』 更にそのヴィクセンは盾からレーザーを出力し、その盾を振り上げた。しかしそれはレーザーブレードの届く距離では ない。通常のレイヴンならばこの隙に攻撃を始めるだろう。しかし、ナイツは迷う事無くアルビノエンジェルを跳躍させ た。 ブレードを形成していたレーザーはエネルギーそのものの波、光波となって一直線に照射された。青白い閃光を発す る熱衝撃波は、それを予測し先に跳躍していたアルビノエンジェルの下を通り過ぎ、その直線上のリグを捉えた。 黒く塗装された装甲が一瞬で赤熱する。そして表面は一瞬にして蒸発し、その後方の装甲は液化、更にその後方に あったものはそれが伴う衝撃波によって吹き飛ばされた。そして、装甲に守られていた前方の駆動部分は跡形も無 い。燃料に引火したのか、炎が黒煙を噴出している。 『ぎゃぎぎぎぎ!』 ヴィクセンが武器を持たないアルビノエンジェルを中心に終結する。攻撃をしようとする様子は無い。 『気に入らなかった』 アルビノエンジェルもその動きに抗おうとはしない。ただ、ヴィクセンが発するユニオンジャックのものに似た声を聞い ている。 『テメェみたいにいかにも俺が強ぇみてぇなやつはよぉ』 今度は後方から声。 『俺の方が強ぇ』 別のヴィクセンが言う。 その輪は両端を建物に挟まれ、潰れてはいるがその規模たるや尋常なものではなかった。 『こんな俺の粗悪品なんて無くてもテメェは殺れる』 更に別のヴィクセンがせせら笑う。 『粗悪品はテメェだろうが!』 『粗悪品はテメェだろうが!』 『粗悪品はテメェだろうが!』 『粗悪品はテメェだろうが!』 『粗悪品はテメェだろうが!』 同じ声、同じ言葉がそこに幾つも鳴り響き、共振した。そのヴィクセンをその周りにいたヴィクセンが次々とグレネー ダーをコッキングする。輪に緊張感が生じた。 その間、ナイツは目を閉じていた。それでも辺りの状況は手で取るように分かっている。周囲の音源の数から敵機の 数は200前後と予想する。それと同時にアルビノエンジェルの状況をチェックする。内部機構、異常無し。光学カメラ、 異常無し。各部センサー、異常無し。油圧、良好。装甲、左肩装甲にレーザーによる射撃を受け、一部第3装甲板にま で損傷。しかし致命的ではない。それ以外、異常無し。左腕への出力、77.1%まで低下。シールドの出力も低下する も問題無し。エクステンション降下ブースター、出力、100%を維持。機能良好。背部ブースター出力、100%維持。機 能良好。脚部ブースター、スラスター、出力、共に60.4%まで低下。空中での機動力に支障あり。ジェネレーター出 力、83.5%まで低下するも問題無し。ジェネレーター蓄積可能最大容量、43.5%まで低下。極めて致命的。 ナイツは大きく呼吸し、人口肺を酸素で満たす。そしてACに繋がれた体中、そしてACに命令を下す。 全身を巡る酸素生成ナノマシンの活動を促進。光学繊維神経の感度を限界にまで設定。それにあわせACの反応速 度を耐久限界以上に設定。ジェネレーターの負担を軽減するためACの機能の85%を代用。同時にブースターのスロ ットルリミッターを解除。スラスター出力を全てカット。バランサー解除。フルマニュアルに設定。 そして目を開ける。その金色の瞳には微塵の絶望、同時に希望の光は宿っていない。あるのはただ、現実を映す鏡 だ。 瞬間、アルビノエンジェルの左腕が輝き、炸裂した。周囲にいたヴィクセンは通常では考えられない運動エネルギー を与えられ、次々と吹き飛んだ。建物に叩きつけられ、ヴィクセン同士で衝突する。 『ナぁイツ!』 その影響を受けていなかったヴィクセンが跳躍し、上空でグレネーダーをコッキングする。しかしアルビノエンジェルの 反応は尋常な速さではなかった。即座に上昇するとそのヴィクセンの頭部のレーダーユニットを左手で掴み、そのまま 建物に叩きつけた。その動きはまるで人間のものそのものでACのものとは思えない。 『げがぎゃあ!』 ヴィクセンが叫ぶ。しかしアルビノエンジェルはその動きを止めない。その右腕からライフル銃を奪い取ると、レーダ ーユニットから放した左腕のシールドをヴィクセンに向ける。そして、再び閃光が炸裂した。吹き飛ばされ、外装を貫き 建物に埋もれていく。そのコアは背部にまで届いているのではと思わせるほどに窪んでいた。コックピット、ジェネレータ ーは原形を留めてはいまい。 それで終える事無くアルビノエンジェルはグレネーダーから砲弾を発射する。これが常識を超えている事だと、誰もが 驚くはずだ。 現行型のACと旧型のACとはまったく互換性が無いのだ。内部に至ってもそれは完全に違う。それが現行ACを未だ に究極の兵器にした要因なのだが、そのために旧型のACとはまったく別の兵器とも言える。つまり、旧型ACの武装を 持ち、それから使用OSをダウンロードしたところで、規格がまったく違うため使用など出来ないのだ。しかし、アルビノ エンジェルはそれを無視するように降下しながらレーザーを連射していた。 砲弾、レーザーがそれを出迎えるが、掠りもしない。それに対してアルビノエンジェルの照射するレーザーは確実に関 節を撃ち抜く。 『ぶち殺してやるぜ、ナイツ!』 ヴィクセンが跳躍する。しかし降下ブースターを推進したアルビノエンジェルに即座に踏まれた。そのまま推進力に従 い、重量の違いもありヴィクセンは墜落、そのまま踏み潰された。間を置かずしてスーパーチャージャーが咆哮する。ア ルビノエンジェルを狙っていた攻撃は瀕死体の如きヴィクセンに着弾し、爆発を起こした。 その時にはアルビノエンジェルはヴィクセンの群れの上空を悠々と飛翔していた。そしてトリガーを引いたまま何度も グレネーダーをコッキングする。それに従い防弾が次々と吐き出される。下方で爆炎が広がる。一箇所に集中していた ヴィクセンはそれをうまく回避できず、爆炎に包まれた。しかしAC。その程度で動きを止めることは無い。 着地し、コンクリートを撒き散らす。そこへ群がるように迫るヴィクセンから伸びる光線の射線を全て予測し回避する。 そしてレーザーで反撃し、確実にヴィクセンを消耗させる。終結していたため背後からの攻撃を気にする事は無い。 『ナイツ! ぶっ殺す!』 最前列のヴィクセンが一斉に盾から伸びるレーザーブレードを振り被る。光波を照射する気だ。しかし、ナイツはそれ を許さない。 的確にそのレーザー発生装置を撃ち抜く。行き場を失った熱が爆発を引き起こし、そのヴィクセンは揃って左半身を 失った。しかし、その動きは止まらない。 先程の連射でグレネード弾は撃ち尽くした。ヴィクセンの前進を止められない。レーザー兵器は対象に対して極めて 高い確立で命中し、戦闘能力を奪うが、こと破壊力という話になると現行の通常兵器の出力では皆無とも言える。 背後にゲートの壁が迫ってくる。もう逃げながらの攻撃には限界だ。逃げる事が出来るゲートはこの逆側。このヴィク センの壁を通り抜けるのは難しいだろう。 アルビノエンジェルの横を通り過ぎた砲弾がゲートに着弾、炸裂した。僅かに体勢を崩し、その間に一機飛び抜けた ヴィクセンがコアからレーザーを撒き散らしながら接近する。拡散式であるため完全に射線を予測出来ず、装甲が焼け る。レーザーで膝関節を撃ち抜き、機動力を奪うがブースターで身体を引きずりながら盾からレーザーブレードを出力 する。光波の距離だ。近接戦闘ではない。即座に跳躍させ、光波が下方を通り過ぎる間にレーザーを3点バーストさ せ、頭部を貫く。しかし、その動きは止まらず、盾で機体を隠した。延命を図っているつもりだろうか。 ナイツは更に後方のヴィクセンとの距離を測り、しばらくの余裕を確認するとそのヴィクセンに接近する。そして盾を 左腕で払い、ライフル銃を奪い取ると、両手のライフル銃をコアに押しつけ、トリガーを引いた。閃光が迸り、ヴィクセン が沈黙する。 今までそのヴィクセンが盾になっていたため、それと同時に再び射撃の雨に晒された。ACに搭載された高性能FCS は回避無しにミスショットが有り得ない。しかしアルビノエンジェルは最小の動きでそれをかわし、両手のライフル銃から 発せられるレーザーで応戦するも、即座に反応を示さなくなった。フィルターを消耗しているのはあちらも同じなのだ。 ナイツは右手のライフル銃を破棄させ、左手のグレネーダーをコッキングする。砲弾が装填され、トリガーを引くと同 時に発射される。そして砲弾の後を追うように加速する。 ヴィクセンの反応は早かった。文字通り光速のレーザーとは違い、目で見て回避できる。跳躍し、加速し、散り散りに なりながらその砲弾を避ける。 その間にライフル銃を放り捨てたアルビノエンジェルはヴィクセンの群れの中に飛び込んだ。そしてその中の一機に 飛びかかると再びライフル銃を奪い取り、シールドの閃光を炸裂させた。アルビノエンジェルを中心に次々とヴィクセン が吹き飛び、建物が崩れる。間を置かずにトリガーを引きながらグレネーダーをコッキングする。次々と吐き出される 砲弾にヴィクセンが攻撃の機会を失い、その間にもアルビノエンジェルは跳躍する。 保護バイザーの下で光学カメラが赤く煌く。 爆風に吹き飛ばされているヴィクセンにレーザーを照射し、頭部を破壊する。 『げっげぎゃぎゃあ!』 しかしそのヴィクセンはバランスを失い、ビルに叩きつけられながらもそのライフル銃の狙いを定め、砲弾を発射す る。しかし掠りもしない。再びレーザーの洗礼を受け、コアに小さいながらも深い穴を作り沈黙する。 残り185前後。 アルビノエンジェルは疾走する。ライフル銃を振り回し、レーザーを乱射する。しかし、ヴィクセンの盾はそのレーザー を通さない。3点バーストでの速射性を重視されているためか、消費するエネルギー量が抑えられ、同時に威力も抑え られているようだ。装填されている砲弾の数も多くはない。 目の前で砲弾が舞う。それを後退して回避するが、砲弾はアスファルトに着弾すると爆発せずに跳弾、跳ね返った砲 弾はアルビノエンジェルのコアに直撃し、爆発した。 ACの超重量が跳ね上がる。コックピットは大きく揺れ、瞬間的にACの機能の一部が停止する。コアの装甲板は次々 に剥がれ落ち、ジェネレーターは一気に弱体化する。 動作の鈍ったアルビノエンジェルに次々と熱砲弾が発射される。シールドを展開させるも、防げるのは前方から発射 されたもののみで、背後に3発の砲弾の直撃を受けた。スーパーチャージャーが破裂し、右腕ごとアタッチメントポイン トが吹き飛ぶ。黒煙に包まれ、純白の塗装が見る見る黒く濁る。 『ヘヴンに逝っちまいな!』 ヴィクセンが叫ぶ。盾を振り上げ、そのブレード発生装置から青白い二条のレーザーが伸びる。そしてそれを叩きつ けるようにアルビノエンジェルに向けた。 再び閃光が弾けた。ヴィクセンは上半身が陥没し、よろけるようにそこに倒れこんだ。 動きを止めていたアルビノエンジェルが再び動き出す。その眼は煌々と赤く輝き、肉食獣の如き餓えた目線がヴィク センを捉える。 『死ね!』 『死ね!』 『死ね!』 『殺す!』 『死ね!』 『消えろ!』 『死ね!』 『殺す!』 ヴィクセンが再び攻撃を始める。しかし破壊された分軽量になったアルビノエンジェルは、ブースター出力の低下を差 し引いても明らかに素早くなっていた。剥き出しになった内部機構から火花を散らしながら加速を始めた。 目の前で発射された砲弾を回避すると左腕のシールドをかざし、閃光を炸裂させる。なす術も無く吹き飛ばされたヴィ クセンはビルに埋もれ、そのコアは醜く窪んでいた。 レーザーが交錯する。しかしその瞬間にはそこにACの姿は無く、ブースターの余剰出力を破損したスーパーチャージ ャーから噴出しながらヴィクセンの群れに飛び込む。 砲弾が発射される。しかしアルビノエンジェルは左腕をかざすとシールドを発生させる事無く、マニピュレーターでまる で蟲を相手にでもしているように払った。信管は作動せず、運動方向を曲げられた砲弾はアスファルトに着弾し、炸裂 する。 『ぎゃっ!?』 ヴィクセン達は動揺した。 自分たちを棚に上げ、まるであの時の死神と戦っているようだ、と。 再び閃光が炸裂する。あらゆる力を支配する力場が瞬間的にそこに展開される。アスファルトを陥没させ、周囲は本 来では有り得ない自然現象が発生され、抗う事は出来ない。玩具のように宙を舞うヴィクセンは戦闘能力を失ってはい ないが、戦闘意欲となると別なはずだ。何しろ目の前にいる相手はACと言う言葉だけでは説明し切れない存在である 事は間違い無いのだ。 左マニピュレーターで黒いライフル銃を拾い上げる。そしてその標準をリグに取り付けられている、開いたままの格納 庫に置いてあったコンテナに向けるとトリガーを引く。 レーザーは寸分の狂いも無く目標に照射され、内部にあった大型多弾頭ミサイルを爆発させた。その周囲にいたヴィ クセンは爆炎に吹き飛ばされる。一度に炸裂したミサイルの放つ熱量はかなりのもので、ヴィクセンの白い装甲は表面 が溶解し、赤熱する。 未だに炎を噴出すリグから次々とヴィクセンが離れるなか、アルビノエンジェルは加速し、接近する。それを迎撃する レーザーも砲弾も命中しない。接近してもレーザーに撃ち抜かれ、閃光に張り飛ばされるだけだった。 アルビノエンジェルがリグに左マニピュレーターを当てる。マニピュレーター内に走る情報伝達ファイバーがリグに命 令を下し、ジェネレーターが悲鳴を上げるのも構わずに起動させた。船底のホバーが唸り、リグが前進を始める。 通路を塞いでしまうほどの巨大な物体が、その進行方向に存在するヴィクセンの群れに突進する。 轢かれてはたまらないとヴィクセンは跳躍し難なくそれを回避するが、レーザーがそれを出迎えた。反撃は難しくヴィ クセンは戦力を激しく消耗する。 アルビノエンジェルの背後で大きく、重い音がした。 ゲートが開いている。 ナイツは背後を確認する事無くそれを知覚した。そしてそこに濁流の如くヴィクセンが流れ込んでいく様も。 アルビノエンジェルを即座に転進させ、背後からレーザーを照射する。しかし、距離が開き過ぎ、斜線がずれてしまう のは防ぎ切れない。 そちらへの攻撃を諦め、リグを飛び越えてくるヴィクセンの迎撃を再開する。しかし、とてつもない数だ。そのサイズを 小さくすればまるで下水道のネズミだろう。熱を破壊力とするレーザーでは抑えきれない。しかもアルビノエンジェルと の戦闘を避けるようにまったく相手にしようとしない。 抑え切れない。 河を逆流させる事が困難なように、ヴィクセンの大群を止める事は出来なかった。 その場に残された一機のAC。純白だったはずの装甲は無傷の部分は残っておらず、金属部分が露出し、その内部 さえ晒していた。 そして、その場から全ての動く事の出来るヴィクセンが去った時、アルビノエンジェルは糸の切れた人形のようにその 場に崩れ落ちた。後に残された残骸の山に紛れ、動くことは無い。そして遠くで、巨大で重い物が何かに激突する轟音 が鳴り響いた。 ロジャーは再び腕時計に目を通した。もう夜の10時を回っている。液晶の文字盤が時刻をコンマ一秒単位でカウント していた。 「ジーノちゃん……、また暖め直さなきゃな」 目の前の電話端末から受話器を取り、耳に当てるとリダイヤルボタンを再び押した。これももう何度目になるか分か らない。呼吸音が繰り返される。これも何度聞く音になるのか分からない。 『あなたがおかけになった番号は、現在、電波の届かない……』 受話器の向こうから無機質な女性の声が伝えられた。これも何度聞いたものか分からない。最後まで聞かずにロジ ャーは受話器を置いた。 広過ぎるガレージに彼はただ独り残っていた。照明が降り注ぎ、外からは雨が降っている気配が伝わってくる。バーメ ンタイドは車でジーノを探しに出て行ったままだ。そして彼は戻ってきた時のために待機中である。 電話端末が急に叫んだ。雨音をつんざく電子音はガレージでの作業中でも十分聞こえるように音量を最大に設定さ れている。ロジャーは飛びつくように受話器を取った。 「はい」 心配でそうとしか言えず、我ながら情けないと後悔する。 『……その様子じゃ戻ってねぇな』 それはバーメンタイドの声だった。溜息混じりのその声の向こうで雨音が聞こえる。 「駄目……ですか?」 ロジャーがそう言うと受話器の向こうでバーメンタイドが再び溜息を吐いた。 『思い当たるところは全部探したんだけどな』 「コヨミちゃんちはどうですか? 電話繋がらないんです」 『真っ暗だ。コヨミとも連絡が取れてねぇ』 真っ暗とはコヨミの住んでいる家の事を言っているのだろう。という事は二人でどこにか行っているのだろうか。いや、 それは無いはずだ。彼女はコンサートに出ており、今日は帰らないはずだ。 「他の友達の所とか」 『全滅。そっちこそなんか無ぇのか』 ロジャーは何も答えられなかった。どうしようもなく自分が無力に感じられる。 学校? 駄目だ。あそこは彼女が最も嫌っている場所だ。 「やっぱり俺も探してみますよ」 『馬鹿。誰が留守すんだよ』 呆れ声だったが、ロジャーは努めて明るく答えた。 「大丈夫ですって。置き紙しときますから」 受話器の向こうで何か言っているのを無視して受話器を置くと、急いで自室に向かった。鉄骨の階段を上がる。そし て自室で黒いヘルメットと白いレインコートを手に取るとプレートを『ロジャーは外出中です』のままにして今度は階段を 降りる。金属音の度にロジャーの中の心配は膨らんでいく。 レインコートを羽織り、ジッパーを閉める。肘にも方にもパットが入ったタイプだ。高速で走る場合でも役に立つ。そし てヘルメットの中から黒いグローブを取り出し手にはめたところではたと思い出す。 置き紙を用意しなければ。 利き腕の左手からグローブを外しながら小走りで電話端末に向かう。そこにはメモ用の紙やペンがあったはずだ。 その途中、シャッターの向こうで影が動いていた。ガレージから零れる灯りに照らされ、少女のシルエットが現れる。 「ジーノちゃん?」 シャッターの下をジーノがゆっくりと潜っていた。雨の中、傘も差していなかったのだろう。ずぶ濡れになって額からも 雨水が流れていた。 「ちょっと、ジーノちゃん! どうしたの!?」 ロジャーは驚いてまともな言葉も言えずに彼女に駆け寄った。衣服は重く水を吸い、赤かったはずの袖は暗く濁って いた。 「ああ、とりあえずなんか拭く物持ってこなくちゃね。あ、親方が先かな? とりあえず、ほら、風邪引いちゃう」 慌ててしまい、なかなか行動に移れない。しかしレインコートにはハンカチタオルが常備されている事を思い出し、右 ポケットに手を入れた。そこには乾いた柔らかい感触があった。何年も使っているのでお世辞にも綺麗なものとは言え ないのだが、それをジーノに差し出した。 「とりあえずこいつ使ってさ、タオルすぐ持ってくる……」 ロジャーの頭のすぐ近くで風が吹いた。それに咄嗟に反応し、後に飛び退く。ジーノの平手が空を切った。 そして沈黙があった。彼女は肩を震わせ、しかし何も言おうとはしない。 二人の間は距離があった。ロジャーが飛び退いた分の距離だ。 「あ……」 間抜けな声だった。まるで自分が彼女を拒絶したようでそれが信じられなかった。 「あの、あのさ」 改めてジーノに歩み寄った。そこで彼女が始めて自分を睨みつけている事に気付く。何かがあったのかは聞くまでも 無いのだが、しかしそれが何なのか、ロジャーには知るよしも無い。 再び平手が飛んだ。ロジャーはそれを甘んじて受けると、ぴしゃりと湿った音がそこに鳴り響いた。しかしそれは予想 よりもずっと非力で、冷たかった。この冷たさはそのままジーノの心の冷たさなのだろうか。ロジャーは驚きながらも、出 来る限りそれを面に出さないように努めていた。 「ねえ、ジーノちゃん?」 ロジャーは小さく膝を曲げ、目線をジーノと揃えると努めて明るく話した。 「俺もさ、そういう時あったよ」 彼がそう言うとジーノもさすがに不思議そうに視線を上げた。声には出さないがその顔は、なに言ってんの? とでも 言っていそうだった。 「12の時だったかな〜。俺その時すっごい嫌な事あって、それで何もしたくなくなってさ、誰とも話したくなくなったの。そ れで同じ孤児院の仲間にすっごく迷惑掛けたんだ」 そう言いながらもロジャーは笑顔だった。その嫌な事、というのが一体何なのか、ジーノも知る事は無い。しかし驚い てはいるようだった。 「そんな事一週間もしてたら友達がさ、こう言ってくれたんだ」 そしてその言葉を思い出そうとしているのか、しばらく沈黙し、再び口を開く。 「俺は何も言わない。その代わりお前は何があったのか洗いざらい言え、って。俺すごく嬉しかった。全部話してもホン トに何も言わないんだもん」 本当に嬉しそうな笑顔を向けながら改めてハンカチタオルをジーノに差し出した。淡い橙色。青いチェックが入ってお り、所々直した刺繍の跡があった。 「ジーノちゃんは女の子だもん。そうは言わないけどさ、やっぱり話して欲しいって思うよ」 ジーノはそれを受け取ろうとはしないが、ロジャーは続けた。 「あいつも同じだったと思うんだ」 その言葉を最後にそこは再び雨音に支配された。遥か遠くで一般航空機が飛んでいるジェット音が聞こえる。そして それよりももう少し近くで水溜りが跳ねる音がした。夜の10時とは言っても深夜ではない。交通状況は未だ活発だ。 ネオアイザックシティ・カウヘレン。比較的治安の良い街と言われている。 「コヨミが……」 ジーノがようやく口を開いた。 「コヨミちゃんが?」 ロジャーはそれをただ復唱する。それに促されるように彼女は再び口を開いた。 「怪我して、今どこかの病院だって……」 今度はロジャーも何も言わなかった。ただ、口を開け、言おうとはしても言葉が思いつかないのだ。 「そんな酷い事したのACだって。レイヴンだって」 ジーノは肩を震わせ、しゃくりあげる。頬からは雨露でない物が伝っているのがロジャーにも分かった。泣いているの だ。 「なんで?」 その声も震えていた。もう自制の効かなくなってしまったかのように、ジーノは続ける。 「なんで? コヨミ何にも悪い事してないのに」 その言葉はロジャーに投げ掛けられたものではなかった。ただ、今の現実に対するものなのだろう。答えなど求めて はいない。ただ、理解出来ないだけなのだ。その理不尽な現実に。 「ロジャーは守ってくれるんじゃなかったの?」 今度こそロジャーに向けられた言葉だった。ジーノは真っ直ぐに彼を見つめていた。涙を流しながらも表情の宿らない 瞳で。 「なんで守ってくれなかったの?」 そしてその言葉と共にジーノは爆発した。涙が止まらない。肺が収縮し、嗚咽が漏れる。俯き、髪を伝う雨露と共に涙 が強化合金製の床に吸い込まれていった。 なんで。 なぜなのだろう。 なぜこの子が泣かなくてはならないのだろう。 ロジャーは少女の細い肩に手を乗せた。びくっ、と震えたそこ肩は驚くほど冷たかった。 「ごめんね。俺には守れなかったよ」 俯く彼女の顔を覗き込むように言う。 「ホントにごめんね」 申し訳無い、それ以上に自分に対する無力感でいっぱいだった。 「ごめん」 自分にはこの子の涙を止める力すら無い、その事に対する悲しみが溢れてくる。 「俺には守れなかったよ」 しかし、それを面に出さず、涙を流す事は無かった。それしか自分に出来る事が無いと分かっているからだ。 「ごめん」 そして何度も誤り続ける。今の彼にはそれしか出来なかった。 いつか彼女の涙が枯れるその時まで。 深夜の裏路地は静かなものだった。遥か遠くで車の走ってる音が聞こえる。頭上ではビル風が大気を切り裂いてい る。 薄暗い。空から降り注ぐ月の明りを頼りに、ってのは初めてかも知れねぇな。やや青白く着色された景色が俺の目に 飛び込んでくる。 宛ても無く彷徨っていた。自分が何をしてるのか、分からない。ただ苛々してるのは分かった。自分の目に飛び込ん でくるもの全てを破壊したくなる衝動が突き上げてくる。 そいつに従うのは簡単だろう。だが、それは主義に反する。 思考に次ぐ思考の上の行動。 この思考もただ考えるだけでは駄目だ。速く、確実でなければならない。そいつを常に頭のどこかに置いておく。それ が重要だ。 そこは狭かった。暗く、左右をコンクリートに挟まれ、僅かに灯る明りには羽蟲が集って、軽い衝突音を立てている。 足元にはついさっきまで降ってた雨が水溜りを作っていた。靴は水を吸って爪先から飛び水を放っている。服も水を吸 い重く、俺の気持ちをそのまま表してるようだ。 道を銀色でアルミのゴミ箱が塞いでいた。同じ銀色のフタがされ、僅かに腐敗臭がする。その先には路地の出口が見 える。電灯と道。そして緑で囲まれた土地だ。 そのゴミ箱を蹴飛ばす。蹴ると言っても押したようなもんだから倒れるだけだ。しかしフタは必要以上に派手に吹き飛 ぶとそこから生ゴミが溢れ出す。それと同時に黒い蟲が辺りに散らばった。一部はそこから逃げるように消え去り、残り はまだゴミを漁ってやがる。 ゴキブリ。 レイヴンはこいつに例えられる事がある。冗談じゃない。 俺はそいつらをゴミごと踏み潰しながら進んだ。 僅かな空腹が時間の経過を知らせる。 あのガキ、あいつを見た時俺の思考は中断された。滅多な事じゃない。なぜだ? あの女を見た時、あの時に似たよ うな感覚だったが、違う。俺はビビッていた。洒落ならないくらいに。なぜだ? 電灯に照らされる道を踏み歩く。人通りなんてもんは殆ど無い。一応程度にしか時間の無い地下とは大違いだ。 緑に囲まれた土地が見える。広い。白いフェンスも僅かに見え、その向こうには橙色の明りが辺りを照らしていた。炎 の明りだろうか。人の笑い声も聞こえる。 一体なんだ? 祭りにしては時期も時間帯もずれちまってるが。 そこに向かってみた。既に俺は自分がどこにいるか分からなくなってる。急いだってしょうがねぇ。それに簡単な暇つ ぶしだ。 そこは公園、といった趣の場所だ。広場にしては少しばかり作りが簡素過ぎる。恋人同士の逢い引きには使えない。 ガキの溜まり場ってところだ。 で、そのガキの溜まり場に相応しくない集まりがあった。 轟々と炎を噴出すドラム缶を中心に、なるほどそれらしい格好の男達が談笑を交えている。手に持った思い思いの物 を飲み食いし、時折ドラム缶に物を放り込む。ホームレスを見るのは初めてじゃないがここまで集まってるのは初めて 見るな。ざっと見て10人。ここを離れてるようなやつを考えればそれ以上か。 「よお、兄ちゃん」 不意に、背後から話し掛けられる。低い男の声だ。距離は2、3メートル。相手が仕掛けてきたところで裏拳を振り抜 けば難無く倒せ得る距離だ。って、なに考えてんだ俺は。 振り返ってみればそいつは俺よりもずっと若い、多分20を下ったくらいの男がこちらをにたついた顔で見ている。顔 中汚れでまみれ、髭が生え放題だ。布を張り合わせたような服装もこいつがそっちの人間だって事を示している。ま あ、俺より若いと言っても確証は無いが。 「物乞いをする気は無ぇよ。だがガードじゃねぇよな? 一応」 意外なほどそいつの言ってる言葉はまともだった。しかしこいつ自身はそういうわけじゃないようだ。手に持った白い 紙袋の中から銃を取り出して見せる。中型だ。セーフティもかかってる。銃身にはノズル。連射が出来るタイプか。 「ガードな。俺も嫌いだ」 まあそういう事だ。ガードの武装が貧弱なのは確かだが、一応地球政府や企業が裏についてる以上戦力は並みのテ ロ集団以上だ。少なくとも企業部隊を相手にするよりはマシだが。 「俺らの仲間ってわけじゃねぇんだろ?」 「お前らと一緒にされちゃ困る」 「悪くねぇぜ。こういうのも。ん?」 そう言うと銃を紙袋にしまい、代わりにそいつを見せた。少しばかり細工の入ったガラス瓶には波々と琥珀色の液体 が詰まっている。ブランデー。それも上等だ。封も切られていない。何でこんなやつがこんなもんを? 「なんだよ。つまらねぇやつだな。少しは驚いてみろよ」 そいつには俺が何でもないように見えたようだ。これでも結構驚いているんだが。 「盗んだのか?」 「違う違う。こっちにも真っ当な筋ってのがあるんだよ」 こいつから真っ当なんて言葉が聞けるとは思わなかったな。まあ、盗んだんでなければ拾ったか、もう使われてない 倉庫の残り物かってところだろう。どっちにしても盗んだには変わらないんだが。 「なあ、でかいの」 また背後からの言葉だ。例の如く男の声。 振り返ればさっきのやつよりも少しはまともなやつだった。真っ青の上着はレイヴンの着ているパイロットスーツに似 ている。背丈は至って普通だが目つきがさっきの腑抜けたようなやつとは違う。なにかを見てきた目だ。見た目歳は俺 とそう変わらない。服装も他に比べるとこざっぱりして、ここの連中でも特別だってのが感じられる。 「どうだ? 飲んでくか?」 そいつも片手に持ったブランデー入りのグラスをカラカラ回してきた。ここの連中はどうなってんだ? 「こいつも飲ませてくれるのか?」 俺は後を親指で指してそう言った。飲むと言っても何でも良いってわけじゃないからな。 「ああ、どうせただだしな」 まあそんなところだろう。後ろで男が何か言ってるのに構わずに俺はそいつに着いていった。 そこにいた連中は快く俺を出迎えた。世捨て人ってのは相手が誰なのか関係無いんだろうな。自分たちに危害を加 えるようなやつらでなければ。 湿った地面を覆うようにダンボールと新聞紙が敷き詰めてある。どれもこれも真新しいものではなく使い込まれている ようだ。 青い上着の男が座る。俺はその横に座り込んだ。ドラム缶の炎が熱いくらいに眩しい。 横の老人が俺にグラスを渡した。所々欠けてはいるがうまい具合に丸く削ってある。口を切らないように工夫がされて いるようだ。 「あんたも仲間に入るのか?」 その老人が言う。白い髭が鬱陶しいくらい長く伸びている。 「冗談じゃない」 俺は軽くそう言ってやった。するとその老人はなにがおかしいのか笑い出した。まったく、こういう連中は何を考えてい るのかさっぱりだな。 「そう言うな」 青い上着の男が口を開いた。そしてそのついでのように液体を口に含むとそれに続けた。 「俺達みたいな人間も含めて世の中なのさ。どんなに不必要に思えてもそのどれが欠けても問題だ。そういうふうに出 来てるんだよ」 その上着の肩袖で何かが光った。刺繍だろうか。逆さに落ちる烏……。まさか、なんでこんなやつが。 「フライトナーズ……」 俺はいつの間にかそう口から洩らしていた。 このマークは間違うはずが無い。フライトナーズのエンブレムだ。じゃあ、こいつは正真正銘のフライトナーズのパイロ ットスーツなのか? 「分かるのか? ははあ、お前レイヴンか?」 ずばり当てやがった。だがこっちもずばり当ててやる自信がある。 「お前はレイヴンとは違うな。特殊部隊の犬か?」 そう言うとそいつも噴出すのを堪えるように、くっくっと笑いやがる。目の前にあったブランデーを手に持ったグラスに 注ぐとそのまま口に放り込んだ。苦味と焼ける感覚、鼻からアルコールが抜ける。なるほど、悪くない。だが今問題にす るのはそんな事じゃない。 「犬……な。ハウンドドッグとは言わないが、酷いもんだったなあれは」 ハウンドドッグとはフライトナーズが拠点防衛用に組んだACのアセンブルパターンの事だ。しかし、それを知る人間 は極限られる。そう、レイヴンやそれに属する人間でなければ知らないはずだ。 「汎用型のリヴァーボアだった。ははっ、俺は脚が四本無ぇと戦えねぇってのに。クラインのやつは俺達にそいつを使え って言った。その結果が“これ”だ」 そしてそいつは自分を指差した。確かに地球政府お抱えの特殊部隊から浮浪人じゃ笑えないだろう。窓際族ももう少 しはマシだろうからな。 「あんたに言わせればそれも必要なんじゃないのか?」 「ああ、地球政府にしてみれば俺達を総崩れさせたのは今でも自慢だろうさ。だがやったのはレイヴンだろうが」 アルコールが回ってきたのか、そいつの声は次第に大きくなっていった。酔えない身としては少し羨ましい気もする が、こうなるのはごめんだ。こいつがどんな絶望を舐めたのかは知らんが、全ての原因はこいつの弱さだ。それを何か に押し付ける、こいつの精神は気に食わん。 「その中に俺もいた」 青い上着の男がぴくりと動くが分かった。 「ジオシティには二機いたな。ファルナクレーターにはMT含め5機か? トレッドにもACが3。ヘラスは酷かったな。あっ ちもこっちもACだらけだったしな」 他にも何回もやつらとは戦った。レイヴンとしては嬉しい時期だったな。高収入の任務が目白押しだった。しかも、 「大した事無かったな。あれが特殊部隊か?」 「ふざけるな!」 挑発に乗ってきた青い上着の男が立ち上がった。俺は構わずグラスの中身を煽った。うまいが、飽きる味だ。やはり 炭酸が無いと味を楽しむ事が出来ない。 「お前に何が分かる! 限られた物資であれ以上前線を維持できるわけ無ぇだろうが!」 「ブラッドテール、もう止めろよ」 ドラム缶の向こうで男が言った。炎に隠れて姿は見えない。それにしても、こいつはブレッドテールって言うのか。なん とも冴えない名前だ。もちろんレイヴンネームだろうが。 「分かるさ。どいつもこいつもだらしねぇから必要以上に物使うんだろ?」 その言葉で遂にそいつは爆発したようだ。座っている俺の襟を掴みかかった。手に持たされていたグラス、割るには 勿体無い。そういう気がする。新聞紙の上に逆さにして置くと、そこに残されていた液体が僅かに滴った。 もうからかうのは飽きた。消えた方が良い。こいつの古傷をこれ以上広げる必要も無いだろう。 立ち上がるが、俺の襟を掴んでいた腕はしつこく喰いついていた。 「止めろよ。こいつも帰るってよ」 老人が俺を気にするなと促す。こちらは流石に肝が据わっているのか、こういう生き方が長いのか、人との付き合い が上手い方だろう。あしらい方を含めてな。 「ふざけるな! レーザーだけの戦いがどれだけ続いたと思ってる!」 だがこいつはそんな事は気付いてもいないようだ。アルコールを飲むのはいいが、こう悪酔いされるのは困るな。そ の腕を払いたいが残念な事俺には腕が無い。まあ、身長差もあるから気にせずに振り切っても良いんだが。 ……? 「あるじゃねぇか」 自分の両腕を確認する。信じられない。なぜ腕がある? ナニガアルンダ? カセイデノホキュウガツライコトクライバカデモワカルダロウカ! 「違う!」 あるに決まってるじゃねぇか! 何故無いなどと思う! いつだってついてきただろうが! ナニガチガウ! エーシーヲアイテニドレダケブッシヲヒツヨウトスルトオモッテルンダ! 「違う!」 なんだ? なんだこれは? 俺は誰だ? デュライ? それは誰だ? これはなんだ? イイカゲンニシロ! オマエハイツマデオレタチヲバカニスルキダ! 「死にたくない!」 衝撃が走った。全身に浮遊感を感じ、次の瞬間に冷たさを感じる。パチリパチリとドラム缶の中で大気が膨張し、熱と 炎を放っていた。頬に湿った草が触れる。僅かに痛い。 「おいおい、デカイ割にはだらしねぇなぁ」 老人が笑っていた。見ている。こちらを見ている。 「来いよ! AC無しで戦えるか!?」 青い上着の男が叫んでいる。こちらに向かい叫んでいる。 そうか。俺はこいつに殴り飛ばされた。 俺? そう、俺だ。デュライ。レイヴンである記憶しかないデュライだ。 「止めておけよ。下手に暴れたらガードが嗅ぎつけてくる」 立ち上がる。視線は一気に高くなり、その向こう側に男がいた。俺を殴り飛ばした男。 ああ、お前の気持ちが分かる。 俺もお前を殴り殺したい。 両腕がある。当然だ。当り前。こいつを使って殴るわけだ。 そうと決まれば俺の行動は早かった。歩幅と脚力を使って一気に接近すると軽く腰を捻って拳を握り、振り抜く。途中 男の腕がそいつを拒んだが、関係無い。腕ごと顔面に叩きつける。そいつが体勢を崩すのを確認すると今度は逆の腕 を振り上げる。顎を捉えた。骨が砕ける感覚が腕を通して伝わってくる。そいつの頭蓋が俺の拳に乗っている感覚が気 に入らない。逆の腕を振り抜く。そいつは地に伏せた。多分、死んでる。 死人はどうでも良い。振り返る。そこには目を剥いて目の前の光景を凝視した老人が座っていた。他にもドラム缶を 囲って何人か。 手当たり次第に殺す。 まずは老人を真上から殴る。命中したのは後頭部、頭蓋の砕ける感触。そのままその隣のさっきの若い男を蹴り飛 ばす。鉄の入っているブーツの爪先が喉に食い込んだ。喉から蛙みてぇに潰れた声を出す。それが終わる前に再び喉 を蹴り込んで黙らせる。 その辺りでようやく状況が飲み込めたのか浮浪人どもが散り散りに逃げ始めた。 足元の紙袋が転がっている。今は自信が無いが、中には銃があったはずだ。他に入っていた物を押し退けながら鉄 の感覚を手早く見つけると持ち上げる。僅かに重い。 アルコールのせいだろうか。自分のしている事に何も感じない。まあ、いつも似たようなもんだが。これが酔ったって やつなら随分だな。 ドラム缶を蹴り倒す。倒れたドラム缶から炎が芝生に引火し更に炎が広がる。辺りが夕焼けのように赤く照らされた。 やれやれ。なにをやってるんだか。俺は。 セーフティを下ろして早速一撃を逃げる男の首を狙って発射した。ここなら上下に多少ずれても致命傷になる。もちろ ん首に命中すればそのままショック死だ。そして弾丸はどうやら背中に命中したようだ。鮮血が迸り、男は倒れ、悶え る。あれは失血で死ぬ。放っておけば良い。 そのままセレクターレバーを下ろし連射モードに切り替える。そしてまとまって逃げている集団に向けてトリガーを振り 絞った。 ノズルから閃光が走る。やや暗闇に慣れていた目に眩しいほどだ。その向こうで次々に浮浪人どもが倒れていった。 自信は無いが多分死んでると思うんだが。 こうやって直に人を殺すのは最初じゃない。むしろこれで何度目になるか数え切れない。地球ではそれほどでもない が火星はそういう土地だった。馬鹿が俺に銃を向ければ次の瞬間にその銃はその馬鹿を撃ち抜いている。そういうも んだ。 気付けば辺りは静かなものだった。炎の燃焼音だけが俺に耳に入ってくる。人の気配は、無い。しかし明日、いや、 正確には今日の朝にでもなればこの様子に気付く人間は一人や二人じゃないだろう。 溜息を吐く。無駄に疲れた。 俺は炎の中に銃を放り込むとその場を後にした。ここはどこか、そんな事は分からない。だが、どこかだ。今の俺に はそれで十分過ぎる。 どうしちまったんだ。記憶が混乱してる。繋がりが悪い。昨日とその昨日の区別がつかなくなっちまってる。こんな時は どうしたら良いか。簡単だ。 「寝るに限る」 眠気は無い。だが眠ればどんなに煩わしい事でも忘れる事が出来る。時々そうでない時もあるが。だが今はとにかく 眠りたい。 俺は思考を停止させると脚を速めた。 背後で先程の銃のチャンバーとマガジンに残された弾丸が熱で爆発し、銃を破壊する小気味良い音が聞こえた。夜 はまだ長い。 「1−G地区に出火! 消防部隊が残ってません!」 「1−Lのジオガード部隊が協力を要請しています」 「こっちは首が回らねぇって言っとけ」 「3番MT部隊損耗95%以上! まもなく全滅します! 交替許可を与えます!」 「馬鹿! 後退したってもう格納庫しか無ぇんだよ! 死ぬまで戦わせろ!」 「4番ヘリ軍全滅。1地区既にまともな戦力無し。どうします?」 「レイヴンが出撃しました。後はコンコードに……」 「戦力の詳細が分かった!」 慌しい地球政府ガード部隊戦略本部の中央ディスプレイに白髪を短く切り揃えた老人の映像が走った。老人とは思え ないはきはきとした声がそこにいる全員に覇気を与える。 「こいつだ」 それに代わってディスプレイには一機、3D映像化された人型メカとそのデータが映し出された。くるくるとディスプレイ を回るそれは白く、一見すると騎士を思わせる風貌をしている。左腕には盾、右手には黒いライフル銃を持っていた。 「ヴィクセン。旧型ACだ。こいつが今あちこちの都市で大暴れしてる! 企業側から傍受した迎撃数を含めれば今のと ころ12機。残存は100以上だ!」 「なにそれ……」 それを聞いた女性オペレーターが誰にも聞こえないような小さい声で呟いた。しかし愕然としたその表情からその内 心は誰にでも読み取れる。 「オールド・アイザック・W−055居住区で一番最初に目撃されて一番遠いところで同じ地下のオールド・ザム・M−10 1産業区。地上ではアイザック・アークルバー。1万キロ近くに渡って目下戦闘中ってところですか?」 その横で少年のように若い男性オペレーターが冷めた口調で独り言のように言った。そして一瞬表情を歪めると、つ いでのように付け加えた。 「全戦力損耗。我ら、無力化しました。後は完全にレイヴン任せです」 その言葉にそこにいた全員が溜息を吐いた。 MT30機。人型MT10機。戦車を含めた戦闘メカ120機。ヘリ、戦闘機などの航空戦力30機がものの見事に全滅 したのだ。事実上、この都市は無力化し、テロリストに対してもなにも出来ない。もし現状を退けたとしてもしばらくはレ イヴンに頼った自衛しか出来ないだろう。予算は2、3ヶ月で底を着き、後は緩慢的な締め付けで徐々に組織規模その ものが収縮してゆく。それはそのまま地球政府にも影響し、再び企業の台頭が目立つようになるのだ。 「0−G地区が鎮火しました。すぐに1−G地区に部隊を回します」 しばしの沈黙に野太い男の声が響いた。 「救援部隊が援護を求めてますけど……、どうします?」 「歩兵がACを牽制出来ると思うか?」 女性オペレーターはそれに答える事は出来なかった。出来ないに決まっているからだ。 「今現在の死傷者のおおよその数が出ました。一般約4000人が死亡。怪我で10000以上。行方不明者が50000 以上。私達ガード部隊の殉職者が約500人です。どんどん増えますよ」 メインディスプレイでは未だにヴィクセンがくるくると存在を誇示していた。局長は舌打ちの後、コンソールを操作して 画像をデフォルトにした。そこには都市全体の簡単なマップと状況が映し出される。 「病院は……。でかい病院は大丈夫か」 局長は眼鏡を外し、軽く両目を揉んだ。痛い。 「辛うじて戦局が流れています。このままならどうにか砂漠に向かってくれるんじゃないでしょうか」 年配の女性オペレーターがそれに答えた。どちらかと言えば朗報だろうが、それはつまりなるがままという事だろう。 「レイヴン、一機死亡しました。後一機残ってますけど……どうでしょう」 若い男性オペレーターが絶望感たっぷりの言葉を伝えた。水で薄めても砂糖で甘くしても無駄だ。 「ACが一機死んで、それと一緒に出撃したんだったらその末路も同じか。極めてネガティブだな」 その隣の男性オペレーターがそれに答えた。彼の予想自体も極めて悲観的なものだ。 「……? ちょっと待って下さい」 女性オペレーターがなにかを受信し、コンソールを操作した。 「10番無線。メインで出力します」 『ディソーダーだ! ディソーダーがあちこちから這い出てきた! 茶色の蟲みてぇなやつだ!緑色もいる!』 途端に大音量で若い男の声が支部全体に響き渡った。 『こっちに来る!』 そしてその言葉と共にその声は消え去った。そして何か軽い物が接触する音。 「状況は?」 女性オペレーターが尋ねた。しかし、返事は無い。 「ディソーダー……。こんな時に」 局長は既に諦めた表情で椅子に寄りかかった。ぎしぎしとアルミパイプが軋む。 「お前ら、週末と終末の容易は出来てるか?」 そして笑った。誰もがウンザリするような大声で。 それは燃え盛る夜の街並みを見下ろしていた。4つの目と思しき物は無機的で、しかし有機的な光を放ってその惨状 を傍観する。暗黒の中、赤は冴えるようだ。 それは人のようで人ではなかった。 全身は優美な曲線を湛え、強調された胸部が女性的なシルエットさえ持っている。しかし、頭部はその胸部に埋もれ るようにそこにあり、背後からは尻尾を思わせる巨大な物が取り付けられている。全身が白い輝きを放ち、所々それよ りも強力な緑色の閃光を発していた。僅かに月が照らし、より一層眩しい。そして、何よりも巨大だった。一体どういう物 理現象によってなのかは分からないが無音のまま宙に浮遊している。 例えるならばエイリアン。そうとしか言えそうに無い。 それはまるで人間の女性のように胸の下で腕を組んだ。その手は指先までも繊細に動き、生物であるようにも見え る。しかし、その姿は生物とは思えない不条理なものだった。 それの尻尾を思わせるものから4つの何かが飛び出した。形状はまるで鉄に置き換えられたクラゲのようだ。それは 無音で浮遊し、それを囲むように停止する。 そしてそれは一気に加速すると燃え盛る都市に下降する。 『ぎゃ?』 白い騎士を思わせる機械が、その降下してきた物を見ると疑問を含んだ声を発した。そしてその物はそれに答えるよ うに先端の針のような部分から光を発した。それが機械の表面を焦がす。 『おーびっとかぁ!?』 その機械は叫ぶと持っていた盾でその物を叩き落そうと振り回した。しかし物はそれをかわし、何度と無く光を発す る。光を受けた部分は赤く熱を発し、遂には破裂した。 群がるように4つの物は機械を取り囲み、光を発する。機械はそれから逃げようと必至だが、物は機械よりもずっと 速く、狡猾だった。すぐに回り込まれ、光を受ける。そして、機械は動かなくなった。全身からどす黒い煙を吐き出し、赤 く光を放っていた。 それはその遥か上空からそれを見て満足そうに頷いた。 物は新たな獲物を探し、そしてそれが頷いたのが嬉しそうに加速する。 それは夜空で輝いていた。まるで天使のように光の翼を広げ、次第に降下を始める。 惨状を嘲笑うかのようにそれは輝いていた。そして金属音とも推進音ともとれない音を発する。もしかしたらそれの声 なのかも知れない。しかし、それを知る者はいない。 人知を超えた、超常的な存在。それを思わせるには十分であるそれは、静かに、炎に包まれた暗黒の都市に舞い降 りた。 AC アルビノエンジェル RAVEN ナイツ
標準仕様。 AC 天照大御神 RAVEN ツルギ
過剰なまで機動力に特化換装された構成。フロートのディーンドライブとブースターの併用による遠心力加速推進を 除けばACとしては最速を誇る。 それに対して耐久性は限界までに犠牲になっている。通常の対MT兵器でさえも致命傷になりかねないが、機動力強 化でそれに答える。 ヴィクセンの圧倒的な物量を前に捨て身の特攻を加え、その最後を迎えた。 AC ブルースコープ RAVEN ミニッツスター
標準仕様。 対多数の戦闘は苦手であるため、ヴィクセンの群れの前に成す術も無く破壊された。 AC ナスティ RAVEN ジェッター
移動しながらのキャノン兵器の使用が可能な重量四脚をベースに、その消費エネルギー量を軽減するため実弾火器 と省エネルギーフレームで構成したAC。 基本的な機動力は低くなく、装甲は充実し、火力は瞬間火力に劣りながらも持久力、総合火力共に優秀である。 最後は天照大御神を追うようにヴィクセンに特攻を加え、大破する。 AC グラディンゴ RAVEN テイルム
二脚ACとしては最大級の装甲を誇り、対多数での戦闘を得意とする。 大型多弾頭ミサイルによって敵勢力を疲弊させ、ロングレンジライフルで安定した攻撃を加える。これにより敵勢力は 自然に攻め難くなるため、ブルースコープ同様支援型と言える。 近距離戦闘は苦手であり、ヴィクセンの群れに集団で切りかかられ、なすすべなく破壊された。 |